40-50.作戦開始
「少し周囲を見てもいいのです?」
「少しでいいの?」
「私の気が済むまで付き合うです」
そう言って席を立ち、喫茶店の中へ入っていくクロエ。
「これは幻術なのです?」
「似て非なるものよ。現実に存在するわけじゃないわ。けれど今の私達にとっては現実と変わらないの。寸分違わず同じ経験を伝えてくれるわ」
「……不思議なのです。綻びが見えねえのです。細部まで作り込まれてやがります。本当に幻術では無いようなのです」
「魔術に詳しいの? 誰か幻術が得意なお師匠様でも?」
見た所クロエは大して魔力を持っていない。これで魔術が達者とも思えない。だと言うのに知識は有しているようだ。
「そんなところなのです」
クロエは躊躇なく喫茶店のカウンター裏に入っていき、そこに置かれた物を片っ端から物色し始めた。
「不思議な匂いなのです。これは何なのです?」
「コーヒー豆よ。さっき私が飲んでいたのはその豆を砕いてお湯で成分を抽出したものなの。気になるならクロエも飲んでみる?」
「自分でも淹れられるのです?」
「ええ。もちろん。必要な道具は揃っているわ」
実は私もやった事があるのだ。シーちゃんにこの空間を初めて見せてもらった時に、丁度今のクロエと同じようにカウンターの内側に立って色々試してみたからね。
一通りの説明を終えるとクロエは慣れた手つきで作業を始めた。初めて見るであろう機械類にも驚きこそすれ、すぐにそういうものかと納得して順応していった。その堂々ぶりたるや、まるで熟練のマスターだ。今すぐ喫茶店が開けそうだ。
「手慣れているわね。料理もするの?」
「料理は好きなのです」
これまたノアちゃんと気が合いそうだ。
「どうぞなのです」
「あら。良いの?
一杯目は自分で飲んでみたいんじゃない?」
「毒見役は必要なのです」
冗談めかして笑うクロエ。なんだかとってもサマになっている。単純に愛らしくも見えるけど、同時に自然なカッコ良さが滲み出ている。この笑顔を向けられては毒でもなんでも躊躇なく飲み干してしまいそうだ。
「頂くわ」
クロエの淹れてくれた珈琲は、とても初めてとは思えない出来栄えだった。先程飲んだものとも遜色ない。是非我が家の珈琲担当に就職してほしい。
「美味しい。本当に。クロエも飲んでみて」
「頂くのです」
クロエはカップを受け取って一口含むと、一瞬渋い顔を挟んでから笑顔を浮かべた。
「ふふ♪ 無理しなくていいわ。
慣れていないと飲みづらいものなのよ」
「香りは気に入ったのです」
「それでも十分素質はあるわ。それにこんな美味しく淹れられるんですもの。きっとクロエもすぐに好きになるわ」
「他も試すのです」
それから暫くクロエの出してくれるドリンク類を二人で楽しんだ。途中から私もカウンター内に入って一緒に作る方を楽しんだり、逆にクロエに出てもらって私が作るものをご馳走したりと、まるで新婚かカップルのような楽しい時間が過ぎていった。
「まだやってるの?」
ケーキに飽きたらしきニクスが現れた。
「サンドイッチでもいかが? これクロエが作ってくれたのよ。食べてみて。とっても美味しいの。きっと驚くわよ」
「もう散々食べたばかりなんだけど。まあ頂くよ。どうせこの世界なら満腹で苦しむ事も無いんだし」
そうなのよ。無限に楽しめちゃうのよ。一週間あるとは言え、流石にそろそろ何か次の事を始めるべきかしら。
「いっそお客さんも出してみる? 設定弄ればもっとリアルな喫茶店ごっこも出来ちゃうわよ?」
「労働の喜びでも教える気なの? クロエにそんなの必要ないんじゃない?」
それはそう。
「楽しむのは良いけど主旨を忘れないでね」
「もちろん忘れてないわ。ねえ。クロエ」
「当然なのです。ですが、この調子では互いに籠絡なんぞ出来ないのです。もっと大きなキッカケが必要なのです」
吊橋効果的な?
「具体的には? クロエもしてみたい事があったら言ってみて。この世界なら大概の事は叶うから」
「取り敢えず外も見て回りたいのです」
ビル群も気になっているようだ。物怖じしない子だ。
「なら一番高いところから見下ろしたら良いよ。おあつらえ向きのタワーがあるでしょ」
「そうね。取り敢えずの目的地はそこにしましょう。折角だから歩いて行きましょう。寄り道も好きなだけしてもらう感じで」
「異論は無いのです」
大きなキッカケとやらはどうしようかしら? ただデートするだけでは足りないのも確かだ。私達は知り合って間もない。属する勢力も違う。このまま良い友人にはなれたとしても、互いに自らの勢力に引き込むには決め手に欠ける。
実際どうすればクロエを主から奪えるのかしら。
ただ身柄を拘束するだけなら簡単だ。じっくり時間をかけて何れ諦めさせるという手も無いでもない。ニクスには反対してしまったが、深層に連れ込んで何十年もかけて口説き落とすという手は実際有効なのだろう。と言うかそれしか無いからニクスは真っ先に提案してきたのだ。クロエの人となりを知った事で、ようやく私もそれを理解した。
だからと言って、やはり強引な手段は時期尚早だ。最悪致命的な亀裂にすらなりかねない。先ずは正攻法で攻めてみよう。何かしらの取っ掛かりも見つけられるかもしれない。
幸いクロエも現状を悲観しているわけじゃない。むしろ興味津々だ。私にもこの世界にも好意的なのは間違いない。
「これはなんです?」
喫茶店から出たクロエは、道の端に停められた車を覗き込んだ。
「ドライブでもする?」
「歩いていくんじゃなかったの?」
「興味あるみたいだし」
「なら質問に答えてあげなよ」
クロエの側に近づき、車の扉を開いて座らせてみた。当然のように鍵は刺さりっぱなしだ。G◯Aみたいに窓を割る必要もない。ここはとっても平和なゲーム世界だ。
「困ったわね。私運転の方法なんて知らないわ」
うっかりしてた。こんな事ならシーちゃんに教わっておくんだった。
「なら私が運転するよ。クロエは奥の席に移って。アルカは後ろね」
そう言ってニクスも乗り込んできた。なんだか少しソワソワしているっぽい。運転好きなの? そもそも経験あるの?
「足届くの?」
「ここをどこだと思ってるのさ。そういうのは勝手に調整してくれるんだよ」
流石シーちゃん。至れり尽くせりだ。
と言うかやっぱりニクスは運転した事があるようだ。もう既にアイリスで遊んだのも一度や二度じゃないからね。思いつく事は大体試していたのだろう。
「ほら、早く乗って。置いてっちゃうよ」
ノリノリだ。どこからかサングラスまで取り出してるし。
「それでこれは何なのです?
車輪のようなものがついていたのです。
まさか馬無しの馬車なのです?」
クロエはクロエで察しが良い。ニクスにシートベルトを付けられても抵抗する様子もない。
「アルカもちゃんとシートベルトしてね」
「最初はゆっくりよ」
なんだか少し怖くなってきた。
「はいはい。しゅっぱぁ~つ♪」
呑気で陽気なニクスの言葉と共に、やたらと高性能な車体は急加速で発進した。