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Operations 13 死線のその先






 私立天龍第一高等学校。


 激しい土砂降りの影響で泥濘んだ校庭に、要塞と化した武装コンテナトレーラーが埋もれるようにして鎮座していた。


 内なる魔神に同調したヒロトによって、堅牢な造りの体育館が半壊してしまうその少し前、トレーラー内で作戦指揮を執っていたバトラー大佐は頭を抱えていた。それは彼自身が計画を立案し開発に携わってきた不死の軍団、ラストバタリオン達が壊滅状態に追い込まれていたからだ。


 現段階において生存が確認されている個体は四つ。その彼らもまた、鬼神と化した潤布豊満の手によって、今まさに生命活動の終わりを迎えようとしていた。


 ラストバタリオンの四体は同時に嵐のような銃弾を撃ち浴びせるのだが、身体を硬質化させた豊満はその全ての弾を弾き返してしまうのだ。


更に、京子との激戦で生じ床に転がるコンクリートの残骸を手に取ると、自身の肉体以外の物までをも硬質化させそれを投げ飛ばすのだった。


それは能力の進化。


生命保存の法則があるならば、ヒロトとの闘いを経て命の危機を体験したことにより、能力の更なる飛躍を促したのかも知れない。


 豊満の剛腕により投じられた野球ボール大のコンクリート片は、秒速450mを超えるスピードでラストバタリオンの腹部を貫くのであった。


357マグナム弾の初速が秒速400mと考えれば、なぜ今の豊満が鬼神と例えられるかがお分かり頂けるだろう。


そしてその衝撃の大きさから身体は上下に分断され床に転がるのだが、それでも死に至らないのがラストバタリオンであった。


体液のほぼ全てを失い、脳が機能しなくなって初めて、その手に握られた短機関銃は沈黙するのである。


そしてついに、残るラストバタリオンは三体となるのだった。


 コンテナトレーラー内のモニターに映し出されたボディカメラからの映像を見て、バトラー大佐は歯軋りで口元を歪める。



『信じられん……。奴は、いったい何者だ……。標的ターゲット)と思われる小僧は別として、痛みも恐れも感じることなく闘い続ける兵士達だぞ。自衛隊の戦闘員(コマンバント)にコイツらを倒せるだけのスキルがあるとは聞いておらんし、ましてやこの男に至っては逃げ遅れた学生の一人に過ぎん筈だ。仮にそうだとするならば、元来日本人とは化物モンスター)のような能力(ちから)を潜在的に持っている、とでもいうのか……』



 モニター画像を食い入るようにして覗き込むバトラー大佐の背後に、一人の男が立っていた。


その男はレインコートに身を包み、フードの中に隠れた顔は仮面で覆われていた。なぜ男だと分かるのかといえば、その丸みを帯びない脆弱な身体つきと、骨格の違いが『男』であると主張していたからだ。肋骨は横に広く、骨盤は縦に長かった。


 市街地で起こった大規模車両追突事故。多くの隊員達が懸命の救助活動に勤しんでいるなか、その現場の一角で突然、古びたコンビニエンスストアが爆発炎上を引き起こしてしまう。


その原因を作ったのが、この男であった。



『いいことをお教えしましょう、バトラー大佐。彼のような若者達のことを、この国では神童と呼んでいるのですよ。それに、大佐の言っていることはあながち間違いではないのかも知れません』



 背中からの突然の声にバトラーは動揺を隠せない。慌てて振り返ったその顔には怒りがみてとれた。



『後ろから声を掛けるなと何度言えば分かる。戻るなら戻ると連絡くらいよこさんか。それと、神童についての情報ならば既知の事実だ。だがな、それが実用化されたなどという話は本国の諜報機関ですら掴んでおらんのだぞ。例え実戦投入されていたとしても、立ち塞がる敵の全てが神童であってなるものか』



 仮面の奥から下卑たる笑いが漏れてくる。男はレインコートのボタンを外しながら歩み寄ると、バトラーが覗き込んでいたモニター画面に顔を近づけこのように続けるのだった。



『ーーこれから僕が話す内容に興味がおありなら、黙ってお聞きななさい。よろしいかな、大佐?』



 横に立つ仮面の男にバトラーは苛立ちを隠せない。指揮官として部隊を預かる身の彼からしてみれば、この仮面の男だけは指揮系統の何処にも属していなかったからである。


故に、彼の行動を制する権利をバトラーは持っておらず、管理下に置いておくことが出来なかった。


コンビニエンスストアの爆発炎上も彼の独断によるものであり、バトラーの関知するところではなかった。


しかしながら、今回の作戦においてバトラーがこの男を必要としたのには理由がある。


それはラストバタリオン構想の共同立案者であり研究と開発に携わった実質的リーダーであったからだ。



『いいだろう……。では聞かせてもらおうか。トレーラーを降りてからのこの短い間に、いったい何を見てきたというのだ?』



 バトラー大佐の返答に満足した男は、クククッと小さく笑いを漏らしながら仮面を外すと、脱いだレインコートと一纏めにし床へと投げ捨てるのだった。


フードで隠されていた頭髪は銀色であり、仮面の下から現れたその顔には、金色の瞳が輝きを放っていた。


ひとたび目にすれば忘れようのない容姿であり、名であった。


 何故、この男が此の場に存在していられるのか不思議でならない。商業ビルの屋上で、国立富士宮学園所属の特務課、樋口陸曹長が自らの命と引き換えに葬り去った筈の人物であった。


それは紛うことなき狂った医師、その名をDr.フィールグッドという。



『つい先刻、ある男の策にはまり僕は命を落としてしまいましてねぇ。相討ちではありましたが、その男の血にメスが触れた瞬間、理解したのです』


『ちょっと待て……いま命を落としたと言ったか? だがこうして私の目の前に立っているのは紛れもないドクター自身ではないか』


『勿論ですとも。ただし、複製体として保存されている予備の身体ですけどね。目覚めると同時に亡くなる直前までの記憶が転送されてくるのです。その記憶の中にあった情報の断片から、何故人類の中で日本人という固有の種族のみに特異な能力が発現するのか、神童とはいったい何者なのか、そのヒントに辿りついたのですよ』


『ドクター……貴様いったい何者だ? いや、それよりもだ。貴様の命を奪ったその男というのが、実戦に投入された神童であったとでも言いたいのか』



 フィールグッドはバトラーを軽く押しのけると、モニター画面を食い入るようにして覗き込むのだった。


其処に映し出されているのは潤布豊満であり、直立不動の体勢から鬼の形相で睨みを利かせる彼の姿を見て、湧き上がる興奮を抑えられずにいた。


締まりのない口元からは涎が糸を引き滴り落ち、彼の両眼(りょうまなこ)は嬉々として大きく見開かれていた。


その興味の矛先は、神童である豊満の能力(ちから)そのものであり、それは強欲なまでの探究心からであっただろう。




『僕は僕ですよ。大佐と同じく、退屈で平凡なホモ・サピエンスの一人に過ぎません。ですが僕を殺した男は少し違っていました。おそらく神童とは別物でしょうが、我々が造り上げたラストバタリオンに似て非なる者、と言えるかも知れませんねぇ』


『ううむ……つまり、自然発生的に産み落とされた神童達とは異なり、人の手によって造りだされた能力者、というわけだな。ではその男の血から何を掴んだというのだ?』



 フィールグッドの意識はバトラーではなくモニター画面へと向けられていたが、同時にバトラーからの問いにも反応を見せるのだった。


実際に神童の能力(ちから)を観察出来るまたとない好機だというのに、何故貴様は邪魔をする、と言いたげな表情を浮かべながら。



『先程大佐が仰っていた通りですよ。一部の日本人の血には、化物、或いは神の能力(ちから)が宿っていると推察されます。ほら、昔からよく言われているではありませんか。此処、日本という国には八百万の神がいるのだと。おそらく神童とは、そういった系譜に連なる者達なのでしょう』



 フィールグッドは懐から医療用メスを取り出すと、感慨深げに刃に映る自分の顔を眺めながら更にこう続けるのであった。



『 時代と共に薄められていった血を持つ者達に、神童達の濃い血から因子を取り出し移植して完成させたのが僕を殺した男であり、おそらく此処にいる自衛隊戦力の大半はそのような施術を受けた者達で間違いないでしょう。ただし、いま僕が注目しているのはその造られた者達ではなく、このモニターに映る若者であり、彼こそが神童そのものだと考えられるのですよ』


『この青年が……神童なのか……。だがな、神童は日本の政府によって厳密に管理されている筈だ。門外不出の戦力がなぜ単体での行動を許されている』


『まさか大佐、日本政府は現存する神童達全ての所在を把握している、などと思っていないでしょうねぇ。十三年前の魔神の覚醒から現在に至るまで、自然発生を始めた神童の総数は未確認なのですよ。一般社会に溶け込み身を隠している個体があって当然と考えるべきです』


『確かにその通りだが……。彼が、その一人というわけか……』


『そうです。実際に目にする事の出来る、貴重な一体ですよ。我々からすればビッグフットに出会えたようなものです。いや、それ以上でしょう……。それに先程、面白い能力を使う少女に出くわしましてねぇ。彼女の能力を使えば野に放たれ姿を隠す神童達の居処も、容易く暴くことが出来ると考えます』


『その話が本当であれば、是非とも手に入れたいものだな。少女も、強大な戦力となり得る神童達も……』


『そう言われると思いまして、既に手筈は整えております。それよりも、ほら御覧なさい。この能力、 この禍々しいまでの存在感、これが、これこそが……神童なのです。確かに、我々にとってみれば立ちはだかる敵ではありますが、奴らこそが魔神に匹敵し得る力を宿す人類側の救世主であり、唯一魔神を倒せるかも知れない世界にとっての、希望なのですよ!』



 フィールグッドが見入っているモニターを横から覗き込み息を呑むバトラー。画面に映る豊満は全身を硬質化しただけではなく、周囲の空間にも影響を及ぼしていた。


 ラストバタリオン達の発した無数の銃弾は、彼に届くことなく手前数十センチのところでいきなり床へと叩きつけられたかのように落下してしまうのだ。


まるで空気の防壁にでも遮られているかのように思えるが、実はそうではない。


コンクリートの床下地に生じた窪みを見れば分かるのだが、銃弾ひとつひとつの質量は爆発的に増大しており、重力の影響をまともに受けた結果と考えられる。


なんと銃弾ひとつの重さは、陸上自衛隊現役戦車である10式戦車に迫るものであった。


その重さ、実に40トンを軽く超えていたであろう。


 何故そのような現象が起きたのか、当事者である豊満本人ですら理解してはいなかった。


銃弾をものともしない肉体を持つ豊満にしてみれぱ、弾を避ける必要もなければ防ぐ必要もなかったからだ。


本人の意識とは関係なく、その能力(ちから)は発現したのである。


言うなれば、質量を付与する能力とも考えられる。


 戦闘映像を目の当たりにし興奮状態にあるフィールグッドは、ひとつの仮説を立てるとバトラーに説明してみせるのだった。


この発見の喜びを単に共有したかったのだろうが、残念ながら凡人バトラーに理解出来る話ではなかった。



『今の現象を見ましたか大佐! 何故、彼に銃が通じないのか分かった気がします。おそらく彼は、通常であれば観測困難なとある素粒子の特性を操っているに違いありません』


『事実、奴が神童だとして、その能力の本質を暴いたとでもいうのか……この短い間に。呆れたものだな。例えいかれた人格の持ち主であろうと、やはり腐っても科学者というわけか』



 フィールグッドの興奮は収まるところを知らない。バトラーなどお構い無しとばかりに、高いテンションのまま話を続けるのだった。



『誰が科学者ですって? 間違えて貰っては困りますねぇ。こう見えて僕、医師ですよ。ところで大佐は、ヒッグス粒子という名をお耳にしたことはありませんか?』


『その名なら聞いたことはあるが、それと奴の能力に何の関係があるというのだ』


『ヒッグス粒子の滞在するヒッグス場というものが素粒子に質量を与えた、という論文をお読みになっていれば、銃弾が突如としてありえない質量に変化したことにもある程度理解出来るものかと思いますが』


『それと奴に何の関係がある。奴は肉体とそれに触れた物を硬質化させたのだぞ。だからこそ銃弾は弾かれ、コンクリートの塊は砲弾の如き威力を見せたのではないか。それに……ヒッグス場における粒子の働きで素粒子が質量を得るという話は知っている。そのお陰で素粒子同士が繋がり合い、物質としてこの空間に存在し続けられるという訳だ。ただし光子に限ってはその影響を受けず無視される為、質量はゼロ、つまり光の速度で自由に飛び回れるという解釈で合っているかな? だがな、根本的に奴の硬質化と質量付与の性質はまったくの別物ではないか。いくら鋼鉄で出来た野球ボールであっても、野球場と同じ体積の柔らかいグミの方が質量では(まさ)っているはずだ。質量を増やしたところで肉体を硬質化出来るとは到底思えんがな』



 バトラーによる論破をフィールグッドは一切受け付けない。モニターの先でこれから何が起こるのかと期待を胸に、その口は留まることを知らなかった。



『大佐ぁ、関係無いとは結論を出すのが早過ぎやしませんかねぇ。確かに、直接的には関与出来ませんよ。ですが物質を構成する素粒子の質量を増加したなら、自ずと素粒子間の結束力は高まり間接的ではありますが硬度を上げることも可能ではないでしょうかねぇ』


『それを知ったところで何が出来るというのだ。我々の貴重な戦力たるラストバタリオンも、ついにこの三体だけになってしまったではないか。神童の能力考察などよりも、少しは対策を考えたらどうだね』



 バトラーの苛立ちが頂点に達したと同時に、モニターの先では突然の能力発動に困惑し固まっていた豊満が、一転して動きを見せるのだった。


それを見てフィールグッドもこのように告げ口を閉じるのであった。



『対策ならば遠の昔に考えていますとも……。僕を殺した男の血のデータから、ラストバタリオンの完成形を造るつもりです。この戦闘の、後でね。それに、例の傭兵、なんと言いましたか……あぁ、そうでした思い出しました。円卓の夜のお嬢ちゃんですが、丁度いま駆けつけたようですよ。これはこれで、面白い観物になりそうな予感がします……』



 バトラーはボディカメラ三台の映像を隈無く見回し、円卓の騎士である若い女性の姿を探すのだが何処にも見当たらない。


それはそうだろう。


いまラストバタリオン達の目の前に立ち塞がっているのは鬼の形相と化した吽形の豊満一人であり、荒ぶる異能力者、神童のみなのだから。


 バトラーの様子を察したフィールグッドが呆れた顔でノイズだらけのモニターを医療用メスで指し示すのだった。


『戦場にカメラならもう一台あるでしょうが』、と。


身体を分断され床に転がるラストバタリオンの上体が、冥土……もとい、メイド服を着た彼女の姿を捉えていた。


 ほんの数分前、特務隊三等陸曹、真備温羅(まきびうら)の狙撃により最初の二体を失った直後、バトラーの静止を無視して若い女性はコンテナから飛び出して行くのだった。


団長であるサイクスも止めるどころか逆に背中を叩き送り出す始末。


更に、東洋系の若い男性もいつの間にやら姿を消していた。


バトラーにしてみれば面白くはなかったが、サイクスとの約束も忘れてはいなかった。


魔神を封印している媒体を倒すだけと考えていたバトラーにとっては、異能を持つ特務隊の戦力も、潤布豊満という脅威の存在も、想定外であったからだ。


だからこそ円卓の騎士の参戦は願ってもない助けであり、また同時に要らぬ世話でもあった。


魔神排除の功績を、円卓の騎士に横取りされるのではないかと考えたからであり、願わくば魔神と相討ち、せめて甚大なダメージを与えた後に命を落としてくれたなら、との浅知恵から容認しただけである。


 一瞬、ノイズが途切れクリアーとなったモニターに、彼女の姿が映し出されるのだった。


多国籍傭兵団、円卓の騎士、団員No.12、本名ロザリア・蘭子・エノック・ディアス。


コードネームはR(アール)・ローズ。


両袖と裾に白いフリルが付いた黒いハウスドレス、いわゆるメイド服に、ホワイトブリムとエプロンで装いを纏めた姿。


背丈が低く華奢な身体つきの彼女は、日本人の曾祖母を持つ、南米出身の十六歳の女性であった。




           ∣




 数分前の破壊された職員会議室内。


 豊満の意識は朦朧としていた。それは度重なる闘いによって蓄積された疲労などが原因ではない。


己の肉体を硬質化させたまま、手に触れた物質の硬度までをもコントロール出来ると知ったとき、その効力に比例してエネルギーの消耗が激しくなることにも気付くのだ。


そしていまの豊満は酷い空腹状態に陥っており、脳の活動に必要不可欠な糖質が圧倒的に不足していた。


その影響からであっただろう、思考力も、視力も、指先の感覚さえも、異常をきたし始めていたのである。



(やべぇ……これ以上は、立ってらんねぇ。敵が、まだ残ってるってのによぉ……。まさか、こんな奴ら相手にくたばっちまうとは、思ってもみなかったぜ……なぁ、潮さんよぉ……)



 襲い来る銃弾の嵐を前に、無敵と思われた豊満にも死線が見えるのだった。


これ以上能力を使い続ければ、その先に待っているのは、死、だと。


硬質化能力が維持出来ないとなれば、この銃弾の嵐を凌ぐ手立ては皆無に等しい。


そのように悟ったとき、諦めに似た感情は彼に一片の恐怖も感じさせなかった。


周りの動きはスローモーションのようであり、あぁ、これがよく言われる死の瞬間ってやつか、と死を受け入れたと同時に、豊満の手前ですべての銃弾は動きを止め、その狙いを床へと向けるのだ。


それら銃弾のひとつひとつが超重量の塊に変質し重力に捉えられると、振動を伴う衝撃と共にコンクリートの床面を粉砕するのであった。


 意識が朦朧としている豊満にこの状況を理解することは困難である。


立っているだけでその顔には苦悶が広がり眉間に皺を寄せる。歯を食いしばったその表情は鬼の形相であり鬼気迫るものがあった。


その姿、まさに吽形と呼べたであろう。


 いったいこの会議室の中で何が起こっているのか、そのように考えるのは敵も同じである。


状況の理解が及ばない限り、下手に手出しは出来ないと考えるのが順当だ。


ラストバタリオン達も銃の狙いはそのままに、指揮官であるバトラー大佐からの指示を待ち動きを止めるのだった。


これは死刑宣告を受けた豊満に対して、いみじくも時間的猶予を与えたようなものであった。



『鬼のお兄ちゃん……。ポッケの中だよ。右だよ』


「ーー誰だ?」



 突然頭の中に響いてきた少女の声に、豊満は重い眼を見開き辺りを見回すのだった。


敵以外に誰もいないことは視力が落ちて視界のぼやけた状態であっても判断出来た。


此処にはいない何者かが、直接豊満の頭の中に話し掛けてきたのである。



『だからポッケの中だって言ってるじゃん。ホントはユイんだけどさ、今のお兄ちゃんにこそ必要な物だから。こんなものしかなくて悪いけど、あげるね』


「何言ってやがる。ポケットには何も入ってやしねぇ……!?」



 豊満は驚きを隠せない。ポケットの中といえば後ろにスマートフォンを差し込んではいたが、それもヒロトとの闘いで破損した状態にあった。


他に持ち物と呼べるようなものならば、当初は小型のナイフを手にしていたか、それも糞女ゴリラの殺人キックを受けた時点で会議室の何処かへと弾き飛ばされその行方は分かっていない。


何もあるはずがない、と思いながら半信半疑で右のポケットに手を滑り込ませてみれば、指に触れる物体が二つ。


 豊満は迷わずそれを掴み取ると、霞んだ視界の目の前に腕を持ち上げるのだった。


流石にその包装に記された文字までは読み取れなかったが、それが何であるのか直ぐに理解出来た。


昔よく口にしたことのある、チョコレート菓子であった。


 食事もろくに摂れなかった幼少期、豊満は養護施設を抜け出し近くの個人商店で盗みを働くと、誰も居ない公園の滑り台の上で空を眺めながら盗んだ菓子を貪った。


それは、幸せの味であった。


 幼い豊満は小学校の帰り道、母親に連れられ買い物に来ていた男子児童が、菓子をねだり駄々をこねているのを目にする。


菓子は買わないと叱りつける母親であったが、小さな反逆者に根負けしたのか店を後にする男子児童の手にはチョコレート菓子が握られていた。


 腹も、愛情にも飢えていた豊満は、どちらか一方、いま直ぐにでも解決出来る方を選ぶのだった。


即ち、空腹である。


確かに法律上では犯罪であり罪は犯したが、成長期の空腹を満たすには他に手段を見つけられる歳ではなかった。


後々知るのだが、盗んだ菓子の代金は一円も洩らすことなく養護施設の女性が謝罪とともに支払っていたそうだ。


店主の老人も知っていながら責めることはせず、幼い豊満の好きにさせていた。


今日は来ないのかな、といつも盗んで行くチョコレート菓子を大量に仕入れながら。


 幼い豊満が知らないだけで、彼は産まれながらにして沢山の愛情に包まれていたのである。


亡くなった両親、養護施設の女性、事情を察した周りの人々。


 思い出の菓子を眺めながら、豊満は頭の中に話し掛けてきた少女の声に応えるのだった。



「何処の誰だか知らねえが、ありがとよ。何故こんなことが出来んのか分かんねぇけどよ、感謝するぜ、お嬢ちゃん」


『お兄ちゃん、いま私のこと子供扱いしたでしょ。許さないんだからね』


「違うのか? だったら悪い。けどよ、コイツはありがたく頂くぜ。俺の好物だしな」


『ホントにそう思うんなら今度見舞いに来てよね。もう少し手助けしてあげたいんだけど、ユイこれから手術なんだよね。手術しないと、死んじゃうんだって……。そろそろ……麻酔が効いて……くるから……また……ね……』


「そうか、お前手術すんのか。だったら尚更、お互いに目の前の死線を乗り越えられたら、そのうち飯でも食いに行こうぜ。あっ、それって犯罪か?」


『死線? 約束……だよ……』


「あぁ、約束だ。男ってのは女と交わした約束はやぶらねぇもんだ。俺を信じろ」


『信じ、る、よ……。そろそろ、怖い、女が来る、から、気を、つけ、て、ね……』



 豊満は頭の中に響いてくる感覚が薄れたことで、声の主が眠りについたことを悟る。


そして手にしたチョコレート菓子の包装を破ると、二つ同時に口の中へと頬張るのであった。


食道から胃袋へと送り出した後、目を閉じると同時に深呼吸をひとつ。


朦朧としていた意識も、霞んでいた視界も、指先の感覚さえも、たちどころに回復してゆくのが分かった。


そして静かに吐き出された呼気とともに、弱気になっていた自身の邪念も霧散するのである。


 死を受け入れたことによって全身の感覚は研ぎ澄まされ、能力を使い続けることへの不安さえ感じることはなかった。


いまの豊満は能力の更なる進化など望んではおらず、頼るべきは己の肉体唯一つ、と精神的成長をも果たすのであった。


もとより肉体と精神には深い繋がりがあり、それを心身相関と呼ぶ。


精神的問題は身体に影響を与え、また逆に身体の怪我や病気などは精神に影響を及ぼす。


お互いに影響し合う関係なのである。


つまり、精神的成長を遂げたいまの豊満は、過去の自分をも凌ぐ力を手に入れたのであった。



「どうしたよ……撃ってこないのか? だったらよ、殴られる覚悟は出来てるってことでいいよなぁ!」



 豊満は両手の指をポキポキと鳴らしながら、指示待ちのまま動かないラストバタリオン達に踊り掛かるのだった。


同時にラストバタリオン達の後方、校舎に空いた開口部の先から突然、女性の激しい怒声が浴びせられる。



『お前ら何故撃たん! 敵が脚を止めたら撃つが常識だろうが!』



 其処には円卓の騎士、ローズの姿があったが、彼女が戦闘に助成するまでもなく、決着は一瞬でついてしまうのだ。



金剛不壊金剛力(こんごうふえこんごうりき)っ!」



 豊満の雄叫びにも似た能力発動の掛け声が、彼の拳を強靭な破壊兵器へと変貌させる。


それはヒロトとの戦闘で見せた強度をも遥かに上回っており、なんと拳の硬度はダイヤモンドを超え、現在地球上で最も硬い物質とされるウルツァイト窒化ホウ素級のものであった。


また豊満の背筋と腕の筋肉量も爆発的に増大しており、繰り出された拳の破壊力は戦車が放つ徹甲弾を軽く凌いでいた。


 ラストバタリオン一体の顔面に拳が触れた瞬間、腰から上は破れた水風船のように弾け飛び、それに連鎖したかのように残る二体の身体も肉片を四方八方へと撒き散らすのだった。


 鬼神と化した潤布豊満を前に、ローズは複雑な笑みを浮かべ頬に一滴の汗を流す。


それは己の闘う相手にとって不足なしと感じたからであり、また死を意識したからでもあった。


彼女の直感が、これからこの職員会議室の中が死線になるだろうと囁くのである。



『チッ! 魔神だけかと思っていたら、この国にはこんな化物まで棲んでやがるのか……。曾祖母(ひいばあ)さんが逃げ出すわけだ』



 会議室内に足を踏み入れたローズは豊満とは一定の距離を置き、正面で対峙する。


その手に武器らしき得物を持たないローズであったが、右脚に履いたパンプスをコツンと打ち鳴らすなり、ドレスの裾から無数の刃物や鈍器が落ちてくるではないか。


どのように収めていたのか知らないが、その中にはウサギの縫いぐるみも含まれていた。


 メイドの格好をしたローズを前に、豊満は先ほど頭の中に語り掛けてきた少女が、去り際に言ったことを思い出すのだった。



(怖い女が来る……か。なるほど、確かに……コイツはマジでやばそうだ……色んな意味でな)



 いま校舎の外では雷鳴が轟いていた。それは徐々に距離を縮めてきており、雷光によって薄暗い職員会議室の中も時折影を伸ばすのだ。


豊満とローズは、互いに相手の顔を確認した瞬間、床を蹴り上げ飛び掛かるのだった。







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