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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
蜘蛛女(アラクネ)
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プロローグ




 幼いころの彼女は、良く言えばおとなしい。

 悪く言えば引きこもりがちであった。

 それは特殊な家庭環境も帰依していたのかもしれない。

 彼女の父は、若くしてこの世を去った母の生き写しである一人娘を猫可愛がりしまくりであったし、家から一歩も出すことなく部下の男衆を動員して24時間体制で警護に付かせる徹底ぶり。

 まさしく箱入りと呼ぶにふさわしい。

 そんな彼女の唯一の楽しみといえば、もう顔すら覚えていない母が生前贈ってくれた絵本を読むこと。

 彼女にとってそれはお気に入りの絵本。

 何度も読み倒したせいで、ページが所々脱落しかけていたり、端が折れ曲がっていたりともうズタボロ。

 それほどまでに、少女はその絵本が大好きだった。

 お話の内容はとってもシンプル。

 悪いドラゴンに捕まった女の子が、剣と魔法で戦うカッコいい王子様に救出されて、そのまま結婚しておしまい。

 なんともチープな童話であるが、幼い彼女にとっては夢とロマンス溢れるとっても素敵なお話だった。


「……わたしも、すてきな王子様に会いたいな……」


 日本人形のように黒く艶やかな髪を湛えた少女は、意外にもロマンチストだった。

 しかし、こんなお屋敷に引きこもっていてはガール・ミーツ・ボーイな展開など起こるわけが無い。

 だからと言って、この厳重な警戒網を潜り抜けられるか?

 おそるおそる、目の前の障子戸を数センチだけ開ける。


「お嬢、どうかしやしたか?」

「っ……! な、なんでもないっ……」


 すぐさま顔にサンマ傷のある男が現れた。

 ダメだ。

 こっそり抜け出すのは難しい。

 ならどうすればいいか。

 ……

 ………

 …………

 ポク ポク ポク チーン。


「こっそりがダメなら……堂々と抜け出しちゃえばいいんだ」


 すぐさま少女は衣装箪笥からよそ行きの服を引っ張り出す。

 今から外出するのが当然のように振舞ってしまえば、もしかしたら抜け出せるかもしれない。

 少女はそう考えたのだ。

 そして、その予想は見事に的中した。

 自分の頭で考えて行動することを知らない若い男衆は、毅然とした足取りで玄関に向かう少女を首をかしげながら見送ってしまった。

 彼女はおとなしそうな顔をして、意外にも大胆不敵であった。







 かくして少女は鳥籠から飛び出した。

 澄み渡る青い空。

 ちぎれて流れる白い雲。

 日向ぼっこする犬。

 ところどころさび付いた公園遊具。

 すべてが新鮮であり、目新しいものに見え、ついつい浮かれてしまった。

 ……そして、不条理にもその小冒険の代償を支払うことになる。


「おまえは俺たちの秘密基地に無断で入った! ふほーしんにゅうだ!」

「ふほーしんにゅうだ!」

「ふほーしんにゅうは、しけいだ!」

「……秘密基地って……ここ、公園だよね?」


 少女が迷い込んだ児童公園。

 そこは不運にも、悪ガキの溜まり場であった。

 絵本を抱えた少女は、あっという間に3人の男の子に取り囲まれて、謂れの無い糾弾を受ける。


「けんちゃん、こいつどうする?」

「しけいだよねけんちゃん!」

「バカ! オレのことは司令官と呼べ!」

「……もう帰っていい?」


 少女は聊か失望していた。

 これが男の子……?

 全然カッコよくない。

 乱暴だし、鼻水垂らしてるし、寄ってたかって女の子いじめてるし……

 ……もう、最低。

 そう思いながら、少女は3人に対して軽蔑の眼差しを向けていた。


「なんかこいつ、生意気だな!」

「うん! 生意気だ!」

「縛っちゃおうぜ!」

「よし! 縛って人質にしよう!」

「……え?」


 その言葉の意味を理解するよりも早く、彼女の身に細いひもが絡み付く。

 それは、公園にうち捨てられていたゴムなわとびだった。

 ゴムなわとびは彼女の手首に食い込み、近くにあったジャングルジムに括り付けられる。


「っ……痛いっ、痛いよっ……!」

「はははっ! ざまーみろっ! 悪は滅びるんだ!」

「けんちゃん! こいつこんなの持ってたよ!」

「司令官と呼べって言ってんだろ!? って、なんだこれ。うわっ、ボロい絵本」

「っ……! やあっ! か、返してっ……!」


 取り落としてしまった大切な絵本。

 それを悪ガキに取り上げられ、少女は必死に身をよじる。

 しかし、彼女の腕力ではゴムひもを引きちぎることなど出来るわけもなく、擦れて皮膚を傷つけるだけであった。


「お願いっ……返してっ、返してよぉ……」

「うわっ、こいつすげー必死。きもちわりー」

「こんなボロ絵本がそんなに大事なのかよ、だっせー」

「ま、俺たちに心から謝るなら返してやってもいいけどな」

「そーだ! 謝罪しろよ謝罪!」

「しゃーざーい! しゃーざーい!」

「ぐすっ……っ、うぅっ……」

「なんだよ! 泣いてないでサッサと謝れよ!」

「せーいを見せろよ! せーいを!!」

「早くしないとこの本、破いちゃうぞ!?」

「っ……ぅ……」


 暴力によって虐げられる苦痛。

 箱入り娘だった彼女にとって、その感覚はあまりにも酷なものだった。

 しかも、その苦痛を与えている諸悪の根源に対して、頭を下げなくてはいけない屈辱。

 彼女にだって幼いながらもプライドがある。

 それをこんな粗暴な連中に踏みにじられるかと思うと、悔しくて涙が止まらなかった。

 ……だが、背に腹は変えられない。

 亡き母から貰った大好きな絵本を守るため……少女は、泥をかぶる決意をする。


「ご、ごめ―――」

「そんなやつらに謝っちゃダメだっ!!」

「っ!?」


 少女の言葉を遮る声。

 その場にいた4人の視線が、声のした方向……ジャングルジムのてっぺんに集まる。

 逆光に照らされたシルエット。

 ド派手なお面と白マント。

 そしておそらくオリジナルであろうファイティングポーズをキメた子供が、そこに佇んでいた。


「あぁん!? なんだおまえは!」

「怪しいやつだ! 名を名乗れ!」

「名を名乗れ!」

「悪者に名乗る名前などない! とうっ!!」


 そう叫ぶや否やジャングルジムの上から果敢にもダイブ。

 自分よりひとまわりも大きな悪ガキ3人衆に向かって繰り出されたのは、空中殺法・ムーンサルトプレス。


「……王子様っ」


 王子様は、いた。

 絵本の中だけの存在ではなかった。

 剣ではなく、延髄斬りをかましているけど。

 魔法ではなく、シャイニングウィザードをかましているけど。

 彼女だけの王子様が……そこには確かに存在していた。


「いでぇ~~~! いでぇよぉ~~~!!」

「うわぁ~~~ん! おが~~~~ぢゃ~~~ん!!」

「ぐすっ、ち、ちきしょーーー! おぼえてろよーーー!!」

「それは無理だ! ボクはバカだからすぐ忘れる! わっはっはー!!」


 傷だらけの泥まみれで敗走する悪ガキどもを見送りながら、勝利のポーズを決める子供。

 近くで見ると、その子が装備しているお面は紙製の手作りで、マントはシーツの切れ端。

 お粗末なお手製ヒーロー……しかし、少女にとっては最高のスーパーマンだった。


「大丈夫? 今なわを解くからね」

「うんっ……ありがとう……」


 優しい声と、いたわるような手つき。

 見ればその子の身体にも所々すり傷が出来ており、血が滲んでいた。


 素敵……

 あんな男の子達とは全然違う……

 こんなになってまで、わたしを助けてくれた……

 強くてカッコよくて、とっても優しい、わたしの王子様……

 これは運命……

 そう、きっと運命なんだよ……


 取り戻してもらったボロボロの絵本を抱きしめながら、少女は頬を染めて微笑む。

 ここまでは、どこにでもありそうな典型的なガール・ミーツ・ボーイ。

 普通であれば、ここから少年と少女の甘く切ない恋物語が始まってもおかしくないし、おそらく少女もそんな夢のような展開を期待していたに違いない。

 しかし、現実は無常にして無慈悲であった。


 なぜならその子は―――




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