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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
ヴォルケイノ
37/45

6




 妙な胸騒ぎがした。

 体育の自習が終わってからというもの、彼女の姿がどこにも見当たらない。

 どこに居ても一目で見つけられる彼女……剣 亞璃紗の姿が、見当たらない。

 クラスメイト達の話し声が飛び交う教室内のどこを見渡しても、プラチナブロンドの彼女は見当たらないのだ。


「鞄も無いってことは……亞璃紗、もしかして家に帰っちゃったのかな……」


 おそらく、保健室で雪との情事を覗いていたのは彼女だ。

 分からないが、分かる。

 莉子には分かるのだ。

 別に覗きを咎めるとか、そういうつもりは微塵もない。

 ただ、莉子の心には、なんとも形容し難い罪悪感のようなものが残っていた。

 それは指に刺さった小さな刺のように、ちくちくとした痛みを莉子に与え、フラストレーションを蓄積させていく。

 このどう表現したらいいか分からないもやもやとした気持ちを拭い去る方法を、莉子はひとつしか知らない。

 今すぐ亞璃紗に会って、ちゃんと話し合って、誤解を解きたい。

 そう思った矢先、莉子は自分自身の思考に違和感を覚える。


「……って、なんで誤解を解く必要があるのさ。これじゃまるで―――」


 まるで、浮気現場を目撃しちゃった恋人を気遣うみたいじゃない。

 別にっ……あたしとあの子はそういう関係じゃないし。

 だいたいあたしら女の子同士じゃん。

 あの子はどう思ってるか知らないけど、少なくともあたしは友達ってポジションを貫いてるつもりだし……

 それに、たかがキスくらいで浮気だなんだなんて、いくら亞璃紗でもそんな風に思うわけ……


「…………」


 莉子はそこまで考えを巡らせて押し黙る。

 よくよく振り返ってみれば、今まで莉子に見せてきた亞璃紗の表情は、明らかに友人に見せるそれではなかった。

 その眼差しは恋に身を焦がす少女の瞳そのものだったし、側にいるだけで綻ぶ表情を見てるだけで心が和んだ。

 なにかある度にヤキモチを焼いて機嫌を悪くするところも、可愛らしいと思う。

 そんな彼女のいじらしい好意に対して、自分はどう応えた?

 気付かないフリをしてスルーし、苦笑いでごまかし、挙句に雪とのキスを見せつける。


「ううっ、さ、最悪じゃんあたし……」


 莉子は今まで亞璃紗にしてきた仕打ちの数々に自己嫌悪を覚えた。

 なんという不義理。

 もし一連の行為を、自分自身が亞璃紗されたらと……莉子は想像してみる。

 それがどれだけ酷い仕打ちかを、再確認する為に。

 まず、亞璃紗に対して屈託のない笑顔で擦り寄る自分を想像する。


「亞璃紗ー」

「あらあら、どうしましたの?」

「あたし……亞璃紗のこと、大好きなんだー♪ えへへっ♪」

「あらそうですの。ところでこの紅茶美味しいですわね」

「…………」


「……さ、最悪じゃん」


 次に、その辺のつまらない男とじゃれつく亞璃紗と、それを見て怒る自分を想像する。

 亞璃紗の気持ちを理解する為に、かなりの脚色を加えて。


「ちょっ……! あ、亞璃紗っ! あたしというれっきとした恋人がいんのに、なにやってんのさバカーっ!」

「んもうおバカさんですわねぇ莉子は。これはただの友情ですわ? オホホ」


「……最悪じゃん!」


 最後に、その辺のどーでもいい男と亞璃紗がベロチューを―――


「うわーーーっ!!」


 莉子は奇声を発しながら慌てて思考をシャットダウンする。

 どういうわけか想像したくなかった。

 あまりの不愉快さに、脳が考えることを拒んだ。

 何故?

 どうしてこんなに嫌な気持ちになるの?

 試しに、先程の想像を、親友である雪に置き換えてみる。

 雪が、その辺の男とくっついて幸せに暮らす。

 そんなイメージ。


「…………」


 何故か、これはなんとなく容認できる。

 むしろ旦那さんに同情してしまう。

 雪と所帯を持つということは即ち彼女が作るあの殺人料理を毎日振舞われるということ……

 頑張れ未来の旦那。未来の旦那頑張れ。

 不愉快どころか率先して応援してあげたくなる。


「なんでだろ……どうして雪と亞璃紗でこうも違うの……?」


 最後にもう一度、確認の意味を込めて想像する。

 亞璃紗が、莉子以外の人間に懐いているところを。


「あ……亞璃紗……そ、その人っ……、誰?」

「ふふっ♪ ご紹介しますわっ♪ この方はわたくしのっ、彼氏さんですっ♪」

「チョリーっス! 亞璃紗の彼氏でーっす! 夜・露・死・苦ゥ~!」


 ドカッ!!

 教室内の視線が、莉子に集まる。

 莉子は沸き起こった激情に任せ、自分の机に拳骨を振り下ろしていた。

 そんな自分の衝動的な行いに、自己嫌悪を覚えて俯く。


「っ……」

「り、莉子? ど、どうしたの? いきなり机なんか殴って……」

「あ、あははっ、なんでもないよっ。心配しないで、雪っ」

「そう……? ならいいけど……」

「うん……、大丈夫。大丈夫だから……」


 しかし、この感情は一体なんであろうか。

 怒りに似ているが、どうも違う。

 妙に熱を帯びていてどことなく気恥ずかしく、こそばゆい感じ。

 分からない。

 今の莉子には、この気持ちの正体を明確に説明することが出来なかった。

 だが、『分かりません』で済ますような莉子ではない。

 この胸のつっかえを取り払う唯一の方法。

 それはやはり―――


「雪」

「? ……莉子? どうしたの……?」

「あたし、ちょっと早退する」

「……え?」


 莉子の一言に、雪は目を丸くする。

 あの莉子が、早退?

 体調を崩しても「休んだら負けかなと思ってる」と言って登校してくる莉子が、早退?

 40度の高熱を出しても「早退はNONONO!」と言って根性で授業を受ける莉子が、早退?

 小・中と皆勤賞を総舐めにしてきた少女の言葉とは思えない発言だった。


「ね、ねぇ莉子? もう一回、言ってくれないかな……?」

「あたし、早退する」

「なッ……!」


 あまりにも信じ難かったので、雪はつい聞き返してしまった。

 しかし、そう返事をする莉子の目は呆れるほど真っ直ぐだった。

 サボリや体調不良などというつまらない理由で早退するのではない。

 “なにか”……、大切な“なにか”を、取り戻しに行く人間の“目”。

 雪にはその瞳が、自分ではない“誰か”を見据えているように見えて仕方がなかった。

 そして……それが誰なのか、今の雪には手に取るように分かる。


「……あの子のところに行くの?」

「うん」

「どうして?」

「……正直、よく分かんない。けど、行かなきゃ―――」

「ダメっ!!」

「え……? ゆ、雪……?」


 莉子の言葉を遮るように、雪が叫ぶ。

 普段おとなしい彼女にしては珍しいその振る舞いに、休み時間で緩んでいた教室が一瞬にして静まり返る。

 視線が、莉子と雪に集中する。


「行かないでっ……!」

「で、でもっ、亞璃紗が心配だし……」

「お願いっ!」

「ちょっ、と、とりあえず、お、落ち着いて……? ね?」

「わたしを選んでっ!! 莉子っ……! お願いっ……」

「雪……」


 彼女の悲痛な想いが、虚しく響き渡る。

 こんなことをしても無駄だということは、涙を流して叫んでいる雪本人が一番良く分かっている。

 それでも、叫ばずにはいられなかった。

 引き止めずにはいられなかった。

 

「ごめんね雪、あたし……行くね?」

「ぐすっ、やだっ……! お願いっ、行かないでっ……! わたしっ、なんでもするからっ……だから―――」

「雪っ……ごめん」

「っ……!!」


 莉子は目を逸らしながら、やんわりと雪を拒んだ。

 突き放した。

 親友より先の関係を求めて擦り寄ってきた雪を……静かに拒絶した。


「……っ、莉子のバカっ、浮気者っ……すんっ」

「ごめん……後で絶対、埋め合わせするから」

「優しくしないでっ! 今優しくされたらわたしっ……!」

「ゆ、雪……? ホントにごめんね?」

「……っ! もう知らないっ! 行くなら早く行ってよっ!」

「で、でもっ、雪、泣いてるし―――って痛ぁあ! ちょっ! あたしの鞄投げつけないでよっ!」

「うるさいっ! 早く行かないとっ、今度は机投げちゃうんだからっ!」

「わわっ! ゆ、雪っ! そ、それは反則だって!! ああもうっ! わ、分かったっ! あたしもう行くからっ! それじゃっ!」


 怒りながら強化ブーストで強化した腕力で、手近な机を持ち上げて威嚇する雪。

 莉子はそれを見て慌てて鞄を拾い上げ、脱兎の如く教室を飛び出していく。


「っ……! ホントっ、バカなんだからっ……ぐすっ」


 机を放り出して、雪は取り止めもなく溢れる涙を拭う。

 いくら雪が強化ブーストタイプの精神異能者サイコパスとはいえ、感情の迸りともいえる涙を止める術はない。

 か弱くすすり泣く雪の痛ましさもあってか、教室内はいつまでも静寂を守り続けた。







「はぁっ、はぁっ……よしっ! もう少しっ!」


 学校から走って数十分。

 亞璃紗が住処としている巨大マンションを視界に捉えると、莉子のピッチは無意識に上がった。


「早く、一秒でも早く……亞璃紗に……!」


 彼女に会いさえすれば、この胸のもやもやする気持ちの正体が分かる。

 莉子はそう確信していた。

 ……しかし。


「……は? あ、あれ?」


 出鼻を挫かれる。

 莉子の目に飛び込んできたのは、思いもよらない光景だった。


「う、『売家』……? な、なんで……?」


 マンションの入り口は、重苦しい色をした鎖で封鎖されていた。

 入り口から見える無機質な建物の内部に、人の気配はない。

 そして、白地に赤で書かれた殺風景な看板だけが、これ見よがしに掲げられていた。


「まぁ……、誰かと思ったら莉子じゃありませんの」

「あ、亞璃紗っ……!」


 絶句して呆然と立ち尽くす莉子に声をかけてきたのは、黒いワンピースに身を包んだ少女。

 莉子は慌てて振り返るも、声の主である亞璃紗の様子がどうもおかしい。

 彼女はどこか醒めたような、諦めにも似た目で、莉子を見据えている。

 過去のどこかで見たことがある、亞璃紗のその眼差し。

 しかし、どこで見たのか……思い出せない。

 胸のもやもやが一層濃くなる。

 しかし、それでも莉子は言葉を紡ぐ。

 ざわつく心を抑えつけ、沸き起こる不安感から目を逸らし、精一杯の作り笑いで……紡ぐ。


「あははっ、なにこれ? 売家って、急にどうしたのさ。引越しでもするつもりなの?」

「そう、ですわね。少し遠くに拠点を移そうかと思いまして」

「へ、へぇー。あ、でもっ、あんまり遠くはやめてよ? 通うの大変だもの」

「通う……? ……莉子? なにを言ってますの?」

「……え? だ、だって……あたし、一応亞璃紗専属のメイドだし……」

「あぁ。そういえばそうでしたわね。……でも、もういいですわ」

「ちょっ……!」


 亞璃紗のその、ぶっきらぼうな物言いに莉子の心が揺れる。

 変な汗が出る。

 ……嫌な予感。


「ちょっと、な、なによその言い草っ! あたしだってあんたに借金返さなくちゃいけないんだし、だいたい働いて返せって言ったの亞璃紗じゃんっ!!」

「……なんですの? 結局わたくしたちの縁は、お金ですの……?」

「へ? なんか言った? よく聞こえなかったんだけど……」

「……別に。なんでもありませんわ」


 今、一瞬だけ亞璃紗の眼に熱が戻ったような気がした。

 だが、それを確認しようとする暇もなく、亞璃紗はふてくされたようにそっぽを向いてしまう。


「とにかく、貴方はもう用済みですの」

「なっ! なによ……なによそれっ! 用済みってどういう意味よっ!!」

「どういう意味って……そのままの意味ですわ。短い間でしたが楽しかったですわよ、莉子。借金の件も忘れてください。契約はこちらで破棄しておきますから」

「な、なんで……」


 冷ややかな口調で淡々と別れの口上を述べる亞璃紗の態度に、莉子はショックを隠せなかった。

 頭をハンマーで殴られたかのような衝撃に、足元がぐらつく。


「っ……!」


 そんな、よたよたとふらつく頼りなさそうな莉子を見て、亞璃紗は咄嗟に支えようとして身構える。

 ……が、すぐに複雑そうな顔をして手を引っ込めてしまった。


「あはっ……あははっ! 亞璃紗ってば冗談きついなぁ」

「……冗談ではありません」

「なになに? もしかしてあたしが雪と仲良くしてたから怒ってんの? もーヤキモチ焼きだなぁ亞璃紗はー!」

「別に怒ってなどいません。ただ、貴方という下劣な人間に失望しただけです。正直、もう顔も見たくありませんわ」

「あ、あははは……そっかぁ、うん……そっか……」

「そうやってヘラヘラ笑ってればごまかせると思ってるところも、嫌いです。お願いですからもう笑わないで頂けますか?」

「はは……っ、き、きっついなぁー……」


 莉子は精神的ダメージを隠すように、精一杯明るく振る舞う。

 しかし、そんな虚しい努力の甲斐もなく、亞璃紗の冷たい言葉が淡々と莉子の心を傷つけていく。

 その、言葉のナイフによる傷のひとつひとつが、莉子にとっては致命的な苦痛であった。

 どうしてこんなに、心が痛むのだろうか。

 どうしてこんなに、切ない気持ちになるのだろうか。

 知り合ってまだ1~2ヶ月程度の女友達に、少し冷たくされているだけなのに。

 莉子の目尻からは、自然と涙が零れ落ちていた。


「それでは……わたくし、もう行きますわ」

「……亞璃紗」

「さようなら莉子。貴方とは、もう二度と逢うことはないでしょうけど」

「亞璃紗ってば」

「……なんですの? いい加減鬱陶しいです―――……っ!?」

「? どうしたの?」

「なっ……! なんでもありませんわっ……!」


 莉子らしくないか細い声に、亞璃紗はチラリと振り返る。

 そこには、寂しげに微笑みながらべそをかく、惨めな女の子がいた。

 普段の莉子のイメージからかけ離れた、捨てられた子犬のような姿に……亞璃紗は一瞬だけ目を奪われる。


「あ、あのさっ……あ、後でっ、メール……してもいい?」

「……っ、……ダメです」

「そっか……、あははっ、そう、だよね……」

「では……さようなら、莉子」

「っ……!」


 流れるような動作で、立ち去る亞璃紗。

 そんな彼女を、莉子は引き止めたかった。

 しかし……どんな言葉を紡げばいいのか、分からなかった。

 亞璃紗は今、心の扉を閉ざしている。

 そんな気高くも寂しい少女に伝わる言葉が、果たしてあるのか。

 そもそも、自分自身がなにを彼女に伝えたいのか。

 待って?

 ごめんね?

 話を聞いて?

 行かないで?

 ……違う。

 莉子が伝えたいのは、そんな陳腐な台詞ではない。

 もっと……こう。

 ……もっと。


「あ、亞璃紗っ……!」

「……はい?」


 再び、引き止められる亞璃紗。

『鬱陶しい』と言っておきながら、『嫌い』と言っておきながら、何故彼女はその歩みを止め、振り返るのか。

 テンパっている莉子には、そんな亞璃紗の真意を推し量る余裕などない。

 ただ狼狽え、どもり、軽く涙を拭いながら―――


「あっ、えとっ……ばいばいっ、元気で……ね?」

「……はい」


 当たり障りの無い別れの言葉を紡ぐくらいしか……出来なかった。

 こんなつまらないことを言うつもりじゃ、なかったのに。

 こんな別れ方を望んだわけじゃ、なかったのに。

 濃く深い霧に阻まれて道標を失った旅人のように……莉子は惑う。

 故に……

 こんな、彼女らしくない言葉しか……紡げずにいた。

 涙まで、流しながら。


「…………」

「…………」


 亞璃紗が、離れていく。

 一歩、また一歩と。

 その距離が、ふたりの間にある……心の距離。

 そう思うだけで、莉子の心はひどく切なくなった。

 しかし、その気持ちをどう表現すればいいのか分からない莉子は、小さくなっていく亞璃紗の姿を、ただ黙って見送ることしか出来なかった。


「っ……! なにやってんだろ、あたしっ……」


 誰に呟くわけでもないその言葉に、答える者はいない。

 圧倒的な虚無感だけが、いつまでも莉子に纏わり付いていた。




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