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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
ブレイド
20/45

6




 燦々と降り注ぐ朝陽に照らされて、金色の髪がキラキラと輝いている。

 傍から見れば、それはとても美しい光景であろう。

 しかし、メイド服姿に身を包んだ莉子は、そんな彼女を見て小さなため息をつく。

 剣家ご令嬢専属メイドとしての初仕事。

 それは―――


「はぁ……ほら亞璃紗っ! いい加減起きなって! もう8時だよっ!?」

「んん~、あと1時間だけ……むにゃむにゃ……」

「1時間って……あんたねぇ、早く起きないと遅刻するよっ!? 学校とかあるでしょっ!?」

「ふぇ……? んふふっ♪ わたくし、学校には通ってませんわぁ……」

「え……? 学校に行ってないって……あんた歳いくつ?」

「あらあら、レディーに年齢を聞くなんて無粋ですわね~」

「ていっ、ていっ」

「きゃっ! やだっ、もうっ♪ 痛っ! 莉子っ、痛いですわっ♪」


 冗談を言ってはぐらかそうとする亞璃紗を、莉子は手近にあった枕でどつき回す。

 そのクッションラッシュに、亜璃紗はとても楽しそうな悲鳴をあげる。


「ったくもう! あんただってあたしと同い年くらいなんじゃないの?」

「くすくすっ、ハズレ♪ 莉子より2歳年下ですわ♪」

「なっ……! 2コ下ってことは……じゅ、じゅうよんさい?」

「生意気な年下は、お嫌いですか?」

「い、いやっ……嫌いとかそういうんじゃなくて……」


 悪戯っぽく微笑みながら、ゆっくりと起き上がって身を乗り出す亞璃紗。

 莉子はその好意と嗜虐心が入り混じった視線を直視することが出来ず、ドギマギしながら目を泳がせる。

 その末に目が行ってしまったのは……


「むぅ……14でこの発育の良さ……」


 莉子はそう呟きながら、改めて亞璃紗の頭のてっぺんからつま先までを改めて見つめなおした。

 見れば見るほど中学生にあるまじき身体つき。

 それを目の当たりにし、えもいわれぬ敗北感に打ちひしがれて思わず片膝をつく莉子。


「ま、負けたっ! ハーフ恐るべし……!」

「なんだかよく分かりませんが、勝っちゃいました」

「って! そうじゃないっ!! 14っていったら中学生じゃんっ! 義務教育はどうしたのさっ!」

「別に行く必要なんてございませんわ。GEDは10歳の頃に取得しましたから」

「じ、じーいーでぃー?」


 General Educational Development。

 高校を卒業するのに等しい学力であると証明する試験制度である。

 幼少の頃から優秀な家庭教師のもとで勉学に励み、10歳になる頃にはGEDの試験をパスしていた彼女にとっては、学校の授業などもはや児戯に等しかった。


「ああもうっ! とにかくっ! GEDだかDDTだか知らないけどっ! 学校は行かなきゃダメだよっ!」

「どうしてですの?」

「どうしてって……んーと、ほらっ! 友達とか出来るし……」

「わたくしは莉子がいるだけで満足ですわ♪」

「どっかの誰かさんみたいなこと言わないでよー!!」


 腰に手を回して抱きついてくる年下のお嬢様を尻目に、頭をわしゃわしゃしながら莉子は絶叫する。

 弁の立たない莉子では、この小悪魔を説得することは困難を極めていた。


「はぁ……もう学校のことはいいから、せめて朝ごはんくらい食べてよ」

「朝食ですか? ……もしかして、莉子が作りましたの?」

「味は保障できないけどね。てか、あんたいっつも朝食食べないんだって? セバスさんから聞いたわよ?」

「莉子がわたくしの為に朝食を……」

「朝食はしっかり食べてかないと、午前中でヘバちゃうし……って、聞いてる?」


 聞いていなかった。

 亞璃紗は今、想い人が自分の為に朝食を作ってくれる喜びに身を震わせるのに忙しく、それどころではなかった。

 その表情から普段の凛々しさはひとかけらも存在せず、だらしない笑みを浮かべていた。


「うふふっ……んふふっ♪ そのお食事はもちろん、莉子が『あーん♪』してくださるのですよね?」

「するわけないでしょ!!」

「えーっ! やだやだぁ! 莉子が『あーん♪』って食べさせてくれなきゃヤですわっ♪」

「ホント表裏のギャップが酷いなぁこの子は!!」


 腰にくっついたまま、子供のように駄々をこねる亞璃紗。

 莉子は彼女をズルズルと引きずりながら、ダイニングルームを目指す。

 そこには、莉子お手製の厚焼き玉子、味噌汁、トマトサラダ、焼き鮭などの朝食が並んでいた。


「まぁ! なんてお粗末な食事ですの? 庶民の方々はこんな囚人食みたいなのを毎朝食べておいでなのですか?」

「粗末な囚人食で悪かったわねっ! 食べたくないなら下げちゃうからっ!」

「ああっ! 待ってくださいっ! もうっ、冗談ですわよっ、冗談っ♪」

「ったくもう……」


 莉子がおかずを取り上げようとするのを見て、亞璃紗は慌てて弁解する。

 軽口をいて莉子の困った顔を見るのは大好きだが、彼女の手料理を堪能する優先度のほうが勝っていた。

 

「それでは、頂きます」

「はいはい……どうぞ召し上がってくださいませ、お嬢様」

「…………」

「? どうしたの? 食べるんじゃないの?」

「莉子、『あーん』してくださいなっ♪」

「自分で食べて」

「口移しでもいいですわよ?」

「怒るよ?」

「んもう、忠誠心の低いメイドですわねぇ……はむっ、もぐもぐっ……あら、美味しい♪」


 亞璃紗は手近にあった厚焼き玉子に噛り付く。

 ほどよい甘みと微かに舌を撫でる塩味、そしてほんのりとした旨味をもたらすだしの香りがたまらない。

 高級料亭のような繊細で格調高い味では決してない。

 しかし、その気さくで落ち着く味わいは、まさに作り手の人格そのものだった。

 亞璃紗は改めて、その厚焼き玉子を口に運ぶ。

 ……美味しい。

 これを、莉子がわざわざ自分の為に作ってくれたのだと思うと、胸がきゅうっとなる。

 亞璃紗は生まれてこの方、母親の手料理というものを食べたことが無かった。

 当然だ。

 親元にも祖父母の邸宅にも、専属の料理人がいたのだから。

 しかし、この歳になってようやく味わうことが出来た。

 世間で言うところの『おふくろの味』というものを。


「……莉子?」

「ん? どうしたの? 卵のカラでも入ってた?」

「いえ……その、こ、これからもずっと、わたくしの為に朝ごはんを―――」

『♪~ ♪~』


 亞璃紗の言葉は、突如鳴り響いた軽快な音楽にかき消される。

 それは知る人ぞ知る外人レスラーの入場テーマ。


「あ、ごめん。あたしの携帯だ」


 一体どこのどなたですの?

 わたくしと莉子の、甘く素敵なひとときを邪魔するなんて……無粋もいいところですわ。

 そう思いながら、騒音の元凶である莉子の携帯を怨めしそうに見つめる亞璃紗。


「もしもーし。あ、雪? ウィー!」

「な、なんですの? その変なハンドジェスチャーは……」

「えー? 知らないのー? ……あ、ううん、こっちの話……え? 家の前まで来てる? あーごめんっ! 今家にはいなくて……え? どこって?」

「…………」

「んー……友達の家なんだけど」

「っ……!?」

「分かってるって。遅刻しないようにダッシュで行くから。うん、うんっ! そいじゃ学校でね、ばいちゃー」


 通話を終えると、莉子は携帯をポケットに仕舞う。

 その様子を、亞璃紗はジト目で睨んでいた。


「……随分、仲の良いお友達みたいですわね」

「え? うん、まぁね。雪って子で、もう10年来の付き合いになるかな? お互いハナタレの頃から友達だったし」

「へぇ……彼女とは同じ学校に通われてらっしゃるのですか?」

「そうだよ。それがどうかしたの?」

「いえ、そのっ……莉子? 今日は……学校行くの、やめにしませんこと?」

「……はい?」

「で、ですから……学校なんか行かないで、今日はずっとわたくしと一緒に……」


 潤んだ瞳で莉子を見つめながら、亞璃紗はそう呟く。

 その視線はなんとも弱々しく、莉子の母性本能をひどく刺激する。


「だっ、ダメだよっ、学校はちゃんと行かないと……あたしってほら、ただでさえ成績良くないしさ」

「成績なんて気にすることありませんわっ! 就職も進学も、莉子のことならぜーんぶわたくしが面倒見て差し上げますし、絶対に不自由させませんから……だからっ、ね?」

「き、気持ちは嬉しいけどっ、自分の道は自分で決めたいから……」

「ううっ……莉子っ、ひどいですわっ……伴侶であるわたくしを置いて学校に行ってしまうなんて……」

「は、伴侶ってのはもう決定事項なんだ……てか、もう行かないと遅刻しちゃうんだけど……」

「わたくしと学校、どっちが大切ですのっ!?」

「なんで昼ドラの新妻みたいなこと言ってんの!?」


 そう叫びながらも、涙目ですがりつく亞璃紗を引き剥がせずにいる莉子。

 愛情というものは、時として重篤な病に成り得る。

 莉子は無自覚ながらもこの年下主様に、もうすっかり情が移ってしまっていた。

 この後、行く行かないで行かねばならぬの三文芝居じみたやり取りが遅刻ギリギリまで繰り広げられたのは言うまでもない。

 






 高層マンションの窓辺から、地上を見下ろす亞璃紗。

 制服姿に身を包み、駆け足で去っていく莉子が見える。

 ここからではまるで豆粒のようにしか見えないが、亞璃紗にとってはとても大きな存在。

 学校に行く為とはいえ、莉子が離れて行ってしまう……

 莉子が見えなくなった途端、亞璃紗は胸がしめつけられるような嫌な感覚を覚える。

 気がかりなのは、あの電話の主。

 あんなにフレンドリーな雰囲気の莉子は見たことがなかった。

 しかも、莉子ときたらよりにもよって自分のことを単なる『友達』呼ばわり……


「……誰かを好きになるって、楽しいことばかりではありませんのね」


 先ほどまでの素敵で柔らかな気持ちなど欠片も残っていない。

 まるで麻薬の禁断症状のような、辛く苦しい孤独感。

 そして、焦燥感と……ささやかな嫉妬心。

 それらの感情がぐちゃぐちゃになりながら、彼女の心をかき乱していた。


「セバスチャン……?」

「ここに……」


 小さな声で呼ばれたにも関わらず、音もなく現れる白髪の老人。


「……わたくし、社会勉強というものをしてみたくなりましたの。すぐに手配出来るかしら?」

「は。5分ほどお待ち頂ければ……」

「ええ、お願いしますわ」


 セバスチャンの答えを聞いて満足そうに頷く亞璃紗。

 そして彼の背後から、亞璃紗専属の仕立て屋が見計らったかのように現れる。


「ふふっ♪ どんなサプライズを用意してあげましょうか……♪」


 亞璃紗はまるでいたずらを思いついた子供のように、クスクスと微笑みながら思惑を巡らせていた。




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