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Operations 12 神か悪魔か






 国立富士宮学園敷地内、喫茶『bound to blake』店内。


 防衛省直轄の研究機関である国立富士宮学園の敷地内には、ひとつの町が形成されていた。その中心にあるのが学園校舎であり、多くの研究対象者である若者が住まう学生寮がその横に併設されていた。


 学園の総敷地面積は実に広大であり、例えるならば東京ネズミーリゾートの総敷地面積200ヘクタールとほぼ同規模と言えた。そのような敷地の中には数々の遊興施設、医療機関、また商店街なども存在しており、敷地内の移動手段には路線バスまでもが運行されていた。


またこのように特殊な施設で働く大人達はその総てが自衛官で構成されており、彼ら彼女らの赴任先は家族にさえ伏せられていた。


そしてこの日、アーケード商店街に軒を連ねる喫茶店、bound to blakeの店内には、マスターと思しき老人と一人の客以外に人影は無く、客席を見渡してみれば、閑散、という単語が自然と口を突いて出てきたことだろう。


それもそのはずである。入り口ドアの表には、『closed』と書かれたプレートがぶら下げられていた。


 淹れたてのモカブレンドコーヒーをカウンター席の客に提供するマスター。痩せ型で長身、長い白髪は後ろで一つに束ねられており、薄暗い店内だというのにブラウンレンズのサングラスを掛けていた。



「ご多忙な学長殿が直々に来店とは、いったいどのようなご要件で? しかも変装までなさって」



 学園長、柴田直平(しばたなおひら)は作業服を着た用務員の格好をしていた。だが別に人目を忍び変装をした、という訳ではなさそうである。



「変装ではないのだがね。学園内で植え込みの手入れをしようと思ったのだが、突然の雨に降られてね。不意に温かくて美味しい珈琲が飲みたくなった次第だよ」



 コーヒーカップを口元に運びながらそのように説明する柴田を見て、マスターはクスリとほくそ笑みながら自分も一口珈琲を嗜むと、「やはり君の淹れた珈琲は格別だね」、と柴田の率直な感想を受けこう尋ねるのだった。



「突然の雨ですって? 相変わらず嘘が下手な御方だ。貴方が知ろうと思えば、どのように隠し立てしようとも御見通しの筈ですよね。此方(こちら)にいらした、本当の目的を訊かせて下さいな」


「そうくると思ったよ、坂本君。実はね、国立富士宮学園(ここ)の前身となる陸軍技術本部第九研究所特殊兵科学開発室(りっか)時代から引き継がれてきた例の実験、その初期における被検体の中でも数少ない成功例である私達の内、残っているのはついに私と君の二人だけになってしまったのだよ。あの大内も、明るく目立ちたがり屋だった福田でさえも、つい先日あの世へと旅立ってしまいよった」


「二人、同じ日にですか?」


「そうだ。君がいま頭の中で思い描いているように、消されてしまったのだよ。一昨日、中東のシリア北西部にある、古代遺跡の中でね」



 表情を少しも変えることなく、左手に添えたソーサーにカップを下ろすマスター坂本であった。


まだ飲みかけだった彼の珈琲は、シンクの排水口へと吸い込まれてしまう。


 喫茶店のマスターである彼、坂本敬蔵(さかもとけいぞう)は柴田より一周り歳が若かったが、それでも七十代と高齢である。


冒頭で説明したように彼もまた元は自衛官であったが、定年を迎えてからは自衛隊特別待遇職という位置づけとなり、現在の喫茶店マスターが表向きの役職となっていた。


表向き、ということは当然裏の顔も存在するということだ。


学長柴田は初めから、その裏の顔の坂本に用があったからこそ、こうして此処に足を運んだのである。



「ーーなるほど、いま理解出来ました。何故この店に一度として足を運ぼうとしなかった貴方が、私に会いに来たのか。それは数少ない成功例として処分されることなく生かされた、初期メンバーである私達だけが持つ例の鍵を、必要とする事態に迫られたということですね」



 カウンターの椅子に姿勢正しく座る柴田は、少し冷めた珈琲を一気に飲み干すと嬉しそうに白い歯を覗かせこのように答えるのだった。



「流石メンバー随一の頭脳を持つ坂本君だけのことはある。私が何を望んでいるのか、良く分かっておいでだ」


「ですがまだ分かりません。なぜ現役を退いて長い大内と福田の両名が、遠いシリアの地に赴く必要があったのでしょうか?」


「ーーそれはだね、この地を離れたくとも離れられないこの私に代わり、真相を確かめるべく彼らに依頼したのだよ。まだ幼かったあの頃の私達に、契約を持ちかけてきた奴の正体を、ある一人の日本人考古学者が掴んだようだと連絡を受けてね。学者の名は、森川雪之丞(もりかわゆきのじょう)。我々がよく知る人物、陸科(りっか)初代所長、森川秋水(もりかわしゅうすい)少将の御子息だよ。それで、かねてより息子さんとの交友があったあの二人に、頼んだという訳だ」



 サングラス越しに坂本の目が一瞬、柴田を睨んだように思えたが、その瞳は直ぐに閉じられ口元はへの字に曲がるのだった。



「学長らしくもない。貴方に視えないということは、それが神の内なる領域に関わることだからですよね? それを、その先を分かっていながら行かせた、ということですか……。二人にそのことはお伝えされたので?」


「勿論だ。その上で、二人は了承してくれたのだよ。それは逃れようのない運命なのだ、とね」


「そうなのですか。二人は……納得したうえで逝かれたのですね」 



 戦後GHQにより解体された旧大日本帝國陸軍の数ある組織の中にあって、当時連合国軍最高司令官であったダグラス・マッカーサー元帥は陸軍技術本部第九研究所特殊兵科学開発室(りっか)だけはその存続と研究の継続を例外的に認めるのであった。


それは後任である第2代連合国軍最高司令官、マシュー・リッジウェイにも引き継がれ、日本が独立を経て西側陣営の一員となってからは『国立富士宮療養所』と名を変え研究は続けられることとなる。そしてその後、防衛二法が施行されたと同時に、名称は国立富士宮学園へと変更されるのだった。


 マッカーサーが興味を示し、リッジウェイが今後の世界情勢を鑑みれば、是非とも我が軍の手中に収めておきたい、と判断を下したその研究内容とはいったい何であったのか。


それは、神の子を造り兵器として育てるといった倫理に反する受け入れ難き研究内容であった。


まさに神を愚弄する蛮行であり、罪であっただろう。


そしてその思想は後に、『神童計画』へと引き継がれることとなるのだ。


 考察されたまったく新しいその兵器は、実現されれば戦略的にも戦術的にも実に有用であった。


何故ならば、人としてどのような環境にも容易に潜り込め、破壊工作や暗殺といった作戦行動に武器弾薬を必要としなかったからである。


有用であるが故に、軍上層部は研究費用に糸目をつけなかった。


また、これと同じ考えを旧ドイツやソビエト連邦も持ってはいたが、ある意味オカルト研究の一端として決して陽の目をみることはなかった。


超能力情報収集部隊や、神の軍団である。


それらの存在は公にされることはなく、証拠となる資料も全てが処分されてしまい噂話の域を出ることは無かった。


 陸科(りっか)の初代所長、森川秋水は研究内容の外部漏洩を懸念し、表向きには核の兵器化を目的とした研究である、と流布するのであった。


当時の理研による二研や、京都帝大によって行われたF研に次ぐ、第三の研究機関と軍内部でも認知されていた。

 

 実は核兵器の研究段階において米国の後を追っていたのがドイツであり大日本帝國であったのだが、核兵器開発に必要なウランの総量において日本は圧倒的に不足していた。そこで同盟国ドイツに兵器開発の協力を打診するのである。


Uボートによる極秘裏のウラン鉱石輸送計画。


だが、これが果たされることは無かった。


ドイツは敗戦を喫し、輸送航路にあったUボートも連合国軍に降伏投降したからである。


核兵器の開発は頓挫した。


そもそも、帝國海軍、陸軍による核開発には決定的な問題があったのだが、この時点でそれに気付いていた者は皆無であり、更に空襲による実験設備の消失などによって事実上研究の継続は不可能となるのだった。


ところが、である。


 ウランを積んだUボートとは別に、陸路を通じドイツから満洲国を経て日本にとある貨物が持ち込まれるのだった。


それは当然の如く陸科(りっか)へと運ばれ、核兵器に勝るとも劣らぬ新兵器の開発が次の段階へと進む転換点となるのだった。


 鉛の壁で幾重にも覆われた地下壕の一室で、防護服に身を包んだ数名の学者の手により貨物の扉は静かに開かれた。


 一人の学者が手にした懐中電灯で中を照らし覗いてみれば、人とは呼べぬ暗く蠢く闇の存在が床に寝かされていた。十字架を模した台座の上に、拘束衣の上から革ベルトで縛りつけられた状態であった。


眠っているのか、体表で蠢く闇とは裏腹にその身体は岩のようにピクリともしない。


 学者が近くで観察を試みようと貨物コンテナの中に一歩足を踏み入れた次の瞬間、防護服の内側から自然発火し学者の身体は瞬く間に炭と化すのだった。


 床の上に折りたたまれるようにして崩れ落ちる防護服と懐中電灯。扉の中の暗闇から聞こえてくる、まるで地響きのように低く轟く唸り声に、学者達は驚き慌てふためくのだった。


誰もがこう考える。


我々は、果たしてこれを扱えるのだろうか、と。


 ドイツからの密書によれば、枢軸国軍によるレニングラード侵攻を前に、その前哨戦においてソ連赤軍、枢軸国軍ともに壊滅に追い込まれたとある。


その原因は、戦場に突如として現れた一人の浮浪者によるものであった。


 ボロを纏った老人は銃弾の飛び交う中を平然と歩き続け、戦車の巨軀に押し潰されそうになれば、それをいとも容易く片手で放り投げてしまったそうだ。


更に彼の歩みを阻む者は皆、敵も味方も触れられただけで塵と化し風に流されるのだった。


 両軍はそれらを目の当たりにしパニックに陥ると、即時戦闘を中断し攻撃の的を浮浪者唯一人に絞るのであった。


 飛び交う多言語による怒声。銃撃と迫撃砲とによる集中砲火。更に戦車からの砲弾が追い撃ちをかける。


激しい攻撃は決して止むことはなく、弾薬を使い果たしたことによってのみ沈黙が訪れるのだった。


 銃撃と、砲撃とによる爆音から静寂が取り戻され、舞い上がった土埃により閉ざされていた視界が開けたその先に、奴はまだ立っていた。


その骨と皮だけの痩せた身体のどこにも、身に纏っているボロ布にさえ、傷ひとつ負ってはいなかった。


 唖然とする兵士達。小銃を捨て膝を着き、神に祈りを捧げる者。腰を抜かし背を向けると、まるで獣のように四脚で逃げ出す者。中には我先にと隣人を殴打しながら人波を掻き分け進む者まで見てとれた。


 浮浪者の老人はそのような光景を眺めながら溜息をつく。そしてやせ細ったその両腕を天に掲げるやいなや、けたたましいまでの奇声を発するのだった。


 突如として天空を覆い隠してしまう渦巻状の分厚い暗雲。そして轟き渡る雷鳴と雷光。


 老人がその掲げていた両腕を振り下ろした途端に、逃げ惑う兵士達の頭上へと巨大な雷鎚(いかずち)の球が落ちてくるのであった。


まさにそれは、blitz of lightningと呼べたであろう。


 戦況報告が途絶えて久しい部隊の安否を探る為、ドイツ本国では調査隊の派遣を緊急で決定する。


僅か一晩で現地に到着した調査隊が見た戦場は、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


戦場を埋め尽くす肉塊の海。


折り重なるようにして助けを求め腕を伸ばしている黒焦げとなった遺体の数々。


半ば溶解した車両の装甲には、人が溶け込むようにして埋もれていた。


敵も、味方も、その全てがそうであった。


 何をどうすればこのような事態となるのか。調査隊の若い将官の頭を過ったのは、開発が噂される核兵器の使用であった。


それ以外には考えられない、と。


しかし調査隊の持ち込んだガイガーカウンターの針は異常を知らせる数値を示さない。


調査員の一人が指さし知らせるその先を見て、将官は核兵器使用の可能性を除外するのであった。


それは甚大な被害の中心地にあって、焼けずに横たわっている人物の姿を発見したからである。


 調査隊員達に取り囲まれたその人物は、ボロ布一枚を身に纏う痩せ細った青年であり、初めは死んでいるものと思われたが浅い息をしており、深い眠りの中、昏睡状態にあるのだと知る。


 調査隊の若い将官は彼を見て直感した。彼が、この大惨事の元凶で間違いない、と。


眼下にある青年の体表では、うねうねと漆黒の闇が蠢いていた。


 生存者の捜索はその後も続けられ、幸運なことにも山積みとなった遺体の下から一人のソ連兵が救出されるのだった。


この戦場における被災者の中では唯一の生存者であったが、自分がもう長くないことを悟っていた彼は、残り少ない命の限りを尽くし事の詳細を告げるのである。


そうして語り終えた後、首に下げられれていた十字架を握りしめながら、最後に愛する妻の名を口にして静かに息を引き取るのだった。


 調査隊は深い眠りの中にある青年の身柄を保護し本国に連れ帰ると、陸軍総司令官であるアドルフ・ヒトラーに報告を行い指示を仰ぐのであった。


するとヒトラーはこの度の大惨事をまるで予見していたかのようであり、保護した青年の扱いはヒトラー本人に委ねられることとなった。


ほどなくして、青年の身柄は同盟国である日本へと送られることとなる。


彼の存在なくして、陸科における神なる兵器の誕生はなかったであろう。


だが、開発には途方もない時間と犠牲を払ったにも関わらず、戦時には間に合わなかった。


 大日本帝國は、戦争に負けたのである。沖縄への上陸作戦。米国による二発の核兵器投下。北からはソ連による侵攻。


対抗できるだけの軍備を持たぬ日本に抗う術は無かった。


降伏へと向かう日本。


 マッカーサーが征圧下の日本を徹底的に調査させた結果、陸科の存在が明らかとなった次第である。


そして陸科から国立富士宮療養所となり、更に国立富士宮学園と名称が改められたその最初の年、度重なる実験と失敗とを経てようやく、悲願であった最初の成功を収めるのだった。


成功例第一号被検体、柴田直平。


 一度成功してからはその成功率も格段に上がり、計四名の成功者を出したところでこの計画は突然凍結されてしまうのだった。


それは学園内で起こった被検体による暴動を起因としていた。


 実験途中にあった未成年の被検体三十余名が、脱走を企てたのである。


 計画は未遂で終わったのだが、一番の問題とされたのは実験における最重要ファクターであった『アレ』が、完全覚醒ではないものの永く深い眠りから目覚めてしまったことだ。


これにより学園は、壊滅状態に陥ってしまう。大半の高価で高度な研究設備と、研究員達の尊い命までもが失われてしまうのだった。


 陸科(りっか)時代から所長を歴任し、当時初代学園長となっていた森川秋水は、ことの重大性を重く受け止めると自ら学長室に鍵を掛け、『アレ』が見届けるなか自害するのであった。


 騒動直後、『アレ』は行方を晦ませ消息を断つと、実験そのものが立ち行かなくなり研究は否応なしに中断させられることとなる。


 国立富士宮学園での暴動から六十年以上が経ったある年の八月、何の前触れもなく突然『アレ』は姿を現した。


当時の痩せ細った身体などではなく、筋骨隆々とした青年の姿をしていた。


ひと目で『アレ』だと気付くのは、身体に纏わりつくようにして蠢く、暗い闇の存在があったからである。


 旧ソ連からの独立を経て急速に発展を遂げたとある小国は、覚醒した『アレ』の出現により僅か一夜の内に首都が陥落され政治の中枢機能を失ってしまう。


国内での命令系統は錯綜し、国民を護るべき立場にある軍隊に至っては、災厄から逃げ惑い暴徒と化した民衆を鎮めることが出来ず、手にした小銃で次々と撃ち殺す事態をも招くのだった。


当然、災厄の主が通り過ぎたあらゆる土地では、何の理由もなく多くの命が奪われていった。


主は激しい嵐を伴い、槍と化した雷鎚で大地も人も、目に見える全てのものを焼き尽くしてゆくのだ。


 誰かが天に問うた。あれは、神か、悪魔か、と。


 災いを齎す存在としてはそのどちらとも呼べたが、故に人はそれを魔神と呼び恐れ慄くのであった。


 焦土と化し絶望に包まれたその国に、待望の光が差し込まれたのは翌朝のことである。それは遠い日本の地から遣わされた、魔祓いの血を宿す一族と、世界各地から集められたエージェント達。その中には多国籍傭兵団、円卓の騎士の姿もあった。


そうなのだ。


其処に現れた日本人とは、宇童是清(うどうこれきよ)とその妹、いより。そして、いよりの子である幼き日のヒロトであった。


また彼らを護るようにして囲む円卓の騎士の中にも、一人の日本人が含まれていた。


何を隠そうその人物こそが、元円卓の騎士であった新隣二(あらたりんじ)であり、コードネームではフル・ライオットと呼ばれていた。


 結果的に封印は成功するのだが、世界各地から集められたエージェントの内十八名と、円卓の騎士の生き残り二名を除く十名、そして宇童是清、いよりの兄妹が命を落としてしまうのだ。


そして遺された幼子ヒロトに至っては、自らの肉体に魔神を封印した影響であっただろうか、もともと生まれながらに持っていた人格も、精神も、崩壊し失われてしまうのだった。


まるで自らの意思を放棄した抜け殻であり、それは人形と呼べたかも知れない。





 時は現代、喫茶bound to blake店内へと戻る。


 過去を語る柴田直平は二杯目の珈琲を希望し、吸殻で山となった灰皿に目を配るのであった。


 マスターの坂本は黙ったまま灰皿を下げ新しいものに取り替えると、空いたカップに珈琲を注ぎ柴田の意向に応える。


そして再び、尋ねるのであった。



「魔神の覚醒が、間近に迫っているのですね。だからこそ、その正体を突き止め策を講じようと、あの二人をリビアへと向かわせた……と。で、思っていたような成果は得られたのでしょうか?」



 二杯目の珈琲を口にする前に、柴田は懐から取り出した煙草、わかばを一本口へと運び火をつける。例のキューバ産高級葉巻は流石にこの作業服には見合わないと思ったのだろうか携帯していなかった。


 坂本は吐き出された煙を訝しく思いながらも柴田からの返答を静かに待つのだった。



「実は愛飲のRomeo Y Julieta Churchillsを切らしてしまってね。昔から飲み慣れているコイツが代用という訳だが、そのわかばも何年か前に生産が中止されてしまってね。これはその復刻版という訳さ。味はさして変わらんがね」



 求めてもいない返答に対し坂本は、呆れた顔で柴田の咥えている煙草を取り上げると、灰皿の上に押し付け揉み消すのだった。



「いい加減にしてくださいな。もうそれで三箱目ですよ。流石に吸い過ぎです」


「わたしの体だ、何本飲もうとわたしの勝手だとは思わんかね」


「その体に悪い大量の副流煙を吸わされているわたしの身にもなって下さいな。それに、話を逸らさないでもらえますか」



 柴田は一本取られたとばかりに煙草のパッケージを懐にしまうと、代わりに注がれたばかりの珈琲を口へと運ぶのだった。


そして誰もいる筈のない店内をぐるりと見回し、窓の外に人影が無いことを確認してからその口を開くのであった。



「坂本君よ。壁にMilitary、障子にmaryと言うではないか。何事も細心の注意だけは怠ってはいけないよ」


「それを言うなら壁に耳あり障子に目あり、ですよね。まさか……スパイ、ですか?」



 声を殺しそう尋ねてくる坂本を前に、柴田は声を出して笑うのだった。そして一転すると囁くようにしてこう告げるのだった。



「ーー此処だけの話、此の学園には、それはそれは美しくて恐ろしい化け物が飼われていてね。どうやらその化け物の元飼い主達も、魔神の正体に興味があるようなのだよ」


「学長が仰っているのは、英国を裏で操っていると噂される例の組織のことでしょうか。まさかこの学園内にいるその化け物が、内通者だとでも?」


「それはわたしにも分からん。彼女に関する全てが視えないのでね。かつては女王陛下の吸血鬼と呼ばれていた少女。いや、少女の姿をしてはいるが実年齢に至ってはある意味この国の歴史より古いのかも知れん。ただし、理由はどうあれ魔神について嗅ぎ回っている事だけは確かなようだ」



 柴田がそう言い終えると同時に、店内を照らす照明器具は一瞬だけちらつきを見せ、小さく揺れるランプシェードが影をも揺らすのだった。


 柴田はこの店内から招かざる客が去ったことを確信すると、坂本からの問いに対し改めて応えるのだ。



「鍵となる森川雪之丞は現在身柄を拘束されていてね。テロリスト集団による邦人拉致事件。表向きにはそのように報じられてはいるが、実際のところは現地政府がひた隠しにしてきたある秘密を、森川が暴いてしまったことにより外部との接触を断たれた、というのがわたしの視た真実なのだよ」


「では森川雪之丞を救出しようとした大内さんと福田さんは、現地政府の手により消されてしまった、という訳ですか……」


「政府、ではない。その現地政府に武器弾薬を売りつけ、更に周辺国との地域紛争を激化させる事で莫大な利益にあやかろうとする例の超大国が、かつて手に入れようとしていた魔神の秘密を独占しようと働きかけた結果だよ。また遺跡の周辺地域を激しい紛争地帯とすることで、遺跡の発掘調査隊を遠ざける目的もあった筈だ」


「魔神の正体を探り、研究する為に、あの国は森川雪之丞を必要としているのですね」



 柴田は確信を掴んでいた。最期にあった大内から発せられたテレパシー。柴田の脳内にだけ、それは届けられていた。


それは、悪魔の名であり、神の名でもあった。



「坂本君。わたしはね、魔神を抑え込むことでしか、奴の脅威から世界を護る事は出来ないと考えていたんだよ。だから、例の鍵を使い、再封印の儀式を執り行うべく何年も、何年も掛けて慎重に計画を練ってきた。だがね、我々人間に出来る事は限られている。物を作れば必ず壊れる。国を造ればいずれ滅びる。人を縛りつけておくルールや法律でさえ、やがて破綻してしまう。時代によって、その時代に合ったものへと自然に置き換えられるよう、運命は決められているのかも知れないね。だがわたしは運命に抗おうと思う。人間に造れない、人間を超えるものを造る事によって、いつ破られるとも知れない封印などに頼ることなく魔神を倒し、運命を変えてみようと思うのだよ」



 柴田の顔には覚悟が見てとれた。アカシックレコードに接触を許された彼ならば、未来に起こり得る事象の全てを知ろうと思えば知れたかも知れない。


たが彼はその先を視ようとはしなかったし、自身の洞察力を鍛え知識を深めることで大抵の出来事は予測出来た。


自然と、出来るようになっていた。


 皆は彼が未来を視れるから分かるのだろうと言うが、実はその能力を使ったのは過去に一例だけであった。


それは病気で苦しむ母親の治療方法を探る為であったか、何度視ても母の死は免れなかった。


ほどなくして、直平ひとり遺し母はあの世へ旅立ってしまうのだ。


運命は変えられない。


そう思ったなら、未来など怖くて視る気になれなかった。


ならば、運命すら変えられるよう、正しい選択がなされるよう、最善が尽くせるよう、未来を開拓するべき能力を鍛えあげ、ついに手に入れるのであった。


それは神や悪魔の能力などではなく、本来人間が持っていたはずの能力であっただろう。



 坂本は柴田の語った決意に感服する。そのうえで、レジスターの二重底に隠していた古びた鍵を差し出すのであった。



「貴方がこれから何をしようとしているのかは問いません。ですが、貴方の言葉には嘘が感じられない。神童計画とはもともと、そういった目的のものでもありましたしね。彼ら神童達も、現場に向かわせるので?」


「彼らはまだまだ子供だよ。戦いの道具になど使いたくはないさ。いまは我々大人達が、手本を見せてやらねばな」



 鍵を受け取った柴田は坂本と固い握手を交わした後、入り口ドアを出たところで足を止めるのだった。


道路縁に設置されている店看板に明かりが灯る。


『bound to blake』



「ーーそうか。やがて壊れる、か。いや、この場合は解き放たれる運命の方が合っているかな?」



 深々と降り続いている雨の中、傘を持たずに来た柴田はさてどうしたものかと頭を悩ませていた。すると、目の前に傘を広げ「入れてあげても良くってよ」、と話しかけてくる女性の姿があった。


スラリと伸びた長い脚と、傘の柄を持つ細くて白い腕と指。


傾けた傘の下にあった美しい小顔は、悪戯な笑みを浮かべていた。



「これはこれは、誰かと思えば生徒会副会長のアリス君ではないですか。こんなところでいったい何をしてらっしゃるのですか?」


「不意に、温かくて美味しい珈琲が飲みたくなっただけよ」


「それはちょうど良かった。いまオープンしたばかりですよ。中に入らなくて、よろしいので?」


「そうだわ、いま思い出しちゃった。わたし、珈琲嫌いでしたの」



 (いびつ)なこのツーショットは、タクシーが通り掛かり停車するまでしばらくの間、喫茶店の軒下で雨宿りをしているところを目撃されている。


背の高い老人と、制服を着た髑髏の姿であった、と。




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