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ロビン・クリストファーは魔法の先生  作者: 及川シノン@書籍発売中
一章 夢が叶わなかった男の話
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第4話

「……それじゃあ、おやすみ婆ちゃん」


「ごめんなさいねロビン。迷惑ばかりかけちゃって。どうして私、もうできもしないのに、料理なんて……」


 晩飯を終えて薬を飲ませ、横にしてやり布団をかけると――唐突に、そう言われた。


 夕方は俺とゴウファの区別が付かないほど、鍋が焦げているのにも気付かなかったのに。今は意識も記憶もハッキリしている。

 会話が全然成り立たない時もあれば、こうして昔と変わらぬ調子で、何の問題もなくコミュニケーションが取れる時間もある。


 だがその時間は少しずつ、そして着実に、日ごと短くなっていた。


「……良いんだよ。迷惑かけて世話してもらっていたのは、俺の方なんだから。イヨ婆ちゃんは『気にしなくて良い』って俺に言ってくれたじゃないか。お互い様だよ」


 息子が死んだばかりの時期だったのに、見ず知らずの浮浪児を拾ってくれた婆ちゃんには、返しきれないほどの恩がある。温かい食事と寝床をくれて、士官学校にも通わせてくれた。


 だからこれくらい、何ともない。何ともないんだ。迷惑なんかじゃないに、決まっている。


「ロビン」


「ん?」


 ランプの灯りを消して部屋を出ようとすると、また声をかけられた。


 月明りに照らされるイヨ婆ちゃんの顔は、昔と比べるとすっかり皺が増えた。身体も痩せ細った。

 だが今も、今だけは、凛とした貴婦人の面影を残したまま、寂しそうに微笑んだ。


「私のことは良いのよ。貴方は、貴方の人生を生きなさい」


「……そういうわけにもいかないさ。それに俺は充分すぎるほど、好きに生きてるよ」


 死なずに終戦を迎えられた。仕事もしないで、宮廷魔導士の資格試験にだけ取り組んできた。

 他人から見れば、贅沢なまでに恵まれている方だろう。戦争が終わっても仕事がなく、あるいは過酷な労働環境の中、朝から晩まで働いている人間だっている。


 だがイヨ婆ちゃんが伝えたかったことは少し違うようで、まだ少し何か言いたげだった。

 しかし意識がクリアな時間がいつ終わるか分からず――また支離滅裂な内容を言い出されるのが怖くて――俺は早々に扉を閉めて、部屋へと戻っていった。


「ふぅ……」


 床に落ちた参考書や、破けたメモやノートで散らばった、ゴウファの部屋の中。


 椅子に座って外の景色を窓越しに、眼帯をしていない右目で見つめる。

 別に街の様子や、美しい夜景が見えたりはしない。月は雪雲に隠されているのだろう。文字通り、お先真っ暗だ。


 その闇から、手元へと目線を移す。握ったのは、一本のワインボトル。

 煙草は吸わなくなった。酒も大して強くない。だけど今夜は、このワインを開けようと思う。以前から予定していたんだ。

 いつか合格した日のためにと買った、そこそこ良い値段のする酒。


 だが今日までの八年で、このワインが祝杯になることは、結局なかった。


「――……ぁー……。ぅあー……! ぁ゛あー……っ!」


 壁を隔てて、婆ちゃんの声が聞こえてくる。また始まったようだ。

 普段は寝たきりなのに、台所に歩いてきたり、あるいは一晩中ずっと大声で叫んだり、体力が有り余っている証拠なのだろうか。


 ボトルを机に置き、両手で耳を塞ぐ。


 今までに何度も何度も、夜の勉強中や寝ている時だろうと、叩き起こされてきた。

 その度に注意しても、耳栓をしても、数十分や数時間すれば、また大声で騒ぎ出す。

 そうして寝不足な状態で食事の用意や、眠い目を擦って勉強をする俺と違い、婆ちゃんは昼過ぎまでグッスリ寝る。夕方近くに目覚めることも多々あった。

 俺は掃除や洗濯や買い出しをしないといけないのに。それから勉強しなくちゃいけないのに。


 ――イヨ婆ちゃんさえいなければ、もっと集中して試験の勉強ができたんだけどな。


 そんな最低な思考も、今まで何百回と繰り返した。だが『アイツ』と自分とを比べたら、そんなのはただの言い訳だった。


 アイツは、ゴミ捨て場の中でも明るさを失わなかった。捨てられた魔導書を拾って、大人に文字を教えて貰い、本の装丁がバラバラに壊れるまで勉強していた。暇さえあれば魔法の練習に熱中していた。

 士官学校に入ってからも、夜遅くまで予習復習していたっけ。閃いた新魔法の構成式を壁や床に書きまくって、教官達に激怒されたこともある。

 戦場においても帝国兵の扱う魔法に興味津々で、捕虜に頭を下げてまで、新魔法を学習していた。

 俺はそれを、アイツの右隣でただ見ていただけ。


 俺は天才じゃない。ならば過去のアイツ以上に努力するしかない。その努力すら足りなかったのだから、合格しなかったのは当然の話だ。


 もう勉強する必要はないのだからと、明日のことも考えず。ワインのコルクを抜き、グラスに注ぎもしないで、直に口を付けて飲み始めた。


 八年熟成させたワインは、胃液に似た嫌な酸っぱさがあった。




***




「おはよう婆ちゃん。遅れてゴメン」


 酒が弱いくせにボトル一本のワインを空にしたせいで、もうじき正午という時間に目覚めた。

 だが久々にグッスリ眠れた気がする。とはいえ頭はズキズキする。


 二日酔いの痛みを抱えつつ、婆ちゃんの部屋に入ってカーテンを開けた。


「今日は昨日よりかは晴れてるよ。もうじき春だし、温かくなったら庭にでも……」


 婆ちゃんはまだ起きていなかった。昼過ぎまで熟睡するコースだろうか。


「……婆ちゃん?」


 ふと。花瓶の水を窓から捨てた時に、異変に気付いた。

 それは花瓶の生け花が枯れてしまっていたことではない。室温が低すぎただけだ。


 そうじゃなく――なんだか静かすぎる。

 寝ている時でも、寝息くらいは聞こえるはず。なのに今日は、あまりに何も聞こえなかった。


「イヨ婆ちゃん」


 ベッドの脇に立って、顔を覗き込む。穏やかな寝顔だ。

 ただ、肩や胸が上下していない。


「婆ちゃ……」


 肩に触れて、揺すってみる。普段であれば、こうして声をかけて強めに身体を揺らせば、それで起きてくれる。


 だけど今日は、イヨ婆ちゃんは目覚めなかった。


 どれだけ声をかけようと、身体を揺らして肩をとんとん叩こうと。息を吸うことも、目を開けることも――二度と、なかった。


「……あぁ。……そうか……」


 いつかは、こんな日が来ると分かっていた。だが当分先だろうとも、勝手に思っていた。

 昨日は一人で台所まで歩けていたし、寝る前は意識がハッキリしていたから、少しも考えなかった。


 だが、最期の日は唐突に訪れた。


 戦場で何度も経験したくせに、どうして忘れていたのか。

 明日、あるいは今日、死なない保障なんて誰にもない。人間、死ぬ時はアッサリ死ぬ。なんの前触れもなく、突然に、あっという間に逝ってしまう。


 もしイヨ婆ちゃんが死んだら、俺は涙を流すのだろうかと、過去に何度か考えたことがあった。

 その日が実際に来て――俺が零したのは、小さな「あぁ、そうか」という呟きだけだった。


 かつての兵士(戦友)達や、それこそ相棒の時はどうだったか。アイツのために俺は泣いたっけ。


 思い出そうとして、頭痛がしたからやめた。

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