2話
「……」
全クラスメイトに与えられた約四畳半の個室で俺は特に意味もなく机に向かってぼんやりと部屋の壁を眺めていた。
机の上には空になったインクの瓶と意味のない言葉が連続して殴り書きにされた紙が山のように積まれている。
結論から言うと俺は本当に文字が早く書けるだけの可能性が非常に高い……というかほぼ絶対だそうだ。書いた言葉が実態として現れたり、紙に描いたことが実際に起きたり……そんな可能性はないようだ。
『速筆』の能力自体は確かに希少らしい(具体的に言えば大陸中に常に一人存在するくらい)が、能力の希少性と有用性は必ずしもイコール関係ではない。希少性と有用性はあくまでも相関があるだけに過ぎない。その時代や情勢……ひいてはその持ち主によって変動することが多い。
きっとこの能力も世界がもっと安定しており……持ち主の俺がもっと教養深く、もしくは文化人的な才があれば話が変わっていたかもしれない……が、残念ながら鉄と鉄がぶつかり合い、血と弓矢と魔法が飛び交う世界において『あわれ』だとか『いとおかし』なんて吞気に言って生きていけるわけがない。趣どうこう解説する前に首を切り捨てられるのが関の山だろう。
そして俺に文才はない。書けてせいぜい読書感想文が限界だろう。こんな『筋肉と暴力が全て』と平然と叫んでいそうな世界でいったい何の役に立つ。
そう考えるのは俺だけでなくこの世界の人間も、そして俺のクラスメイトも同じだ。他のクラスメイトのはもっと夢のありそう……というよりもこの世界のニーズにマッチした戦闘とかに役立ちそうな能力をもらっていただけに俺だけ明らかに浮いていた。
「まあ、仕方ないよ。こればっかりは運だろうからさ」
何人かのクラスメイトはそうやってこんな役立たずな俺をねぎらってくれるが、俺たちは所詮はクラスメイト。どこまで行っても赤の他人の集合である俺たちがそんな一枚岩であるはずがない。もちろん中には
「……役立たず」
そうやって俺を見下す奴もいた。当然だし、その通りだ。もし俺とお前の立場が逆だった時に俺はお前を心の底から決して見下さないか……そう自問した時に帰ってくる答えはNOだ。集団に属す限りにおいてそのような競争、優劣から逃れることはできない。それに……
「貴方はいいね。私らだけが命を懸けて。君は後ろで椅子に座っているんでしょ?」
最初こそはみんな自分が特別になり、王からの素晴らしい待遇もあって上機嫌であったが。それと同時に払わなければならない対価……彼らが責任を実感し始めると、俺への当てつけはさらに強くなっていった。
彼らは毎日戦闘訓練を受けていた。特に平和ボケしている俺たちは特別な能力以前に圧倒的に基礎能力が足りていない。彼らは朝食を食べると日が沈むまで訓練を行っていた。男女や身体の大きさは一切関係なく、皆毎日限界まで戦闘技能を叩き込まれた。夕食時には立つことができずに肩を貸してもらっている人もいた。
それだけでない。彼らは兵となるために訓練しているのだからやがて戦場へと駆り出される。自らの手で他人の命を奪う場所へと。
彼らはそのことに気付いていない……いや、そんなことを考える体力すらもないのだろうか、今のところは一人も壊れていなかった。
だがやがてその時が近づいた時、実際に戦場に駆り出された瞬間に嫌でも向き合わねばならない。
その時に平静でいられる人間がこの中にどれだけいるだろうか?
一部のお話やゲームの世界では簡単にモンスターやその世界の住民を殺めたりしていることもあるが、そんなことができる人間は少数派だと俺は思っている。大抵の人間は超えてはならない一線を前にたじろぐか、正常な判断を失いもはや人間とは呼べない怪物となり果てるだろう。
この世界の人たちは一つ重大なことを見落としている。俺たちは本当の戦場を知らない……と。
彼らは俺たちがいったいどれほど平穏な世界で生きてきたのか、おそらく想像できないのだろう。自分たちの知らない存在を無から想像などできるはずがないのだから。
♢ ♢ ♢
一方で俺はすることもなくただ机に向かい文字を書き続けた。最初こそはクラスメイトと同じように訓練を受けていたが
「お前に割く時間が無駄だ」
ということで三日前から完全に放置されてしまった。それもそうだ。俺は戦闘能力のないただのひょろがりなのだから。
こうしてとうとう訓練すら出なくなった俺であったがそんな自分を気遣う余裕がある仲間がいるはずもなく、こうしてただ椅子に呆然と座っているのである。いつか訪れてしまうだろう残酷な結末を知っているにもかかわらず、俺ができそうなことは何もなかった。生殺しに近いような状況の中で俺の神経は他の仲間よりも先に狂っていくように感じた。
どうせなら誰か殺してくれればいいのに、心が壊れればいいのに……そう何度思ったことだろうか。
けれどもそれは何とも自分勝手なものであった。なぜ椅子に座っているだけのお前が先に楽になろうとするのかと後ろ指をさされると同時に『夢を壊すな』とクラスメイトの怒声が聞こえてくるのだ。俺たちの中で誰かが壊れればその瞬間に雪崩のように『恐怖』が連鎖し伝搬していくことは容易に想像できる。
誰にも迷惑をかけずにひそかに消えることができればどれほど楽だろうか……
そんなことを考えていたその時であった。
「入っていいか?」
ドアの向こうからノックとともに声が聞こえてきた。あまりに突然だったこともあり声の主が誰かは分からなかった。……がどうでもよかった。誰であろうと俺にそれを拒む権利はないと思ったからだ。
「……鍵は開いている。誰かは分からないが好きにしてくれ」
「……そうか。なら入るぞ」
その声で俺は来客が善也であることが分かった。俺は顔を向けることもなく机に向かい続けていた。俺はあいつらの苦痛を知らない。一方であいつらもまた俺の苦痛を知らない。とくにこいつには理解できないんだろう……だなんて考えると彼の顔を見ることができなかった。実に身勝手極まりない妄想と分かりながらもどうすることもできなかった。何とも失礼な人間だなと心の中で自嘲した。
「……」
「……」
善也はしばらく扉の前で立ち止まっていたようだが、やがてゆっくりと歩いて俺に近づいてきていることが分かった。
「なあ、書画」
「なんですか」
「……頼みがある」
「……何でも言ってください。断りませんから」
そうぶっきらぼうに答えたからなのかは分からないが、善也の口調が微かに強くなった。
「……お前、自暴自棄になってるだろ」
「……」
俺は善也の問いに答えることはできなかった。嘘をつくこともそれを認めてしまうことも俺にはできないと思ってた。
ただ黙っていると、善也は俺の椅子を後ろに引いた。
俺はしりもちをつく。何が起きているのか理解できずに戸惑う俺の胸倉をつかみ、俺の顔を見ながら声を荒げた。
「いいか、これはお前にしかできないことなんだ!他の誰にも成せない、そして俺たちの命運がかかっている!その賢い脳で真面目に考えろ。お前はそんな人間じゃないだろうが!」
俺はその体制のまま目を丸くして動けなかった。俺の胸倉をつかむ手も俺の目を確かに見る善也の整っていた顔はあざや擦り傷だらけでボロボロだった。特徴的なオールバックで露になっている額にまでも何かに強くたたかれたようなあざができていた。
けれどもその顔も体もここに来る前よりもより一層たくましくなっていた。
訓練の成果なのか彼の能力によるものかは分からないが、俺は何とかして振り払おうともがいたが全くできそうにもなかった。対して彼は俺の抵抗を歯牙にもかけずにはっきりと言った。
「お前のその机の上と、床に散らばる書物を見て確信したよ。お前になら託せるって。まだ諦めてないってな!」
「…………」
「お前は生きるのをあきらめていないんだろ!」
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