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赤牛高校の変遷

作者: モーニングなめこ

赤牛高校→レッドブル

〇〇監督→エンジン・パワーユニット

〇〇県府道民→国と国民

イギリス都民→発祥の地なので都民に

初期の地区予選→県大会など

初期の全国大会1試合→表彰台

世界制覇後の地区大会→予選

世界制覇→世界チャンピオン

ドライバーズタイトルはマックスから表記

打者目線なので、勝利回数は勝利打点としてます。


ノーヒットノーラン→ポール・トゥ・ウィン+2位以下にならず

完全試合→ポール・トゥ・ウィン+2位以下にならず+ファステストラップ


登呂赤高校→トロ・ロッソ

完全無欠高校→メルセデス

跳馬高校→フェラーリ

枕連高校→マクラーレン

牛たち高校→レーシング・ブルズ

非酢混乱高校→HRT(元ヒスパニックレーシング)


この話は、F1という日本ではあまり馴染みのないモータースポーツについて、比較的わかりやすくしたものです。俯瞰で見たのを比較的わかりやすくして書いてあります。


F1という特殊なスポーツをそのまま書くと誰も理解できない。政治がすべてな部分があるためですね。




わずか20年ほどの歴史で、名門と言われる赤牛高校野球部。甲子園に毎年のように出場し春夏の優勝をさせた超名門校である。過去と現在の主な選手は、クルサード君・ウェバー君、ベッテル君とフェルスタッペン君。それと、アルボン君、角田裕毅くん。


私立高校の特徴にあるのが、全国の選り抜きの選手で構成されたチーム体制。少し前のブルーフォレストヤマダみたいなのが全国にありました。ブルフォレは、後に変わってよくある私立高校になりましたが。


開校したばかりの頃は、地区大会で準々決勝まで行ければ。というどこにでもある私立高校でしたが、開校2年目で伝統と格式の高い地域モナコ大会で、銅メダルを獲得。モナコ市長さんから授与されるメダルには重みが違うと言われます。これを機に足がかりとしては充分とし拍車がかかります。

開校したての頃でも投攻守に優れた選手が揃い鮮烈なデビューをし地区では名前の知れる高校となってはいたのです。ただ、決め手に欠けるので今ひとつでした。


赤牛高校は、初期こそ実力と実績のあるイギリス都民を起用していますが、初期のイギリス都民が引退するとイギリス都民を除外するようになります。イギリス発祥のスポーツでありながら絶対に起用しないぞと心に強く決めます。


オーストリア道出身のクリエンくんを起用したのは、それまでの実績もさることながら、イギリス都民ではないからだったんです。もうひとりくらいは地元から雇いたい。そう。赤牛高校はオーストリア道民なのです。ただし。


3年目からはオーストラリア県民のウェバー君を起用すると一気に上昇気流。3人目のルノー監督と相性が良かったのかも知れません。チーム成績としては、初年度より劣る打点力でしたが、それでもこれで行ける!と確信に変わります。その理由に、選手の故障が過去2年と比べて格段に向上したのです。


4年目には地区予選決勝に行けるだけの力を得ます。決勝常連校になりますが、やはり決め手に欠けるらしくなかなか。

しかし5年目に、この年から採用された歴史の浅い高校に限られた出場枠があり、初の全国大会に進みます。4年目の時に新星が現れたのがベッテル君。未熟さのあるイタリア県でフェラーリ監督率いる登呂赤高校で、奇跡の地区大会優勝と全国大会初勝利を記録したMVPのベッテル君。このベッテル君を赤牛高校に転校させます。


鳴り物入りで赤牛高校に入りすぐにレギュラーとなりその能力を遺憾なく発揮し3試合目には投手としても打者としても完璧な仕事をします。完封勝利で投げきりました。これは全国に知れ渡り、人はベッテル君を濡れた怪物と称します。初勝利も転校してからの初勝利も雨だった。そこから手が付けられない恐ろしい人物だと。


5年目に選手も監督もすべてが揃いあとは世界統一するだけだと。


6年目にそれはすぐに実行された。

ベッテル君とウェバー君が切磋琢磨し甲子園春夏を制し世界大会に挑み遺憾なく発揮して世界チャンピオンを二輪で駆け抜けます。

19試合中15試合で地区・全国大会でMVPを獲得しており、19試合中6試合で完封勝利を決め、西班牙すぺいん高校にノーヒットノーラン試合をウェバー君が初めての記録。

摩納哥もなこ市立高校にノーヒットノーラン試合をウェバー君が2回目の記録。

奥州よーろっぱ高校との試合では、ノーヒットノーラン試合をベッテル君が転校後初めての記録。

記録づくしの1年となった。この世界統一したことで赤牛高校に目が向けられるのは致し方ないことだろう。


7年目も世界制覇します。

この年から初めて故障率5%台にまで減らします。それにより世界制覇が早めに決まるという要因もありました。

特にベッテル君の安定感はすさまじく、年またぎで5回MVPに輝きます。赤牛高校内でも神と崇められますが、それをあまり面白くないと感じるのはウェバー君。学校を注目させたのは自分だという自負があるため神扱いされるベッテル君を見て気分が良い理由もなく。

ウェバー君は元々私立赤牛付属中学を出ていない外様とざま扱い。一方、私立赤牛付属小中一貫校を特待生のまま卒業し赤牛付属登呂赤高校から引き抜かれるほどベッテル君に投資してきた人材。ルノー監督との相性もよく外様のウェバー君に近寄る人は減りつつあった。


8年目も世界制覇。もう当たり前になりましたね。

人々は「またか」「もういいよ」と呆れた声が聞こえることが増えました。

ですが、地区大会を突破できないことが増えます。昨年のような安定感がどこか薄れてしまいます。中には、2得点が有効になることも。世界制覇が当たり前の赤牛高校に暗雲が見えてしまいます。

しかし、蓋を開けてみればやはり地力が違うと結果だけ見れば「またか」な世界制覇。


9年目も世界制覇。再び安定感が戻ります。

昨年の経験を踏まえ揺るぎない強さを誇ります。

ベッテル君の怒涛の9回連続MVPを記録します。

外様を強く意識したウェバー君は転校して良かったと思うようになり、赤牛高校に貢献することを念頭にしたことで、昨年までの腐りかけてた自分を奮い立たせ19試合中7回Wメダルを授与されました。腐っていた昨年は、たったの3回Wメダル授与でしたが、大きく変化が見られました。苦労人のウェバー君の心の成長がこの年に見られたようですね。


10年目には世界制覇ならず日本統一にとどまる。

この年から世界制覇ができなくなる。その理由は、8年間世界制覇を積み重ねる巨大組織が本格化したためである。日本でも有名なあの企業が出資している完全無欠高校。誰もが知るあの組織。真面目な性格と言われる独逸どいつ。日本人よりシステマチックな性格も持ち合わせるため世界制覇は余裕でなされたという。よほどの綻びでもなければ瓦解できないだろうと。


選手に変更があった。ウェバー君からリカルド君に変更。リカルド君は、ベッテル君同様赤牛に育てられて地道に駆け上がってきたタイプ。なんとかデビューさせたいが、席が空いてないとしてしかたなく高校経営がうまく行かなく資金繰りに苦しむ西班牙すぺいん県に所在する非酢混乱ひすぱにっく高校に途中入学させ高校野球デビューを果たします。当然人が集まらない非酢混乱高校です。投げては打たれる打っては出塁出来ないなど苦労のデビューとなりました。しかし、持ち前の足の速さはあったので、無事翌年には登呂赤高校に編入です。まずまずの成績でウェバー君が引退すると同時に滑り込みます。これにより、赤牛高校10年目にして幼い頃から投資し続けてきた赤牛は完璧な赤牛高校となりました。

リカルド君の鮮烈なデビューを果たしたかに見えた。しかし、使っていたバットがアルミ合金製ではなくチタン製だったと判明し失格という違う意味での鮮烈さがありました。これは、赤牛高校側の責任でありリカルド君に責任があるというわけではない。これによるイジメは許さんぞ。と表明しておりました。


世界制覇には、神ベッテル君の力が大きかった。空回りすることが多く。それをカバーしたのがリカルド君。赤牛高校1年目で3回ベッテル君を上回る成績。ベッテル君の不調をカバーしてくれた。

しかし、不穏な空気は赤牛高校にあった。勝てないことへの恨みつらみもあり、精神的支柱の神ベッテル君が他へ行きたいと陰でこそこそと交渉していると。ベッテル君はなんと、跳馬高校に呼ばれたことが判明。


11年目。神として君臨していたベッテル君を失くし意気消沈の赤牛高校。日本統一を目指すには厳しい選手層となった。まだ1年生のクビアト君を招集せねばならなくなる。クビアト君は、露西亜出身ですが、いわゆる露西亜というイメージより奥州っぽいタイプの人物。長距離ヒッターというよりバントを得意としていて、時折スクイズを成功させたりセーフティバントを得意としている。そのため2番手扱いは最初から。ベッテル君の穴埋めに入った部分があるが、クビアトくんも長いこと投資されてきた選手。赤牛投資の選手に変わりはない。

この年1度だけWメダル授与があった時は、クビアト君の方が色が良かった。

赤牛高校は、すでに世界制覇を成し遂げているため地区大会を免除されています。


12年目。長年ルノー監督として活躍されてきました。ルノー監督の次男をタグホイヤー家に養子に出したことでルノー監督の名をタグホイヤー監督と名前だけ変更した形に。赤牛高校とルノー監督に軋轢が生まれたことによる、名前を変更することで雰囲気を少し変えましょう。となりました。

本家のルノー家は家中の騒動が長引きグダグダになっています。それもあってかルノー監督の名を変更させたかったのでしょう。


まだ若い露西亜のクビアト君が途中で赤牛高校を首になります。元々デビューしてた登呂赤高校へ。満を持して引っ張ったのが、マックス・フェルスタッペン君なのです。御父様も高校野球でヒーローだったこともあり、飛び級で入学させた経緯もあってクビアト君の席に座ります。座って直ぐに決勝打を放ち勝利打点を記録します。11年目が未勝利だっただけにこの鮮烈なデビューは世界を震撼させます。フェルスタッペン君のことはマックス君と呼びますね。御父様が毎回同行されてます。ややこしいのでマックス君と。

そのあとリカルド君も勝利打点を記録しますが、チーム内のごたごたもあり世界制覇とまでは行かず。


13年目も世界制覇ならず。

お家騒動が少し落ち着いたこともあり二人とも安定した成績をあげます。

ふたりで3回の勝利打点を記録しますが、赤牛高校としては満足行く形ではありません。

その頃世界では、完全無欠高校が猛威を振るっておりマックス君を起用してもなかなかうまいこと行かない。モヤモヤが赤牛高校内を支配しようとする。


時代は年々とレース数が増えていく。F1は長年の奥州政治から米国政治へと代わります。米国での人気が高まっておりレース数を増やそうと躍起。それに振り回される選手たち。集中力の高い人ほど活躍できると言われるようになります。


14年目も日本統一のみ。

得意のモナコ高校にノーヒットノーランで抑えたリカルド君を皮切りに今年こそ挽回するぞと上昇気流に入る。

4回の勝利打点をふたりで記録するが、大きく成長したのはマックス君。年々力をつけていてそれでもまだチャンピオンには厳しいかと思われる部分があった。強気の態度は高評価されていたが、隙をつかなければ勝てないということもあり見えないところで体当たりをして守備の選手を故障させるというダーティーな面が散見された。それでもそれを悪とみなさないように赤牛高校は必死に庇いもみ消しに動く。それほど政治力の高さがうかがえる。勝つための手段ということだが、このクセが抜けずにこの先も続くことになる。


15年目も日本統一レベルでしたが、なによりも大きな変化が発生します。

ルノー監督が名前を変更してでも長年苦楽をともにしてきた監督の交代です。本田監督を迎えます。

昨年、登呂赤高校で試験運用しました。途中から参戦したことで長い事苦労した本田監督。宿敵・枕連

高校が本田監督を放出して拾ったのが赤牛グループ。赤牛グループは、跳馬監督や高校とあまり良い付き合いをしておりませんでした。イタリア県に所在する登呂赤高校のこともあり跳馬監督を長年起用してきました。それも拾った本田監督を起用したところ相性が良かったようで、翌年から本田監督を赤牛高校でも雇うことに。

それに伴い、登呂赤高校で本田監督と親密な関係を作ったガスリー君を招集します。前年までいたリカルド君はルノー監督を慕い本家ルノーに移籍します。

ガスリー君は、日本の中学野球でも活躍された。その時に、本田監督と出会い登呂赤高校に共に歩み、赤牛高校へと歩みを止めません。その時こう言ってました「俺が本田監督を連れてきたんだ。そんな俺が満を持して赤牛高校に進学したんだ誰よりも本田監督の性格を知っている!」と鼻息荒く語っていましたね。

勝利打点を上げることも出来ず、マックス君の陰さえ踏めない状況に精神的苦痛もあって登呂赤高校へ戻ることになります。精神的プレッシャーの少ない登呂赤高校は居心地が良かったらしく水を得た魚のように元気になります。

ガスリー君の後釜にアルボン君が入ります。アルボン君の出自が少しややこしいくて、母親がタイ人で父がイギリス都。イギリス都で生まれ育ち本人はイギリス都民という意識があるが、赤牛グループで高校野球がしたいならイギリス都民ではなくタイ県民にすることが条件とされ仕方なくタイ県民を名乗っています。

赤牛グループは奥州のイメージがありますが、創設者はタイ県民なのです。タイにある赤牛で世界制覇を狙えると思ったことで奥州パワーで組み込み現在に至ります。しかし、一枚岩とはなかなかなれず。時折創設者グループが口出しをするので揺らぐことがしばしば見られます。その様子は、高校野球ならではの政治力。というものが見られるので興味のある方はよくお調べください。


ガスリー君の穴埋めに入ったタイ県民のアルボン君は、安定感のある走りだけが際立ちます。特別な速さは見られませんが、穴埋め要員としては充分な働きです。

この赤牛高校に入ってから身につけたのが、粘り。どんなに泥汚れが酷く洗っても落ちないくらい泥まみれにプレーをすることで赤牛高校に福をもたらした。

それもあり翌年も席を残す。


16年目に世界が変わる。世界中が大混乱としたのが新型コロナウイルスの発生である。COVID-19と呼ばれたものが全世界を蔓延させる。

この影響で、高校野球は春大会を中止し夏大会をどうにか開催。大昔にタイムスリップしたのかと疑いたくなるほど奥州周辺だけで開催するという信じられない体制でどうにか開催。ダブルヘッダーは当たり前という有り様。

マックスが勝利打点2回という残念な記録ではあるが、17試合中11回のメダル授与。皆苦しい中でも必死に耐えた。よく耐えたと世界で称賛される。


17年目は激動の年でもあり、期待された日本は途端に中止を決定する。同じく中国も早々に中止を決断した。奥米では収束というほどではないが、当時の混乱からは落ち着き対処法も見つかった。しかし、アジアでは長引く不安に開催することが難しかった。

昨年のチーム体制で挑むことになる。世界がどう転ぶかわからずチーム体制の変化を望まなかった。1年半ほど赤牛高校にいたタイ県民のアルボン君が首になり、外様から戦える人材をと欲したのがペレス君である。すでにベテランであり他校に居た頃は殿様的扱いでペレス高校で監督も勤めているかのような扱いだった。若い頃に、やんちゃしてた時期もあったがベテランとなってからは性格の丸さが出てくる。長い事殿様だったペレスにコーチのような扱いは出来るだろうかと心配した。

マックス君が勝利打点2回記録してる間に赤牛高校に馴染んできた阿塞拜疆あぜるばいじゃんで高校野球2回目の勝利打点を記録。

まさに、マックスの受け皿。それがペレスである。マックスをチャンピオンにするために呼ばれたのがペレスであった。

ヒットで出塁して3塁をまわってホームに入ることも出来たが、監督から3塁で止まれ次のマックスが打つから。と進塁を拒まれることもあるが、久しぶりの優勝常連校のへの転校。期待されてるんだと思うと受け皿でも良いと考えたのだろう。

その後もメダル授与を4回。

外様のペレスは、昨年に他校で優勝経験があったことと投資してきた生徒たちが今ひとつだったことなどがあり、外様から招集することとなった。

エースで4番のマックス君は、ダーティーな走りが魅力と世間で持て囃されるようになったころ、イタリアのモンツァにて連続世界制覇の立役者であるハミルトン君の頭をどついてしまう。ハミルトン君に大きな影響はなかったが、頭をどつかないといけないくらい勝ちに拘ったというのは、前代未聞の光景であった。それもこれももみ消しに必死の赤牛高校のおかげではある。


18年目は新体制になり世界ではCOVID-19の影響はアジアに根強く残る程度。

そろそろアジアでも開催できるんじゃないか。と言われていたが、中国を除く日本でもようやく開催される。

赤牛高校は、この年ようやく世界制覇が叶う。

本田監督が辞め、本田監督の意思を紡いだ本田イズムの監督コーチたちによる新体制も評価を上げた。

第三期の本田監督にも疲れが見れたのだろう。赤牛高校は、自身の名を与えた赤牛監督と本田イズムに赤牛と名付ける。

一枚岩になったことで、世界制覇がかなったのだろう。ここから怒涛の世界制覇へとつなぐ。

22試合中15回の勝利打点をあげたマックス君。世界チャンピオンにも輝き多少のダーティーな走りも自然にもみ消せるくらいの実力者となる。

ペレス君もマックス君が弾いた球を捕球。とにかく二人の間には信頼で成り立つ。


19年目では、野球のシステム自体が大きく変更された。これにより10回延長からはタイブレーク制が起用され、長引く延長を減らす目的となった。また、ストライク・ボール・アウトの順で表記されていたのが、ボール・ストライク・アウトの順になったのも大きな変革である。ストライクのことをシュートと呼ぼうかとしたが、そこは米国の圧力でストライクのままとなる。ボール・シュート・アウト。上手くいかないものである。米国政治が大きく変化をもたらした。

これで長年の完全無欠高校は大きく力を削がれてしまう。体制もおかしく、日本では考えられない30球制限で投手をつなぐというやり方を取り入れる。なにかを削いでしまったかのようなことを始めた。どうしても慣れない生徒たちは苦労を重ねなんとか粘って勝ち取ろうとするも赤牛高校には刃が立たないどころか雲を掴むかのように。

赤牛軍団は、ライバル高校がこぞって自滅してくれたおかげでこの年も世界制覇を達成。22試合中21回の勝利打点を上げたのは奇跡。そこに本田イズムが流れていることは、一部地域では喜ばれた。セナ・プロを思い出すひとも少なからず居た。

なによりも完全無欠高校が勝てず、きらっと緑高校が完全無欠高校を上回る成績もあった。


20年目は節目の年。赤牛高校に激震が走る。赤牛校長がセクハラ疑惑を持たれたのである。赤牛高校の女性教諭の尻を触ったとか襲ったのではないかと校内で揉めたのである。赤牛校長のホーナーは、元々高校球児で目立った成績はないが、校長としての能力は高く学校をまとめる力が高いとして評価しかされなかった名匠である。そんなホーナー校長が特定の女性教諭に一方的な好意を持ったのは、セクハラを超えたパワーハラスメントであると一度火が付くとこの火は消火できないものであり、無理な消火をしたことで、女性教諭は裁判を起こすと打って出た。ホーナー校長を庇うあまりの無理な消火は却って炎上させることとなった。この炎上により、赤牛高校で長年活躍した美術の教師でもあるニューウェイ教諭が幽霊教師となりほとんど学校に来なくなってしまう。高校野球では、美術の教師は校長をおも凌ぐ重要なポジションであり、特に名高いニューウェイ美術教諭を陣営に組み込みたいと願うばかり。来年は契約しないとして美術教諭の後釜を見つけられず、赤牛高校の手直しをしたくても出来ないことばかり。美術教諭がすべてをデザインしていたため抜けると新たに入れるにも上塗りしてよいのかさえわからない状況。新しい美術教諭が得意としたのは水彩画だった。ニューウェイ教諭の油絵独特の上塗りで仕上げていく手法は、赤牛高校には残っておらず混迷するきっかけとなった。時同じくして、ニューウェイ教諭に従うようにウィートリー学年主任らも抜けてしまい収拾がつかない状態に陥る。

世界制覇は叶わず、代わりにマックス君が世界チャンピオンに輝いた。天候に救われた部分もあった。流れがたまたま向いただけの世界チャンピオン。本人は誇らしげではあるが、世間は運が良かったと言われるだけに過ぎず。

年末に大きな事件が発生した。


21年目は今年である。

赤牛高校はホーナー校長がなんとか資金対策としてペレス君を起用してきて、来年も再来年も共に頑張ろう!と約束をしていた。そのペレス君を斬首。一刀両断したのである。一刀両断されたペレス君は、デュラハン病となり今年を休んで、来年から高校野球に戻ることが発表された。来年はフケ顔コンビで比較的新しい高校で再デビューするそうだ。その頃には、デュラハンの病から開放されることを強く願う。

デュラハンにされた出身のメキシコ府民は怒り「もう二度と赤牛を支援しない!」とさらに「勝手にクビ(デュラハン)にしたのだから違約金支払え!」と揉めに揉めて。ペレスに代わる人材が育っておらずまた他でも能力の高い選手は契約済み。違約金を支払うだけの資金がなく。仕方なく、昨年末にテストと称して中学くらいから投資した生徒を競わせた。選ばれたのは、バイトのローソンくんでした。

いつぞやローソン君によると「もうバイトから卒業だ。最高のクリスマスプレゼントだよ。高校のみんなにからあげクンプレゼントするよ!」と言ってたのも昨年の話。


たった2試合でペレスのような活躍はできず。バイト生活に戻り旧登呂赤高校に戻らされる。

代わりに入ったのが、日本人の角田裕毅くん。過去に遡れば、リカルドくんやガスリー君みたいに精神的な弱さが見られ、常に支援されていないと何も出来ない生徒が加入します。加入するタイミングからして、鈴鹿高校との一戦が大きな影響を及ぼしたのでしょう。ペレスくんをデュラハンにしたことで資金がカツカツになってしまったのを鈴鹿高校と戦うことで、資金を増やす目的だったのはあからさまではあるが効果はあたようだ。

銀の石後の少しのお休みまでで角田裕毅くんは悪化をたどる。話にならないほど凡打の連続。時に、後ろの走者に追い越されることもあった。そうしていると、驚きの発表。と世間では言われた事変が発生。

チームを長年支えてきたホーナー校長を退任させたのである。赤牛の歴史にはホーナー校長があった。その立役者をとうとう退任させたのである。これには、世界が揺れたと聞く。それからしばらくして、津波警報へとかわった。


新たな校長は、メキース校長である。メキース校長は昨年から代わるまで旧登呂赤高校の牛たち高校で校長を務めた。長年図工や技術の教諭として勤めてきたが、それらの手腕が買われ校長へと出世。ホーナー校長が抜けた穴を埋めたのはメキース校長である。

校長経験な乏しいことがあり、大きく躍進とまではまだまだ時間がかかるだろう。

メキース校長は、技術面では優れた人材ではあるものの、人を動かすだけの統率力に不安が残る。校長ひとりで大きく代わることは稀だ。長い目で見守るほかありません。


そんなガタガタになった赤牛高校。エースのマックス君の力が発揮できないほど落ち込んでしまった。

使えるパーツはエースを優先的に回すのは至極当然のこと。日本人の角田裕毅くんは、バットもグラブもシューズまでもを叩き壊す暴挙に出た。選手として大事なモノをぶっこわすほど気が荒れている生徒に新しい道具を与えるわけもなく。

そうしていると、角田裕毅くんは「不平だ」と不満を口にします。不平ではなく、大事な道具を壊したのは角田裕毅くん本人である。そんないい加減な人間に新しい道具を与えるだろうか。

昨年のペレスに対する報道による角田裕毅降ろしのイジメが熱を帯びます。その原因を作ったのは?





お疲れ様でした。約1万文字にお付き合いいただき感謝します。

明日からF1は再開されます。夏休みは日本でも終わってるところもあります。

オランダGPが待ち遠しいですね。

今年で最後のオランダGPを思う存分楽しみましょう。間違えてました。来年まで存続します。

またいつか復活してくれることを望んで。

ルノー監督に責任を押し付けたのは酷かったですね。あの頃の赤牛高校は好きになれませんでした。

なにか理由にして、高校野球から廃部にしたかったのだろうと噂されましたが私も同じ気持ちです。

ダメ元の本田監督との相性が良くて。それで本田監督が勇退したら腐夫を監督に据えるという。傾き始めたら無理難題を押し付けられるところへと移るんでしょうね。21年の歴史がそう物語っています。


明日から楽しみですね。

共に楽しみましょう。

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