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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
蜘蛛女(アラクネ)
29/45

7


 どの街にもありふれたごく一般的な住宅街。

 そのはずれに、異様に広大な和風邸宅があった。

 霧島一家総本部……雪の自宅である。


「はぁー……でっけぇ家だなぁ。流石は日本有数のヤクザの根城ってところか?」


 拓也はその門の前で、頭を掻きながら呟く。

 今から自分が喧嘩を売ろうとしている相手……その規模の大きさにたじろいでる風にも見えるが、そうではない。

 荘厳な佇まいの門構えを前にして、どう切り込むべきか逡巡しているのだ。

 別にこの程度の門なら自慢の大鋏で両断してやってもいいのだが……


「いやいや、まずはインターフォンを押すべきだよな。他人様の家を訪れる時は礼儀正しくしなさいって、ママも言ってたし……」


 なんとなく拓也は気乗りしなかった。

 霧島一家には特段恨みはないし、むやみやたらに他人ひとの家のモノを壊すのは良くない。

 それに、話し合いで解決出来るのならそれに越したことはない。

 そう考え、これから襲撃する家のインターフォンに手を伸ばす拓也。


 ピンポーン。


 間延びした緊張感のない電子音が鳴り響く。

 数秒しないうちに、スピーカー越しに少し若い感じの男の声が聞こえてきた。


『はい霧島ですが?』

「あー……夜分すんません。俺、西山 拓也っていう者なんスけど」

『あ゛ぁん? なんだコラテメェ! 糞ガキじゃねーかコラァ! ここがどこだが分かってんのかコラァ! ナメてっとぶっ殺すぞコラァ! あぁ? コラァ!』


 インターフォン備え付けのカメラで拓也の顔を確認したのか、男の態度が一気に横柄になる。

 当然だろう。

 こんな時間に得体の知れない学生が転がり込んでくれば、どんなヤクザだってこんな態度になる。

 某闇に降り立った天才ですら、最初はヤクザにこんな感じで追い返されそうになったのだ。

 拓也もその例外ではない。


「夜分遅くに不躾なのは自覚してる……けど、こっちも譲れねぇ用事なんだよ」

『は? テメェコラなに言ってんだコラァ! ヤクザ舐めてっとぶっ殺すぞコラァ! 家燃すぞコラァ!!』

「どうでもいいけど、さっきからコラコラ言い過ぎじゃねーか?」

『は? べ、別にそんな言ってねーし! ていうかテメェこそマジでイカれてんじゃねーのかコ……オラァ! あ? オラァ!』

「…………」


 『コラァ』と言いかけて慌てて『オラァ』に言い直したヤクザの頭の出来を哀れに思った拓也は、あえてツッコミを入れなかった。

 それは、拓也なりの優しさであった。


「ああ、確かにイカれてるな俺は。女を一人、貰い受ける為だけに……こんなでっけぇヤクザのアジトに喧嘩売ろうとしてるんだからな」

『なっ!? おん……な……だとぉ!?』


 男の声色に明らかな動揺が混じる。

 ビンゴ!

 拓也は心の中でそう叫びながら、小さくガッツポーズ。

 この男の慌てよう……それは即ち、門の向こうに莉子がいるという確証!

 それが分かっただけで、拓也の心に熱いものがこみ上げてくる。


「やっぱり、そこにいるんだな? だったら素直に渡して貰おうか? 俺の大事な女をよぉ!!!」

『だ、大事な女……ッ!? ま、まさか……テメェがウチのお嬢を誑かした―――』

「ゴチャゴチャ言ってねーで、サッサと出しやがれこの酢ダコ野郎が!!!!」


 拓也は勢い余って左手にシザーハンズを展開。

 莉子に見せたときよりも一回りほどゴツくなったその精神武装ミリタリアで、壁ごとインターフォンを粉砕する。


「あっちゃあ……やっちまったぜ……」


 パチパチとスパークするスクラップと、半壊した壁を見やりながら、拓也はばつが悪そうに呟いた。

 壊すつもりはなかったのに、つい勢いに任せてやってしまった。

 修理費高いんだろうなーとか思いながら、ほんの少しだけ罪悪感を覚える。


「ンだコラァ!!」

「ぶっ殺すぞテメェ!!」

「舐めんじゃねーぞボケェ!!」

「んだらぁ!!」


 しかし、拓也が自省する暇もなく、入り口から飛び出してきた柄の悪いヤクザ達が下品に吠え立てる。

 その数およそ……10、いや20!

 ……どんどん増えていく!

 そして、不規則に騒ぎ立てるヤクザ共の間から、一人だけ和服に身を包んだ大柄な男が前に出る。

 顔は禍々しい傷痕に覆われ、見るからに恐ろしい顔つき。

 周りの連中とは明らかに異質な、核弾頭のような憤怒を湛えた大男が……口を開く。


「おどれか……。ワシのエンジェルをつけ狙うこ汚い害虫は……ッ!!」

「はぁ? なに言ってんだテメェ。一之瀬あいつは俺のママになってくれるかも知れない人だぞ? テメェのエンジェル? 寝言は寝て言えボケが」

「マっ……!? ママじゃとおおおおッ……!? お、おどれぇえええええ……ッ!!!」


 ふたりの会話は、どこか噛み合ってないようで、噛み合ってしまっていた。

 それが幸か不幸か、霧島一家5代目組長・霧島 虎十郎の怒りを大いに買った。

 彼は拓也の一連の発言から、彼を最愛の娘・雪をつけ狙う害虫野郎であると確信してしまった。

 こうなってしまった虎十郎は、もう誰にも止められない。

 相手がただの不良高校生だろうが、容赦はしない。

 目の前にいるチャラチャラした感じの糞男を、自らの手で粉みじんにしてやらなければ、気が済まないのだ。


「おいッ!! 屋敷内にいる組員を全員集めぃ!!!」

「へ? ぜ、全員ですかいオヤジ」

「全員じゃ!! 庭内警護しとる奴らも残らずかき集めるんじゃ!! この糞害虫を逃がさんように取り囲むんじゃあ!!!」

「へ、へいっ!!」


 下っ端らしき男が、大男の一喝で慌てて屋敷に戻っていく。

 おそらくこれで庭内にいるヤクザ共が全員ここに集まってくる。

 囮役としては完璧なまでの仕事っぷりであるが……精神武装ミリタリアなしでこの人数を相手にするのは明らかに無謀である。

 しかし、今更退くわけにはいかない。

 むしろ拓也は今、自分の責務……囮の大役を忘れるほどに滾っていた。

 ここにいる連中を全員蹴散らせば、その先には莉子が待っている。

 そう思うと、自然と闘志が湧き上がる。


「なんだオッサン、数にモノを言わせて闘おうってか? 別に俺はそれでも構わねーぜ?」

「違うわボケナスがぁ!! ワシがそんなケツの穴の小さいことするわけじゃろーが!!! おどれはあくまで、このワシの手で葬るッッッ!!!!」 

「へっ! そいつは嬉しい申し出だぜ! 俺もどっちかってーとタイマンのほうが得意だからよォ!!」

「抜かせ青二才がッ!! 一撃でケリつけたるッ!!!」 

「アイヤちょっと待つアルねオヤジ殿ぉ~? アナタ様が手を汚すまでも、あ~りませんアルよぉ~?」

「むぅ!? おどれは、蟷螂拳とうろうけんキム!!」


 いきり立つ虎十郎を制したのは、細身な猫背男だった。

 猫背の男はニヤニヤと笑いながら、拓也に向かって妙な構えを取る。

 それはまるで、カマを振り上げて獲物を狙うカマキリにそっくりであった。


「ニーハオお坊ちゃん! この蟷螂拳使いのキム 平棟ペイトウが、キッチリと息の根止めてあげるアルね~!」

「さすが武闘派で知られた霧島一家! なかなか強そうな格闘家がいるじゃねーか!! 面白ぇ!! かかってきな!!」

「ホッホッホ! お若いのに血気盛んネ~! でもアナタ、長生き出来ないアルよ~? ホアチョーーーーッ!!!」

「うおっ!? ……っ!!」


 シャウトと同時に振り下ろされる、高速攻撃。

 カマキリのように襲い掛かる猫背男の攻撃を、拓也はなんとか両手で捌き切る。

 その手つきは猫背男のスピードに追いつけていないのが丸分かりの、拙い防御に見えた。


「ホアッ! ホアタッ! ホアッ! ホアッチョーーーーーッ!!」

「ちっ……! 恐ろしく速い……ッ!」

「ホッホッホ! どうアルか!? 中国四千年の歴史が生み出したこのカマキリの動きを模した蟷螂拳のキレの良さ!! でも、この程度で根を上げていてはいけないネ~! まだまだワタシ本気じゃないヨ? もっともっと、早い攻撃出来るアルね!」

「へぇ、そいつぁ良かった。これ以上速くなる前にケリが着いてよ」

「はて? アナタ、なに言ってるアルか?」


 拓也の意味深な言葉に、猫背男は首を傾げた。

 周囲のヤクザ共も同様である。

 ……ただひとりを除いては。


キム、もうええ……下がっとれ」

「は? オヤジ殿までなにを言ってるネ! 勝負はまだまだこれから―――」

「その言葉、おどれの手首を見てから言わんかいボケェ」

「手首……? はて、ワタシのこの細くしなやかな手首がどうしたって……あッ、アイヤァーーーーー!? こ、こここ、これはぁ!?」


 猫背男は自分の手首を見て驚愕した。

 見ると彼の手首は、大きく腫れ上がっていた。

 骨折である。


「あんたの攻撃は確かに素早かった……けど、俺のブロックで骨が逝っちまうなんて、ちっとカルシウム不足じゃねーのか?」

「うぐっ……!? ア、アナタ……ッ! 防御が不自然にノロいと思ったら……まさかワタシの腕を折るために力を込めていたアルか!?」

「へっ! 今更気付いたのかよッ! 遅っせーんだよ!」

「むぅ……」


 虎十郎は、拓也の闘いぶりに思わず唸ってしまった。

 金の手首をへし折った攻防一体の鉄拳……

 確かに筋力も必要だろうが、それだけではない。

 おそらく拓也は、その動体視力でキムの攻撃の限界点を見切り、カウンター気味に手首を突いたのだ。

 結果、拓也の突きとキム自身の攻撃力が、金の手首に一極集中し……叩き折られた。


「……小僧。チャラい見かけによらず、なかなか喧嘩慣れしとるのぉ。しかも、ちぃと格闘技齧っとったろぉ? 空手か? 古武術か?」

「あん? べ、別に……なんもやってねーよ」

「んっふっふぅ~~~~、ウソは良くないですねぇ~~~~~少年?」

「あぁん?」

「おおっ! おどれは……ッ!」


 拓也の言葉に異議を唱えながら前に出てきた男。

 他のヤクザ共とは一線を画すシックな黒スーツに身を包んだむっちりとした筋肉の男は、ポーマドで固めた七三分けの頭をテカテカさせ、ザマズメガネをくいっと直しながら続ける。


「恐らく君は、幼少の頃から空手を学んでいましたねぇ~~~~? それも、ひとを殴ることを躊躇しないフルコンタクト系。それに加え、ストリートファイトもかなり経験していますねぇ~~~~いやいや結構結構ぉ」

「で、出たぁ!! 我が霧島一家のスーパーコンピューター!」

「相手の流派、攻撃パターンを瞬時に分析し、その弱点を突くような知的かつ吐き気を催すえげつない闘い方に定評がある!!」

「ヴァーリ・トゥードの近藤こんどう 夢彦ゆめひこッ!!」


 ヤクザ共が、その男の登場にどっと沸く。

 ザマスメガネの男はその声援に応えるように両手を振る。

 そして、ゆっくりとした動作で……構える。

 両腕を広げ、腰を低く、不自然に低く、膝よりも低く……構える。


「うっふっふぅ~~~~、次は、この私めがお相手ですぞぉ~~~~~少年?」

「な、なんだテメェは! 気持ち悪ぃ喋り方しやがって!!」

「ぬふふぅ~~~~? 気持ち悪いのはぁ、喋り方だけじゃありませんぞぉ~~~~~~!!」


 ザマスメガネの男は、その低い体勢からまるでゴキブリのように俊敏に飛び出した!

 狙うは拓也の……下半身!

 タックル! 超低空から繰り出されるタックル攻撃だ!!


「なっ! なんて低いタックル……ッ!! マトモに食らったらヤバい……ッ!!」

「ぬっふふふふふぅ~~~~~!! 打撃攻撃がメインだと、こんな感じのタックル攻撃には弱いんですよねぇ~~~~~! なにせ空手家はタックルを受け慣れてませんからねぇ~~~~~! 普段パンチとキックしかしたことが無いと対処も遅れるんですねぇ~~~~! でもぉ? プロの喧嘩屋相手じゃその一瞬の戸惑いが命取りぃ~~~~~!! さぁ~~~片足タックルがいいですかな? それとも両足? 掴んだ後はハイクロッチ? 朽木倒し? それともアンクルロックでアキレス腱をズタズタに引き―――」

「うるせーーー!!!」

「ちぎぶ!?」


 異様にくどくて長い台詞に業を煮やした拓也のサッカーボールキックが、夢彦のザマスメガネを粉砕した。

 そのまま夢彦は2~3メートルほど後ろに吹き飛び、コンクリートの地面に軟着陸。

 殺虫剤を食らって死にかけている不快害虫のように、ピクピクと痙攣する。


「な、なんという無作法……しょ、少年、せめて私の説明が終わるまで待ってくれても―――」

「説明が長げーんだよ! サッサと突っ込んで来りゃあいいのによぉ!! アホかテメェは!!」

「だ、だって……私ってば知的なキャラじゃない? その頭の良さをもっとアピールしようと思って……」

「どんだけ舐めプしてんだよ!? さすがの俺でも20秒以上喋られたら反撃の準備とか余裕で整うっつーーーの!!」

「ま、まさか……! 平棟さんに続き、あの夢彦さんまでもがやられるなんて……!」

「この男……! 天才か……!」

「大した奴だ……」

「ちょっと待てよギャラリー! その持ち上げ方はおかしくね!? カマキリ野郎はともかく、このバカは明らかに自滅だろ!?」


 妙な空気を醸し出してどよめくヤクザ達に、拓也は必死にツッコミを入れる。

 しかし、ひとりが騒いだところで流れは変わるわけもなく、拓也ひとりが妙に浮いただけであった。

 多数決とは非情である。


「ホキョキョキョキョ! 平棟と夢彦を倒すとはなかなかやるホキョ!」

「だが、彼奴きゃつらは我が霧島冠位十二階のなかでは1番と2番の小物だっちゃ!」

「冠位十二階!? 四天王とかじゃなくて!? ていうかさっきから変な口調でキャラ付けしようとすんのやめろよ!!」

「アニョハセヨー!! お次は冠位十二階の十の位・小義! テコンダーハクがお相手するニダーーー!!!」

「だからそういうのやめろって!!」


 げんなりする拓也の眼前に、続々と沸いて出てくるヘンテコ格闘ヤクザ達。

 少なくともあと10人もこんな連中を相手にしなくてはいけないと考えると、囮役を買って出たことを後悔せずにはいられなかった。







「……そういえば中学のとき以来だよね? わたしの部屋に来るの……」

「…………」


 同時刻。

 畳藺草とふたりの少女の匂い仄かに香るその部屋で、莉子と雪は見つめ合っていた。

 拓也の陽動によってもはや鉄火場の様相を呈している外とはまるで別世界のように静まり返ったその部屋に、莉子は見覚えがあった。

 幼い頃から何度も来たことのある思い出の部屋。

 雪とお人形遊びをしたり、雪に夏休みの宿題を教えてもらったり、ふたりで黙々と受験勉強をしたり……

 しかし、莉子が少し来ない間にその部屋の様相は、名状し難いほどに不気味かつ異様なものへと変貌していた。


「え? これ……? うふふふふふふふふふっ、すごいでしょ。全部、隠し撮りなんだよ……? 莉子の自然な表情が欲しくって、頑張って撮ったの……」


 その壁や天井を埋め尽くしているのは、莉子の姿を写した大小様々な写真。

 クラスメイトと談笑する莉子、汗をほとばしらせて走る莉子、ペットボトル飲料を飲んでいる莉子、他の子の身体つきと自分を比較しながらしょんぼりと着替える莉子……etc、etc。

 様々な表情の莉子が満遍なく貼り付けられていた。


「あと……っ、これも可愛いでしょ? 莉子ぬいぐるみっ……わたしがひと針ひと針、気持ちを込めて縫ったんだよっ? それでね? 毎晩こうして……ぎゅって抱いて寝るのっ……。ちなみに、この子は莉子18号だよっ……」


 雪は嬉しそうに呟きながら、既製品顔負けの手作りぬいぐるみを抱きしめる。

 そのぬいぐるみは部屋のいたるところに存在し、大小様々なラインナップが所狭しとひしめき合っていた。

 異常な浮かれっぷり……莉子はそんな雪を見ているだけで、喉の奥から込み上げてくるような不安感に襲われる。

 しかし、その焦燥感を言葉にすることが出来ない。

 なぜなら―――


「あっ……ごめんね。こんなので口を塞いでたら、お喋りなんて出来ないよね……?」


 莉子の口は、粘着テープで塞がれていた。

 自分の巣へ持ち帰る前に、莉子が大声をあげないようにする為に施されたものであるが、今となっては必要ない。

 雪は身動きの取れない莉子に馬乗りになり、彼女の口を塞いでいる粘着テープをゆっくりと剥がしていく。


「っ……! ぷはっ!」

「ほらっ……取れたよ、莉子っ。これでお喋り出来るね? うふふふふふふふふっ……♪」

「雪っ、あんた一体どうしちゃったの? こんなっ、今時漫画でもやらないようなストーカーみたいなことするような子じゃなかったじゃんっ!」

「……する子、だよ?」

「えっ?」

「莉子……わたしね? そんなにいい子じゃないの……。莉子の、ストーカー……なの。今まで莉子がドン引きするようなこと、いっぱいしてきたの……。莉子に変な男が寄ってこないように、わたしが毎朝さりげなく莉子の下駄箱チェックしてたの知ってた? 小学校の高学年から今まで莉子宛てのラブレターとか10通以上破り捨てたんだよ……? わたしは……そういう子なの」

「うえぇぇっ!? あ、あたし宛てのラブレターってそんなに来てたのぉ!?」

「……驚くところはそこなんだ。……なんだか悔しい。怒ったり、気持ち悪がったりしないの……?」

「いや結構怒ってるよ? けど、それよりも……どうしてあんたがそんなことすんの? あたし、あんたを怒らせるようなことしたの?」

「り、莉子っ……? これだけ言っても、まだ分からないの……?」

「うーん……ごめん。分かんないや」


 雪は顔を真っ赤にしながら、目を伏せる。

 恥ずかしいのを我慢しながら、遠回しにではあるが自分の好意を精一杯主張してきた雪に対して、莉子ときたらそんな自分の気持ちを微塵も分かってくれていない。

 だが、それも致し方ないことなのかもしれない。

 雪の頭脳をハイスペックPCに例えるなら、莉子の頭脳はファミコンなのだ。

 ファミコンに高望みすること自体が酷というものである。


「じゃあ……おバカな莉子にも分かりやすく教えてあげるね……?」

「ちょっ!? いくらなんでも無理やり拉致っておいてバカ認定とか酷くない!?」

「……これだけわたしに恥かかせておいて『分からない』とか言っちゃう莉子は、バカ確定なの」

「り、理不尽過ぎる……」


 バカ認定されて凹む莉子を気に留めることもなく、雪はその身体に体重を預けるように密着していく。

 莉子の申し訳程度のふくらみに、雪のたわわで柔らかな双丘が押し付けられる。

 乳房越しに伝わってきたのは、やや走り気味な生命の鼓動ビート


「ほら……分かる? ……わたし、すっごくドキドキしてるの。……莉子のことがっ、好き……だから」

「え? いや、あたしも雪のこと好きだけど……」

「……莉子の好きは、親愛ライクでしょ? わたしの好きは……違うの」

親愛ライクじゃない好き……って、も、ももも、もしかして……っ!!」

「うん……性愛ラブ、だよ。えっとね……あ、愛してるの、莉子のこと……」

「ちょ! た、タンマ! ストップ! ちょっと落ち着こ? ね?」

「ダメ。待てない。もう止まらない。落ち着くなんて出来ない。好き。莉子のことが好き。大好き。初めて会ったあの時から好き。わたしの王子様。一目惚れだったの。女の子でも関係ない。もうどうにも出来ない。心に決めちゃったから。好き。好きだから止められない。抑えようとしてもダメだった。抑えられないくらい好き。愛してる。愛し過ぎて切ないの。毎晩切ないの。毎晩莉子のこと想って……してるの。莉子の全部が欲しいの。莉子を独占したいの。他の人なんて見て欲しくない。男も。女も。もちろん……あの子も。でも莉子ったら最近あの子のことばっかり見てる……もう耐えられない。だから……今から莉子をわたしだけのモノにするの。この……麻薬おくすりで」

「ゆ、雪っ……なに、それ……? こ、怖いよ……」


 ぎらついた眼でうわ言のようにブツブツと呟きながら、雪は小さなアンプルと取り出す。

 その中には琥珀色の液体が封入されており、雪の指の動きに合わせてゆらゆらと揺らいでいた。

 莉子は、そんな雪が放つ異常ともいえる威圧感に、ただただ圧倒されていた。


「PX-39……。合法麻薬の精製途中に出来た商品価値のない失敗作だけど……これ、すごいんだよ? 化学分析の段階で分かってるだけでその効果はヘロイン以上……中毒性もすっごいの♪ 一発でもキメちゃったらもうヤク中確実だよ? こんなの打ったら、どうなっちゃうんだろうね? 莉子っ……♪」

「う、そ……そ、そんなの、あたしに打つつもり!? 冗談……だよね……?」

「大丈夫だよっ……! 莉子が救いようがないヤク中になっても、わたしは最後まで面倒見てあげる……だから、ね? 一緒に、気持ち良くなっちゃお?」

「や、やだっ……! ふざけないでよバカっ! 雪っ! あんたおかしいよっ!! こんなことしたって、あたしは手に入らない……っ!! 目を醒ましてよっ!! 雪っ!!!」

「そんなことない……お薬の力を使えば、心も身体も簡単に手に入るもん……。莉子も、これさえキメちゃえば……わたしに愛して欲しくてしょうがなくなる。身体が疼いてたまらなくなる。わたしのことしか見えなくなる。わたしとちゅっちゅすることしか考えられなくなる。一生懸命わたしに媚びてお薬をねだって……そんな素直で可愛い莉子っ……♪ 想像するだけで興奮しちゃうっ♪ んふふっ♪ 変わり果てた莉子を、あの子が見たらどう思うのかな? 楽しみ……楽しみ過ぎるよ。うふふふふふふふふふふっ……♪」


 浮かれたように呟いて不気味に笑う雪は、もはや莉子が知る雪ではなかった。

 そこにいるのは、妄執と愛憎にとりつかれた哀れな少女。

 彼女は自らが作り出した悪魔の毒薬を、注射器に充填する。

 その毒針が狙うのは……かつて、彼女の親友を自負していた少女の腕。


「なんで!? 好きなら普通に告ればいいじゃん! どうして……っ、こんな強引なことっ……」

「……だって、わたし……莉子みたいに魅力、ないから……」

「え? な、なに言ってるの? 雪はあたしなんかより断然魅力的じゃん! ……おっぱい大きいし」

「気休めはやめて……自分のことはわたしが一番よく理解してるもの……。女の子のくせにこんなに背が高いし、可愛くないし、地味だし、暗いし、しつこいし、キモいし……この胸だって、まわりから珍しいものでも見るように目で見られて、大っ嫌い。莉子だって……こんな子に告白されても、迷惑でしょ? 莉子が使ったストローとかスプーンとか必死で集めたり、莉子の家のゴミを漁ってるような気持ち悪い子に告られて、莉子は嬉しい? わたしと付き合える?」

「あ、あんた……そんなことまでしてたんだ……」

「……ごめん」


 雪は、自分に自信が持てなかった。

 小柄な莉子に比べて長身な自分が嫌だったし、根暗で粘着質な行動ばかりしている己に自己嫌悪を抱かない日は無かった。

 いけないと分かっていても発作的に収集してしまう莉子の使用済みストローや割り箸のコレクションを眺めては、自分のダメさ加減を痛感し、こんな自分が愛してもらえるわけがないと、最初はなから諦めていた。

 それでも……いや、だからこそ渇望していた。

 莉子を。

 彼女からの愛を。

 故に雪には、もうこれしか選択肢は残されていなかった。

 この歪んだ気持ちが生み出した精神武装ミリタリアと、麻薬……これで、莉子の愛を無理やりにでも勝ち取るしか無かったのだ。


「あのね雪……、あたしは―――」

「そこまでですわっ! 霧島 雪っ!!」

「……っ!?」

「そ、その声はっ……! 亞璃紗っ!!」


 莉子がなにかを言いかけたその時、それを遮って聞こえてきた亞璃紗の声。

 見ると月明かりに照らされた障子戸に、彼女の姿が影となって映っていた。

 影はゆっくりと身構え……一閃!

 その斬撃は障子戸を吹き飛ばすように切り裂き、右手に白銀のブレイドを携えた……凛々しくも勇ましい彼女の姿を露わにした。


「剣 亞璃紗……他人ひとの家に土足で上がり込むなんて、無粋もいいところね……」

「あらごめんあそばせ。ですけど、無粋はお互い様でしょう? 麻薬こんなものを使って“わたくしの”莉子を篭絡しようだなんて」


 そう憤慨して、亞璃紗は小さなサボテンを投げつける。

 トゲの代わりに妙な出っ張りを生やしたそのサボテンは、身を起こして臨戦態勢に入った雪の足元に転がり込む。


「そのサボテンはこの家の敷地内のガラス温室で栽培されていたものですわ。見たことのない品種ですが……これはおそらくウバマタサボテン属、麻薬効果の高い成分を含んでいる危険な植物ですわよね?」

「……ご明察。それで? 言いたいことはそれだけ? ……だったらサッサと出て行って欲しいんだけど」

「よくもぬけぬけと……ッ! こんな汚らわしいモノを“わたくしの”莉子に飲ませるなんて……ッ! 下劣極まりないですわ!!」

「亞璃紗? それ言ったらあんただってあたしに利尿ハーブティーを飲ませた前科があるよね?」

「うっ……し、しかもっ!! 力にものを言わせて無理やり“わたくしの”莉子を押し倒すなんて……ッ! 恥を知りなさいっ!!」

「うんうん。3日前の亞璃紗に聞かせてあげたい台詞だよ」

「んもうっ! 莉子のいじわるっ! せっかく助けに来てあげたのにっ! バカっ!」

「あははっ、ごめんごめん」


 カッコ良く莉子を助けに来たはずなのに、その当人に茶化されては全く格好がつかなくなってしまった亞璃紗は、ぷんすかしながら地団駄を踏む。

 一方雪は、そんなふたりのやり取りを嫉妬に満ちた視線で睨み続けていた。


「“わたくしの”……? ……なにそれ。わたしを差し置いて恋人面? ……出会って1ヶ月も経ってないような“にわか”のくせにッ……!!!」

「亞璃紗っ! 危ない!!」


 雪の両手に煌く点火イグニッション

 間髪入れずに展開された毒々しい蜘蛛の脚が、部屋にあった箪笥を掴み上げ、亞璃紗めがけて軽々とぶん投げる。

 そのパワフルな投擲は、素人目に見ても即死級の破壊力を秘めていることは明白。


「噂の通り魔がどんな戦いを見せるかとちょっぴり期待してましたけど……存外、大したことありませんのね」


 しかし亞璃紗はそれを涼しい顔で出迎える。

 そして……ギリギリのタイミングで発動させた加速アクセルで、ヒラリとバックステップ。

 この程度の攻撃、加速アクセル使いの亞璃紗にとっては止まっているのと同義だった。


「っ……! ちょこまかとっ……! 死ねっ! 死ね死ねっ!! 死んじゃえっ!!!」


 そんな亞璃紗に対し、雪はムキになって辺りにあるものを手当たり次第に投げつけていく。

 勉強机、スタンドミラー、本棚……

 その全てを亞璃紗は軽やかに回避していく。

 結果、それらは亞璃紗の背後に広がっている和風の庭に叩きつけられ、破片が盛大に飛散する。


「あらあら、そんなに力んでもわたくしにはかすり傷ひとつ付けられませんわよ? さぁ……表に出なさい。お仕置きの時間ですわよ?」

「……ッ! その減らず口……ッ! 今すぐ黙らせてやる……ッ!!」


 雪は憤怒に満ちた瞳で亞璃紗を睨みつけながら、庭へと降りる。

 展開した4本の蜘蛛脚をピクピクと動かしながら。

 

「ちょ、ちょっとっ……! ふたりともやめ―――わわっ!?」


 今まさに殺し合いでも始めるかのような剣幕のふたりを制止するために、身を起こそうとする莉子。

 しかし、まだ薬が完全に抜け切っていないのかうまく身体に力が入らず、無様に転んでしまう。


「安心してください莉子っ。こんなキチガイ女、一瞬で片付けてあげますから」

「……莉子、少しだけ待っててね? 身の程知らずな泥棒猫を懲らしめたら、すぐ可愛がってあげるから……」

「なっ……! なに勝手なこと言ってんのよっ!! ふたりともサッサとそんな精神武装ぶっそうなものしまいなさいよっ!! 危ないじゃないのさっ!!」

「心配しなくても大丈夫ですわ。精神病院送りになるのは、そこの地雷女だけですから」

「殺しはしない……。合法麻薬の実験体兼慰みものとして、ウチで飼ってあげる……」

「面白い冗談ですわね……やれるものならやって御覧なさい?」

「……言われなくても」

「うそ……あんた達、ガチで闘うやるつもり……なの?」

「…………」

「…………」


 ふたりとも莉子の言葉に全く聞く耳など持たずに睨み合っている。

 ピリピリとした緊張感が、庭全体を支配していく。

 もう止められない。

 双方とも、絶対に譲れない戦いなのだ。

 雪にとっては亞璃紗さえ消えれば今夜中にでも莉子を自分の手中に収めることが出来るし、亞璃紗は亞璃紗でここで雪を始末しておけば将来に渡って安定して莉子を独占出来る。

 故に、お互い一歩も譲る気はない。

 どちらか一方が倒れるまで……この戦いは終わらないのだ。


「あたし……どうすればいいの……?」


 誰に訊くでもない莉子の力無い問いかけが、夜の空気に虚しく響く。

 彼女にとってのターニングポイント……

 その瞬間は本人の意思とは裏腹に、刻一刻と迫りつつあった。




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