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硝子造りの温室に佇むひとりの少女。
美しい黒髪が月光に照らされてキラキラと艶やかに輝く。
そんな硝子の城の姫君が愛でているのは、小さなサボテン。
広い温室内では見渡す限り……無数に、気が遠くなるほどおびただしい数のサボテンが、栽培されていた。
「ほぉ~……こりゃあまた、見事なもんじゃのぉ! 雪ぃ!」
「……父さん」
そんな幻想的な雰囲気に似つかわしくない、野獣のような風体の男。
身の丈2メートルはあろうかというその男の顔には、大きなサンマ傷が幾重にも縦断しており、額にはひときわ大きな星のような銃創まである。
明らかに堅気の人間ではない顔つき。
それもそのはず。
彼は指定暴力団・霧島一家5代目組長……霧島 虎十郎。
そう……雪の実家は、俗に言うヤクザであった。
「しっかし、こんなちっぽけなサボテンが飛ぶように売れるんじゃから、世の中分からんモンじゃのぉ」
「……もうっ、売り捌いてるのは父さん達なのに」
ヤクザとはいえ、シノギというものが必要である。
シノギとは、ヤクザが行う非合法な手段での金策を意味する。
一般的なヤクザのシノギといえば、飲食店に寄生して徴収するショバ代だったり闇金業であったり形態は様々である。
だが、霧島一家のシノギは少しばかり異色だった。
それは……合法的な麻薬の密売である。
麻薬なのに合法とは少し語弊があるかも知れないが、実は我々の身の回りには麻薬効果のある物が数多く存在している。
例えば、園芸用に流通しているチョウセンアサガオや、市販のDVDのレンズクリーナー、果てはバナナの筋にすら麻薬成分が含まれている。
その中から霧島一家が目を付けたのは、アメリカ先住民達の間で儀式用に用いられてきたとあるサボテンの野生種。
それは、違法薬物顔負けの幻覚作用をもたらすことで知られている強烈なものだが栽培が非常に難しく、とてもではないが田舎ヤクザの手に負える代物ではなかった。
栽培ですら手こずるのに量産など夢のまた夢と、誰もが霧島一家の試みを冷ややかに見下していた。
……が、あろうことか、ひとりの少女がアッサリとそれを実現させてしまった。
霧島 雪……
彼女は幼い頃からお手伝い感覚でこの繊細なサボテンの栽培に着手し、今では品種改良を重ねてより成長速度が速く、繁殖力が高く、強い薬効を持つ品種まで産み出すことに成功した。
植物……いや、薬物に愛される類稀なる才能というべきであろうか?
結果、霧島一家はこの合法麻薬の量産に成功し、大手を振って売り捌いているのである。
法外な値段で、大量に。
「がっはっは! いやぁ~雪が手伝うてくれとるおかげでよーけ儲かってなぁ! 父ちゃんまた新しい車買うたろー思うとるんじゃが……どうじゃ? ん?」
「父さん……? 無駄遣いは良くないよ……。それに……ベンツばっかり何台も揃えたら、悪趣味だよ……」
「いやぁ~、そんなこと言わんで、な? な? 今度のはニューモデルなんじゃ! 馬力がダンチなんじゃ! なぁ~ええじゃろぉ? 買ってもええじゃろぉ?」
「……だったら、わたしも欲しいものがあるんだけど……」
「んぉお?」
虎十郎は、雪の言葉にぴくりと眉を動かす。
普段物静かで、ほとんどわがままを言わない娘にしては珍しいおねだりに、父親として心が踊る。
「おおっ! ええぞええぞぉ! なんでも買ってやるぞぉ!」
「……ほんと? 嬉しいなぁ……」
雪は父の返事を聞いて、野菊のような柔和な笑顔を見せる。
虎十郎もその笑顔につられて汚い歯茎を見せてにんまりと微笑む。
「で? なんじゃ? なにが欲しいんじゃ? ベンツか? ロールスロイスか?」
「あのね……ちょっとだけ、設備投資をして欲しいの。小さな精製プラントが造れる程度でいいんだけど、ダメ……?」
「ほお……精製プラントか……」
別段不可能な話ではない。
サボテンマネーで潤っている霧島一家にかかれば、三流医薬品メーカー程度の研究用設備ならキャッシュで買い叩ける。
しかも、雪の趣味と薬物製造の実益を兼ねている。
合法麻薬の精製と量産……
もしもそれが実現すれば、日本の……いや、世界の麻薬界に革命が起きることは間違いない。
否、“もしも”ではない、雪の“才能”と“情熱”は本物だ。
満足な設備と時間さえあれば、この娘はとんでもないモノを作り上げてしまうだろう。
悪くない……いや、これは絶対にすべき投資だ。
虎十郎がそう思った矢先、雪はそんな彼の考えを見透かすように目配せする。
そして、小さく呟く。
「父さん、わたしね……? ……好きな人がいるの」
「…………へ? ゆ、雪? な、ななな、なにを突然―――」
「だからわたし、その人を……確実に堕とせる、素敵なお薬を作りたいの……」
「なん……だと……」
虎十郎はショックを隠せなかった。
鉄砲玉に鉄パイプで後頭部をかち割られたあの時よりも強い衝撃が、彼を襲った。
そんな……まだ早過ぎる!
一体何故!?
雪に悪い虫が付かないように、下らん男は徹底排除する監視体制を徹底してきたはずなのに!
一体どこの馬の骨が、わしの目を盗んで可愛い雪を誑かした……!?
許さんッ……!!
殺すッ……!!!
絶対にブチ殺したるッ……!!!!
虎十郎は愛娘を唆したであろう糞男の姿を勝手に想像し、憤怒の炎を滾らせながら心の中で吼えまくっていた。
「そんな不純な目的だけど……いい、よね……? 父さん……?」
「ぐッ……ぐぬぬッ……! そ、それはッ……!!」
「……なんでも買ってくれるって、言ったもんね……?」
「おッ……! おおッ……!?」
小さく首を傾げて、不安そうに呟く雪。
そんな健気な娘の姿に、虎十郎はガックリと膝から崩れ落ちた。
たとえ相手がレスラー崩れだろうが散弾銃を携えた鉄砲玉だろうが、冷や汗ひとつかかずに殴り倒してきた極道の親分とはいえ、娘のおねだりには勝てなかった。
これが、今から数ヶ月前……莉子が亞璃紗と出会う少し前に起きた出来事であった。
◆
◆
◆
「ふぅ~……なんだかんだ言って、堪能しちゃったよ」
苦手意識を抱いていたおしゃれな喫茶店・アントワネット。
しかし莉子は結局、美味しいコーヒーから濃厚でちょっぴりほろ苦いショコラまで思いっきり満喫してしまった。
普段、外食といえば安っぽい定食やラーメンばかり口にしていただけに、逆に新鮮だった所為か。
その新鮮さが、心の充足感に繋がっていたのだ。
「……ね? たまにはいいでしょ……? ああいうお店も」
「くっ! 悔しいけどっ……! 大満足だったよっ! あたしの完敗だよっ!」
「もうっ……なぁに? その小芝居」
胸に手を当てて気取った声色でそう叫ぶ莉子を見ながら、雪はくすくすと笑う。
人通りの少ない夜の住宅街に、ふたりの少女の声だけが静かに響く。
空には少し霞んだ、幻想的な居待月。
男女のカップルだったら、ここで手のひとつでも繋いだり、腰を抱いたりしてもいい雰囲気である。
雪はそれを察したのか、莉子のほうへ……そっと手を伸ばす。
あともう少しで、彼女の手を絡め取れる。
そう思った刹那……雪の淡い幻想は、軽快な電子音によって打ち砕かれた。
「っと、電話電話……ん? 亞璃紗から?」
「……っ!」
携帯にディスプレイされた発信者の名前に、ふたりの少女の胸がざわつく。
しかし、ふたりともそれぞれ気持ちの“色”が違う。
莉子は喩えるなら、期待と不安……そして、幾許かの羞恥に揺れ動く薄紅色。
対する雪の心は、冷え切った鉛のように重苦しい灰色であった。
少しだけ躊躇う莉子。
そして……まるで意を決したように、通話ボタンを……押す。
「……もしもし?」
『莉子っ! ……っ、良かったぁ。出てくれた……』
「え? な、なに? 亞璃紗? どうしたの?」
電話越しに、亞璃紗の感情が伝わってくる。
なにかを心配していたような、危惧していたような、そんな切羽詰った感じの声だ。
『莉子? そのっ……わたくし達、色々とわだかまりを抱えていますけど……とりあえず今だけ忘れてください。緊急事態なんです』
「べ、別にいいけど……緊急事態? 一体どうしたっていうの? そんなに慌てて、あんたらしくもない」
『だってだって! 莉子のことが心配でしたのっ! とっても心配でっ……ぐすっ』
「ああっ! わかったから泣かないで、理由を話して? ね?」
莉子は電話の向こうで今にも泣きそうになっている亞璃紗をなだめ、ゆっくりと情報を交換していく。
まずはお互いの現在位置の確認。
続いて、亞璃紗が拓也と同行していること、莉子が雪と同行していることをそれぞれ把握する。
そして……白川町に金曜の夜にだけ現れる凶悪な精神異能者・“蜘蛛”の存在……
「そっかぁ。それであたしのこと心配して電話してきてくれたんだ」
『いえ……わたくしは別にっ……』
「ありがとね、亞璃紗」
『……あ、あのっ! 莉子っ、わたくしっ……貴方にひどいこと―――』
「待った。その話は合流してからにしよ? あたしも、雪を送って行ったらすぐそっちに向かうから」
『……はいっ。……あのっ』
「ん? なに?」
『えっと……き、気を付けてくださいね? 莉子っ』
「うん。そっちもね」
『はいっ……それじゃあ、例の場所でお会いしましょうねっ♪』
上擦った声がスピーカー越しに聞こえる。
そんな亞璃紗の声をもう少し聞いていたかった莉子は、名残惜しそうに通話を切る。
少し前まで弁当で散々中2だのキス魔だのと罵っていた相手だというのに、結構自然に亞璃紗と話せていた。
それがなんだか心地いいやら気恥ずかしいやら……
莉子の心は、そんなむずかゆい気持ちでいっぱいだった。
「ふぅ。さてと……んじゃ雪、送ってくよ」
「…………」
「? 雪……? どうしたの?」
雪は先を促されたが、微動だにしない。
どこか口惜しそうな面持ちで、莉子の足元を見つめている。
「……莉子。わたしを送ったら、あの子のところへ行くの……?」
「えっ……? あの子って、亞璃紗のこと?」
「…………」
莉子の言葉に、小さく頷く雪。
「うーん……まぁ、ちょっとトラブルっていうか、なんて説明したらいいんだろ……」
「……“蜘蛛”って、なに?」
「うえぇ!? き、聞こえてたの!?」
「……うん。あの子の声……なんだか必死だったし……」
「え、えーっと……“蜘蛛”ってのは……」
なにも知らない雪に蜘蛛の精神異能者のことをなんと説明すればいいのやら、莉子は頭を抱える。
まさか「雪っ! 悪い超能力使いっぽいのがこの街を徘徊してるの!!」なんて言えるわけもない。
こんな厨二病全開な妄言、言えるわけがない。
絶対引かれる。
かわいそうな子扱いされる。
しかし、聞かれてしまったからには答えなくてはいけない。
「んーっと、ええっと……“蜘蛛”っていうのはー……ほ、ほらっ! 最近この街を騒がせている変質者っ! 怪人・蜘蛛男のことだよっ!!」
「……変質者?」
「そうっ! 変質者っ! し、知らない?」
とりあえず“蜘蛛”については変質者扱いしておこう!
実際間違ってないし、これなら雪も納得するよね!?
そんな安直な考えで、今この街で起きていることを簡潔に説明しようと試みる莉子。
「なんでも、雪みたいな可愛い女の子ばっかり狙うっぽいから気を付けてーって、亞璃紗から連絡が来たんだよっ!」
「…………」
「……な、納得、してくれた?」
「…………」
「あ、あれー? 雪……さん?」
無言の雪。
それだけではない。
目が、恐ろしく据わっている。
その表情は、冷淡……いや、冷徹と言ったほうが正しいだろうか。
莉子はこの表情の雪を見たことがある。
幼い頃……莉子は一度だけ、彼女に嘘をついたことがある。
それはとても些細な嘘だった。
些細過ぎて今となっては思い出すことすら出来ないが、莉子はとにかく嘘をついた。
幼い雪は、それが許せなくて……莉子が泣いて謝るまでずっとこの表情で睨み続けたのだ。
「……なんとなく、説明しづらいってのは分かるよ? でもね……? 嘘は、ついて欲しくなかったな……」
「ゆ、雪……? な、なんで―――」
その先の言葉を紡ぐのを、莉子は一瞬だけ躊躇った。
なんだか嫌な予感がする。
さっきから首筋の辺りがゾクゾクして仕方がない。
この質問をしてしまったら……なにか、取り返しのつかないことが起こる気がする。
だが、莉子には自分自身の心の内から溢れる好奇心を、抑えることが出来なかった。
「なんで、あたしの言葉が嘘だって……そんなにはっきりと断言出来るの……?」
「…………それはね? ―――わたしだから」
「え……っ? ゆ、雪……? あんたなに言って―――!?」
最初に見えたのは、指先に灯った青白い炎。
それから、月に照らされる、雪のシルエット。
雪の女性らしい魅惑的な曲線。
その曲線の、最もくびれた部分……腰の部分から生えてきたのは、まるでタランチュラを彷彿とさせる毒々しい4本の、脚。
身の毛もよだつグロテスクな脚を湛えた雪の表情は、今までに見たこともないくらい……恍惚としていた。
莉子の目に映った彼女の姿……それは幻覚だろうか?
―――いや、違う!
青白い炎、そして……彼女の腰の後ろから生えている身の毛もよだつ禍々しい蜘蛛の脚。
それは紛れもなく、精神武装。
霧島 雪……彼女は、精神異能者だったのだ。
「……蜘蛛男じゃなくて、わたしのことを呼ぶなら……そう、蜘蛛女って……呼んで……?」
「雪、ど、どうして……? それ……精神武装、でしょ……?」
「ふふふふっ……これが見えるってことは、やっぱり莉子も覚醒てたんだっ、あははっ……♪」
莉子はショックだった。
まさか、親友であるはずの雪が……虫の一匹すら殺せないような雪が……凶悪な精神異能者の正体だったなんて。
「嬉しいなぁ……♪ これってやっぱり……運命だよね? ふたり揃って精神異能者だなんてっ……♪ ね? 莉子?」
「あ、あのさ、雪? 実は、あたしだけじゃなくて……亞璃紗も精神異能者なんだけど……」
「……どうして」
「え……?」
「どうしてそこでっ……!! あの子の名前が出てくるのっ!?」
「ちょっ! 雪っ、お、落ち着―――」
亞璃紗の名を聞いた瞬間、雪は激昂する。
そして、繊毛がふんだんに生えたその蜘蛛の脚をするすると伸ばし、莉子を器用に抱き寄せようとする。
対する莉子は、その脚を加速を駆使して緊急回避しようとするが―――
「……っ!?」
動けない。
それだけではない。
視界までもが、ぐにゃりと歪む。
そして襲い来る、不思議な高揚感と多幸感。
平衡感覚も徐々に消え失せていく。
身体に力が入らず、全身を心地良い脱力感に覆われ、ただただ雪のされるがままに……抱き寄せられる。
「ふふっ……ようやく“効いてきた”みたいだね……莉子?」
「な……なに……これ……?」
「……莉子のコーヒーに、薬を混ぜたの。大丈夫、死にはしないから。むしろ……れろっ」
「ひゃっ!? や、やだっ……! ちょ、ちょっとっ、雪っ、やめっ……っ!」
精神武装の脚で抱き上げられている莉子は、薬の作用のせいで満足に抵抗も出来ない。
それをいいことに、雪は無防備な莉子のうなじに舌を這わせる。
「だめっ……! ゆきぃ、お願いっ……やめてっ……!」
「ちゅっ、んちゅっ……。くすっ、莉子のうなじ……しょっぱくて美味しいっ……♪」
「なっ、だめっ、やだっ、やっ! っ……! 雪っ、やめてよぉ……」
「ふふふっ……とぉっても、気持ちいいでしょ? 蕩けちゃうでしょ? この薬はね? 身体が思うように動かなくなる代わりに……身体の感度が数倍になるんだよ……? ね? すごいでしょ……?」
「す、すごくないよバカっ! ど、どうしてこんなことっ……」
莉子はとめどもなく押し寄せてくる不自然に強烈な快楽信号に、脳が焼けそうになる。
首の周りを這いずり回る雪の舌の感触に、身体が大きく跳ねる。
自分の意思とは反して身悶えしてしまう身体……
莉子はそれが悔しくて恥ずかしくて、仕方がなかった。
「どうしてどうしてって……莉子ったら、さっきからそればっかり……。……ホント、お気楽だよね。わたしの気も知らないで……」
「えっ……? そ、それってどういう……」
「わたしが精神異能者になったのも……こんなお薬を持ち出したのも……全部全部っ、莉子が悪いんだから……」
「あ、あたしの……せい?」
「そう……全部、莉子のせい……」
切なそうな表情でそう呟いた雪の言葉に、莉子の心は引き寄せられる。
雪がこんな凶行に走った原因が自分に……?
しかし、莉子には全く身に覚えがない。
だが、かと言って雪の表情を見る限りでは、嘘をついている素振りは全くない。
おぼろげな記憶の糸を手繰り寄せようしたところで、雪の次なる口撃が……莉子の身体に襲い掛かる。
「……だから、莉子は黙って、わたしを受け入れなきゃダメなの……。……はむっ」
「ひゃっ!? なっ!? 雪っ!? ななななな、なにしてるのっ!?」
「はむはむ……莉子の耳、食べてるの」
「そ、そんなの食べちゃダメっ!」
「……ダメじゃない。莉子の可愛い耳、食べるの……れろっ」
「や、やだぁ……っ! ホントっ、ダメっ……! ぁ……っ! だ、めぇ……」
「……んちゅ、れろぉ……ちゅっちゅっ、ちゅぱっ……ぺろぺろっ……。ふぅ~、莉子の耳っ、柔らかいねっ……」
「っ! ふっ、……ぅ、やっ、やだっ、き、きもちわるいっ、やめてっ、やだっ……やだよぉ……」
亞璃紗とは違った、絹のようになめらかで長く生暖かな舌と、柔らかで肉厚な唇が……莉子の耳をちゅぱちゅぱと弄ぶ。
その淫猥で水っぽい音は圧倒的な性的刺激と共に、莉子の鼓膜を、脳髄を、激しく揺さぶる。
「ふふふふふふっ……♪ 気持ち悪い? 莉子ったら、嘘が下手だね……? 本当は……その逆のくせに……♪」
「っ!? ち、ちがっ! ちがうよバカっ!! こ、こんなのが、きもちいいわけ―――」
「そう? だったら……もっと食べちゃうねっ……♪ はむっ♪ ちゅっちゅっ……ちゅっ、れろれろぉ……んっ♪」
「う゛っ……!? っ~~~~~~~~!! っ……! はっ……ぐっ……!」
雪は楽しそうに微笑みながら、強情な態度を崩さない莉子を堕とそうと、夢中で彼女の耳に攻撃を仕掛ける。
薬物で研ぎ澄まされた神経では、常人でも1分と持たずして根を上げるほどの刺激……
しかし莉子は耐えた。
今にでもだらしない声をあげてしまいそうな口を、必死に噤み、理性を保とうと……無言の抵抗を試みる。
だが、薬物の侵食は莉子の健気な拒絶を嘲笑うかのように快感を増幅させ、明らかなトリップ状態へと誘い始めていた。
もう……限界。
そう悟った莉子は、咄嗟に自らのポケットに手を伸ばす。
ほとんど動かなくなったその指で、必死に携帯のボタンを探る。
そして……指先に伝わってきた確かな手応え。
リダイヤル!
「はぁーっ……はぁーっ……。っ……雪っ……、あんた……っ、最低だよ……友達に薬盛って、精神武装で捕まえて……こんな酷いことするなんて……」
「ふふふふふふっ……この程度で酷いだなんて……。莉子ったらホント、お子様だねっ……」
「あ、あたしのどこがお子様だってのさっ!」
「……莉子? わたしは、これで終わりにするほど……ピュアじゃないよ……?」
「なっ……!? あ、あああ、あんた……! そ、それって―――」
「うふふふふふふふふっ……♪ 蜘蛛はね? 捕らえた獲物を巣に持ち帰って……ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて食べるんだよ……? 知ってた……?」
「ね、ねぇ雪……? じょ、冗談……だよね……?」
「莉子、覚悟してね……? わたしのお家に着いたら……て・ん・ご・く♪ 見せてあげるからっ……くすくすっ♪」
「……っ!」
耳に、雪の柔らかで妖しい声が響く。
長い舌で下品に自らの唇をなぞる雪の姿……それは淡く輝く居待月に照らされ、とても蟲惑的に見えた。
おかしい……どうして……?
こんなに綺麗で、こんなに素敵で、あたしなんかとは比べ物にならないくらい女の子らしい雪が……
男の子にだってすっごくモテてるはずなのに、どうしてあたしなんかに……こんなこと―――
薬と快楽によって途切れかけた思考で、莉子は必死に考えを巡らせた。
しかし、その答えが出ることはなかった。
精神武装の蜘蛛脚によって器用に抱きすくめられた莉子は、さながら蜘蛛に捕らえられた芋虫の如く様相で運ばれていく。
そんな無力で哀れな芋虫莉子が、最後に残した希望……
その希望は、彼女のポケットの中にあった。
ポケットの中で、莉子と雪……ふたりの会話の一部始終を、電気信号へと変換してひとりの少女が手にする携帯へと発信し続けていた。
◆
◆
◆
「……っ! わたくしとしたことが! あんな近くにいたのに、気付けなかったなんて……っ!」
亞璃紗は携帯を握りしめたまま、狼狽していた。
数秒前まで、その携帯から……大好きな莉子と、忌々しい霧島 雪のやりとりが実況中継されていたのだ。
そして……このふたりの短い会話から判ったことが、3つある。
ひとつ、“蜘蛛”と呼ばれる精神異能者の正体。
電話の向こうで莉子は雪を指して、確かに『精神武装』と口走った。
そして……それを肯定するかのように、雪は自らのことを『蜘蛛』と呼称した。
つまり、霧島 雪は蜘蛛の形状をした精神武装を展開することが出来る精神異能者であることは明白。
迂闊だった。
あんな身近に精神異能者が潜んでいたなんて、考えもしなかった。
……いや、彼女の正体に気付くチャンスはいくらでもあったはずだ。
亞璃紗はその機会を悉く逸していた己を、心の中で激しく叱責した。
冷静に考えれば単純な話である。
莉子の交友関係を考えれば、彼女と親密な人間などたかが知れている。
そのなかでもひときわ異彩を放っていたのが雪だった。
莉子以外の人間に対しては要介護レベルのコミュニティ障害を披露するくせに、莉子に対しては異常なまでの執着を見せ、おまけにあの根暗で陰気な性格……
雪は明らかに心を病んでいた……精神異能者として覚醒する資格を有するほどに。
おそらく、莉子を同調覚醒者に仕立て上げたのも……雪だ。
あれほどあからさまだった雪に、亞璃紗はなぜ気付けなかったのか。
非常に気になることではあるが、今は考えないことにした。
ふたつ、莉子の危機的状況。
今の莉子は、雪によって怪しい薬物を盛られ、おまけに精神武装によって拘束状態にある。
なにより許せないのは、莉子を食べ物扱いしていることだ。
霧島 雪がどんな淫行を行っているかは定かではないが、このままでは大事な大事な莉子が性的な意味で食べられてしまう。
それは、亞璃紗にとっては死活問題である。
何故ならこの剣 亞璃紗、莉子の前では猫を被って自重しているものの、胸の内では莉子の所有権は自分にあるものだと思い込んでいるのだ。
絹のように触り心地のいい素肌も、あのおしゃべりな唇も、ほのかな汗の匂いも、描写すると発禁指定される部位も……全部自分だけの為に用意された宝物だと本気で思っているのだ。
そんな独占欲の強い亞璃紗が、雪の侵略行為を黙って見過ごせるだろうか?
否! 見過ごせるわけがない!!
では、どうするのか?
みっつ、雪の行き先。
その解答は2秒足らずで弾き出すことが出来た。
悪の巣窟……霧島邸に乗り込んで、莉子を救出する。
もちろん、邪魔する者はすべて排除する。
霧島邸といえば、この辺りでも有名な指定暴力団の総本部であるが、そんなことは今の亞璃紗には関係ない。
大好きな莉子を助けに行ってなにが悪い?
邪魔をするならたとえ武装したヤクザが相手でも、神速で両断すればいいだけのこと。
多少時間はかかるだろうが、ヤクザの根城など凶刃・ブレイドの敵ではない。
亞璃紗はわずか数秒でそう結論付け、一路霧島邸を目指す。
「待てよブレイド!」
「……あら、まだいましたの?」
そんな彼女を呼び止めたのは、西山 拓也。
彼は性懲りもなく莉子に会う為だけに、よせばいいのに亞璃紗にくっ付いて来たのだ。
「『まだいましたの?』じゃねーだろ! テメェ……マジで霧島一家に乗り込むつもりかよ」
「もちろん、そのつもりですけど……なにか?」
「霧島一家は、マジモンのヤクザだぞ? 喧嘩慣れした組員が何十人と詰めてる……テメェは策もなしに蜂の巣をつつく気でいるのか?」
「今は策を労している時間なんてありません。早く莉子を救出しないと―――」
時間さえあれば警察機関と連携を取るなり、強力な武器を用意するなり、いくらでも安全で確実な策を練ることが出来る。
しかし、事は一刻を争うのだ。
とてもではないが、そんな余裕はない。
押っ取り刀で駆けつける他ないのだ。
「だったら……俺も行く!」
「はぁ? 貴方が? ……冗談は顔だけにしてください」
「な、なんだとぉ!? テメェ……!」
「精神武装で戦うならまだしも、貴方……一般人には精神武装は使わない主義でしたわよね? そんな体たらくでどうやってヤクザと戦うおつもりですの?」
「うぐっ……!? そ、それは……そうだが……」
「わたくしに瞬殺されるような足手まといのくせに、出しゃばらないでくださいな」
「っ……! た、確かに俺は、精神異能者としては三流だっ! けどっ!! けどなぁ!! そんな俺でも、囮役くらいなら出来るッ!! だから頼むッ! 俺も連れて行ってくれ!!」
「貴方……正気ですの? 不良相手の喧嘩とは規模が違いますわよ……?」
「一之瀬には、借りがある。それに、あいつはいい女だ。身体張る価値は十分にある……そうだろ?」
そう言いながら親指を立てる拓也に対し、亞璃紗は苦笑いを浮かべて……呟く。
「うわー……気持ち悪いですわー……」
「ちょっ! ど、どこが気持ち悪いってんだよ! 俺今結構いいこと言ったぜ!?」
「まずその『俺ってカッコいいだろ?』とでも言いたげなドヤ顔が気持ち悪いですわ。それに、キスすらしたこともない童貞が『いい女』とかいうフレーズを背伸びして使ってるのも滑稽です」
「おいバカやめろ! 真顔で貶されると結構凹む……って、ど、どどど、童貞じゃねーから俺ッ!!」
「どこが気持ち悪いか聞いてきたのは貴方じゃないですか」
「ほとんどテメェの偏見じゃねーかッッッ!!」
「まぁ貴方がチェリーなのはこの際致し方無いとして……」
「だから他人をさくらんぼ扱いすんじゃねーよッ! つーかテメェ一之瀬の前でそういうこと言ったらマジでキレるかんな!?」
「真面目な話……わたくし、貴方を捨て駒扱いしますわよ? それでもよろしくて?」
「へっ、愚問だな。それこそ俺の役回り……捨て駒上等だッ!」
「ふふっ……いいお返事ですわっ! では行きますわよっ、チェリーハンズ!」
「だからそのさくらんぼ認定やめろって!!」
かくしてふたりは駆け出した。
たったひとりの少女を救い出す……ただそれだけの為に。




