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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
シザーハンズ
14/45

12




「う……っ……」

「あ、やっと起きた……おはよう、西山」

「ん……? 一之瀬、奴らは?」

「とっくにしっぽ巻いて逃げたわよ」


 莉子が見守るなか、拓也はぼんやりした声をあげながら静かに覚醒した。

 まわりがやけに暗いせいで視界が定まらず、状況の把握がうまく出来ない。

 当然だろう。

 もうとっくに陽は沈んでいたのだから。


「……なぁ一之瀬、ひとつ聞いていいか?」

「ん? なに?」

「どうして俺を助けたんだ? 俺はおまえに、あんな最低なことをしたのに……」


 拓也は思い詰めたような口調でそう切り出す。

 莉子の顔を見上げながら、苦虫を噛み潰したような面持ちで。


「えー? どうしてって……そんなの知らないわよ。身体が勝手に動いちゃっただけだし……」

「……は? し、知らないって、おかしいだろそりゃ! なんか目的とか、理由みたいなのがねーのか!? 本当になんにも考えないで飛び込んできたっていうのか!? ゲス野郎の俺を助けに! 怪我までして!」

「ひとを助けるのに、理由って必要なの?」

「いや、そ、そういうのはっきりしとかねーと、なんかモヤモヤするんだよ!」

「んー……そう言われてもなぁー……」


 あっけらかんとする莉子に対して、拓也は声を荒げる。

 しかし、莉子はそんな高等な考えなど持ち合わせておらず、本当に身体が勝手に動いてしまっただけなのだ。

 理由などあるわけがない。

 仕方なしに小さく唸りながら、程度の低い頭で彼が納得するような理由を考える莉子。

 そして、なにかを思いついたのか嬉しそうに微笑む。


「そうだねー……もし理由があるとしたら、きっとあんたのお母さんと同じ理由だったのかもね」

「っ……!」


 その言葉を聞き、拓也の顔が赤くなった。

 あの時……振り下ろされた釘バットの一撃から、莉子が身を挺して庇った時。

 拓也は一瞬、幼い日に見た母の最期の姿と莉子がダブって見えてしまった。

 ありえないことなのに。

 大好きなママが助けに来てくれたのだと、本気で思ってしまった自分が恥ずかしかった。


「納得してくれた?」

「……あぁ、よくわかった」

「うんうん。じゃあそろそろ退いてもらえるかな?」

「は? 退くって……あ゛っ!?」


 拓也は今の自分の状況を冷静に分析して、顔を耳まで赤くした。

 違和感はあった。

 なぜ莉子の顔と夜空しか視界に映っていなかったのか。

 後頭部に敷かれたこのすべすべした程良い弾力のものは何なのか。

 答えは簡単、膝枕である。

 莉子は気絶した拓也の目が醒めるまでずっとこうしていたのだ。


「わ、悪りィ! すぐ退―――」

「それとも、まだ殴られたダメージが残ってるとか? だったら寝ててもいいけど……」

「…………」


 そんな莉子の無防備な言葉を聞き、拓也の動きが止まった。

 ひょっとすると、今なら仮病っぽく振舞っていれば甘え放題ではなかろうか?

 そんな邪な考えが閃いてしまった。


「西山?」

「あー……そ、そうだな。なんかまだ頭が痛い気がするな、うん」


 よし、ちょっとウンウン唸りながらあと10分くらいこうしていよう。

 ママが生きてた頃は毎日のように膝枕してもらってたし、このくらい別にいいよな?

 一之瀬の太もも、ママよりすべすべだな。直に触ってみたいな。

 そんな邪念がみるみるうちに膨らんできたところで、聞き覚えのある声に水を差される。


「よくそんな見え透いた嘘がつけますわね、汚らわしい」

「なっ……!? テメェは、ブレイド……!」


 半ば呆れながら、鼻の下が伸びきった拓也の顔を覗き込んで呟いた少女。

その透き通った声の主は、拓也にとっては忌むべき女。

自分と莉子の間に割って入ってきたお邪魔虫・剣 亞璃紗だった。


「一之瀬さん、気を付けてください。彼、貴女の太ももに興奮していますわよ?」

「えっ!?」

「だぁーーーっ!! ち、違うぞ一之瀬っ! 誤解だ!!」

「なにが誤解なものですか。わたくしが精神修復リカバリしましたのよ? 貴方にはもうダメージなんて残っていないはずですが、違いまして?」

「うっ……ぐ……」


 確かに、拓也が負った精神的ダメージはほとんど回復していた。

 それもそのはず。

 数十分前、亞璃紗は拓也の精神修復リカバリを莉子に懇願され、嫌々ながら行っていたのだ。


「まったく、仮病を使ってまで膝枕を堪能しようだなんて、一之瀬さんを洗脳しようと連日街を徘徊していた変質者は格が違いますわね」

「おいィ! テメェなに適当なこと言ってんだよォ!!」

「西山、とりあえずあたしから離れてくれないかな?」

「い、一之瀬! お、俺をそんな目で見ないでくれっ! それはマジで誤解なんだ!!」

「“それは”? では仮病の件は誤解ではないということですのね?」

「あんた……そんなにあたしに膝枕して欲しかったの?」

「うぐぐっ……と、とりあえずその話は置いといてくれないか……?」


 莉子の訝しげな視線に耐え切れなくなった拓也は、名残惜しそうに立ち上がって呟く。

 そんな拓也の様子を今にも笑いだしそうな表情で眺める亞璃紗。

 彼女はたった数コンタクトで彼の弱点に“アタリ”をつけ、的確に弄んで楽しんでいた。


「た、確かにここ2~3日は一之瀬を探してたけど、でもそれは洗脳しようとしてたとかじゃねーんだ! マジで信じてくれ!」

「むー……じゃあなにをしようとしてたの?」

「……一言だけ、詫びを入れときたかった。一之瀬、お前に」

「え……? 詫び……?」

「ああ……あの時はマジで悪かった。つい魔が差したというか、衝動的にあんなことしちまって……」


 一転して真剣な眼差しでそう切り出してきた拓也の声に、莉子はハッとした。

 自分の母にそっくりの健気で愛らしく、ちょっと間の抜けた少女。

 ママ大好きな拓也がそんな美味しそうな獲物を、むざむざと見逃すはずがない。

 それはまさに、飢えた獣が無警戒に草を食むウサギに牙をむく理屈と同義……まさに衝動的な凶行であった。

 しかし、一晩置いて冷静に考えて、気付いた。

 自分の身勝手さ、欲望のままに暴走した己の心根の弱さに。

 そして、愛する母に似た女の子を傷つけてしまった、罪の重さに。


「すまん一之瀬ッ!! 許してくれッ!!」

「うわっ! ちょ、ちょっとやめてよ西山っ! あ、頭上げなって……」

「ダメだッ! お前が許してくれるまで、俺は絶対に頭を上げねーぞッ!!」

「えーっ!?」


 拓也は芝の上で潔く土下座の姿勢を取り、莉子の前に跪く。

 他人から土下座されるという未知の体験をして大いに取り乱す莉子に対し、亞璃紗はつまらなそうに拓也を見下ろしている。

 一般家庭で育った莉子と違い、亞璃紗は土下座などとうの昔に見飽きていたのだ。

 土下座なんてつまらない。

 亞璃紗はそんなものよりもっとコミカルで、ヴァイオレンスなものが見たかった。


「一之瀬さん? 彼……いい加減鬱陶しいですし、サッサと殴り飛ばして帰りませんこと?」

「う、うん……そうしたいのは山々なんだけど、反省してる子を叩くのは気が引けるというか……」

「でしたら、許してあげるかわりに一発ぶん殴るってのはいかがです? それなら西山くんと一之瀬さん、おふたりの利害が一致しますわよ?」

「へ……?」

「そうだな、それで一之瀬の気が済むなら安いもんだ。さあやってくれ!」

「え? え? ちょ、ちょっと待ってよぉ!」

「まぁまぁ、本人がああ仰ってるんですし、腹の立つことでも思い浮かべてガツーンとやっちゃいなさいな♪」

「は、腹の立つことって言ってもなぁ……」


 莉子は逡巡する。

 拓也に対して燃やしていた怒りの炎は、頭を下げられたこともありとうに消え失せてしまっていた。

 その燃えかすを掻き分け、火種を探す。


「んー……」


 探す。


「うーん……」


 探す。


「……あ」


 そして、見つける。

 明確なる怒りの火種を。

 莉子が忘れ去っていた記憶の片隅……そこで燻っていた小さな怒りの炎は、彼女が思い出したその瞬間、息を吹き返したかのように燃え上がり、一気に豪炎と化した。


「思い出したわっ……あんたのせいでっ……あんたのせいでっ!! ナウシカ見逃しちゃったじゃないのさっ!! バカっ!!」

「ぐはッ!? そ、そんな理由かよッ!」

「そんな理由!? あたしにとっては大事なことなのっ、よっ!!」

「げふっ!? んなモン録画でいいじゃねーか……」

「はぁ!? 録画ぁ!? リアルタイムで観るのがいいんじゃないのさっ! そんなこともわかんないなんて信じらんないっ! 死ねっ!!」

「ごふぅ!?」


 拓也の顔面を殴打する莉子のテレフォンパンチ。

 その強い怒りと拒絶の意思を明確に示した一撃は、莉子の心に刺さっていた精神的断片クラスタを除去するには十分な衝撃だった。

 何発かいいのを貰って地面に倒れ伏す拓也。

 そんな彼に見向きもせず、莉子は不機嫌な面持ちで踵を返した。


「剣さん、こんなバカほっといてもう行こっ!」

「は、はいっ……くすくすっ……♪」

「ま、待ってくれ一之瀬……せ、せめて携帯の番号を教え―――」

「お断りよこのマザコンっ!!」

「そ、そんな……がはっ」

「ぷぷっ……な、ナウシカっ……」


 莉子に気付かれまいと必死に笑いをこらえる亞璃紗だったが、拓也の情けない声を聞いて笑いの限界点を超えたのか、ついに肩を震わせて吹き出す。

 しかしそれは仕方のないことだったのかもしれない。

 たかがテレビ番組が観れなかった程度で憤慨する女子高生と、そんな彼女に一蹴されるマザコン男。

 こんなにアホ臭くて愉快なショーを観たのは生まれて初めてだったのだから。


「一之瀬ぇ~……」


 その声は、もう莉子には届かない。

 つい数分前まで、女子高生の生足をたっぷりと満喫していた拓也。

 しかし今、彼はじゃりじゃりとした雑草生い茂る砂利枕の上に捨て置かれている。

 その凋落ぶりは、まるで人の世の移ろいの儚さを体現した縮図のようであった。




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