桜の駅で、また……「また、桜の季節に」
朝の空気はまだ少し冷たかった。
それでも、駅へ向かう足取りは妙に落ち着かなくて、何度もポケットの中で手を握りしめた。
今日、彼女が町を出る。
そのことを知ったのは昨日の夜だった。
「来なくていいよ」
そう言われた気がして、行くべきかどうか迷った。
けれど、行かなかったらきっと後悔する。
そんな予感だけは、やけに強かった。
改札を走り抜けホームに立つと、ちょうど春の風が吹き抜けた。
舞い上がった桜の花びらが、ホームを流れていく。
その花びらの先。
ホームの端に彼女は、いた。
小さなキャリーバッグをそばに置き、どこか遠くを見るような目をしていた。
声をかける勇気はなかった。
ただ、見送るためにここに来た。
電車が滑り込み、扉が開く。
彼女が乗り込む姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
——あの日の約束、覚えてるかな。
夜桜の下で言った言葉。
「絶対、帰ってこいよ」
あれは半分冗談で、半分本気だった。
扉が閉まり、電車がゆっくりと動き出す。
そのとき、窓の向こうで彼女がこちらを見た。
驚いていた。
来てほしくなかったのかもしれない。
でも、来てほしかったのかもしれない。
彼女の目が、少しだけ揺れていた。
その揺れが、自分の胸の奥にも同じように広がっていく。
そして、彼女は窓を開けた。
春の風が彼女の髪を揺らし、桜の花びらがひとひら車内へ吸い込まれていく。
「行ってくるね」
声は聞こえなかった。
けれど、唇の動きで分かった。
彼女が大きく手を振る。
思わず迷った。
手を振り返すべきか、ただ見送るべきか。
けれど次の瞬間、体が勝手に動いていた。
ゆっくりと、手を上げる。
電車は速度を上げ、彼女の姿が少しずつ遠ざかっていく。
それでも、胸の奥には確かに残っていた。
——また、桜の季節に。
彼女がそう呟いた気がした。
いや、きっと自分がそう願ったのだ。
風が吹き、桜の花びらがひとひら、足元に落ちた。
彼はそっとそれを拾い上げ、ポケットにしまった。
いつか、また会えると——。




