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「え、えっと……西山? とりあえず、落ち着こっか? ね? とりあえず、離して……」
「俺は落ち着いている」
「お、おおお、落ち着いてないじゃんっ!! いきなり抱きしめてっ、なにさ結婚って! いくらなんでも急過ぎでしょ! ふ、普通っ、と、友達から始めて、それから、こ、恋人? に、なってっ……同棲したりっ、喧嘩したりっ……そういう過程を経て、ぷ、ぷろぽーず、するものじゃないのっ……?」
「一之瀬、普通ってなんだ? それはおまえの価値観か?」
「えっ? べ、別にあたしの価値観ってわけじゃなくてっ、ただの一般論だけどっ……」
「そんな誰だか分からん奴が適当に決めた一般論なんて知るか。俺は俺のやり方でやるだけだ」
「なっ……! なによそれっ……!」
拓也の強引な理屈を前に、莉子は反論の言葉を一瞬にして失ってしまった。
それと同時に、彼の主張にも一理あると少しながら共感してしまった。
男女の付き合いの如何など、人それぞれだ。
様々な形があって然るべきであり、枠に囚われる必要など毛頭ないのだ。
彼のそんなストレートな恋愛観には、莉子も惹かれるものがあった。
しかし、だからといっても性急過ぎる。
こんなアプローチで堕とせる女性などいるわけがない。
普通だったらドン引きされて終わりだ。
恋愛経験ゼロの拓也では致し方のないことであるが、それは莉子だって同じ。
故に、このようなバカ正直で拙い求愛で心を揺さぶられているのだ。
「じゃ、じゃあっ! あ、あたしのどこが好きなのか言ってみなさいよっ! 言っとくけど、『全部』なんてありきたりなこと言い出したら張っ倒すわよ!?」
「飾り気がなくて純粋で人懐っこいところ。優しいところ。あと意外に料理上手なところも気に入ったし味付けも俺好みだ。目元がパッチリしてるとこもいいし、もちろんママに似てるってのもあるけどママとはかけ離れた荒削りで粗野なところも好きだ。それになにより、俺を理解しようとしてくれてる前向きな姿勢が大好きだ。……これでいいか? まだ続けるか?」
「へっ!? あ、う、うん……も、もういいよっ、なんか……はずいし……」
「な、なんだよそれ……おまえが言えって言ったくせに」
「うー……だ、だって……」
正直なところ、莉子は嬉しかった。
何故なら彼女は今までの人生のなかで、男の子に女として見てもらえる機会など皆無だったのだから。
小学生の頃は男子に混じってサッカーやドッジボールやらバスケに興じては、“白川の鬼神”なんて禍々しいあだ名を付けられて恐れられるだけだったし、中学生になってもモテるのは女性的魅力に溢れた雪のほうで、莉子はといえば男子から「一之瀬ってスカート似合わないよな」とか言われる程度でほとんど女の子扱いされなかった。
それ故に、拓也のラブコールに対する喜びもひとしおである。
……もっとも、莉子が気付かなかっただけで小・中と一応“見る目のある男子”は何人かは存在した。
すべて雪の暗躍によって潰されたが。
「で、でもっ、いくらあたしのこと好きだからってっ、いきなり結婚はないでしょ!? そこはどうなのよっ!!」
「いや、今すぐじゃなくちゃダメだ。おまえを放っておくと危ないからな」
「あ、危ないってどういう意味よっ!」
「そのまんまの意味だよバカ。今日だって、若い男の家に平気で上がり込むなんて不注意にも程があるぞ」
「そっ、それはっ! 信じてたからっ……あんたのこと信じてっ、大丈夫だと思ったから来たのっ!! 悪い!?」
「ああ悪いね、悪過ぎる。なにが悪いって、おまえは簡単に他人を信用する癖がある。そのせいでブレイドに絡め取られるわ、蜘蛛女にヤク中にされかけるわ、こんな調子じゃいつか身を持ち崩すぞ?」
「……ひょっとして、あたしのこと心配してくれてる?」
「っ……! だ、だからっ! そうやってすぐ好意的に解釈するところが危なっかしいんだよっ……!」
ふいに、莉子と目が合う。
いつも通りの素直でまっすぐな瞳と、いつもとは違うほんのりと赤くなった頬。
それらが視界に入っただけで、拓也のボルテージは急上昇してしまう。
そして、拓也はその熱情にまかせて莉子を抱き上げる。
いわゆる“お姫様だっこ”だ。
「わっ!? なっ……! ちょ、ちょっ!? な、なに!? なんで抱き上げるのっ!?」
「うわっ、軽いな。ちゃんと飯食ってるのか?」
「食べてるわよっ! 毎日三食っ!! そんなことより下ろしなさいよバカっ!」
「ダメだ」
「なんでよっ!?」
「こんな押し問答してても埒が明かないから、1分だけ待ってやる。その間にさっきの告白の返事をしろ。はっきりしない返事や無言の場合は了承とみなして―――おまえをこのまま、俺の部屋に連れ込む……!」
「っ……!?」
“部屋に連れ込む”……
それがどういうことを意味しているのかくらい、いくら莉子にだって分かる。
莉子の身体を支えている、逞しい二の腕。
1分以内に返事をしなければその腕が、あたしの身体を―――
「50秒」
「あわっ、あわわっ! ちょ、ちょっと待ってよっ! タイムっ!」
「待てない。あと45秒」
「ちょっ……! ほ、保留とかっ、そういうのはダメなの?」
「ダメだ。本当に嫌なら今すぐ俺をぶん殴れ」
「そ、そんなことっ……!」
出来ない。
出来るわけがない。
そんなことをしたら……きっと拓也は落ち込む。
せっかく喜ばせに来たのに、そんなこと出来るわけがない。
それに、拓也は基本的にはいい奴だ。
たまにこんな風に気持ちが暴走してしまうが、それは他の精神異能者も同じだし、仕方がないとも思っている。
なんとかしてあげたいが、かと言って拓也と結婚するだなんて……
「…………」
「…………」
莉子は、改めて拓也の顔をジッと見つめる。
拓也の……目つきが悪く鷹のように鋭い三白眼にキッと締まった意思の強そうな口元が、彼女の瞳に映る。
男の子の顔の良し悪しなんて、恋愛経験皆無な莉子には分からない。
おまけに彼女は若い身空のくせにイケメン俳優やイケメンアーティストに無関心ときている。
どちらかというと強面レスラーのほうが好みだったりもする。
そんな莉子のヘンテコな美的感覚からしたら、威圧的で柄の悪そうな拓也の顔はさほど悪く映らない。
それに、彼の顔に見合わない心優しい一面を知っている。
知っているからこそ、愛着も沸く。
好意を寄せることが出来る。
「……多分あたしっ、西山のことっ……す、好きだと思う」
「!! い、一之瀬っ! そ、それって、つ、つまり……!」
「待って。話は最後まで聞いて」
「あ、あぁ、悪い。続けてくれ」
「うん……西山のことは、好き。……男の子のなかでは一番だと思う」
「お、男のなかでは……?」
「うんっ……」
拓也はその部分に妙な違和感を感じたが、それ以上言及するのをやめた。
更に踏み込んでしまったら……なにか、取り返しのつかない不発弾を掘り起こしてしまいそうで、少しだけ怖かったのだ。
「で、でもっ……今すぐに結婚は、出来ないっ」
「なっ……! なんでだよっ! す、好きだって、言ったじゃねーかっ!」
「だって、あんたじゃ養えないでしょ?」
「べ、別に、ふたりで慎ましく食っていく程度には稼ぐぞ俺は! 学校辞めて、バイト掛け持ちして―――」
「ふたり? なに言ってるの?」
「……え?」
「言っとくけどあたし、最低でも4人は欲しいんだけど……」
「よ、よにん? ほしい……?
「うん……」
「…………」
「…………」
「……って! お、おま……っ! な、なななっ、なんてこと言い出すんだよっ!!」
拓也は莉子の言葉の意味を数秒遅れで理解し、赤面する。
当然のことながら口走った側の莉子も顔を真っ赤にしている。
しかし、言わなくてはいけない。
いくら死ぬほど恥ずかしくても、突きつけなくてはいけない。
莉子の理想と、ふたりの現実を。
「真面目な話っ、今のあんたじゃ無理でしょ?」
「うぐっ……ぐっ、う、うーん……」
「育てるの、お金かかるよ? どうするつもりなの? そういうとこ、ちゃんと考えてるの? 考えてなかったでしょ?」
「い、いやっ! か、考えるっ! 今から考えるからっ!!」
「だからあたし、ねっ、年収っ、いっせんまん以上の人とじゃなきゃ結婚、で、出来ないからっ……!」
「んなっ!? い、一千万だとッ……!?」
彼女のシビアで現実的な一言に、拓也はショックを受ける。
あまりのショックに緩んだ腕から、莉子はするりと脱出を遂げる。
考えてみれば当然である。
いくらなんでも学生の身分で結婚は無謀過ぎる。
情熱だけでは腹は膨れないし、莉子の腹が膨れでもしたら3人分の生活費を稼がねばならなくなる。
しかも莉子の要求は4人、6人分である。
どう逆立ちしても無理だし、責任感の強い拓也にとってこれほどまでに効果的な断り方は無いだろう。
「……ち、ちくしょうッ!!」
「ごめんね、西山……でもっ、嫌いじゃないからねっ? あんたは一応、男子のなかでは一番だからねっ? だからっ、そんなに落ち込まないで……」
「気休めはよしてくれっ……!」
「あぅ……」
莉子は、ちょっとだけ心を痛めていた。
なぜなら彼女は、先ほどのやりとりでほんの少しだけ嘘をついてしまったからである。
子供がいっぱい欲しいというのは本当。
一人っ子のうえに両親が共働きだった莉子にとって、兄弟という存在はちょっとした憧れだし、子供も大好きだ。
嘘をついたのは、金銭面である。
莉子の家庭だってさほど裕福ではなかったし、別に年収なんていくらでも構わない。
ただ、こうでも言わないと……きっと彼は諦めてくれない。
故に……こんな嘘をついたのだ。
「じゃ、じゃあっ……あたし、もう帰るねっ? ばいばい」
「待ってくれ一之瀬っ!」
「っ!?」
うなだれる拓也を背にして立ち去ろうとした莉子。
そんな彼女を拓也は慌てて背後から抱きしめた。
まだ彼は諦めていない。
諦められるわけがない。
「西山、強引過ぎ……こんなことしなくても言ってくれれば待つのに」
「わ、悪い……俺もテンパってて、一之瀬に待って欲しくて……」
「だから待ってあげるってば」
「違うんだ。その……10年、待ってくれ」
「え? じゅ、じゅうねん……?」
「あぁ、俺はそれまでに……自分を鍛え直すッ! そして、おまえにふさわしい男になるッ! だから……待ってて欲しいんだ!」
「っ……!」
魂のこもった声でそんな情熱的なことを言われ、莉子の気持ちは否応なしに昂ぶる。
感化され、身体が熱くなる。
10年くらいなら、待ってあげてもいいかな?
西山があたしの為にどんな風に成長するのか、ちょっと興味あるし……
莉子がそんな風に思った矢先、冷水のように冷たい声が響き渡った。
「そんなのダメに決まってますわ」
「!?」
「!?」
冷淡にして強い憤怒を湛えた声。
それは莉子のものでも、ましてや拓也のものでもない。
声の主は―――
「ブレイド!? テメェなんでッ……!!」
「あ、亞璃紗っ、ど、どうしてここに?」
「何故わたくしがここにいるのかなんて、この際どうでもいいことですわ」
そう。
そこに佇んでいたのは、神速の精神武装・ブレイドを携えた亞璃紗。
背に微風を受けて靡くそのプラチナブロンドの髪は、彼女の怒りに呼応して揺れ動いているようにも見える。
「ああーーーっ!? テメっ! 他人んちの壁にこんな大穴あけやがって!!」
「それもどうでもいいことですわ」
「よくねーーーよ!!」
見ると彼女が立っている背後の壁には、綺麗な円形にくり抜かれた穴があった。
おそらく、切れ味鋭い彼女の精神武装で抉られたのだろう。
拓也には気の毒なことであるが、嫉妬心に駆られて発狂寸前の亞璃紗の所業では致し方ない。
そして、当の亞璃紗はそんなこと歯牙にもかけずに話を続ける。
「それよりも貴方……薄汚い手でわたくしの莉子に触れないでくださいます?」
「なっ!? なんだとぉ!? テメェ……! 壁に穴あけといて言うことがそれかよ!!」
「……早く莉子を離しなさい。これは命令ですわよ?」
「なーにが命令だ。んなもん断るに決まってるだろ。テメェみたいなキチガイ女に一之瀬を渡せるかよ」
「ふふっ、随分と横柄な物言いですわね。わたくしに瞬殺された日のことをもうお忘れになられましたの?」
「あ? なんだテメェ、やろうってのか? だったら能書きはいいからサッサと来いよ」
「…………」
「…………」
拓也と亞璃紗の間に、張り付けた空気とナイフのように鋭い殺気が満ちる。
ふたりとも手に点火の炎を灯し、すぐさま臨戦態勢を整える。
「ちょっとふたりともやめてよっ! こんなところでバトるの禁止ーっ! まず西山っ! いい加減この手を離してっ!」
「い、一之瀬っ……で、でも―――」
「そんな捨てられた子犬みたいな顔しないでよぉ……あんたのことは10年だけ待ってあげるから、それでいいでしょ!?」
「なにぃ!? そ、そ、それは本当か!? 本当に俺のことっ……!」
「莉子っ!? 気は確かですの!? こんな畜生にも劣る屑にチャンスを与えるだなんてっ!」
「ほらっ、亞璃紗も壁壊したこと、ちゃんと謝ってっ!」
「でっ、でもっ、わたくしは莉子の危機を救う為にっ……それにこんなケダモノみたいな男に頭を下げるなんてっ、死んでも御免ですわっ! 第一そんな屈辱っ、わたくしのプライドが許しませんっ!!」
「素直に謝れないなら、もう添い寝してあげないわよ?」
「ごめんなさい西山君」
「早っ!! テメェさっき死んでも嫌だとかプライドがどーとか言ってなかったか!?」
「おほほ、なんのことですの? わたくし全く身に覚えがございませんわ」
「うんうん。よく謝れたね亞璃紗。えらいえらい」
「やっ……んもうっ莉子ったら。わたくしを子供扱いしないでくださいっ……」
「…………」
柔らかな口調でそう言って、亞璃紗の頭をなでなでする莉子。
それを受け、言葉とは裏腹に誰がどう見ても明らかに喜んでいるようにしか見えない亞璃紗。
拓也はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになり、思わず目を逸らしてしまった。
「じゃあ、今度こそ本当に帰るからね?」
「あ、あぁ……じゃあな」
「うんっ、ばいばい」
「莉子っ! そんなマザコン男と見つめ合ってないで、早く帰りましょうよっ!」
「べ、別に見つめ合ってたわけじゃ……」
「くっそぉブレイド……ッ! いちいち邪魔しやがってぇ……!」
「ふんっ! 今日はこのくらいで勘弁して差し上げますけど、今度莉子にちょっかい出したら許しませんわよっ!?」
「あーりーさー?」
「むー……」
莉子に小さく咎められた亞璃紗は、拓也を睨みつけて威嚇しながら彼女の後を追って西山邸を後にする。
その姿はどことなく、飼い主にしか懐いていない子猫とそれを猫可愛がりしている飼い主のようであった。
嵐が過ぎ去った後のような静けさとなった部屋でひとり佇む拓也には……
彼にはどうも、聊か親密過ぎるような気もする彼女達の距離感と莉子のあの言葉が気になっていた。
ひょっとすると……ひょっとすると莉子は―――
「ふっ……まさか、な」
一瞬だけ脳裏をよぎった、バカバカしい仮説。
いくらなんでも杞憂だとばかりに、拓也は苦笑いと共にそれを噛み潰した。
そのバカバカしい仮説こそが、実は彼にとっても最も危惧すべき要素であることも知らずに……




