8
様々な家具の破片が飛び散った庭園で……ふたりの少女が睨み合う。
双方とも一撃必殺の精神武装を携え、今にでも飛びかかりそうな眼力を放っている。
亞璃紗は先ほどの雪の様子について、考えを巡らせる。
これだけ重い家具を軽々と投げ放つパワーを見るに、彼女の精神武装は明らかに強化型。
強化の恐るべきところはその攻撃力と耐久力。
特に、決定打に欠ける亞璃紗のような加速型にとってその耐久力は厄介だ。
いくら自慢の加速とはいえ、ダメージが通らなければ意味がない。
それどころか、仕掛けたはずの自分が逆にカウンター攻撃を貰ってしまう危険性も秘めている。
ここは無闇に動かず、相手のアクションに合わせて斬り返すのが上策―――
「…………」
「…………」
……いや、だからこそ敢えてこちらから仕掛けるべきなのか?
相手の防御すら間に合わない超高速、そして決定的な一撃。
それですべてのカタがつく。
しかし、霧島 雪……この女には毒がある。
この形容し難いドロドロとした威圧感は、数多の精神異能者と相見えた時には感じなかったもの。
巨人オリオンがサソリを恐れたように、亞璃紗もまた……雪という名の毒蜘蛛に触れることを躊躇っているのだ。
だが……このまま手を拱いているわけにはいかない。
何故なら彼女は剣 亞璃紗。
覇道を往き、王道を突き進む星の下に産まれた誇り高き少女。
欲しいものはすべて手に入れる。
邪魔するものは斬り伏せる。
足元に転がる毒蜘蛛一匹のために、この剣 亞璃紗が回り道など―――
「しませんッ!!!」
一喝!
脚を駆け巡る加速の加護に身を委ね、正面から雪を捉える!
15メートルほどあったふたりの距離は瞬く間に縮まる。
まさに神速!
迎撃など間に合わないほどの超スピード!
しかし、あと数歩で雪の首を撥ね飛ばせるまでに迫ったその刹那、雪が……棒立ちのまま、僅かに微笑む。
その粘着質で陰湿な笑みに、亞璃紗の背筋がざわつく。
嫌な予感―――
説明不能なその危機感に、亞璃紗は咄嗟に急停止!
そしてすかさずバックステップ!
―――だが!
「ッ……!! 痛っう……!」
「うふふふふふふふっ……バカな子。でも、勘だけはいいみたいね……。あと数センチ前に出てたら、精神崩壊を起こしていたわよ……?」
「亞璃紗の様子がおかしい……! 一体なにが―――」
突如として右大腿部と右腕に疾る激痛!
精神武装による攻撃独特の、気が遠くなるような痛みが亞璃紗を襲う。
特に右脚の損傷が酷い。
ほぼ切断レベルの精神的ダメージを受けている。
亞璃紗も、傍観していた莉子も予想だにしていない事態。
しかも、これほどまでの深手を負いながら、雪がいつ攻撃を仕掛けたのか全く分からなかった。
おそらく、急制動をかけたあの瞬間だとは思うが、はっきりとしない。
射撃系の攻撃?
―――いや、違う!
「シッ!!」
亞璃紗はブレイドを左手に持ち替え、なにを思ったのか手近にあった箪笥の板切れを雪めがけて弾き飛ばす。
するとどうだろう。
人の腕ほどの長さのその木片は、雪に到達する数メートル手前で細切れになる。
まるで鋭利な刃物で切り刻まれたかのように、ひどく不自然に。
「……驚きましたわ。ここまで巧妙なワイヤートラップを仕掛けていたなんて」
「秘めたる鋼の片想い……。わたしの蜘蛛女によって作られるこの精神鋼腺の細さは絹糸並だけど、強度は鋼線以上……。おまけに、視認することはまず不可能……」
「なるほど……わたくし目がけて投げた箪笥や机に“それ”を貼り付けて、飛び散った破片と共にワイヤーを張り巡らせたわけですわね」
「うふふふっ、ご明察……。だけど、気付くのがほんの少し遅かったみたいね……もう勝負はついたわ」
「あらあら、なにを言ってますの? この程度……わたくしにとっては丁度いいハンデにしかなりませんわよ?」
亞璃紗は不敵に微笑みながら、利き腕ではない左手に携えたブレイドを凛として構える。
もちろん、現状で亞璃紗のこの一言は、虚勢以外のなにものでもない。
利き腕が使えなければその攻撃力は半減する上、片脚が殺されてしまった今となっては加速による超機動も活かせない。
いや、たとえ加速の加護を得ていたとしても、亞璃紗にとってこの蜘蛛女は相性が悪過ぎる。
ワイヤートラップという伏兵は、亞璃紗の最も得意とする高速戦闘を完全に封じていた。
即ち、今の亞璃紗はさながら羽と針をもぎ取られたスズメバチ同然。
地べたを這いつくばるだけの芋虫など、蜘蛛女にとってはごちそうでしかない。
「うふふふふふっ……なら、お言葉に甘えて“追撃”させて貰おうかな……」
雪は陰湿な笑みを浮かべて呟きながら一歩、また一歩と亞璃紗との距離を詰めていく雪。
そして……亞璃紗のブレイドの射程ギリギリで静止し、傍にあった花崗岩造りの石灯篭を精神武装の蜘蛛脚で軽々と破砕する。
すると、砕かれて握りこぶし程度の大きさになった石がふたつ、雪の足元にふわりと浮かび上がる。
それは蜘蛛女の脚と、秘めたる鋼の片想いによって吊るされた花崗岩によって形成された……いわば即席のフレイルだ。
「隻腕とはいえ、あなたの剣は厄介だから……これでゆっくり嬲り殺しにしてあげる……ねッ!!」
繊毛に覆われたグロテスクな蜘蛛脚が、交差するように振り抜かれる。
その動きに引っ張られるように、ふたつの石つぶてが左右から円軌道を描いて亞璃紗を挟撃する!
「ちッ……!」
左右からの同時攻撃。
バックステップ……いや、ダメだ!
片足しか使えないのに無理な機動をしたら、それこそ墓穴堀りにしかならない。
では防御か?
左から迫る攻撃ならかろうじてブレイドで凌げる。
……が、いくら神速を極めた亞璃紗とはいえ、全く同じタイミングで迫るもう一方の攻撃は防げない。
亞璃紗は目を瞑り、覚悟を決める。
「ぐッ……っ、ぁ……ッ!!」
左の石つぶてはブレイドで叩き落とせた。
しかし、その代償とばかりに右から振り抜かれた石は……亞璃紗のわき腹を見事に直撃していた。
「うふふふふふふ……ッ! 肝臓にめり込む音っ! 痛い? ねぇ痛い? 痛くないわけないよね? ……でもね、この程度じゃ済まさないんだから。あんたがッ! わたしから莉子を取り上げてた数日間ッ! 私がッ! どんな気持ちだったか知ってるッ!? ねぇ!?」
「ッ! くっ……! 痛っぅ……!」
防戦一方の亞璃紗に対して、雪は執拗に即席フレイルを振り下ろす。
何度も。
何度も何度も。
遠心力を得た無骨な石が、亞璃紗の筋組織を断裂させ、骨を痛めつけ、肌を裂き、鮮血に染まる。
「雪っ! ストップっ! やり過ぎだってっ! やめてっ! お願いだからもうやめてっ!!」
「……莉子っ」
そんな雪を制止したのは、莉子だった。
薬のせいで動かない身体を無理やり引きずって、這いずりながら雪にすがりついていた。
……だが、その力は弱々しい。
「……離して莉子。いくら莉子の頼みでも……無理」
「どうして!? そんなに亞璃紗が憎いの!? 目的はあたしでしょ!? もうやめてよっ……! あたし……っ、雪のモノになるからっ……! 雪のいうこと、なんでもきくから……だからもうこれ以上亞璃紗を傷つけないでっ……!」
「莉子っ! 貴方……なに言ってますの!? ダメっ! ダメですわっ! こんな女の言いなりになるなんて……っ!」
「…………」
ぽろぽろと大粒の涙を流してそう訴える莉子を、雪は無言で見つめる。
莉子が自分の所有物になる……考えるだけでゾクゾクする。
自発的になんでもしてくれる莉子。
もちろん、あんなことやこんなことも……夢が広がざるを得ない。
しかし……理由が気に入らなかった。
亞璃紗を助けるために自分の身を差し出す……?
それじゃまるで……わたしが、ふたりの仲を引き裂いてる悪い魔女みたい……
そんなの……
「……嫌」
「ゆ、雪……?」
「許さない……そんなの、絶対に許さない……っ! 魔女じゃない……わたしは魔女じゃないっ!! 悪いのはこいつ!! この泥棒猫が全部悪いのに!! わたしの莉子をたぶらかしたこいつがッ!! このッ! このッ!!!」
「ぐっ……! ぐぁっ!!」
「ちょっ! やめ、やめてよ雪っ! 雪―――あうっ!」
怒り狂った雪はその激情のまま亞璃紗を、四本の蜘蛛脚を駆使してでたらめに殴りつける。
そして、それを制止しようとすがりつく莉子さえも精神武装の蜘蛛脚で薙ぎ払う。
亞璃紗はなんとか直撃を避けようと左手で構えたブレイドで弱々しくブロックするが、3発に1発は直撃打を受けてしまう。
強化型の蜘蛛女のパンチ……その一発はヘビー級ボクサーのボディーブローに匹敵する。
その乱打を前に、亞璃紗の精神力はみるみるうちに削られていく。
「どうしよう……このままじゃ、本当に亞璃紗がっ……」
大切な友を永久に失ってしまうかもしれない……その恐怖に、莉子の心と身体が震える。
そう思うと、亞璃紗に対する説明出来ない想いが、自然と溢れ出してしまう。
亞璃紗が死ぬ。
あの亞璃紗が。
わがままで気まぐれ、鬱陶しくも憎めない亞璃紗……
そんな彼女と、もう二度とおしゃべりが出来なくなる。
……ダメっ!
そんなの、絶対ダメっ!!
まだちゃんと仲直りしてない。
もっといっぱいお話もしたい。
雪を、止めなくちゃ……!
けど、ろくに立ち上がれもしない今のあたしに、なにが出来るの……?
……なにか、なにかあるはず。
亞璃紗を助ける方法……なにか!
「そ、そうだっ……! 強化っ! あれを使えば―――」
莉子は咄嗟に思いつく。
あの日……亞璃紗に無理やり唇を奪われたあの夜に、八郎に教えてもらった強化の存在。
体組織に精神エネルギーを流し込み、一時的に肉体を強化する異常技能。
それを使えば、薬で弱体化してしまった身体でも動くことが出来るかもしれない。
しかし……ぶっつけ本番で、強化を発動させることが出来るのか?
いや、やるしかない!
「急がないと……っ! っ……まずは点火、今の気持ちを、手のひらに集めて炎に……っ!」
膝立ちのまま、莉子は右手に己の精神力を結集させる。
凝縮された精神エネルギーが手の中でぶつかり合い、大きな青白い炎になる。
文句のつけようがない見事な点火だ。
「よしっ! あとはこのエネルギーを、強くなるイメージを保ちながら……強化したい部位に! 流し込む……っ!」
加速はスピードのイメージだが、強化は違う。
力強いパワフルなイメージこそが強化の本領。
その精神イメージを……自らの足腰に、流し込む!
「ぐッ……! き、きたっ! これが強化っ……? 力が、みなぎってくる……!」
最初に感じたのは酷い違和感。
しかし、それは一瞬にして収束し、莉子の脚に力が取り戻されていく。
両脚に、大地の感触が伝わってくる。
これで雪を止められる……?
……いや、無理だ。
こんな、子供に毛が生えた程度の力ではとてもではないが半狂乱になっている雪を制止することなど出来ない。
ならばどうする?
「……! 武器……っ、あたしにも、精神武装があれば……っ!!」
以前、精神武装を持たない莉子が八郎に対して、どうすれば精神武装を展開出来るのか聞いたことがあった。
八郎は言っていた。
莉子や八郎のような精神的に正常な人間は、なにか強い想いをぶつけないと精神武装を生成出来ない……と。
「強い想い……? 亞璃紗を守りたいって気持ちだけじゃ、足りないの……?」
莉子は思い出す。
今まで出会った精神異能者のことを。
最初に出会った精神異能者は不良のくせにマザコンな西山 拓也。
目の前で母親を失ったショックでその幻影に囚われ、母との思い出に執着した結果発現した大鋏、シザーハンズ。
超絶セレブで頭脳明晰、見目麗しのチャンバラ美少女の剣 亞璃紗。
幼少期に味わうには酷過ぎるほどの孤独と、高潔なプライドに押し潰されるように練成された儚くも鋭い、ブレイド。
もの静かで口数の少ない莉子の幼馴染、料理が下手なのが玉に傷の霧島 雪。
同性を好きになってしまったことへの苦悩と葛藤……そして、過剰なまでの自己嫌悪の末に覚醒した、蜘蛛女。
どれもこれも悲痛で重々しい……
誰かを守りたいなんてチープな理由が、霞んでしまうほどに。
なら、どうすればいい?
この現状で、亞璃紗を守ること以上に強く、重く、インモラルな理由……
なにか……
きっとなにかあるはず―――!
「ッ……!」
思いついてしまった。
この土壇場、目の前で友達が傷つけられているこの土壇場で……決して思ってはいけないこと。
「……守るために。……亞璃紗を守るために、雪を―――」
口にしてはいけない。
そう思っていても莉子は、うわ言のように呟く。
心臓が熱い。
感情の堰が、今にも決壊しそうになる。
狂ってしまう。
壊れてしまう。
亞璃紗を守るために、雪を―――
そんなこと、考えてはいけないのに……考えてしまう。
雪との思い出が莉子の頭の中を駆け巡る。
泥だらけになって遊んだ日のこと、初めて買い食いをしたあの日、喧嘩をして一緒に泣いて、笑って……
あたしに……その雪を殺せっていうの!?
ふざけないで!!
雪は……あたしの親友なのっ!!
亞璃紗と同じくらい大切で、比べようがないの!!
なのに……酷い、酷いよ……こんなの……ッ!
こんな気持ち、違うっ!
違う、違う違う違うっ!!
嫌っ! こんな気持ち、あたしのじゃないッ!
出て行け!!
出ていけっ!!!!
「あたしの心からっ!! 出ていけーーーーーっ!!!」
その絶叫と同時に……莉子の感情が、爆発する。
まるで重野砲のような衝撃波を放ちながら、莉子を中心にして巨大な精神エネルギーが炸裂したのだ。
「……! なに……? この威圧感……!」
「り、莉子……?」
後方で地鳴りのように響く感情爆発……その爆心地に思わず目を向けた亞璃紗と雪。
ふたりの目に飛び込んできた光景……
そこには呆然と佇む莉子と、彼女の眼前に突き立てられた一本の大剣があった。
その剣は、莉子の心から産まれた独善的な狂気の権化……精神武装。
友を守るために、もう一方の友を手にかける……
その悲痛にして重々しい欲望は、精神武装を生み出すのに十分な資質を備えていた。
火山岩を思わせる無骨で肉厚な造りに相反し、刃は恐ろしく鋭く、赤熱色に淡く光り輝いている。
炎のようにゆらめくその輝きは、まるで主の命を今か今かと待っているかのようにも見える。
「この剣が、精神武装……なの?」
強引に自分の欲望をパージしてしまったせいか、莉子の意識は朦朧としていた。
そんな意識のなか、彼女はゆっくりとその剣に手を伸ばす。
巨大動物の骨のようなその柄へ、指を―――
「莉子っ! ダメですっ!! その剣に触れたら貴方は―――」
咄嗟に亞璃紗が叫ぶ。
同調覚醒者である莉子が精神武装を手にした時……
彼女はその膨大な精神エネルギーを制御出来ずに最悪の場合……暴走してしまうかもしれない。
それを危惧しての制止であった。
が、もう遅い。
莉子は掴んでしまった。
一度は否定した、独善的なその欲望……狂気を!
「うあッ……! な、に……これ……、これ、が……精神武装の力……ッ!」
殺意。
精神武装から流れ込んできたのは、灼熱のマグマのように熱く滾る殺意。
必死で抑えようとするが、制御出来ない。
怒涛のように押し寄せる狂った衝動に、心と身体が……支配されていく。
「……ふ、ふふふっ、あはっ! あははははははははははっ!!!」
突然、気が触れたように笑いだす莉子。
その瞬間―――
お人好しで素直な一之瀬 莉子の面影は完全に消え失せた。
意識を乗っ取られたのだ。
煉獄の大剣……彼女が産み出した精神武装に。
「あははっ♪ なにこれ! すごいっ!! え!? 精神武装って、こんなにすごいの!? ふふっ、最っ高ぉ~~~~~~っ!!!」
莉子は浮かれたようにその大剣を引き抜く。
自分の身長と同等かそれ以上の長さの獲物を……軽々と。
主の手に馴染んだ狂気の大剣は、その刀身に刻まれたクラック模様から、まるで喜びを表現するかのようにスチームを噴出させている。
もはや麻薬による手足の麻痺など意に介すことはない。
それ以上の強力無比な強化エネルギーが、彼女の身体を駆け巡っているからだ。
一方、人が変わったようにケタケタと笑う莉子の姿に、雪と亞璃紗は動揺を隠せずにいた。
特に、まだ事態を把握できていない雪は、愛しの莉子の豹変っぷりに酷く狼狽している。
「な……っ、り、莉子……? ど、どうしたの……? それ……莉子の精神武装……なの?」
「あははっ♪ そーだよ? 亞璃紗を守るため……そして、あんたを殺すためのッ! あたしの精神武装(武器)ッ!!」
「わ、わたしを……殺す……?」
「!? なにしてますのっ! ガードしなさい霧島 雪っ!!」
「えっ? ……ッ!?」
敵であるはずの亞璃紗からの突然の警告。
雪はそれに条件反射するように、咄嗟に右の蜘蛛脚2本を前面に出して防御態勢を取る。
刹那、まるでブルドーザーが突っ込んできたかのような強烈な一撃が、雪に襲いかかる。
躊躇や手加減などない、残酷にして無慈悲な一撃。
精神武装は、人体に対して物理的に干渉することは出来ない。
……が、あまりにも強烈な精神攻撃は、ときに攻撃対象に強い暗示効果をもたらす。
例えば『こんなスゲェ攻撃受けたら、きっとモロ吹っ飛んじゃうんだろうなぁ。軽く10メートルくらい』と、思わせるような攻撃を受ければ、それはそのまま強烈な暗示となって……相手を殴り飛ばすことが出来る!
そう、今の雪のように!
「あぐっ……!! う……ッ! ぐ、ぁ……ッ!!」
雪は見事に吹き飛ばされ、その身体を庭木に強く打ちつける。
ガードに使用したはずの2本の蜘蛛脚を見ると、第二関節部分からザックリと切断されていた。
雪は少なからずも、自分の精神武装と強化に自信を持っていた。
覚醒してから今日まで、莉子に会えない金曜の夜には決まって憂さ晴らし気分で精神異能者狩りに赴いては連戦連勝。
そのパワー、そのタフネスを前に、彼女にかすり傷ひとつ付けられる者はついぞ現れなかった。
なのに、莉子ときたらどうだ?
いとも容易くこの蜘蛛女の脚を切り落として見せた。
それも、2本いっぺんに。
とてもではないが、完全覚醒したばかりの精神異能者が成せる所業ではない。
その莉子が、自分に追撃を加えようと悠然と歩いてくる。
雪は気持ちを切り替える。
今の莉子は正気ではない……本気でやらなければ、やられる!
「秘めたる鋼の片想い……ッ!」
片膝立ちで叫ぶ雪。
残った2本の蜘蛛脚で秘めたる鋼の片想いを生成。
それを自分の周囲に張り巡らせ、ワイヤートラップの結界を作る。
亞璃紗を屠る時に手の内を見せてしまっているので秘匿性は皆無であるが、これで莉子の追撃は防げるはず。
そう思っていたのだが……
「あはっ! なにこれ? ……まさかこんな糸くずであたしを止められるとか、本気で思ってるわけ?」
「……えっ? ……!」
莉子は鋼線よりも強固なそれを、意に介さず引きちぎっていく。
まるで肩で風を切るかのように。
それは今の莉子が、雪の強化など歯牙にもかけないレベルで圧倒しているという純然たる証明。
……雪は、身体の震えが止まらなかった。
狂気に満ちた莉子の瞳が、溶岩のように赤熱するその精神武装が。
怖くて怖くて仕方がなかった。
「り、莉子……な、なんで……? なんでわたしをいじめるの……? ひ、ひどいよっ……」
「あはっ♪ なんで? 今、なんでって言った? ……あのさ。あたし、言ったよね? 『もうやめて』って。それであんた、やめてくれた? くれなかったよね? あたしの話なんて全然聞いてくれなかったじゃん。だから実力行使に出た。それだけ。分かった?」
「そ、そんなっ……! わたし……莉子の為を想って、頑張ってあの子をやっつけようとしただけなのに……」
「うわぁ、なにそれ。笑えないんだけど。なんで亞璃紗を殺すことがあたしの為なわけ?」
「う……そ、それは、だって……あ、あの子が、あ、あのっ、えっと―――」
「答えられる? 答えられるわけないよね? だってそれは、あたしの為なんかじゃなくて、あんたの為だもんね。あたしが亞璃紗ばっかり構うから、嫉妬しただけでしょ? 身勝手で自己中な理由だよね? 恥ずかしくないの? しかも、それをあたしに責任転嫁するなんて……最っ低」
「……ッ! ち、違うのっ! 莉子っ! お願い、わたしの話を―――」
「聞かないよ? 聞くわけないじゃん。身勝手な都合であたしの大事な人を傷つけた雪の話なんて聞きたくないもん。……雪なんて、大っ嫌い」
「っ……!」
最低。
大っ嫌い。
心の底から愛している人に、そんな言葉で罵られて傷つかない乙女がいるであろうか?
雪はもう立ち上がる気力すら残っていなかった。
精神武装を切断されたダメージと、木に叩きつけられたダメージ……そして、莉子に罵られたダメージでもはや心身共にボロボロ。
ついにはみっともなく泣き出してしまう始末だった。
「ぐすっ……ご、ごめんなさい莉子っ、わ、わたし、謝るっ、謝るから……っ! だから……嫌いにならないでっ! わたしっ、莉子に嫌われたら……もう生きていけないっ……!」
「あはははははっ! 生きていけない? だったら後腐れなく殺してあげるよッ!! この……精神武装で!!!」
「……莉子、そんなにわたしのことが、嫌い……なの?」
寂しそうにそう呟いた雪の頬を、涙が滑り落ちる。
全てを諦めたかのようなその瞳には……もはや生気は感じられない。
いや、雪は実際諦めていた。
心から愛してやまない莉子に嫌われてしまっては、もはや全てが虚しい。
生きてることすらも。
ならば、もういっそのこと壊されてしまおう。
莉子の手にかかるなら、本望た。
そう思った雪は、静かに目を閉じる。
「あはっ♪ バイバイっ、雪っ……!」
自分の頭上に、莉子が生成した大検型精神武装が振り上げられているのが分かる。
あとはそれが振り下ろされるのを、待つだけだ。
それで……楽になれる。
「…………」
「…………」
「……?」
おかしい。
いつまで待っても精神武装が襲いかかってこない。
雪は怪訝に思ってそっと瞼を開く。
「……!? つ、剣 亞璃紗……!?」
「このおバカっ! ボケっとしてないで避けるなりガードするなりなさいっ!!」
莉子と雪の間に割って入り、その大剣の一撃を捌いたのは意外な人物。
つい先ほどまで、自分が好き放題痛めつけていた少女……亞璃紗だった。
「あ、亞璃紗、ちょっ、なんで? なんであんたが、あたしの邪魔してんの……? な、なんで……」
「莉子……今、貴方は間違った道へ進もうとしています。それを止めるのも、わたくしの愛ですっ!」
そのあまりの意外さに、莉子はヨロヨロと後ずさり、こめかみを押さえて狼狽する。
当然であろう。
亞璃紗を守るために雪を殺す……そんな狂気で形成された精神武装を、守るべき対象である亞璃紗に向けようとしているのだ。
暴走状態で情緒不安定になっている莉子の意識が揺らぐのも、無理はない。
「あ、あなたっ……ど、どうして―――?」
『どうして』
雪が放ったこの一言にはふたつの意味合いが込められていた。
ひとつは、『どうして動けるの?』
その答えは、亞璃紗が保有するもうひとつの異常技能にあった。
精神修復……ダメージを受けた精神を急速に回復させる唯一の手段。
亞璃紗はそれを駆使して雪の猛攻を耐えながら少しずつ回復し、かろうじて動ける程度には持ち直せていた。
……雪の隙を狙って反撃の一閃を浴びせるつもりで。
もうひとつの……『どうして』
『どうしてわたしを助けたの?』
亞璃紗は雪の問いかけの意味を、こちらの方であると解釈していた。
「『どうして』じゃありません。貴方っ、どこまで莉子を悲しませれば気が済みますの?」
「えっ……? な、なにを言ってるの……?」
雪には、彼女の言葉の意味がよく分からなかった。
莉子が……悲しむ?
それはどういうこと?
怒っているならまだしも、今の莉子が悲しんでいるようには……到底思えない。
亞璃紗はそんな彼女の心情を察したのか、呆れたように肩をすくませてため息をつく。
「はぁ……貴方の目は節穴ですの……? 目を凝らして、莉子を見て御覧なさい」
「莉子を……? っ……!?」
完全覚醒した莉子。
その姿の……あまりの禍々しさに、雪は無意識に直視を避けていた。
故に気付かなかった。
気付けなかった。
狂ったように笑い、罵り、剣を振っていた莉子がその瞳に……大粒のダイヤモンドを湛え続けていたことを。
「莉子……、泣いて……る?」
「ええ、精神武装の狂気に侵されて暴走しながらも……親友である貴方を傷つけることを必死で拒んでいる証拠ですわ」
そう。
莉子は暴走こそしていたが、莉子本来の意識はまだ僅かながらであるが残っていた。
彼女の善の意識が……頬を涙で濡らしていたのだ。
「言っておきますけどわたくし、貴方の生死など全く気にも留めていません。……ですが、自らの手で友を手にかけたとあの子が後で知ったら、それこそ一生悔やむことでしょう……ああいう性格の子ですから」
「……出会ってから日が浅いくせに、よく理解してるのね。……莉子のこと」
「ふふっ、それはもう。わたくしの最愛の人ですから」
雪は、はにかみながらそう呟く亞璃紗に強い対抗心こそ覚えはしたが、不快感は感じなかった。
それどころか、一種の親近感すら芽生える。
不思議なものだ。
先ほどまでは殺したいほど憎かったというのに。
「……それで、莉子を正気に戻す算段はあるの……? あるなら喜んで手を貸すけど……」
「あら? まだやる気ですの? さっきまで泣きべそかいてましたのに」
「うっ……うるさい。あ、あれはっ、莉子が本気でわたしのことっ、拒絶してると思って、ちょっと泣いちゃっただけだもん……もう、平気だもん……」
「くすっ、上等ですわ」
気丈な面持ちで立ち上がった雪を見て、亞璃紗は小さく笑う。
正直、蜘蛛女と共闘体制が取れたとしても今の莉子を止められる自信などない。
ベストコンディション時ならまだしも、ふたりとも満身創痍でほとんど戦力にならないほどの手負いなのだ。
「こんな状態で、暴走状態の莉子を止める……。ちょっと……いえ、かなり無謀ですが、やるしか―――」
「いや、3人だ」
「……えっ?」
「あ、貴方はっ……!」
ふいに声をかけてきたのは左手に大鋏を携えた、全身傷だらけの少年。
シザーハンズ……西山 拓也であった。
「驚きましたわ。まさか、あの人数のヤクザを全滅させて来ましたの?」
「だったら格好ついたんだが、残念ながら違う。途中で騒ぎを聞きつけたポリの大群が詰め掛けてきてな、ヤクザ共は黙過ポリ公共と乱闘中。俺はその隙に連中の包囲網をすり抜けて来たわけだ」
「……剣 亞璃紗。この男……一体誰なの?」
「へっ、聞かれて名乗るのもおこがましいが、俺は西山 拓也。一之瀬とは因縁浅からぬ関係の―――」
「莉子目当てで付いて来たマザコンチェリーストーカーですわ」
「おい!」
「ねぇ、楽しそうにお喋りしてるところ悪いけど、ふたりともどいてくれない? あたしは雪を、殺さなくちゃいけないんだから」
「うぅっ……」
「なに睨まれただけで弱気になってますの? 貴方、それでも名うての精神異能者ですの? 気をしっかり持ちなさい」
「だ、だって……莉子っ、怖い……」
「おい一之瀬、この子はおまえの友達じゃねーのか? なんで殺そうとすんだよ」
「莉子? わたくしでしたらもう大丈夫ですわ。だから、その精神武装を解除して―――」
「……るさい。うるさい! うるさいうるさいっ!! 殺すったら、殺すのっ!! なんでふたりとも邪魔すんの!? ぶっ殺すよ!? ぶっ殺されたいの!? あっそ! だったら望み通り3人まとめて、ぶっ殺してあげるッ!!!」
「チッ! 聞く耳持たずかよ! こいつは相当キツい荒療治が必要みたいだなッ!」
「っ……! 莉子っ……、莉子っ……」
ふたりの説得も虚しく、莉子は精神武装の放つ狂気に振り回されるまま、大剣を高らかに構える。
圧倒的なまでの威圧感。
莉子の放つ、殺意と狂気が入り混じった混沌めいたオーラに、押し潰されそうになる。
もはや彼女は、大義名分も忘れて戦闘衝動のままに暴れる狂戦士と化してしまっていた。
そんな莉子の凛々しくも鬼気迫る立ち姿を前に、雪と拓也……ふたりの顔が引きつる。
しかし亞璃紗は……亞璃紗だけは、あろうことか……笑顔。
笑顔で莉子を、見据える。
「ふふっ♪ 莉子……貴方はどこまでわたくしを楽しませてくれますの?」
そう呟いて舌なめずりをしながら、ブレイドを構える亞璃紗。
莉子も、それに呼応するかのように振り上げた大剣の落下点を、彼女へ合わせる。
亞璃紗の身体を襲う震え……武者震い。
産まれて初めて経験する感覚。
止めようと思っても止まらない、この身体の震えが心地良くてたまらない。
胸の高鳴りが、ワクワクが……止まらない。
莉子という予想外の強敵を前に、亞璃紗の身体に流れる戦闘狂の血が、熱く、熱く滾っていた。




