11
「おい一之瀬、脚から血が……」
「そんなの分かってるわよ。気にすると痛むから言わないで」
「あ、ああ、すまん……でも……」
「でも、なに?」
莉子の脚からとめどもなく流れ出る赤。
その傷は、素人目でも縫合が必要だと判るほどの深さだった。
「おまえはもう休んでろ。その怪我じゃ、どっちみち……」
「はぁ? あんただって精神異能者としてまともに戦える状態じゃないんでしょ? 知ってるんだからね」
「そ、そんなことねーぞ! 俺ぁまだまだいけるぜ、見ろよホラ!」
拓也は莉子を安心させようと、自らの精神武装を展開してみせる。
……が、その精神武装はあの夜に見せた大きく禍々しい大鋏ではなく、その大半が欠損した貧相なものであった。
「……う」
「ぷっ、あははっ。なにそれ」
「しょ、しょーがねーだろ!? ブレイドの野郎にやられたダメージがまだ回復しきってねーんだよ……」
「駄目じゃん」
「あたっ! って、こんなんでも新参者のおまえよりはマシだってーの!」
莉子は苦笑いしながら拓也の脇腹を小突いた。
脚をやられた新参者と、精神武装の大部分が欠けた精神異能者。
相対するのは10人以上の武装した不良、そして―――
「ぶふふっ! 聞いたんだな! 聞いたんだな!! 新参者……ぶふっ!! おまえ、新参者だったのかなんだな!!」
「な、なによっ! だったらなんだってのよっ!!」
「ぷぷっ! 『だったらなに』って? それが分かればもうおまえらなんて怖くないってことなんだなッッ!! いでよっ!! 最強の精神武装ッ!! フロッグマーーーーン!!」
そう叫ぶや否や、卯太郎の右手が点火の炎に包まれる。
青白い炎はすぐさま大きく燃え上がり、彼の全身が緑色をしたグロテクスな外皮に覆われる。
ひときわ目を引くのが、ぬるぬるとした粘着液が滴る不気味な腕。
その指先には両生類のような大きな吸盤、拳骨部はごつごつとした石のようになっていた。
「うわっ、なにあれグロっ!」
「あれが奴の精神武装・フロッグマンだ……あのぬるぬるした皮膚のせいで生半可な打撃は一切通じねぇぞ!」
「アンタのその刃こぼれしたハサミは?」
「……まぁ、この腕じゃ無理だろうな」
拓也は苦笑いを浮かべてそう呟く。
自分の左腕に展開された見るも無残に刃こぼれした精神武装を見つめながら。
◆
◆
◆
「おおっ! ついに卯太郎様がお戦いあそばせるぞ!!」
「見れる……! 卯太郎様の、サイコパスの喧嘩が……!!」
「あのー……先輩達、なんでそんなに興奮されてるんスか?」
「サイコロなんとかってのは一体どういう―――」
「へへ……そうか、おめぇらはまだ新入りだから知らねぇのか……サイコパスという言葉の意味を!」
「そ、その声は藤田さん!」
「もう立っても大丈夫なんスか!?」
「ああ、なんとかな……」
新入り不良の疑問に答えるべく立ち上がったのは、腕力に定評のある男・藤田だった。
致命的な一撃を貰って再起不能に陥ったかに思えた彼だが、持ち前のタフネスさで脅威の復活を遂げていたのだ。
「これは卯太郎様からお聞きした話なんだが、この世には俺らの頭じゃ理解出来ねぇ強さを秘めた喧嘩師、その名も砕虎覇師ってのがいるんだよ……!」
「さ、砕虎覇師!?」
「くッ……! 名前からして強そうだぜッ!!」
もちろんこの砕虎覇師とは卯太郎の作った造語である。
精神異能者のすごさを偏差値の低い不良にも分かりやすく、かつ自らの自尊心を満たそうと過度に誇張した結果、こうなったのだ。
故に彼らは『サイコパス』という単語を過剰に恐れ、畏怖する。
「もしかして……卯太郎様もその砕虎覇師なんスか……!?」
「そう! 卯太郎様は砕虎覇師の超パワーによって、我が岩工を統一した御方、俺らのヒーローだぜぇ!!」
「え!? じゃあ卯太郎様がご出陣あそばされたらもう、俺達の勝ちじゃないっスか!!」
「そういうことだ! というわけ野郎ども! 卯太郎様を全力で応援するぞーーー!!」
「おおーーーっ!!」
「がんばれ卯太郎様ぁ~~~~!!」
「ファイトです卯太郎様ぁ~~~~!!」
頭の悪い観衆の声援に応えるように、卯太郎は大きくガッツポーズしてみせる。
「ぶふふっ! この軍勢と僕様の最強精神武装、対するおまえらはボロボロの精神武装に新参者……うぷぷっ! これはもう僕様余裕の大勝利なんだなッ!!」
「そ、そんなのっ……やってみなきゃわかんないでしょっ!?」
「ぷぷーっ! そう思うならかかってくるといいんだなッ! 一発くらいならサービスで殴らせてやるんだなッ!!」
「っ……! 上等じゃないっ!!」
「バカやめろ一之瀬っ!」
「加速っ!!」
莉子は右脚の怪我も忘れ、衝動的に加速で駆け出す。
衝動的……まさに衝動的な加速だった。
卯太郎の自信満々の顔と、その挑発的な態度を見ていたら、ついカッとなって飛び出してしまった。
鉄砲玉。
今の莉子は目標に向かって飛び出し、ただぶつかっていくだけの弾丸と化していた。
「ぶふっ!? は、速いんだなッ……!」
「食らえっ! 加速パンチっ!!」
加速パンチ……
それは右手の点火と、腕の筋肉の加速を複合させることで実現したマシンガンジャブ。
今の莉子が繰り出すことのできる最大の攻撃だった。
「けど、それだけじゃ僕様のフロッグマンには勝てないんだな!!」
「っ!? き、効いてない……!?」
だが、この高速ブローはフロッグマンの装甲によってすべて受け流されていた。
莉子がその事実に気付いたとき、当の卯太郎はすでに右の拳を握りしめ、反撃の一撃を振り抜こうとしていた。
「ぶぷぷぷっ! ぶぁーーーか! 今度はァ!! 僕様のターンなんだなッッ!!!」
「避けろ一之瀬っ!!」
「やばっ―――」
精神武装・フロッグマン。
その最大の特徴は優れた防御機構にあった。
ぶよぶよとした外殻、それを覆う粘液、そして卯太郎自身のほぼ球体に近い体格。
それらは高い防御力をもたらすが故に、卯太郎は安心して目の前の敵をぶん殴ることにのみ集中出来る。
「ふんッ!!!!」
「ぐっ……!」
莉子は咄嗟に両手を前面に出して防御する。
かろうじてボディのガードは間に合ったが、ウェイトの乗った一撃が両腕に命中。
カウンター気味に入ったその打撃は強烈で、軽々と莉子を吹き飛ばす。
「一之瀬っ!!」
「……ったた。効いたぁ~」
「バカ野郎っ! だから言っただろ! あいつに打撃はタブーだ! 全部受け流されちまう!!」
「ううっ……イケると思ったんだけどなぁ……」
そう呟きながら、拓也に抱き起こされてよろよろと立ち上がる莉子。
フロッグマンによる攻撃を一身に受けたその両腕の感覚は既に無く、莉子の意識は朦朧としていた。
「ぷふー! もうおまえはおしまいなんだな! サッサと降伏するなら、命だけは助けてやるんだな!! そのかわり……」
「な、なによ……」
「ぐふふっ! おまえ、よく見ると結構可愛いんだなッ!」
「っ……!」
卯太郎は莉子を舐め回すような目つきで見ながら、舌なめずりをする。
そのいやらしい視線に悪寒を覚えた莉子は、咄嗟に拓也の後ろに隠れる。
「テメェ……! 一之瀬をどうするつもりだッ!!」
「ぷふっ!! そうだなぁ~、洗脳して僕様のペットにするなんてのはどうなんだなぁ~~~~!」
「この豚野郎ッ! 調子に乗りやがってッ……!! ぶっ殺してやるッ!!」
「ちょっ、西山っ! あんたさっき、その腕じゃ無理って言ったばっか……え?」
声を荒げて卯太郎に殴りかかろうとする拓也の袖を、莉子は慌てて掴む。
それに気付いて振り返った拓也の顔は思ったほど歪んでおらず、むしろなにかを“覚悟”しているようにさえ見えて、莉子は一瞬困惑した。
「……一之瀬、あとは頼んだぜ」
「なっ……あんた、一体なにするつもり……?」
「へへ、なぁに……ちょいと身体を張るだけだよ。おまえにも迷惑かけたしな」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! そ、それって―――」
拓也は不敵に微笑んだかと思うと、腰を低くして左手の精神武装を構え、駆ける。
対する卯太郎は軽く右の拳を握って待ち受ける。
圧倒的な安心感、とてもリラックスした気分で、拓也の攻撃を待ち受ける。
拓也の左腕に展開された大鋏の出来損ないには、フロッグマンを切り裂くほどの攻撃力が残されていない。
それ故に卯太郎は、拓也の攻撃を待ってからカウンターを仕掛ければいいだけだったのだ。
「オラァ!!」
「ぶふっ! こんな楽な戦いは、ないんだなッ!!」
「ぐッ……が、あ……!」
「西山っ!!」
案の定、拓也の攻撃はあっけなく弾かれ、動きが止まったところに卯太郎のボディブローが刺さる。
腹部への強烈な一撃。
物理的なダメージ、そして精神に直接響く激痛が拓也の身体に襲いかかる。
「どうなんだなッ! 僕様の最強精神武装の味はァ!!」
「……へっ、こンなもん……屁でもねぇよ……」
「強がり強がりィ! 脂汗がすごいんだな! ぶふっ! ぶふふっ!! シザーハンズの西山 拓也もいよいよ年貢の納め時なんだなッ!!」
卯太郎は下品に笑いながら、拓也の腹部に拳骨をグリグリと押し当てる。
自分の鼻をへし折った憎い男が苦しむ様を間近で眺めることが出来て、彼は今最高に気分が良かった。
しかも、その後には名前も知らない少女……デザートが待っているからたまらない。
拓也にリンチを加えた後は、じっくりと彼女を嬲ってやろうと舌なめずりをしていると―――
「おい豚郎ちゃんよぉ……その名前、なーんか引っかからねーか?」
「はぁ……?」
「俺の精神武装・シザーハンズって名前、ちょっとおかしいと思わねーかって言ってんだよ……」
「なにがどうおかしいんだな? ハサミみたいな手だからシザーハンズなんだな!」
突然問いかけられた質問に、卯太郎はなんの疑問も抱かずにそう答えた。
シザーハンズ……その名の通り、ハサミの形状を模した―――両手。
「へっ……テメェみてぇなバカには、言ってもわかんねーだろうなァ!!」
「な、なんだぶッ!? ぐッ……ぐおッ……!?」
卯太郎の目元をかすめる銀の閃光。
一瞬だけ視界に写ったもの……それは拓也の“右手”に展開された、小さなハサミ型の精神武装。
「ぎゃあああああ!!! ぼ、僕様の顔ッ!! 顔がああああーーーー!!!」
「両手に展開出来るからシザーハンズなんだよこの糞豚野郎ッ!!」
右手から繰り出されたシャープな斬撃は卯太郎の顔を横断するように刃を滑らせ、フロッグマンの外皮を切り裂いた。
それは拓也の秘策、奥の手、いざというときにしか見せない最後の切り札。
切れ味は鋭いが、その短い刃渡りは肉迫した至近距離でないと真価を発揮出来ない。
故に捨て身。
故に身体を張った大勝負だったのだ。
「ふ、ふふふ、ふざけるんじゃないんだなッ!! この糞DQNがァ!!」
「がっ……!!」
精神武装で切りつけられた痛みを倍返しするかのように、拓也の頬に体重の乗った卯太郎の拳がめり込む。
素人丸出しのパンチであるが、精神武装で覆われた拳骨の直撃は精神力を大いに奪う。
拓也の意識が霞むほどに。
「へ、へへ……ざまぁみやがれ。俺達の勝ち……だ」
「は? お、お、おおお、おまえ、頭悪いんだなッ! 寝言は寝ながら言うんだなッ!! ど、どう見たって僕様の圧倒的有利じゃ……」
ふらふらとよろけながら不敵な笑みを浮かべてそう呟く拓也。
あと数秒もしないうちにダウンしてしまうかというほどに弱った彼の言葉に、卯太郎は妙な胸騒ぎを感じていた。
『俺達の勝ち』……? 『俺達』とは誰のことか……
ふと、先ほど殴り飛ばした少女のことが脳裏をよぎる。
右脚を怪我し、フロッグマンの一撃で両腕を痛めた小柄な少女。
今更あんな戦力外の新参者など、脅威ではなかった。
そう、脅威ではなかった。
……はずだった。
「寝言どうか、その目で確かめなさいよっ!!」
「ぶふっ!? お、おまえ……! そ、そんな身体でなにをしようっていうんだなッ!?」
倒れゆく拓也の影から飛び出したのは、一之瀬 莉子。
右脚を引きずりながらのぎこちない足取り。
精神武装で受けた精神的ダメージのせいでダラリと垂れ下がった両腕。
そんな状態の少女が、この鉄壁のフロッグマン相手になにが出来ようか。
いや、出来る。
たとえ腕が使えず、脚を負傷していたとしても。
「こうすんの……よっ!!」
「ぷぎゃ!?」
それは頭部による顔面への打撃攻撃。
俗に言う頭突き。
英語ではヘッドバット。
韓国語でパチキである。
「ぷぎぃーーーー! は、鼻がッ! な、な、なんでこんなに痛いんだなッ!? フロッグマンは!? 僕様無敵の精神武装・フロッグマンだったらこんな頭突きなんか痛くも痒くもないはず―――」
「あんた……さっき西山にどこを攻撃されたか、覚えてないわけ?」
「え? そ、そりゃあ顔をこう真横に……あっ!!」
卯太郎はようやく気付いた。
浅い斬撃しか繰り出せない右手のシザーハンズでの奇襲。
あれはこの頭突きへの布石……卯太郎の顔から、フロッグマンの外殻を引き剥がすためのものでしかなかった。
結果、今の卯太郎の顔はまったくの無防備。
フロッグマンがもたらす圧倒的防御力の庇護を受けていなかった。
「ちきしょおぉ!! ふ、ふふふ、ふたりがかりで、ひ、卑怯なんだなッ!!」
「はぁ!? あんたこそ、不良達使って西山ボコらせてたじゃないのっ……さっ!!」
「ぷぎ!?」
卯太郎が繰り出す大振りなパンチをスウェーバックで回避し、その反動を利用してもう一度卯太郎の鼻っ柱へ頭突きをかます莉子。
それは強烈なカウンター攻撃となり、卯太郎の脳をシェイクする。
意識が飛びかけ、ふらつきだした彼を見た莉子は、反撃の好機とばかりにラッシュをかける。
もちろん頭突きで。
「おまけにあたしの脚までこんなにしてっ!!」
「はぎゃ!?」
「ペットにするだのなんだのっ!!」
「ぶひぃ!?」
「寝言ぶっこいてんのは……」
「は……が……ぼ、ぼくしゃまの……は……な……」
「あんたのほうでしょーーーがっ!!!」
「ぶひぃぃぃぃい!? い……い……イ……」
鼻血を噴出しながら、卯太郎の小太りボディは雑草生い茂る地面へと、沈んだ。
異常技能でも、精神武装でもない、卯太郎は少女の頭突きで気絶した。
精神武装の防御力に頼りきっていた彼は、それだけ打たれ弱かったのだ。
「はぁーっ! はぁーっ! ……っ~~~~ィイエスっ!! ざまーみろっ!!」
ついに片足に力が入らなくなり、片膝立ちになった莉子。
それでもなお勝利のガッツポーズを決める彼女の姿を見届けて、拓也は静かに目を閉じる。
「へっ……バカなおまえなら、やると思ったよ……」
それは頭突きのことか、はたまたガッツポーズのことか。
意識がまどろみだした今の拓也に聞いても、おそらく答えは返ってこないだろう。




