何歳になった?
その日。
私は一年振りにその場所に向かった。
月明りに照らされた十字路。
夜が重く暗い。
アスファルトを蹴る靴音が闇に淡々と響く。
それでも怖くなったり心細くなったりすることはない。
そして。
「よぉ」
彼は既に待っていた。
「久しぶり」
私とそう変わらない年齢の彼はどこか嬉しそうにニヤニヤと笑っていた。
「幾つになった? なぁ、幾つになったんだ?」
子犬のように笑う彼に呆れながら、私は持っていたコンビニの袋から安物の缶ビールを取り出して答えた。
「二十歳だよ」
「おお! 遂にか!」
そう言って喜びながら彼は私から酒を奪い取った。
その姿を見て私は思わずため息をついた。
まったく、こっちの方が情けなくなってくる。
私は自分の分の缶ビールを取り出すとプルタブを開ける。
しんと静まり返った世界に沸いては消える炭酸の音が耳の奥にまで届くほどよく響いた。
「それじゃ、乾杯!」
はしゃぎながら彼が私の缶ビールに自分のものを軽くぶつけた。
「言っとくけど、それ一杯だけだからね」
思い切り飲み干そうとした彼の動きが止まる。
「冗談だろう?」
「冗談じゃないよ。そもそもこんな所でお酒飲みたくないんだから」
「別にいいだろ?」
心からそう思っていそうな言葉に私は思わず舌打ちをしていた。
「よくねーよ、馬鹿」
声は思いの他、大きく響いていた。
それに怯んだのか、彼は一瞬だけ静かになる。
「ごめんて」
そう言うと同時に彼は看板にもたれ掛かった。
身体で文字が完全に隠れてしまったのが私は嬉しかった。
見たくもなかったから。
しかし、しょんぼりとした顔をしている彼を見るのも忍びない。
私はため息をついて謝罪をした。
「ごめん。こんな空気にしたかったんじゃないのに」
「いや、いいよ。俺も悪かった」
「ん」
そう言って私達はもう一度だけ乾杯をして静かにビールを飲んだ。
僅かな量でも楽しんで見える彼に対し、私の方は思わず吐き出しそうになるほどにむせ込んだ。
「不味いか?」
「うん。苦い」
「飲んでやろうか?」
「いや。いい。てか、飲ませたくない」
そう言って私はなんとか酒を飲み干す。
その隣で彼はどこか満足気に微笑んでいた。
「気をつけろよ。お前は女の子なんだから。男は皆、オオカミだと思っておけ」
「そうね。母さんから腐る程忠告されたよ。実体験を交えてね」
そう答えた私に対し、彼は気まずそうに笑う。
「本当はよ。おつまみの一つでもありゃいいんだがな」
「仕方ないじゃん。道路脇で色々と食べるわけにはいかないでしょ」
「それもそうか」
「うん」
ちびり、ちびりと私はビールを飲んでいた。
苦いからじゃない。
嫌だったからだ。
けれど、ビールは遂に空っぽになっていた。
もうおしまいなんだ。
そう思った瞬間、私は強く後悔していた。
今からでも二本目を。
いや、三本でも、四本でもいいから買って来よう。
「ねえ」
そう私が問いかけるのとビールの缶が落ちるのは同時だった。
そこにはもう誰もいない。
ただ、彼のいた残渣があるだけ。
ぽつりと残された私は少しだけ彼の悪口を言ってみて、そして少しだけ泣いた。
家に帰ると、もう深夜三時を回っていたのに母はまだ起きていた。
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」
「それ、なに?」
缶ビールがたくさん入ったビニール袋をどう説明しようか、思わず言葉に詰まる。
「まったく。母さんが下戸なの知っているでしょ?」
「うん」
「アンタもきっと下戸。そうでしょ?」
「……うん」
頷きながら玄関を上がる。
その隙に母は私の涙の跡に目ざとく気づいた。
「会えた?」
どこか静かな声で私に問う。
「うん。だけど、多分これが最後だと思う」
「そうね。多分最後。だって……」
母の言葉を私は首を振って遮った。
「お線香あげてくる」
「ん」
私はそのまま仏壇の前へ行き座り込むと写真を見つめた。
そこには彼が。
いや、父がこちらに向けて微笑みかけていた。
母が言っていた。
子供が出来てからずっと成人したら一緒にお酒を飲むんだってはしゃいでいたと。
それなのに、父はあっさりと事故で死んだ。
線香の煙が目にしみた。
「父さん」
ぽつりと呟いていた。
「ビール、一本だけでごめん」
今更の、それもあまりにも馬鹿馬鹿しい言葉が私自身の心を抉り、私は気づけば涙を流していた。
「ごめん。もっと買っていけば良かった」
そうさめざめと泣いている私の隣に母がやってきて笑った。
「いいの。父さんもあんまりお酒強くなかったから」
けらけらと笑う母と泣いている私。
それを知ってか知らずか、写真の中にいる父は穏やかに微笑んでいた。