1 天界の神鳥 1
これは、命を求めるが故に死を賭した戦いへ踏み込む者達の物語。
まずは一人——。
十人ほどの兵士達が森の茂みをかきわけながら走っていた。
「あっちです、ベアーテ様」
「三チームで囲むぞ。逃がすな」
ベアーテと呼ばれた女騎士が、兵士の一人に答えて命じた。短い金の髪に、強い意志が漲る大きな瞳。やっと少女を脱した程度の年齢ではあるが、その態度は既に人へ命令する事に慣れた者のそれだった。
兵士達は頷き、命令に従い、素早く班を作って別々の方向へ駆けだす。
女騎士ベアーテもその部下達も、皆が殺気立ち、緊張し、抜身の得物を手にしていた。
彼らは敵を追って森の中を走った。
インタセクシル、と住民達が呼ぶ世界。
剣と魔法と超能力と、神と悪魔と精霊と魔物と。そして人造の巨人と。それら全てが存在する世界。
これより始まるのは、その世界での物語である。
断末魔と血飛沫が森を汚す。
兵士がまた一人息絶え、倒れた。
「お、おのれ!」
残る兵士の一人叫ぶ。
恐怖に顔を引き攣らせながら。
「この、死にぞこないが!」
残る別の兵士が叫ぶ。
剣を持つ手を恐怖で震わせながら。
既に斃れた兵士達の真ん中で「フッ」と嘲るのが、彼らが追っていた敵。
三組に分かれた追手を森の木陰で待ち伏せし、遭遇した不運な組を奇襲して、既に残り三人まで追い詰めた、猫を噛み殺す窮鼠。
「死にぞこない、か。確かにな。だがまだ死んでいないという事でもある」
そう言って、追われている男は嗤った。
男は軽装だった。兵士達が——地球でいう中世ヨーロッパのような——鎧兜で武装しているのに対し、軍服——これも地球でいえば第二次大戦ごろのヨーロッパにありそうな物——を着ているだけだ。
男の肌が白いのは人種的なものだろう。金髪で碧眼の、なかなかの美青年である。
だが浮かべている薄ら笑いは、相手を見下す悪意に満ち、凶悪な殺意も秘めていた。
そして奇妙なのは、彼は体のあちこちに包帯を巻いている事だ。となれば負傷しているのだろうか。しかし彼は、右手に持つ一振りの剣で、一方的に数人の兵士を斃しているのだ。
言う間でもなく、それは無傷の者でさえ容易な事ではない。
生き残りの三人目が、味方二人の後ろで動いた。その男はローブを纏い杖を掲げており、呪文を詠唱した。
「【光熱の領域、第三の段位。炎は塊り球となる。球の炸裂は敵を焼き払う】――ファイアーボー……」
声は途中で途切れた。
魔術師は短剣の刺さった胸を抑えて崩れ落ちる。また犠牲者が一人……。
包帯を巻いた軍人が、一瞬で引き抜いた短剣を抜き撃ちで投げつけたのだ。
援護射撃を失った兵士二人は破れかぶれで斬りかかる。
軍人は剣を手に応戦した。
響く剣戟の音、僅かに数回……
また一人、兵士が倒れた。
一人だけになった兵士が呻く。
「いくら聖勇士とはいえ、この強さは?」
「認識が甘かったな、土人が」
言い捨てる軍人の剣が、最後の兵士の胸を貫いた。
聖勇士——この世界・インタセクシルにおいて、それは異世界から召喚された者達のうち、戦いを生業とする事を選んだ者達の総称。
彼らのほとんどはこの世界の住民達を大きく上回る技量を示す。
異世界から人を召喚する魔法に、そうなれるよう適性のある者を選別する技術が組み込まれているが故に。
古来より人の世を脅かす、魔王・魔神の類が、数十年おきに、あらゆる時代にあらわれるこの世界。
強大な戦力を求めて異界より勇者を召喚する呪文も、特異な発達を遂げていた。
少しばかりの後。
女騎士ベアーテの部隊もついに軍人へと追いついた。
「魔王軍の残党め! 逃がさん!」
凛と叫ぶベアーテを軍人が嘲る。
「逃げる? もう貴様らしかおらんぞ、麗しい女騎士どの」
軍人の周囲には新たな兵士達が斃れている。
三つに分けた組のうち、既に二つは全滅していた。
「逃げ帰るなら今のうちだと思うがな」
せせら笑いつつ軍人は剣を構える。
ベアーテも剣を構え、怒りも露わに怒鳴った。
「貴様らがこのナーラー国にした事を忘れたか! 許せるわけがない!」
ナーラー国。
かつてインタセクシル最大のこの大陸で最も強大な三ヶ国に数えられていた大国。
だが……半年と少し前まで人類と戦っていた魔王軍により、壊滅に追い込まれて全土を焼かれた国。
戦乱の爪痕も癒えない今、屈指の大国の座から哀れにも転落している国だ。
それを為した魔王軍の、残党だと言われたのが包帯の軍人である。
それは事実だ。
有用な技術は広まるもの。異界から召喚した者を聖勇士と呼んで雇うのは、いつの頃からか人類と敵対する魔王達の側でも当然のように行われていた。
この世界の聖勇士とは、力をあてにして召喚された者達のこと。善悪を決める呼称ではない。
軍人は蔑みの笑みを浮かべた。
「テレヴィジョンもラジオもないこの世界の低級な原住民に、俺が許しなど請うかよ」
軍人の故郷——地球と呼ばれる世界の、20世紀のヨーロッパ地方有数の大国——では帝国主義の真っ盛り。技術や文明の遅れた弱小な民族は、強国の下に組み込まれて当然なのだ。
この世界の原住民など、軍人にとっては故郷にいた有色人種どもと同じような動物でしかない。
戦いが始まり——断末魔があがる。
女騎士ベアーテの率いる部隊から、だ。
最後にあがったのは女の悲鳴。
凄惨な血の海を前に、包帯を巻いた軍人は笑った。
「使い道を思いついた。一緒に来てもらおうか」
地面に膝をつき、傷を押さえ、女騎士ベアーテは呻く。
「くっ……誰がお前などに。いっそ殺せ」
途端にその美しい顔が張り飛ばされる。
悲鳴をあげる女騎士。
軍人はもう笑っていなかった。
「誇りでもあるつもりか。お前らごとき劣等人種が」
軍人の名はアーロン=アラス。
故郷の軍で大尉を勤めていた男。
この世界に召喚された後は魔王軍の幹部階級——親衛隊に籍をおいていた男だ。
(アーロン=アラス)
魔王軍の遺産や残党は今後もぞろぞろ出て来るが、本隊は滅んでいるのでもう出て来こない。
そんな奴らがちょっと前までいたんだな……程度の認識で十分です。