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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
The long long summer vacation
39/45

1



「むー……」


 莉子は、窓の外を恨めしそうに睨む。

 狂ったように紫外線を放射している夏の太陽が憎たらしい。

 まだ午前中だというのにけたたましく鳴き喚いてる蝉が鬱陶しい。

 おそらく、“彼女”さえ莉子の側に居れば……こんなネガティブな気持ちにならなくても済んだのかもしれない。

 季節は夏。

 活動的な莉子にとっては海に行ったり山に行ったり川遊びをしたりと、やりたいことがあり過ぎて困る季節なのだが……


「今年の夏は憂鬱だなぁ……」


 亞璃紗に別れを告げられてから2ヶ月。

 莉子の心にはポッカリと大穴が開いてしまっていた。

 大切な友達を失ってしまった、喪失感……それは莉子にとって、耐え難い苦痛であった。

 その苦痛を和らげてくれたのが……幼馴染の雪だった。

 今日だって、これから図書館で雪と勉強会。

 ……という名目であるが、まぁぶっちゃけると頭の悪い莉子の為に、雪が夏休みの課題を手伝ってくれるのだ。

 雪にはホント、いくら感謝してもし足りないよ。

 莉子は心のなかでそう呟きながら、身支度を整える。

 その横で、特に真剣に見ているわけでもないテレビのワイドショーが、淡々と垂れ流されている。


『……といったように、この経済危機をどう乗り越えていくかが、これからのEU諸国にとって大きな課題となっていくでしょう』

『日本への影響も懸念されていますが』

『問題が深刻化すれば世界に波及しますからね。日本も対岸の火事ってわけにはいきませんね』

『じゃあもっと国会で真剣に取り組むべきじゃないんですかね。野党も総理に算数クイズなんか出題してる場合じゃないでしょ』

『え~? それを言うなら加藤総理の教養に問題があると思うんですぅ。一国の総理大臣がかけ算の7の段に躓くなんて、由々しき事態だと思うんですけどぉ』

『それはさておき、国民不在の政治はなんとかして欲しいものですね』

『全くです』

『それでは次の話題です。私達の個人情報が、違法に売買されているとしたらどうしますか? 現在、ワールドネット上では違法な情報の売買が深刻化し―――』


 今の莉子にとって、特に目を引くトピックスもないつまらないニュース。

 ショートパンツを履き終えた莉子は、退屈そうな面持ちでリモコンを操作してテレビの電源を落とす。

 スクールバッグの中身を確認する。

 課題作文用の原稿用紙……よし。

 教科書……よし。

 ノート……よし。

 お財布……よし。

 ハンカチ……よし。

 ケータイ……よし。


「……っと、肝心の筆記用具を忘れるところだった。危ない危ない」


 カジキマグロを模した愛用のペン入れ……よし。


「全部よしっと。さて……行きましょうか」


 莉子の家から手頃な距離にある図書館……舞橋市立図書館。

 その近辺には、亞璃紗と出会ったあの公園がある。

 嫌でも、彼女のことを思い出してしまう。

 少しだけ、気が引ける。

 でも……それ以上に期待してしまう。

 また、彼女に会えるかもしれない……と。


「……あははっ。そんなわけ……ないよね?」


 亞璃紗の気位の高さ……莉子はそれを知っている。

 その気高くも凛々しい彼女が、一度別れを告げた相手の顔を拝みに来るなんてあり得ない。

 あり得ないことなのに、どうしても期待してしまう。

 しないほうがいいのに……してしまう。


 ……パン!


 莉子は自分の顔に、喝を入れる。

 未練がましい気持ちを、追い出すように。

 さほど広くもないリビングに、乾いた音が響く。


「そんなこと考えるな一之瀬 莉子っ……! もう過ぎたこと……過ぎたことなんだから……」


 それは、女々しい自分を叱責する言葉。

 しかし……その言葉にはどこか呪詛めいた気迫すら漂っていた。


「よしっ! 行ってきますっ!」


 莉子はサンダルを履くと、照りつける陽射しの只中へ飛び込む。

 今の彼女にとっての最優先事項。

 それは、鬱積する夏休みの宿題をサッサと片付けること。

 そうすれば……きっと楽しい夏休みが過ごせる。

 きっと……







 待ち合わせ場所は大きな樫の木……その下にあるベンチ。

 莉子はそこで待ちぼうけを食らっていた。

 彼女の携帯端末にディスプレイされているのは、ついさっき届いたメール。


『差出人:雪

 件名:ごめんね

 本文:少し遅れるかもしれない……

 父さんが男と会うんじゃないのかってうるさいの。

 黙らせたらすぐに行くから、おとなしく待っててね?

 知らない人に付いて行っちゃダメだよ?

 あとね。

 わたし莉子の姿が見たいな♪

 写メ送って♪

 このメール見たらすぐに撮って送ってね?

 絶対だよ?


       雪』


「だ、黙らせるって……」


 親父さんも大変だなぁ。

 莉子はそう思いながらも、過保護な虎十郎とそれに手を焼く雪を想像して小さく微笑む。


「ていうか、心配し過ぎだよ雪。あたしはお子様じゃないんだぞ……っと♪」


 そんな文面を打ち込んだ後、莉子は自分の姿を携帯カメラに収める。

 画面を確認すると、涼しそうなショートパンツとノースリーブにキャップを合わせた少女が写っていた。

 ちょっと貧相なボディラインが、我ながら切ない。


「ま、いっか。送信っと」


 莉子は慣れた手つきで画像が添付されたメールを雪へと送る。

 さわやかなそよ風が、莉子の頬をそっと撫で、木の葉が揺れた。

 広い木陰と風通しの良さのおかげで、このベンチは夏でも涼しい。

 おまけにここは図書館の裏口にあたるエリアで、人通りもまばらで落ち着ける。

 ちょっとした穴場だ。


「って、返事早っ!」


 雪からの返信はすぐに来た。

 おまけに画像まで添付されている。

 莉子はおもむろに、そのメールをディスプレイに映し出す。


『差出人:雪

 件名:大好き♪

 本文:素敵♪♪♪

 ボーイッシュで可愛いよ莉子♪

 こっちもやっと父さんがおとなしくなったからすぐ行くね。

 待っててね♪

 あと、わたしも写メ送るね♪

 どおかな?


       雪』


 添付画像を開く。

 雪は頬を染め、はにかみながらたどたどしくウインクをしていた。

 つばの広いストローハットと清楚な白のワンピースが、雪の清楚な魅力を十二分に引き立てている。

 そして何より、彼女の背後に転がっているトドのような風体の虎十郎と思わしき物体が、強烈な存在感を醸し出していた。


「……ぷっ! 雪ってば。とっても似合ってるけど、あんまり親父さんをいじめちゃダメだよ……っとと!」


 ふいに訪れる風。

 メールに集中し過ぎていたせいで、その対応にワンテンポ遅れてしまう。

 突然の風に攫われる、莉子の帽子。

 海外転勤の多い父が適当に買ってきてくれた、どこのチームのものかもよく分からない野球帽。

 若い娘に野球帽はいかがなものかと思ったりもしたが、それでも莉子は結構気に入っていたりする。

 駆け足で追いかける程度には。


「ちょっ……! ま、待てっ! このっ!」


 まるで生き物のように躍動的に転がっていく帽子。

 手を伸ばして拾い上げようとする度に、タイミング良くそよ風によって弄ばれる。

 それがなんだか……バカにされているような気がして、莉子は余計ムキになって追いかける。


「いい加減にッ―――うわっぷ!?」

「おっと」


 あまり夢中になって追いかけていたものだから、つい前方不注意で誰かと接触してしまう。

 おまけに弾き返されるような形で盛大に転んでしまった。

 無理もない。

 ぶつかった莉子が小柄な少女だったのに対し、相手はそれなりにガタイのしっかりした若い男だったのだから。


「あいたたっ……す、すいませんっ! これ追いかけるのに夢中になっちゃって……」

「いや、俺こそ悪か―――って、一之瀬……?」

「はい?」


 ふいに名前を呼ばれ、顔を上げる莉子。

 眼鏡とYシャツ、そして茶色に染めて後ろ手に纏められた長めの髪……パッと見の印象は、少し遊んでる大学生といった感じの青年。

 しかし、そんな異性の知り合いなどいるはずもなく、莉子は首を捻る。


「えっと……誰?」

「俺だよ」

「いや……『俺だよ』と言われても分かんないんだけど……」

「だから俺だって」


 中学の頃の知り合い?

 高校の同級生?

 記憶の引き出しをひっちゃかめっちゃかにして探すが、該当する面影は無かった。

 男の顔をまじまじと見る。

 真っ先に目に止まったのは、今にでも喧嘩をふっかけて来そうな不機嫌そうな三白眼。

 このガラの悪い目つき……どこかで……


「……ん? んんん!? あ、あんたもしかしかして……西山?」

「他に誰がいるんだよ。……ったく、思い出すのに1分以上かかりやがって……ちょっと傷ついたぞ」


 そう言ってズレた眼鏡を持ち上げる男。

 そのぶっきらぼうな物言いは、紛れもなく西山 拓也のそれであった。


「いやだって、ここ図書館だしっ!」

「あ? 俺が図書館に居ちゃおかしいってのか?」

「おかしいわよ。図書館にはマガジンもチャンプロードもメンズナックルも置いてないわよ? それ以外にあんたが読む本ってなに? エロ本?」

「お、お前なぁ……俺をなんだと思ってやがるんだ……」


 莉子のなかの西山 拓也像のなんたるかを目の当たりにして、頭を抱える拓也。


「それにあんた、その格好で眼鏡だし……」

「ん? 変か?」

「へ、変じゃないけど……いや変かな。普段のあんたからは想像つかないし……」

「そうか? 俺は勉強する時はいつも眼鏡これなんだけどな」

「勉強? あんたが? ほほう……♪」


 拓也の口から出た『勉強』という単語。

 莉子はその言葉を聞いた瞬間、彼に強い親近感を覚えた。

 不良少年の西山のことだ、きっと夏休みの課題で四苦八苦しているに違いない。

 莉子にとっては、それはまさに仲間。

 同じ苦しみを共有出来る同志に他ならない。


「いやぁ~、お互い大変だねぇ西山君!」

「な、なんだよいきなり……」

「んふふ~♪ 隠さなくってもいいよっ♪ あんたも夏休みの課題で苦しんでるクチでしょ? 仲間仲間っ♪」

「は? 課題? お前なぁ……ああいのは夏休みの最初の週で片付けるモンだろ?」

「……え゛っ? さ、最初の週……? 最後の週じゃなくて……? あっ! そっかぁ! 課題の難易度って、学校ごとに違うもんね! あんたの通ってる学校は―――」

「俺、舞橋北高なんだけど……あそこってそんなにレベル低いのか?」

「ま……まいばしきた……? あ、あんたが……?」


 拓也の言葉を聞き、まるで世界の終わりのような顔をして硬直する莉子。

 舞橋市立北高校。

 莉子達の県ではダントツに偏差値の高いバリバリの進学校だ。


「な、なんだよその顔。別にいいだろ? あそこが家から一番近かったんだから」

「じゅ、受験勉強とか、大変だったんじゃないの……?」

「いや、別に? 普通じゃねーの? つーか試験なんて毎日ちゃんと予習復習やってりゃ、そんなに苦労するモンじゃねーだろ?」

「なっ……! なによそれ……あたしなんていっつも赤点ギリギリだってのに……ッ!」

「一之瀬……お前って、なんつーか……やっぱ俺が付いてねーとダメだな……」

「な、なによその哀れみの視線はー! ふんだ、なにさっ! ちょーっと勉強出来るくらいで調子に乗るんじゃないわよっ!」

「いや、別に調子に乗ってるつもりはねーんだけど……」

「はぁあ!? 調子に乗ってない!? つくならもっとマシな嘘をつきなさいよっ!」

「ちょ、ちょっと落ち着けって! そんな、俺は嘘なんて―――」

「じゃあなんでさっきから微妙に目ぇ逸らしてんよ!? 心にやましいことがある証拠じゃないの!?」

「うぐっ……! そ、それは……ッ!」


 拓也はそれを指摘されて急に口ごもる。

 言えない。

 言えるわけがない。

 好意を抱く女の子の夏服姿に内心ドキドキで、目を合わせることすら出来ないだなんて。

 露出した肩。

 引き締まった太もも。

 薄手の布地が映し出す、ゆるやかな曲線。

 莉子が醸し出す、健康的で無防備な魅力。

 分かる男には分かる。

 違いの分かる男、西山 拓也には……莉子の魅力が分かるのだ。


「ほらっ! また目を逸らしたっ!」

「そ、逸らしてねーよ……」

「せめてこっち向いて言えないの!? カッコつけて眼鏡なんか付けて! つーかそれ外しなさいよムカつくなぁ!!」

「うわっ! バカよせっ!」

「そうやって眼鏡いじりながら『僕のデータによると、君が僕に勝てる確率は0%です』とか言うつもりなんでしょ!? このインテリ眼鏡!」

「言わねーよ!!」


 ムキになって拓也の眼鏡に手を伸ばす莉子。

 だが、彼との身長差が激しいこともあって、なかなか思うように手が届かない。

 故に莉子は、拓也にほぼ密着するような形で背伸びまでして彼の眼鏡を奪おうとしていた。


「このっ! このっ! もー! なんで逃げんのよっ! そんなに背が高いの自慢したいわけ!?」

「いや、ちが……だ、だって……」

「だって……なによぉ?」

「う、うぐっ……!」


 そんなことをされている拓也はたまったものではない。

 気になる異性が薄着で密着してくるシチュエーション。

 女の子の汗とデオドラントスプレーの芳香。

 顔を赤くして迫る、その必死な眼差し。

 男として、否が応にも昂ぶってしまう。

 そんな情けない男の本能を悟られないようにする為に、拓也は後退する。

 しかし、彼にはもうひとつの選択肢があった。

 それは……莉子の思うようにやらせること。

 莉子が眼鏡を取り上げようとしているなら、サッサとそれを明け渡してしまえばいい。

 だが、そんなことをしてしまったら、この美味しいシチュエーションが終了してしまう。

 かと言っても、このままでは遅かれ早かれ男の生理現象がバレて莉子に幻滅されてしまう。

 なんとかせねば。

 しかし。

 あぁしかし……!

 拓也を襲うそんなジレンマ。


「いいからその眼鏡よこしなさいよっ! もう没収! 没収っ!!」

「だからやめ―――うおっ!?」

「えっ……? きゃあっ!」


 拓也の踵が、大きな木の根に引っかかる。

 そのままバランスを崩し、もつれ込むように倒れるふたり。


「ってぇ……おい一之瀬っ、大丈夫か?」

「ん……? うん、平気。あんたがクッションになってくれたから……そんなことより、あんたは平気なの? 怪我は?」

「お、おう……俺は、まぁ……なんともねーけど」

「そっか、良かったぁ。……ごめんね? あたしがふざけて絡んだせいで、転んじゃったね」

「いや、き、気にするな……」


 拓也の身体に跨るような態勢のまま、苦笑いする莉子。

 そんな彼女の見た目以上に軽い体重。

 この重みを、もう少しだけ感じていたい。

 この視線を、あと少しだけ独占していたい。

 そんな拓也のささやかな望みは、ものの2秒で崩れ去ってしまった。


「……莉子?」

「げっ!? き、霧島……ッ!」

「あっ、雪。早かっ―――!?」


 振り返ると、そこには莉子が先程まで腰掛けていた木製ベンチを高々と振り上げて鬼の形相で佇む雪の姿があった。

 かなりの重量があるはずのベンチ。

 それを片手で軽々と持ち上げられるその腕力は、紛れもなく異能の力。

 よく見れば精神武装・蜘蛛女アラクネまで展開している。


「メールの返事が来ないから、もしやと思って来てみたら……そんな変態マザコン野郎に誑かされて……ッ! でも大丈夫っ、わたしが来たからもう安心だよっ……待っててねっ? 今すぐこのゴキブリ以下の糞男を……して、助けてあげるから―――」

「わわっ! 雪っ! ストップストップっ!! こんなとこで異常技能アブノーマルスキル使っちゃダメだって!!」

「莉子どいて! そいつ殺せないっ!!」

「逃げるぞ一之瀬っ!!」

「は……? なに汚い手で堂々とわたしの莉子に触ってるのよっ……!! この糞男がッ……!!」

「ちょっと待てやコラァ! 『わたしの』ってなんだよ『わたしの』って!」

「そうだよ雪っ! あたしはいつからあんたの所有物に―――」

「一之瀬は……俺の女だッッッ!!」

「…………」


 真顔でそう叫びながら自己主張する拓也を見て、莉子はジト目で彼から距離を置く。

 そして、雪の横へ並ぶと拓也をそっと指差し……


「……西山、あんたやっぱり調子に乗ってるでしょ」

「ちょ、ちょっと待て一之瀬! さっきのは売り言葉に買い言葉というか、モノの弾みというか……」

「雪、ちょっとあの図々しいバカぶん殴って。軽く」

「うふふふふふふふふふふふふふっ……りょーかーいっ♪」

「バカよせやめろ霧島! それはマジでやばいって!! うわっ、うわああああああ!!」


 ……日頃鍛えていたおかげか、はたまた反射神経の良さが幸いしたのか。

 拓也は奇跡的に、大した怪我をしなくて済んだ。

 だが……

 その代償として、図書館のベンチと莉子の機嫌を大きく損ねた彼の眼鏡は、粉みじんに粉砕されてしまった。


「お、俺の眼鏡が……」



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