前編
親指姫という童話がある。
親指程の大きさの女の子のちょっとした冒険譚。
そんな作り話の女の子と同じくらいの大きさの、可愛らしい私の彼女、愛しい婚約者。
「レイス、これとっても可愛い! ありがとう!」
「……可愛いのは貴女のほうですよ。ユリ……私のサンベリーナ」
本当に愛くるしい。
彼女の大きさは私の親指より少し大きいくらいだ。現在、私の机の上で私がプレゼントしたケープを纏ってニコニコと笑う姿に瞳が和らぐのがわかる。
初めはこうなるなどと、私も彼女も予想なんてしていなかったはずだ。
私のいるこの星は、この婚約者のいた星と似た文明を持ってるが技術力はこちらが上。
後から宇宙に出て来た地球人が、この星とコンタクトを取ろうとしたことから交流は始まった。
会話は出来た。では会談を、というところで身体の差に気づいた。最も、困惑は同時にしたもののこちらは自分たちより小さい星外生命体はいくつも知っているので割とすぐ受け入れられたが。
惑星間で同盟を結んで、地球とこちらを繋ぐポータルも作って。色んな技術や文化を互いに学んで。
そんな中で企業の提携なども当然出てくる。
私はホテルをメインに展開する観光会社の社長の息子で、父親に付いて仕事を教わりながら過ごしていた。そんな中、地球の観光会社と企業提携すると言う話が出て歓談の場を設けることになった。
小さい地球人に私たちの大きさのものが揃えられるはずもないので、準備は全てこちらの仕事だった。
そうして迎えた歓談の日にやってきたのはキッチリと身だしなみを整えた男女と、大人しめなワンピースを纏った私よりも若いと思われる少女にも見える娘だった。
男女の顔は強ばっているようにも見えたが、娘の顔は好奇心に満ち溢れて私や父、周りの大きすぎる風景を見回しているように見えた。
父が歓迎の言葉を投げてテーブルに促せば、彼らと同程度の種族のメイドがテーブルの上に行くためのエレベーターに道案内を始める。
テーブルの上では食事などをするわけじゃない。ただ紅茶と茶菓子が乗っているだけの本当に簡素なものだ。
エレベーターが上に到着するまでに父と私が席に座す。
そうしてエレベーターの扉が開いたと同時に
「お父様、お母様! まるで不思議の国に迷い込んだような心地です! 全てが大きくて凄い!」
楽しそうな明るい声色が響いた。
私たちが小さいだけ、と男女が窘める声も少し聞こえて、私はため息を思わずついてしまった。
ハッキリ言ってしまえば、恥ずかしながら当時の私は小さい生命体をバカにしていた所がある。
本当に有意義なものになるんだろうか。そんなことを考えた私に気づかない父ではなく。
「レイス。この星に来たのが初めてらしいご令嬢に少し周りの風景を見せて差し上げなさい」
にこやかだが有無を言わさぬ声だった。
静かに目で応え、ゆっくりと娘のそばに手の甲をテーブルにべたりとつけて手のひらを差し出す。
「とても小さなご令嬢さま。どうか私に身を預けてくださいますか?」
父の呆れたようなため息が聞こえる。
とても小さな、というのはある種侮辱の言葉だ。自分の方が絶対的優位なのだと相手に叩きつける言葉のひとつ。
男女の方は顔を少しムッとしたものにしていたが、娘はぽかんとした顔で私と手のひらを交互に見て。
顔を喜色に染めて頬を両手で抑えた。
「え、ほんとに……!? 大きな人の手に乗れるなんて、ガリバー旅行記のガリバーになった気分……! く、靴のままでいいのかな……それとも脱ぐ……?!」
言葉遣い、と女から窘められてハッとした娘があわあわとする。私は娘の反応にポカンとしてしまっていた。嫌味が全く通じていない。私の様子を見ていた父が笑っている声が聞こえる。
「あ、あの、靴は脱いだ方が良いでしょうか……!」
「…………お、まかせしま、す」
「では脱ぎますね!」
問いかけに詰まりつつ答えれば、あっさりと靴を脱いで持ち、私の手の上に乗り上げてくる。
「え」
「え?」
警戒心がないのか、と思わず呆けた声を上げてしまったが、娘は不思議そうに私を見上げるだけだった。
小さすぎるポツポツとした感触に吹けば飛んでしまいそうだと考えながら腕を持ち上げれば、その場にペタリと尻もちをつかれる。
「お嬢さん、うちの愚息と仲良くしてやってください。レイス。しっかりとエスコートするんだぞ」
「……はい、父上」
父に一礼する。その流れで手の上の娘を見れば、私の父に向かって一礼して見せたあと、下にいる彼女の父母に手を振り始めたところだった。
その動きが落ち着いた所で私は席を立ち、テーブルから離れて残る面々に一礼してからその空間から離れた。
手の上の小さい存在は横に添えた私の指に触れてきて落ちないように気をつけつつも、また周りを楽しそうに好奇心に満ちた目で見回している。
歓談の場に選んだのは小さい種族もよく利用する共存エリアの自社ホテル。
ホテルの中庭に位置する噴水広場に入れば、わぁ、と手の上で感嘆の声が聴こえた。
「……ここで、聞きたいことがあるのですが。おしゃべりをする気はありますか」
「おしゃべり? ……良いですよ! 私も聞いても良いですか?」
「……一問一答方式にしますか」
「はい!」
手の上の娘が楽しそうにニコニコと笑っている。
私が両手を合わせるまでもなく、片手を握り締めれば潰れることは間違いないのに。怖くないのか。
近くの私サイズの種が使えるベンチに腰掛けて、改めて手の上の娘を見る。
こちらの世界では中々見ない黒髪だ。瞳も暗めに見える。自分を見下ろされているのに嫌な顔ひとつしないその姿に私は思わず瞳を眇めてしまう。
「貴女、私のような大きな人に会うの初めてでは無いでしょう」
「え!? は、初めてですよ!?」
「嘘でしょう? 初めてでこんなに怖がらない雌型は初めてみますね」
「雌型」
「……不快に感じました?」
「初めて言われたので分かりません! それに女に違いは無いですし」
嫌味ったらしく顔も寄せずに酷い言葉を投げてみても、笑顔でスルーされる。
近くにいた小さい種の別のお客様は私の言葉を聞いてギョッとした顔をしてからそそくさと離れていった。うん、横目で見ていた今の反応がハッキリ言えば正しい。
「あの、一問一答、でしたよね?」
「はい。どうぞ」
「私、白崎百合……ユリ・シラサキと申します。貴方のお名前も教えて下さいませんか?」
「……自己紹介もしておりませんでしたね。
レイス・ファルカートと申します」
「ありがとうございます。レイスさん。私の事はお好きに呼んでください」
「……名前でなく、おチビさんと呼び始めたら貴女は怒ります?」
「おチビさん? ……フフ! 確かに私は貴方より小さいですから、別に構いません」
「…………いえ、失礼。ユリさんと呼ばせて貰います」
おチビさん。同種族程度の大きさの存在に言うならただのからかいだが、ここまでの差がある種族だとただの差別用語だ。そういう理解がないらしい。
「……ユリさんは私の手の上にいますが、怖くはないんです?」
「怖くないです! むしろ嬉しいです!
童話の主人公の体験をさせていただいてる気分です」
「どうわ、とはなんでしょう? ……あ、すみません。また質問を」
「構いませんよ! 童話はですね、私の星にある子供向けの教訓を教えるためだったり、ちょっとした冒険譚を掻い摘んで分かりやすく描いたものですね」
「へえ……絵本とは違うのですか?」
「絵本でももちろんありますよ。しっかりした小説から絵本まで、幅広くリメイクされたりして愛されてるんです」
「それは、すごいものですね……先程言ってたガリバー、というのも?」
「ガリバー旅行記っていうお話があるんです。船が嵐に流されたら自分より小さい人……レイスさんから見た私のような人達しかいない国に流れ着いたり、そのあと船を直して出港したらまた嵐になって今度は身体がレイスさん達くらい大きい人達の国に流れ着いていたり」
「それはまた、奇抜なお話がありますね……作中で大きな人の手に乗ってたりしていたんです?」
「はい。だから初めに手の上にどうぞってされた時本当に嬉しかったんです」
「……そうですか。では、ユリさん。質問をどうぞ」
表面上は穏やかに言葉を紡いでいく。私は物語の人物でもないし、はっきり言えばこんなに夢心地な存在に関わってる暇があるなら仕事の勉強でもしていたい。話し合いを聞いて流れを見ていたかったのに、と内心ではぼやきつつも外向けの顔を手の上の小さい姿に向けている中。
「レイスさん、今、楽しいですか?」
手の上の小さい姿が吐き出した言葉に固まってしまう。
「……変な顔でも?」
「いえ? 綺麗な笑顔です」
「なら、その表情通りかと」
「フフ、嘘がお下手ですね?」
言われた言葉に表情が崩れたのがわかった。
その顔を見上げて、娘は瞳をぱちくりと瞬かせる。
「あら、怖い顔。不思議の国の女王さまみたい」
「っ、誰が……いえ、大変、失礼を」
思わず言い返そうとして、体格差を考えて苦虫を噛み潰したような顔と気分で心にもない謝辞を述べる。
それにも娘の笑顔は崩れない。
「私のいる国は日本って国なんですけど、そこには【目は口ほどに物を言う】って諺があるんです」
「……どういう、意味ですか」
「目には人の本心が透けて見えます。
私の国はいわゆる、奥ゆかしい国です。あまり他者に気持ちを明け透けに伝える文化はありません。悲しみも、怒りも、切なさも、恨みだって、その場で吐き捨てたりすることは無いんです。その場で雄弁に語るのは、ここだけです」
そう言って小さい両目を両手で指さして見せる。
小さすぎてよく見えない。手を動かして眼前にもって行けばクスリとまた娘が笑う。
「ふふ、疑っておいでですね?」
「……私には無理ですね。貴女の目は小さすぎて見えにくい」
「では仕草でご理解いただけると。
私は本当にこの状態を楽しんでいますよ? 殿方の大きな手に乗っているのも。こんなに綺麗な庭園を見せていただいてるのも、本当に嬉しいし楽しいのです」
「こんなにサイズ差があっても殿方と? そこはバケモノでは?」
「こんなに紳士的なバケモノさんがいましたら世界は襲撃なんてされませんね」
「どんな理論ですか」
はぁ、とため息を吐けば自分の吐息で長い黒髪が揺れる。
ニコニコと笑う小さい姿に毒気が抜かれる気分だ。
小さい種族は大きさの違いで逃げたりする人が多い。共存エリアでさえそうだ。
そういうのを沢山見ているから、平等のはずなのに自分から格下になりに行っている愚か者、というレッテルを勝手に私が貼り付けているだけ。
初めて自分のような存在と会うこの娘の、なんと勇敢なことか。
女なんてすぐ逃げる筆頭なのに。
そういえばこの子のご両親も強ばってはいたが逃げてはいないなと改めて考えていた所で。
「レイスさん、レイスさん」
思考に沈んでいた頭が呼びかけで浮上する。
視線を向ける。小さすぎて見えない、と先程自分で言ったのに。
「心境の変化がありました? ちゃんと私を見てくださってますね、嬉しい! 淡い海みたいな瞳がキラキラで綺麗です!」
言葉と同時にキラキラと光るような、光に当たると小粒な琥珀のような色の小さい瞳の色が見える。
「……貴女も、キラキラしてますね……?」
「本当ですか? フフ、嬉しいです」
少し呆然としながら言った言葉に嬉しそうに笑みを深める小さい姿に、私は目を奪われた。
待て。サイズ差を考えろ自分。
女に目を奪われたことなんて一度もなかった。いや、綺麗だなと目を向けたことはあれど、こんな気持ちで見たことは無い。
「あの……先程までの無礼をお許し頂けますか」
「無礼? 何かありましたか?」
「え」
「私はレイスさんとお喋りを勝手に楽しんでただけですよ」
言われた言葉に目を見開いて、フフ、と笑いを漏らしてしまう。
「そのお言葉に甘えさせていただきますね、ユリさん。ずっとここも飽きるでしょう。ホテル内の別のエリアにご案内しましょうか」
「ぜひ!」
「では、手の上だと安定しませんね……こちらに入られますか?」
「胸ポケット……! ○くんの恋人ですね……!」
「恋び……!?」
思わぬ口撃に反応してしまうが、ジャケットの胸ポケットに小さい姿を滑り落として顔だけ出してもらう。
ホテルを案内しているうちに、気付けばもう歓談終了時間間際になっていて慌てて戻れば、父とユリさんのご両親は話が上手く纏まったらしく酒を飲んでいた。父の機嫌が相当いい。良い話に纏まったんだろう。酒まで出すのだから。
テーブルにユリさんを乗せた手をおろせば、絡み上戸だったらしいユリさんのお母様が私の手の上で飛びついて押し倒していた。どれだけ飲ませたんだ父よ。
酔いを醒まさせてから歓談終了となり、地球の人達を見送って帰りの車の中。助手席で赤ら顔のままの父が不意に嬉しそうにこちらを見て。
「ユリちゃんとはどうだった? エスコート出来たか?」
「少し失礼はしてしまいましたが、問題なく。楽しんでいただけたかと」
「そーかそーかぁ。小さい種族を毛嫌いしてたお前がちゃんと対応出来て良かった」
「……ユリさんは、とても魅力的な方でしたよ」
「お。そうかー! じゃぁ進めといて良かったぜあの話」
「話?」
「おまえ、ユリちゃんと婚約結ばせたからな」
「…………はっ!?」
「おま、前見ろ前!!」
「詳しい話はお酒抜けてからしっかり聞きますからね!?」
車の中での会話の数日後。
あちらの家族の家と私の家にポータルが繋がれた。
話はしっかり聞いていた。企業提携の形のひとつとして息子と娘を婚約させるのはよくある手口ではあるが、流石にサイズ差が酷すぎやしないか。
こんなデカブツと常時一緒にいることになるだろうユリさんを思うと危険が身近にあるようにしか感じられない。
けれどそんなこちらの心配など知ったことかとユリさんは私のそばに寄ってくる。
「レイスさん、また来ちゃいました!」
「いらっしゃいませ、ユリさん……頻繁に来てますが、大丈夫ですか? ポータルも体に負担が無いわけでは」
「大丈夫です! 婚約者様に慣れておいでって送り出されますので!」
「そ、それもそれでどうなんでしょう……」
玄関の棚上にある小さいポータルが彼女達の家と直結しているものになる。使われたらインターホンのベル音が鳴る仕様で、彼女は来たあとにメイドか執事に来客用の椅子に座らされて私の部屋まで連れてこられている。
机の上での逢瀬がほぼ連日続く現状に不安しかない。メイドや執事も機械ではないから正確性もない。いつ取り落とされたりしないかとヒヤヒヤしてしまう。
「迷惑ですか?」
「迷惑ではないですが、怖いです。例えば」
彼女より大きなペンを1本つまみとって、片手を動かして彼女の前に手を添える。つまみとったその1本を床に立てて指を離せば当然ペンは倒れた。カタンと小さい音がするが、ユリさんは耳を塞いでいる。大きな音だったに違いない。
「ね? こういうものが倒れてきたりしたら絶対危ないでしょう」
「そうですね……」
思わぬ凶器に目を瞬かせるユリさんに顔を近づける。
「私の知らないところで、私の私物で貴女が怪我してるのを見つけたくもないし見たくもないんです。心配はご理解ください」
「分かりました。気をつけますね」
僅かに垂れた私の金色の髪を触りながら頷いてくれる姿に口元を緩める。
「さて……今日はどんなお話を聞かせてくれます? 私専属のストーリーテラー」
「今日はこちらです! 親指姫!」
声をかければソファに置いてたんだろう本を取り掲げる姿を見せると同時に言われた題名に、私は目を瞬かせて首を傾げる。
「……貴女のお話です?」
「違いますよ? なんで私です?」
問いを投げれば不思議そうに切り返され、私は片手を本を掲げる彼女のそばに持っていく。
横で親指を立てて見せると、ユリさんは瞳を瞬かせてからパッと楽しそうに笑みを浮かべ、指に抱きついてきた。
「凄い! 私はレイスさんから見たら親指姫だったんですね! 気づいてませんでした」
私の親指より少し大きいくらいのサイズしかない彼女。
自分なんてもはや山だろうという大きさなのに、そんな自分を見上げて楽しそうにクスクスと笑っている彼女は本当に不思議な人だ。
「では、その貴女とは違う親指姫のお話をぜひ聞かせてください」
指に抱きついたままの小さい背中を反対の手でそっと触れる。できるだけ慎重にしないと指で骨などを砕いてしまいそうで怖かった。
促されたことでユリさんは私の指から身体を離し、ソファに座って音読を開始した。
地球の童話というものを私がほぼ知らないと知った彼女は、ならば私が読んで聞かせよう! と初めて遊びに来た日から……と言えば少し語弊があるが、この音読を始めている。
初日から本を持ってきてはいたが、どう接すればいいかわからずしばらく放置してしまっていたから。視線が絡むようになって、声を掛けたことからこの音読会は始まっている。
地球の民は想像豊からしい。こちらの星の教訓を教えるための絵本には大した面白みは無いが、地球のは子供がしっかりと楽しめるようにまるで劇のシナリオかのような構成がされている。大人ですら初聞きなら聞き入ってしまう不思議な面白さがあった。
親指サイズのお姫様の物語の最後は同じサイズの妖精の王子と結ばれてめでたしめでたしだ。よくできた物語。誘拐されたり置き去りにされたりと結構酷い目に合わされてはいたが、これを掻い摘んで幼児向けの絵本にもするのだから地球の民に感心してしまう。
「めでたしはいいですが、少しもやっとしてしまいますね」
「なぜです?」
「だって。貴女が私の親指姫なら……同じサイズの人と結婚することになってしまうじゃないですか。婚約がなくなります」
私の言葉に彼女が瞳をぱちくりと瞬かせる。
そして、楽しそうにクスクスと笑い始めた。
「何がおかしいんです?」
「ふふ、ごめんなさい。レイスさんがなんだか可愛らしくて」
「あまり嬉しくないお言葉ですね」
「ごめんなさい。どうしたらモヤモヤはなくなりますか?」
どうしたら。問われて私も少し考えてしまう。
サイズの差を考慮してある程度私は彼女と距離を取っている。けれど彼女はその距離をあっさりと詰めてくる。先程の指に抱きついてきたのがまさにそれだ。
婚約者なら、多少のスキンシップは許されるだろうか。
「私のここに、キスをしてくれたら。と言ったら……どうします?」
キスやハグは、私はまだしたことが無い。するのが怖い。
少し魔が差した。己の唇を指先で軽く触れながら囁いた言葉に、彼女が瞳を瞬かせて顔を紅潮させる。
え、なんですかその反応。
怯えられると思ったのに、思ったより好意的らしい反応にこちらも少し高揚してしまう。
少しもじ、と身体を揺らしたユリさんが本を置いた。立ち上がってゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「顔、下げて下さらないと……出来ません……」
高い位置から見下ろしていた私に顔をそばに寄せてと願うような言葉を投げてくる。
思わず溜まった唾を飲み込んだ。
唇の間が湿る。椅子を少し机から遠ざけて、できる限り顔を寄せた後に鼻息で彼女の髪が揺れるのが見えれば、息を軽く吸って止めた。
鼻が邪魔でどうなってるか見えないが、唇にポツポツとした感触がきて、何かが下唇に押し当てられる感触が来る。
背筋をゾクリと何かが這った。思わず身震いしそうになるのを耐える。ユリさんが危ない。
できるだけ顔をゆっくりと離して、息を細く、長く吐き出す。
「レイスさん……モヤモヤ、とれまし、たか……?」
聞こえた小さな声にそちらを見下ろす。
顔を紅潮させたユリさんが少し不安そうにこちらを見上げていた。
彼女からしたら大きすぎる片手をそばに添えて、できるだけ柔らかく笑って見せる。
「ええ、無くなりました……ありがとうございます。私の可愛らしいフィアンセ」
彼女が触ってくれていただろう下唇をペロリと舐める素振りを見せれば、彼女の顔が真っ赤になっていく。
「……そのように顔を真っ赤にしているとチェリーのようで……食べたくなってしまいます」
可愛らしいその様子にゆっくりとまた顔を寄せて囁く。言葉の内容に小さな身体がふるりと震えたが、顔の赤みは変わりないように見えた。
「っ! 私、食べ物じゃありませんよ……確かに、レイスさんの大きさなら、丸呑みにされちゃいそうですけど」
「怖がらせてしまいましたか? 冗談なので、許してください……ね?」
「冗談じゃなかったらどうしようかと思いました……」
小さな身体がホッと息をつくような仕草をしてくるが、少し悪戯心が湧いてくる。
「食べるのは冗談だとしても、小さな宝石箱に閉じ込めて手元に置きたい……と思っていたら……?」
彼女の倍以上の添えている片手をググッと寄せる。反対の手も追加して、小さな身体を手の影に閉じ込めた上で、ずいっと顔を寄せてみる。
ユリさんが驚いたように目を見開くのが見えてもそのままにした。
暫くして、少し不安そうな表情になり。
「……私は、レイスさんにとってはアクセサリーってこと、ですか?」
「!? ち、違いますよ!?」
言われた言葉に思わず大声を出してしまう。
耳を塞いだ小さな婚約者の姿にハッとして、顔と両手を離した。
不安げな表情も可愛らしく見えるが、早いところ訂正しなければ新しい溝が出来てしまう。
「私からしたらユリさんは、宝石以上――……いえ、測ることすら出来ないほどの価値があります。貴女が私以外の巨人達の一挙一動で危険に晒されたく無いので……移動など必要ないように、ここに留めていたいという願望なんです」
必死過ぎて声が大きくなりそうで、片手で口を覆いながら言葉を紡いでいく。
耳から手は離れたが、表情は少し暗い。
「表現がよろしくありませんでしたね。貴女を閉じ込めるなら檻ではなく豪奢な方がいいと思ったのでつい、宝石箱と……貴女をただの宝石やアクセサリーだなんて思っていませんよ? 貴女は私の可愛らしくて大切なフィアンセです。どうか許してください」
ジッと目を見つめてくる小さい姿を見つめ返す。眉根を寄せてる私の目元は酷いものだろう。それだけ必死に彼女の機嫌を直したいと思っている。
少ししてから小さな姿が肩で息を吐いたのがわかった。
「檻でも宝石箱でも、流石に監禁は怖いですよ……大きさの差で本当にされるかもって怖くなっちゃいました。本気じゃないってわかって安心しましたけど」
「申し訳ありません……」
私がしおらしく謝罪すれば困ったようにクスクスと笑いをこぼしてくれた。
片手を口元から離して今度はこちらがホッと息をつけばユリさんはソファに座り直していた。
「帰られますか?」
「……そう、ですね。また遊びに来ます」
「私も伺いたい所ですが」
「レイスさんが来たら街がぺしゃんこですね」
「っ……怪獣にはなりたくないので、すみません」
「ふふ、わかってます」
会話をしたあとで私が机から立ち上がり、彼女の座るソファを持ち上げて移動を開始する。
そのまま玄関のポータルまで連れて行き、ユリさんを見送る。笑顔で手を振ってくれていたものの、私は複雑な心境だった。
「やらかしてしまいましたね……嫌われてないと良いんですが」
姿が消えた後で思わず呟きを零して頭を搔きつつ部屋に戻り、仕事に取り掛かった。
その翌日から数日間、ユリさんが家に遊びに来ることはなく。
再びの再会は、地球とこちらの観光業の親睦会の席の中でとなった。