祝女
「どんな地域にも一人はそういう人いるじゃないですか」
知り合いの伝手で紹介してもらったFさんという女性が教えてくれたのは、彼女の地元にいる”祝女”と呼ばれる、いわゆる街の名物的な存在だった。
その女は上下の黒スーツという出で立ちで、一見すれば何の変哲もないOLといった見た目なのだが、名物たり得る理由がいくつかある。
『おめでとうございます』
彼女はすれ違う人間に唐突に深くお辞儀をして祝福の言葉を伝えるのだという。
「ただそれだけなんですけどね。知らない人にいきなりおめでとうなんて言われるの、なかなか気持ち悪いもんですよ」
Fさんも一度だけ、彼女から祝福を受けたという。
十年以上も前の出来事なのに、いまだにその時の記憶は強烈に残っているという。
*
彼女との遭遇はFさんが中学二年の頃だった。
その頃から都市伝説のように噂には聞いていたが、見たことのない自分からすればやはり空想上の存在という認識だった。
しかしその日は唐突に訪れた。
嫌々通っていた塾の帰り。すっかり日も暮れた中、自転車で家路に向かっていた。さっさと家で休みたいと思っていた足を赤信号に阻まれイライラしながら待っていた。
かつ、かつと近くから足音がした。
車が行き交う交差点ながら時間帯もあって歩行者は少ない。Fさんは音の主に視線を向けた。
黒い髪、黒いジャケット、黒いシャツ、黒いスカート。
全身を覆う黒に反して、顔、手、足といった露出した肌の部分は明るく感じる程に白かった。
一目見た瞬間に直感的にまずいと感じた。
視るべきではないものを見てしまった。すぐに視線を逸らすが、足音は初めから狙われていたかのようにまっすぐとこちらに近づいてくる。
ーーやめて、来ないで。
信号を無視して進みたいところだったが、交通量がそれを許さなかった。願いも虚しく彼女はFさんのすぐ横でぴたりと足を止めた。
「おめでとうございます」
とても落ち着いて澄んだ、それでいて深みのある耳心地のよい声。Fさんは思わず彼女を見た。
お辞儀。腰を九十度にまで曲げ、深く丁寧に頭を下げた女の姿があった。
不思議な事にFさんは思わずその姿に見惚れてしまった。それほどまでに品のある厳かな姿だった。
そのせいでFさんは逃げ遅れた。
その後強烈に記憶に残り続ける恐怖を目にする事になってしまった。
女がゆっくりと身体を起こしていく。
そのままいけば間違いなく女と間近で目が合ってしまう。分かっていながらFさんはその場から動けなかった。先程までの魅入られるような引力とは全く違う。その時には既にFさんは正気に戻っていた。彼女を縛り付けたのは言い知れぬ圧倒的な恐怖だった。
どうして自分は逃げなかった。
どうしてこの女に距離を許した。
どうして私の足は動かない。
後悔と恐怖の沼に足を取られ身動きのとれないまま、ついにFさんは女と対面した。
Fさんは悲鳴すらあげられなかった。
女は笑っていた。
口元を少し緩めた優しい微笑み。それを見た瞬間、Fさんの中に生じた強烈な違和感が一瞬にして全身に渦巻いた。
あまりに女の笑顔に生気も温度もなかった。まるで張り付けたような笑顔だった。
まるで。そうじゃない。本当に張り付いている。
張り付く、でもない。この女の顔は、何だ? ようやくそこで気付いた。
女の顔は女自身のものではなかった。頭からすっぽり被るタイプのラバー製のマスクだった。
女はFさんをじっと見つめた後、何事もなかったかのように歩き去って行った。女が去ってからもFさんはしばらく恐怖の余韻でその場から動けなかった。
*
「まさか実在するとは思わなかったです」
言いながら静かな喫茶店で優雅にFさんはアイスコーヒーを啜った。
「霊、ではないんですよね?」
「はい、あれは人間でした」
Fさんはそう断言した。
「数年後に彼女殺されましたから」
思わず手が止まった。
「殺されたって、どういうことですか?」
Fさんは微笑みながら続きを語ってくれた。
*
『祝女、殺されたよ』
彼女が高校生三年の頃、その知らせをくれたのは中学の友人Kさんだった。KさんはFさんが祝女と遭遇した話を聞いていた一人で、そのことを思い出し連絡をくれたのだという。
彼女からメッセージで送られてきたURLを開くと、所謂ネットのスレッドと呼ばれるものだった。その中に更にリンクが埋め込まれており開くと、Fさんの地元のネット記事が開かれた。そこに書かれていたのは、若い男性達が一人の女性を暴行し殺害したという内容だった。
比較的治安の良い場所だと思っていただけにいささかショックだったが、記事の内容を見て友人の言葉が嘘ではなかったことを知った。
【調べによると**(犯人の一人)達は、いきなり「おめでとうございます」と**さんに(被害者・祝女の本名)絡まれたことで腹が立ち、暴行を加え結果的に殺したと供述している】
“おめでとうございます”
脳裏にあの時の女の声が甦った。記事の内容は間違いなく祝女のものだった。
あれからもずっと祝女は徘徊を続け、道行く人におめでとうと言い続けていたのだ。それを考えるとうすら寒い思いをした。
一体彼女は何故そんな行動を続けていたのか。
どうしてラバーマスクを被っていたのか。
そこでふと元のスレッドへページを戻した。
祝女が実在したからこそ噂が流布した。もしかしたらネット民なら彼女について何か知っている者がいるかもしれない。Fさんはスレッドを見直してみることにした。
くだらないやりとりや、全く流れとは関係ないクソコメといった類の書き込みをする者もいる中、Fさんが求める情報を書き込んでいる者がいた。
『この人ほんとに可哀想なんだよな。もともと葬儀屋で働いてたらしいけど、筋ものが絡んだ葬儀でヘマしたかなんかで反感買って顔面焼かれちゃったんだよね。そっから頭おかしくなって、マスク被って奇行繰り返すようになったんだよ。そんで挙句殺されるなんて前世でとんでもない業でも抱えてたんかね』
所詮は一スレ民の言葉だ。事実である証拠などどこにもないし、作り話の可能性の方が非常に高い。ただ彼女が葬儀屋であることに触れているものはこれだけだった。実際に対面したFさんからすれば、あの品のある所作と葬儀屋にはそれなりに納得のいく結びつきが感じられた。
もしこれが本当ならあまりに悲惨な人生だ。マスクに関する情報は他にも色々憶測を書いている者はいたが、これがまだ一番まともだった。
『そもそもおめでとうございますって何なんだ?』
『私みたいな美女に出会えてってことだろ』
『葬儀屋だっけ? だとしたら遠回しに生きていることへの感謝とか?』
『ありがとうございます、じゃなくて、おめでとうございますなんだよなぁ』
しかしもう一点、彼女の謎の言動については推測に留まるものばかりだった。
“おめでとうございます”
彼女は一体、何を祝福していたのだろう。
*
「分かります? おめでとうの理由」
微笑むFさんの問いに頭を捻るが、私もスレ民同様似たような推測憶測ばかりで確信に至る答えには辿り着けなかった。
「なんとなくですけど、私分かったんです」
直接彼女と会った私になら、Fさんはそう付け加えた。
「誕生日っておめでとうございますじゃないですか。なら逆も同じなんじゃないかなって」
「逆ってなんですか?」
「死ですよ」
「生と死ということですか」
「死ぬことがどうして悲しいんでしょう。終わりを迎えられるって、生まれることと同じぐらい幸せだと思うんです。終わりがあるから、人は生きようと思うじゃないですか。0が1になって、1が0に戻る。とても綺麗だなって。きっと彼女は悲惨な人生の中でそんな答えに辿り着いたんだと思います」
だから無惨な結末すらも、彼女にとっては祝福になっているはずです。
今日はありがとうございましたと礼を告げ、Fさんと別れた。Fさんは店を出ていき、私はそのまま喫茶店に残った。
「どうでした?」
今までFさんが座っていた席にすっとKさんが座った。
「お話通りでしたね」
「マジヤバイですよね、あの子」
Kさんは愉快そうに笑った。
*
『祝女、殺されたよ』
葬儀屋で働くKさんにFさんからSNSを通じて連絡があったのは半年程前のことだった。
ーー祝女?
中学以来何の交流もなかったFさんからの連絡に驚きつつも、祝女のことが分からず尋ねると、Fさんは中学の頃の噂話を持ち出した。言われて初めて薄っすらとした記憶が戻ってきた。一時期確かに噂になった地元の都市伝説みたいなものだった。
「もちろんそんなの嘘っぱちですよ。どっから誰が流した噂かは分かんないですけど、本当に見たってやつなんて一人もいなかったですから」
今更昔の嘘話を何故持ち出してきたのかはもちろん、殺されたという表現がひどく引っ掛かった。
「そんなに仲良かったわけじゃないですけど、なんか懐かしいし話のネタにもなりそうだから会ってみようかなって。そしたら……ねぇ」
くくくと笑いを抑えるKさん。
そしてFさんと対面し話を聞いたKさんは、オカルト蒐集家として活動する私とFさんを引き合わせた。
私もさすがに驚いた。
黒い上下のスーツ。丁寧で心地の良い所作と声音。無機質な微笑をたたえたラバーマスク。Fさんの姿は彼女自身が語った祝女そのものだった。
「いろいろ昔の友人とか辿って調べてみたんですけど、どうも祝女の都市伝説と自分の過去をミックスさせてるみたいなんですよね」
Kさんが調べた限り、祝女の過去はFさんの過去が投影されているという。
Fさんには社会人になってから付き合った男性がいた。しかし粘着質な気質から逃げるように別れたのだが、別れてもなお付き纏われ、発狂した男に刃物で何度も何度も切りつけられた。男は逮捕されなんとか一命は取り留めたものの、その際特に深く刻まれた顔面の傷は醜く残る形となってしまった。
この事件のショックからFさんは身体だけではなく心にも大きく傷を負うこととなった。そしてFさんは自身の傷を覆うかのように、祝女の姿となった。姿だけではなく、自身の過去と繋ぎ、補強するかのようにディテールに肉付けし、噂だけだった祝女を現実のものにした。
「おめでとうございますって言葉、元の噂では何の意味もないんですよ。多分言われたら怖いだろうなって言葉を単純にキャラクターとして付け足しただけだと思うんです」
でも、今はどうでしょうね。Kさんは意味深に呟いた。
「なぜ、あなたに連絡が来たんですか? 他に彼女から連絡を受けた人はいたんですか?」
「あー私以外に連絡来たって人はいないっぽいですね。誰でも良かったんじゃないですか。話聞いてくれる人だったら」
誰でもいいならそれこそ無差別にもっと連絡するはずだろう。
葬儀屋。
Fさんが語る祝女の過去に執拗に何度も出てくるワード。
葬儀屋に勤めるKさん。
偶然だと考える方が難しい。Fさんの中に、何らかの意図があるように思えてならなかった。
“おめでとうございます”
これは、誰から誰に対してのメッセージだ?
「どうして私とFさんを会わせようと思ったんですか?」
「オカルトが好きだから、じゃ駄目ですか?」
にたっとKさんが笑った。
“まさか実在するとは思わなかったです”
他人事のように語られた祝女。その祝女の姿をしたFさん。
もし彼女が祝女自身なのだとしたら、祝女として自身を語らなければ成立しない。異様な見た目と話ではあったが、少なくとも会話は成立し、話は理路整然としていた。
思い出すほど違和感だらけだ。
祝女の過去はもちろん、祝女と遭遇した時の描写。
Kさんは創作、妄想だと嘲笑していたが果たして本当にそうだろうか。創作だとしてもあまりにもディテールが凝り過ぎていないか。
Fさんの話は、本当に全てが嘘なのだろうか。
話はFさんからKさん、そして私へと繋がった。この流れも、偶然なのだろうか。
Fさんは、本当に狂っているのだろうか。
Kさんは、真実を話しているのだろうか。
「あなた達は、何を考えてるんですか?」
無関係な傍観者でいたはずの自分は今、彼女達と同じ線上で結ばれてはいないか。
「おめでとうございます」
笑顔と言葉を残してKさんは席を立った。
“分かります? おめでとうの理由”
意味を理解したわけではない。だが確実に巻き込まれたのだという事だけは直感的に理解した。
おめでとうございます。
私の話を聞いてくれて。
おめでとうございます。
私達に見つかってくれて。
おめでとうございます。
私達の話を拡散してくれて。
だから気休め程度に、私はこの話を公の場に残すことにした。
用途も理由も分からない祝福を、同じく傍観者だと思って読んでいたあなた達にも分け与えたいと思ったから。
皆様、おめでとうございます。




