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およそ1時間前―――
「いやぁ美味しかったねーあそこのラーメン屋!」
「…………」
日が沈んでからだいぶ時間が経った夜のアーケード街を、ふたりの少女が歩いている。
一人は一之瀬 莉子。
小柄な体格に引き締まった身体、やや短めのセミロングが醸す活発さと、太陽のように爽やかな笑顔が印象的な少女。
そんな莉子の横を歩いている少女の名は、霧島 雪。
その名のとおり雪のように白い肌と高い背丈と艶やかで長い黒髪、そして物鬱げな目元が莉子とは相反する月を思わせる妖艶な魅力を持っていた。
雪は隠れた名店の味にご満悦の莉子とは対照的に、押し黙ったまま横目で莉子に視線を送るだけだった。
「雪も美味しかったでしょ?」
「…………」
「雪……?」
雪は莉子をじっと見つめながら、静かに口を開く。
「……確かに、美味しかった。スープは……」
「オーソドックスな鶏がら醤油で冒険してないところが好印象っ!」
「……うん。麺も……」
「ほどよい太さのストレート麺! かん水の臭いも全然しないし、あれはかなり腕のいい製麺所使ってるねっ!」
「……うん。具も……」
「あのチャーシューは絶品だねっ! 食べた瞬間あたしのチャーシュー観に革命が起きたよっ!」
「……うん。ラーメンはすごく美味しかった」
「んー……じゃあなんで雪はそんなに不機嫌そうなの?」
「っ……わたしはいつもこんな顔だもん……」
「嘘。今日の雪、明らかに機嫌悪いよ」
「悪くないもん……」
ぷいっとそっぽを向いて目を背ける雪。
元々人付き合いが苦手で口数も少ない彼女の感情の起伏を計るのは、とても難しい。
しかし、そんな雪の不機嫌っぷりを莉子はすぐさま見抜いた。
「まったく、あんたの機嫌の良し悪しなんて一目で分かるわよ。何年あんたとダチやってると思ってるのさ」
「……十年」
「え? マジで? そんなに?」
「…………」
よく言えば純粋。悪く言えばバカな莉子の言動に、雪は少し呆れる。
雪としても、こんな調子の莉子には慣れっこどころか愛着すら感じているのだが、それでも雪の機嫌は直らない。
「もしかして、最近あたしと遊べなくて寂しかった?」
「っ……!」
途端、雪の顔が朱色に染まる。
図星だった。
運動神経のいい莉子は、運動部の試合が増える時期には各所からのヘルプで引っ張りだこ状態になる。
先週はバスケ部、先々週はソフト部、その前はラクロス部の助っ人で忙しく、ほとんど雪と遊べなかったのだ。
「わっ、わたしっ……」
「雪は寂しがり屋さんだもんね」
「違うもん……」
「ごめんね、なかなか遊べる時間が取れなくて」
「気にしてないもん……」
「またまたぁ! 強がっちゃって!」
「強がってなんか……」
言葉とは裏腹に、雪の口角は僅かに緩んでいた。
最近なかなか遊べなかったたったひとりの友人・莉子と久しぶりの逢瀬。
それなのに莉子ときたらラーメンに夢中でろくに話もしてくれない、構ってくれない。
だからヘソを曲げていた。
けれども今、莉子が自分の気持ちを理解してくれた。
たったそれだけの理由で、雪の機嫌は瞬く間に良くなった。
◆
◆
◆
雪にとって心温まる友人との楽しい時間も、束の間の出来事だった。
彼女の気持ちがゆるくなって5分も経たないうちに、終着点に辿り着いてしまう。
見るからに裕福そうな、しかし気取った感じのない平屋建ての邸宅。
それが雪の家だった。
「ねぇ莉子……もう遅いし……その……っ」
「? なに?」
「……なっ、なんでもない。送ってくれてありがとう」
「なに言ってるの。雪はかよわい女の子なんだから、送るのはあたしの義務でしょ?」
「自覚無いみたいだけど、莉子だって女の子なんだよ……? 最近は物騒だし……なんだったら、そのっ……えと、今日はっ―――」
「心配ご無用。あたし、逃げ足には自信があるから。じゃ、また来週学校で!」
そう言って、莉子は元気良く雪に右手を伸ばす。
雪にハイタッチを求めているのだ。
伝えたい一言があったのだが、彼女に求められたら応じないわけにはいかず、雪も控えめに手を伸ばす。
二人の手のひらが重なり合うと、小気味良い音が夜の空気を震わせる。
その余韻が消えるよりも早く、莉子は駆け出していた。
「うぅ……言えなかった……」
『今日はウチに泊まっていったら?』
雪はその一言を莉子に伝えられなかったことを、彼女の背中を見送りながら後悔した。
とはいえ、雪の家から莉子の自宅までは徒歩10分足らず。
莉子の健脚ならあっという間だ。
それなのになぜ雪がこれほどまでに莉子を心配するのか。
その理由のひとつは、治安の悪化。
最近、この国では十代半ばの少年少女ばかりが被害に遭う傷害事件が頻発していた。
朝のニュースどころか新聞でもほとんど取り上げられないレベルのものだが、この傷害事件には奇妙な類似点があった。
ひとつは、極端な手がかりの少なさ。
目撃者はおろか凶器すら発見できず、ほとんどが未解決の憂き目に遭っている。
そして、もうひとつは―――