40-54.忠犬+母性=駄犬
「とは言え私自身の過去に特筆すべき出来事はねえのです。ドラマチックなわけでも、極端に悲劇的なわけでもないのです。極平凡な、極々一般的な、けれど他の誰かより幸運な、何処にでもいる奴隷少女の成り上がり話にすぎねえのです」
なんかもう不穏なんだけど……。
「この通り私は黒狼族の端くれなのです。ですが親の顔は知らないのです。物心ついた頃には奴隷だったのです」
あぅ……。
「かつて旦那様が私を拾い上げてくださったのです。旦那様からしたら何の気無しに奴隷を一人雇い入れただけなのですが。厳密に言うなら旦那様は認識すらしていなかったのだと思うのです。人事担当は他にいるのです。手配したのは彼なのです。でもそこはどうでもいいのです。重要なのはそうしてあのお屋敷にお仕えするに至ったという事だけなのです」
そこからクロエのメイド人生は始まったと。旦那様っていう事は、クロエの御主人様は男性なのか。やっぱり貴族の当主とかかな?
「主が私を見出してくださったのはそこから更に数年後なのです。私のこの耳と尻尾をお気に召したそうなのです。主は自身の側付きに私を任命してくださったのです」
え? もしかしてそういう関係?
「当時主は酷く追い詰められていたのです。癒やしが欲しかったのです。毎夜私を抱き締めながら眠りについたのです。そんな主を見て、私は主の為に生きる事を誓ったのです。幾度の困難を乗り越えながら私達は関係を深めてきたのです」
おっとぉ?
「そうして今では友とすら呼び合える関係となれたのです。私は幸運なのです。愛すべき主に出会えた事が何より幸せなのです。私は主にこの身全てを捧げます。主の為に貴方がたを手に入れてみせます。これが私の偽らざる本心なのです」
本当に愛おしそうに言うものだ。御主人様の事が大好きなのだと言葉だけでなく全身から伝わってくる。
うん? でも? あれ? 恋心っぽくはない?
「お友達なの?」
「はい。主もそう言ってくださったのです」
「えっと。その。御主人様と何時も一緒に寝てるのよね?」
「はい。ですから心配なのです。私がこうしてお側を離れる事になったのも本意ではなかったのです」
いや、気にしてるのはそこじゃなくて。
「立場上難しいのかもだけど、御主人様の側室に加わりたいとかって気持ちはあるのかしら?」
「側室?」
「あっ! いえ! ごめんなさい! いきなり踏み込んだ事聞いて! でもね! やっぱり私としても流石に愛する二人を引き離す事は出来ないって言うか! そういう事ならお返しするのもやむなしって言うか!」
「うん? ああ。なるほど。そういう……。では帰して頂きたいのです。ついでに主に紹介させてくださいなのです。アルカとの繋がりは主の為になるのです」
「いやぁ……その……私としてはあまり男性とは深く関わりたくないと言いますか……」
「その心配は不要なのです。主は気さくなお方なのです。良き友人となれるのです。もしかしたらその先も。アルカとなら十分にあり得るのです」
「ニクスぅ……」
「ねえ、クロエ。その前にハッキリ答えてほしい事があるんだけど」
「どうかその質問はご遠慮くださいなのです。きっとその方が面白いのです。ニクスもそう思うはずなのです」
「……うん。それは否定しない。けど良いの?」
「良いのです。主が幸せになれるならそれが一番なのです」
「二人とも? 何の話してるの?」
「気にしないで。それよりアイリスから出ようか。クロエが欲しいなら直接下さいって言いに行った方が手っ取り早いからね」
「えぇ……それはダメでしょぉ……」
「良いから良いから」
「ですです」
なんでクロエまで乗り気なのぉ?
結局ニクスとクロエに押し切られた私は、約束の期間を満了せずにアイリスから出る事にした。
アイリスから出た私達は、何故かそのままクロエが本来仕えているお屋敷に転移する事になった。
「どうぞこちらへ。この時間なら主はまだ起きて働いている筈なのです」
クロエは堂々と私達を伴って屋敷の中を歩いていく。ご主人に事前の報告も無しだ。だと言うのに、屋敷内でクロエを呼び止める者はいない。精々が嬉しそうに挨拶していくだけだ。クロエがこの屋敷内で慕われている、或いは可愛がられているのは間違いなさそうだ。
暫く歩いて扉の前で立ち止まったクロエは、その扉を静かにノックした。
「どうぞ~」
若い女性の声が返ってきた。
「主。客人を連れて来たのです」
「え? クロエ? 仕事どないしたん? 伯爵んとこの坊っちゃんは?」
「優秀な護衛は残してあるのです」
一応ハルちゃんとイロハが残ってくれたからね。
「ふ~ん。まあクロエが言うなら間違いあれへんか」
それで良いの? 軽くない?
あれ? というかこの人が御主人様? 女性なの? 歳は十代後半ってところかしら。女性と呼ぶべきか少女と呼ぶべきか。その境目って感じの年頃だ。
ニクスに視線を向けると顔を背けられてしまった。どうやら笑っているらしい。先に気付いていたようだ。こんにゃろ。
「それで? 誰なん? その人達」
「一人は主も知っているのです。当ててみてくださいなのです」
良いの? 遊んでる場合? 結構忙しそうだよ?
「う~ん……若い女性……茶色がかった黒髪……異国風の容貌……知ってる……わざわざクロエが……そうか。転移かぁ……。あんたSランク冒険者のアルカやな?」
「正解よ。驚いたわ。情報通なのね。私こっちでは活動してないのに」
「そっか。やっぱ覚えてへんか」
「ごめんなさい。会ったことがあるのね」
「会うたっちゅうか、通りすがりのあんたに助けてもうたんやで。うちも姿は見てへんけど」
「「え?」」
なんでクロエも驚いてるの?
「ありゃ? クロエにも言うてへんかった? ほら。両親亡くなった時。あの事件や。助けてくれたんはこの人なんや。うちも後から調べて知った事やけど。今更になってかんにんな。あん時はおおきに」
え? 私、ヴァガルには来てないよ? ヴァガルの外でって事? 相変わらず記憶にないんだけど?
「それは好都合なのです。主。私と一緒にアルカの下へ嫁ぎましょう」
「はぁ? 何言うてるん?」
ほんとにね。ちょっと私もついて行けてないわ。
「うちはクロエ一筋や言うてるやん。そらあ恩返しはしたいけど、うち自身はともかくクロエを他所にやんのは無理や」
え? そっち?
「私は主のものなのです。それは変わらねえのです」
「なら応えてくれてもええやん」
「それはそれなのです」
何か話しズレてない?
「それと勘違いしねえでほしいのです。アルカの伴侶に加わるのは主だけなのです。私は主についていくだけなのです」
あれぇ?
「無茶言わんといてや。この家はどないすんのや」
「それはこれから話し合うのです。取り敢えず今は頷いてくださいなのです」
いや雑ぅ! あかんでしょ!
「嫌や! うちはクロエがええの!」
やっぱり問題そこなんだ……。
「ごめんなさいなのです。主をそういう目では見られないのです」
「なんでやぁ!?」
「主は私にとって友であると同時に可愛い妹分でもあるのです。幸せを願ってはいても手を出す気にはなれないのです」
クロエの方が年上なの? あれかな? 両親の代わりをしてた感じなのかな? 先程の話からすると、ご両親が亡くなったのは私が一人で旅をしていた頃だろうし、今から十年近く前の筈だ。当時のクロエが何歳だったのかはわからないけど、この御主人様が幼かったのは間違いない。
クロエの御主人様への感情も少し見えてきたわね。忠犬的なやつと母性的なのが合わさって最強状態になっているのだろう。その代わりと言うか、この人の望む形とは若干違うものになってしまっているのだけど。
あと若干ポンコツ化してるわね。幾らなんでも強引に話を進めすぎだ。あの冷静なクロエはどこへ消えてしまったのやらだ。御主人様に近付いてからずっと尻尾のブンブンが隠せてないし。皆気を遣ってツッコまないでいるけど。
「そこをなんとかぁ!」
「ダメなのです」
「まあ落ち着きなよ。二人とも。ここで耳寄りな情報だ。アルカの伴侶、すなわちハーレムに加われば、ハーレム内に限り二股も公認で認められるんだ。なんなら推奨されている。更に更に。今ならなんと不老長寿もついてくる。どうかな? 私達と一緒に来てみない? 今のクロエが納得できなくても百年後なら受け入れるかもしれないよ?」
「なにこの人。怪しい事言うてんねんけど」
酷いセールストークだったね。ニクスって勇者とか聖女も殆ど強引に押し付けてたし、私の事も何年も深層に閉じ込めてきたし、力押し以外の説得は苦手なのかもしれない。
「この世界の神様なのです」
「本気で言うてるん?」
「はい。なのです」
「ほなそうかぁ~」
相変わらず軽いなぁ。クロエの言う事なら何でも信じちゃうのかしら?
「それよりいい加減自己紹介くらいするのです。そんな子に育てた覚えはねえのです」
そこはクロエが紹介するところでは?
「うぐっ……ジゼルや。ジゼル・マニャール。マニャール商会の会長や」
あ。商会長さん。そっか。貴族のお嬢様じゃなかったんだ。この感じだとジスカール伯との関係も想像とだいぶ違うっぽいわね。
「改めまして。私はアルカ。こちらはニクスです。突然お邪魔してごめんなさい。今更ですが今回の件について経緯を説明させていただきます。どうかお時間頂けますか?」
「ご丁寧にどうも。勿論喜んでお話聞かして頂きますぅ。あんたはんには何時か恩返ししたいと願うとったんです。うちとしても今回の出会いは有り難い限りです」
「仕切り直したね」
「仕切り直したのです」
「ちょっとニクスは黙ってなさい。これ以上話をややこしくしてはダメよ」
これ以上強引な事をされても困るのだ。先ずは落ち着いて状況を整理しよう。
「クロエもやで。お茶の用意くらい言われんでもしなはれ」
ちょっとやり返した? クロエもクロエで気抜きすぎだものね。やっぱり大好きなご主人様の側は居心地が良いのね。
「アイリス使ったら? ジゼルも忙しいでしょ?」
まあこんな時間まで仕事してるくらいだしね。
「そうなのです。あっちで話すべきなのです。最高の珈琲を淹れてみせるのです」
クロエはやっぱりハマったわね。
でもなぁ。流石になぁ。ジゼルまで勧誘すると決めたわけじゃないしなぁ。
「もう今さらでしょ。クロエには色々見せちゃったんだし」
そうだけどさぁ。
しゃあない。やるしかないかぁ……。