Operations 10 上位戦力
暴風雨に煽られながらも国立富士宮学園所属のヘリ、ロクマル改は、パイロットの二名を除き交渉人の工藤と機銃掃射手の一名を機内に残し、左右の開口部から残りの隊員達全員を校舎屋上へと降下させるのだった。勿論、新一尉もその中に含まれる。
彼らに課せられた本来の目的は保護対象者の確保であったが、既に多くの一般市民が犠牲となっているこの状況では敵対勢力の速やかな排除も平行して求められた。
此処はもう、戦場の只中であるのだと。
この後少しすると、この校舎屋上に狙撃手唯一人を残し、隊は二分され別行動に移ることとなる。
新一尉と特務隊三名からなる保護対象者の捜索部隊と、須木戸含め四名からなる敵の駆逐部隊であった。
隊を分けた経緯はこうである。
降り続く雨の中、新は胸のポケットからタバコのパッケージを取り出すと、指示を待つ須木戸の顔を目掛け投げつける。
右手を上げ顔の前で受け止めた須木戸であったが、他の隊員達の目には敬礼姿勢をとっているように見えたようだ。
「准尉さんよ。これから俺は保護対象者確保の為に此処から飛び降りようかと思ってる。理由としては、対象の安全を担保出来るだけの時間が無いからだけど、そんな理由であんた達の中から三名ほど貸して貰いたいのよね」
「それは構いません。一尉の補助が我々に課せられた任務でありますから」
「それともひとつ。現認出来る敵対勢力の行動を阻止、もしくはそれらの排除を頼みたいんだよね。ま、とどのつまり囮になってねってことなんだけどさ。どぉ、頼めるかな?」
「勿論、そのつもりでありましたから何の問題もありません。それよりも、よろしいのですか? この煙草」
「いやぁぁ、正直悩むんだけど。いま、無性に腹が立っててね。だってさ、俺の目の前で未来ある若者達の命が奪われちまったんだぜ。もうほんの数分早く現着さえしていれば、救えた命だった。許せないのさ、自分をね。たかだか作戦任務中の禁煙なんて、大した罰にもなりゃしないさ」
少し前までは、自衛官らしくない言動の新に対し好感の持てない須木戸であったが、人間性という点では見直し始めていた。
この男が何故自衛隊という組織において尉官であるのか、何故、特異な能力を秘めた若者達を教え導く教師であるのか、と。
そんな新を、ほんの少しだけ、分かったような気がするのだった。
ほんの少しだけ。
「あっ、でもやっぱり一本だけ返して貰えないかな。火は点けないからさ。咥えとくだけ。ねっ、いいでしょ?」
「しようがないお人だ」、と須木戸はパッケージから煙草を一本取り出すと、新に向け投げ返すのだった。
雨に濡れたその一本は、新の顔に向けて放られると右手の指二本によって掴み取られる。
奇しくも、それは新に敬礼姿勢をとらせるのであった。
突然ヘリの無線から各隊員の耳に緊迫した工藤の声が飛び込んで来る。
『本機の位置が敵に補足されたようです! いまっ、ロックオンされました! これより緊急離脱します!』
ロクマル改が急転回して校舎裏側へと降下を始めたと同時に、敵のコンテナトレーラーから地対空ミサイル、スティンガーが射出されるのだった。
この短距離で、秒速750mのミサイルが迫るのだ、一度ロックオンされてしまえば逃れる術はほぼ無きに等しい。
これに対しロクマル改は大量のチャフをばら撒くと同時に囮となる小型ドローンを吐き出すのだった。
ミサイルはチャフの撹乱に影響を受けず、標的に向かって軌道を調整しながら迫り来る。
ロクマル改を間近に捉えたその時、囮として放たれた小型ドローンを標的と見誤りスティンガーミサイルは爆散してしまうのだった。
辛うじて着弾を免れたロクマル改ではあったが、この激しい暴風雨の中である。この場からの退避を余儀なくされてしまう。
また、この場を離れる別の理由として、作戦区域外にて同時進行中であるもう一つの任務の為でもあった。
『新一尉。本機はこれよりもう一人の保護対象者確保の為に一旦この場を離れます。いいですか、僕が居ないからといって、くれぐれも馬鹿な真似はしないで下さいよ。間違っても今の貴方は、世界最凶を謳う傭兵時代の貴方ではなく、陸上自衛隊に席を置く尉官なのですからね』
新は落ちてくるミサイルの残骸を避けながら、不貞腐れたような声色でこう返すのだった。
「分かってるって。それよりさぁ、歳上に対してそこまで言うかね、普通。まぁ、俺のことは置いといて。流石は工藤ちゃん。スティンガー撃たれて無事とか、どんだけ幸運の女神様に愛されてるんだか。とにかく、用事が済んだらとっとと戻って来いよ」
『ええ、勿論ですとも。新一尉も、どうかご無事で』
隣接する建物すれすれの低空で飛び去るロクマル改を背に、皆は次なるスティンガーミサイルの襲来に警戒していた。
しかし少なくとも新と須木戸の二人だけはミサイルによる次撃は無いと考えていた。
何故かと言えば、敵の狙いは自分達と同じく保護対象者であると予測出来たからだ。
対象者の名は、宇童ヒロト。
否、正しくはヒロトの中で眠る化け物であっただろう。
これまでにも幾度となくその化け物たる片鱗を垣間見せたことは確かにあった。が、それも旧来の力からしてみれば微塵のひとつ程度ほどでしかなかった。
遡ること十三年前、世界に知らしめた絶望の力。
いまや核兵器に代わる抑止力として世界各国がこの化け物を手に入れようと、もしくは排除しようと暗躍していた。
その化け物の所在も分からぬ内にミサイルを撃とうなど、路傍の悪手でしかなかった。
須木戸もそれを察していたからか、新につける三名の人選を既に終えていた。
「新一尉! あまり時間がありません。部下の大塚、湊、足立の三名をお預けしますので宜しく頼みます。必ずや、貴方のお力になれることでしょう」
「仕事が早いな准尉。助かる」
新は指名された隊員達に降下ポイントを指示すると、屋上西端の手摺にロープを固定させた直後に戦闘降下にて先行させる。
周囲全体に警戒しながらの、降下であった。
そしてまだ敵に動きがないことを確認すると、「ほんじゃま、ちょいと行ってくるわ」、と新は白い歯を覗かせそのままロープも掴まず屋上から飛び降りてしまうのだった。
四階建て校舎の、屋上からである。
須木戸は驚くことを止めていた。その位の馬鹿な真似を平気でするのが自分達であったと思い返していたからだ。
第一空挺団やレンジャーより選抜され特殊作戦群配属となり、そこから更に篩にかけられ僅かに残ったのが自分達であった。
特に須木戸は、部隊訓練評価隊で高い実績を上げており、その経験を高く買われ特務隊の隊長を命じられた次第である。
彼の准陸尉という階級はあくまでも運用上の都合ででしかなく、本来であれば陸三佐の階級を与えられていてもおかしくはなかっただろう。
その新の行動が、須木戸の心に火を点けるのだった。
「真備! お前は此処に留まり後方支援にあたれ。我々はこれより地上に降りて敵を駆逐する」
「了っ!」
特務隊唯一の女性隊員である真備温羅三等陸曹は狙撃手としてこのチームに呼ばれていた。
まだ二十代前半という若さであったが、狙撃という特殊な技能で選ばれたのだ、その実力は折り紙付きと言えた。
自衛隊入隊直後から狙撃の神と呼ばれた二井原を師と仰ぐ彼女であったが、その二井原曰く『銃を持たせたアイツは俺とは違い本物の天才だよ。狙うから当たる、じゃない。撃てば当たるを体現しやがるのさ。可愛い顔して本当に、怖い女さ』、とその実力を褒めちぎっていたそうだ。
真備は体勢を低くすると屋上から校庭を見下ろし狙撃銃を構える。この悪天候の中でも運用に支障をきたさないだろうと選択されたボルトアクション式の狙撃銃であった。
覗き込んだスコープの先に、黒いボディアーマーを着込んだ敵が十二体確認出来た。
「隊長、現認できる敵の数は十二です。いま殺っておきますか?」
「まだだ。敵の注意が一尉達に向けられないよう射撃体勢のまま待機だ。我々が囮として正面から降下する。わたしが発砲したと同時に援護を頼む」
「了っ!」
須木戸は残りの隊員二名を引き連れ校舎正面の手摺に向かうと、全員がカナビラでロープを固定し終えたと同時に壁を駆け降りるのであった。
敵の視界から外れた位置に降着した新達とは違い、須木戸達は囮としてわざと目立つ場所を選んでいた。
敵の集団も、爆散したスティンガーミサイルの落下地点へと内四体を確認に向かわせるところであったから、降下してくる須木戸達の姿も容易に捉えられることとなる。
更に、残る八体も二手に別れ校舎東側と体育館側へと直ちに駆け出すのであった。
散開して弾の的になることを避ける為とも考えられるが、この場合は少し違う。
これは当初から計画されていた動きであり、学園内を三方向から虱潰しに捜索するのが目的であった。
また、落ち着いたその脚の運びようから、撃たれることに対して微塵の恐れも抱いていないことが覗えた。
そのように訓練された、戦闘集団であった。
そして奇しくも、正面側には自衛隊、東側には潤布達爆炎天使の生き残り、そして体育館側にはヒロトと京子が待ち構える形となった。
正面玄関前に降着した須木戸他二名は、飛んできた銃弾を避けながら靴箱が並ぶ昇降口へと身を投げ左右に別れると、間柱を盾に身を隠すのだった。
敵が放つ9mmパラベラム弾は、校舎壁面を抉り縦に並んだ靴箱に無数の穴を空けた。
まさに銃弾の嵐、と表現出来たであろう。
須木戸達が反撃するには激し過ぎる攻撃であった。
それでも須木戸は柱の陰から腕を伸ばすと、ライフルの銃口だけを覗かせ勘だけを頼りに応戦するのだった。
当然当たりはしない。が、それでよい。
「真備! 殺れっ!」
須木戸からの号令が耳に届くよりも先に、真備温羅はM4A1カービンライフルの射撃音を認識した直後、スナイパーライフルの銃爪を引いていた。
解き放たれた銃弾は先頭をきる敵の頭部を貫通、そして手にしていた短機関銃は空に向け数発撃ったところで沈黙するのであった。
だが残る敵の三体は怯むことなく撃つ手を止めない。
真備は次弾の狙いを最後尾の敵に定めると迷いなく銃爪を引くのだった。
それは敵が狙撃されたことに反応し真備が潜む屋上へと銃口を向けたからである。
銃弾は、上体を起こし標的の位置を探る敵の眉間を貫通した。両腕はだらりと垂れ下がり、手にしていたMP5短機関銃は泥土となったグラウンドへと身を投じるのだった。
当然、銃弾を浴びた敵は倒れるものかと思いきや、片膝を立てた状態のまま項垂れ、その場に沈黙するに留まる。
このまま真備の狙撃だけで目前の脅威は全て排除出来るのではないか、と思えるがそうはいかない。
校庭から屋上まで距離はあるがMP5短機関銃の有効射程距離内ではある。命中精度は確かに落ちるが、数を撃てば確率は上げられる。残る敵の一体が、狙撃ポイントを割出し屋上に向け撃ってきたのだ。
真備は慌てることなく装備品を手に場所を移すのだった。
しかしながら、狙撃場所を割出された以上はこのまま狙撃を続けるにはリスクを伴う。
「ちっ! 糞ったれのゴミ虫野郎共!」
耳に装置したイヤホン越しに須木戸の声が入ってくる。
『聞こえたぞ真備。今のは女が言っていい言葉じゃないな』
「特務隊に女もへったくれもありませんよ!」
『確かに。とにかく、今の狙撃で攻撃の手が緩んだ。今度は此方が動く番だ。真備は敵の動きを注視して次撃に備え。おそらく、次がある筈だ』
真備は上官である須木戸の行動に後を任せ、スコープ越しに眼下を警戒するのだった。
敵からの銃撃が緩んだこの隙に、須木戸は次の動きを見せる。随行している二人の部下に指示を出すのだ。
「山本! 敵の懐に入り込み近接攻撃で奴らを黙らせてこい! 人見はわたしと共に山本の援護にあたれ!」
「御意!」
「了」
特務隊の中にあってこの山本という若い男だけはその身に銃火器のひとつとして装備していなかった。必要がないから、と言えばその通りなのだが、それだけでは説明になってはいない。また彼の返答を聞いても分かる通り、自衛官にして自衛官らしからぬ話し方をする男であった。
そのような彼ではあるが階級は二等陸曹という正式な自衛官であり名は山本恭一という。
お世辞にも高いとは言えない背丈の彼が背負っているそれは、一振りの古びた刀であった。
「参る」
昇降口を飛び出した山本は前傾姿勢のまま敵との距離を一気に詰める。
速い、その走り疾風の如し。
腕を振らない独特の走りは顔面が地に着きそうなほどの低姿勢でありながら、銃弾の的にならぬようあえて蛇行していた。
それでいて、速いのである。
グラウンド上で連続して跳ね上がる雨水の柱は山本の背丈を越えていた。
敵の二体は的を絞れないため弾幕を張るべく銃口を広範囲に向けるのだが、銃爪を引くには及ばなかった。何故ならば、人見による援護攻撃を受けたからに他ならない。
「人見! 今だやれっ!」
須木戸は援護射撃の合間に両耳を手で押さえ人見に指示を出す。
人見という隊員。背丈はあるが動きが緩慢な為おっとりした性格に見られやすいが、隊の中で一番厄介なのはこの人見だと皆が言う。
彼が得意とする武器は銃器でもなければ刃物でもない。ましてや、格闘ですらなかった。
彼の武器は、彼が発する声そのものであった。
「いぃいいいやぁあああああああああああっ!」
人見の声が周囲の大気を震撼させたと同時、背にした校舎一面の窓ガラス全てが破砕するのであった。だが本当に恐ろしいのは、その声に指向性の衝撃波を付与することにあった。
敵の二体はその声を正面から浴びて動きを止めてしまう。
衝撃波はヘッドギアを装着していながらも彼らの鼓膜を破り、耳から流血させるのであった。
更に、間髪入れず山本の抜刀により動きの止まった敵の二体は両腕を切り落とされてしまうのだ。
口を大きく開き天に吠える二体であったが、その喉奥からは声が出ていなかった。
おそらくは、人体改造により声帯そのものを切除されている為であっただろう。
身体を反転させた山本は身を屈め刀の切先を背中越しに突き出すのであった。
その古びた日本刀は、コンバットナイフによる斬撃すら防ぐボディアーマーをいとも容易く貫いてみせた。
それも同一線上に並ぶ二体を同時に、心の臓を貫くのであった。
「南無三」
山本は古刀を引き抜くなり刀身に付着した血を振り払い鞘に収める。
だが柄を握るその手はまだ離していなかった。
「山本っ、まだだ! 奴らまだ動けるぞ!」
声を荒げる須木戸は眼を見開き驚いていた。山本の一撃は確かに急所を貫いていた筈だ。しかし、ダメージを受けたようには思えぬ動きで敵の二体は山本に襲いかかる。
踵を打ちつけるとブーツの先からナイフが飛び出し、敵は左右から同時に山本へと蹴りかかるのだった。
「承知」
山本の居合は神速の域を超えていた。敵のナイフが鼻先三寸に迫るなか、瞳は閉じられ刀身は未だ鞘の中にあった。
キンッ
抜刀の動作は確認出来ない。
いつ抜いたのか、ではない。
いつ斬られたのか、である。
敵の二体はおろか土砂降りの雨粒一滴に至るまでが、細切れとなりバラバラと地面に崩れ落ちてゆく。
なんという斬れ味と速さであっただろうか。
昇降口から身を乗り出した須木戸と人見の両名が、周囲を警戒しつつ山本の元へと駆け寄ってくる。
「状況!」
須木戸はライフルの銃口をその先のコンテナトレーラーに向け警戒すると、頭を垂れたまま動かない山本の体調を気遣うのだった。
「まだ異能の力に慣れておりませぬ故、我が肉体が悲鳴をあげておりまする。ですがこの数珠丸に至りましては、まだまだ斬り足らぬようでございます」
「無理もない。我々特務隊は神童の能力を移植、量産する為の実証実験部隊だからな。いくら紛い物とはいえ施術を受けてから実戦までの訓練期間が短過ぎた。すまんな、山本」
「よいのです隊長。少し休みさえすれば直に動けるようになります。それよりも、こ奴ら、何処かおかしいとは思いませぬか?」
「やはり、お前もそう思うか。致命傷を受けていてなお襲いくる謎の敵。まるで漫画に出てくる不死の軍団ってやつだな。所謂、ゾンビ兵ってやつだ」
「あながちそれも間違いではないでしょう。彼の高調波ハイトーンスクリームをまともに受けて立っていられたのですから、既に人間を辞めていたのでしょう。のぉ、主もそう思うておるのだろう、人見玄部二等陸曹殿」
真備に頭を射抜かれ絶命したものと思われる二体を見据え、人見は警戒を露わにしていた。仮に不死の敵が存在していたとして、つい先程まで此処には十二体が立っていたのだ。
それらの全てが不死であったなら、山本がしたように形が残らぬほどの細切れにしなければならないのか、と考えただけで気が滅入ってしまう人見であった。
「はあぁ……嵐が来るとか聞いてないし、びしょ濡れだし、早く寮に帰って風呂に入りたいよ。面倒だが、俺がやるしかないよなぁ……」
山本を支えゆっくりと立ち上がる須木戸と、沈黙する敵二体に歩み寄る人見。
指示を待たずに動き出す人見に須木戸は声を張り上げる。
「待て、何処へ行く人見二曹っ! 勝手な行動は懲罰ものだぞ!」
足を止めた人見は校庭南側に鎮座するコンテナトレーラーを指指すなり、隊長である須木戸に校舎まで下がるよう進言するのであった。
「隊長……。今すぐ山本を連れて校舎内に避難して下さい。どうやら敵は、上位戦力を投入してきたようです。俺と真備でどこまで通用するか分かりませんが、時間は稼いでみせます」
人見が言い終えるが早いか須木戸のイヤホンに真備からの報告が入ってくる。
『報告っ! 前方コンテナトレーラーに動きあり! 中から人が出てきました!』
「やはり敵の増援があったか。数は?」
『それが……一人です。しかも私服の男性です』
須木戸は敵の増援が一体のみと聞き、人見の言う『上位戦力』が何を表しているのかを理解するのであった。
それは、いま対峙している不死の部隊をたった一人で凌駕しうる戦力が投入されたことを意味していた。
『彼も、敵なのでしょうか? ゆっくりと此方に向かってきます』
「間違いなく敵だよ。それも、かなり厄介な相手だ。いま照準器を覗いているよな、真備。これからソイツと人見が接触したなら、迷うことなく撃ち抜け」
『了!』
須木戸は山本を支え足早に昇降口へと身を投げ入れる。その須木戸は他の隊員達とは違い、異能の施術を受けてはいなかった。そうした被検体の運用と検証、評価が彼に与えられた任であり、自らが被検体となっては正しい判断が出来ないたろうと上層部が考えたからである。
そもそも新一等陸尉のサポート兼見張り役を任されているあたり、異能を宿した隊員達よりも格上であることは否定出来ない。
息の上がったままの山本を支えながら、須木戸は階段を登り真備の待機している屋上へと向かうのだった。
たった一人で難敵に立ち向かう、人見の身を案じながら。
人見は頭を射抜かれた敵の目の前に立っていた。沈黙する敵の頭を片手で鷲掴みにしたその瞬間、撃つことを忘れていたMP5短機関銃の銃口が人見へと向けられる。
やはり、死んではいなかったのだ。
損傷した脳細胞のダメージにより肉体の活動は停止していたが、周辺の脳細胞が欠損した部位の役割を補完し終えたと同時に活動を再開したのである。
「正直さ、しばらくの間は肉が食えなくなるから嫌なんだけど……レンチンさせてもらうよ」
人見の声帯は特殊である。指向性の衝撃波しかり、彼の発する周波数域は人間のそれを遥かに凌駕する。それが彼の異能であった。
人が音として感知出来る周波数はせいぜい20kHzまでである。
だが人見は超高周波と呼ばれる300GHzの音や極超高周波をも発することが出来た。
更に驚くべきは、レーダーでも使用されるマイクロ波をも生み出すことが可能であったことだ。
何が言いたいかといえば、いまの人見は人間電子レンジであった。
人見は向けられた銃口を左手で塞ぎ銃弾の威力を殺すと、掴んでいる右手で敵を持ち上げ直接マイクロ波を浴びせるのだった。
敵の肉体はその全身の細胞という細胞に含まれる水分を沸騰させ、四肢の末端から体幹に向け次々と膨張してゆく。
そしてついに細胞維持の限界を超えたそのとき、焼け焦げた肉体は激しく破裂し細かく分断された肉片を辺り一面に撒き散らしたのである。
顔面に付着した肉片を激しく叩きつける雨で洗い流す人見。その背後に、もう一体のMP5短機関銃を構える敵の姿があった。
(そうだった……もう一体いたんだっけ……)
振り返る人見は身を屈め銃撃に備える。動きの緩慢な彼では飛び避けるよりも急所を覆い隠し致命傷を受けない事が最善策であったのだろう。
先ほど左手で銃弾を受け最小のダメージで済ませたのも同じ理由からであった。
人見の上腕、下腿に弾が命中するが、タイトな防刃スーツは防弾も兼ねており貫通には及ばない。だが強い痛みと衝撃により動きは封じられたも同然だった。
だが、幸運の女神は人見に微笑む。
敵のMP5短機関銃は、弾を撃ち尽くしていた。
敵は損傷箇所の脳内処理が追いつかないせいで、仲間が爆散した姿をこれから我が身に起こり得る未来予測と誤変換してしまうのだった。
一旦その場を退き、増援部隊との合流を選択した敵は人見に背を向け走り出す。
ところが、である。
三歩目の足を蹴り出した次の瞬間、敵の肉体は1cm角の賽の目状に切断されバラバラと地面に崩れ落ちるのであった。
人見は一瞬、これは山本の居合ではないかと思うのだが、直ぐにその違いに気付くのだった。
肉体が分断された空間には、血によって染まる格子状の糸が張り巡らされていたのである。
そして日本人ではない、男の声。
『敵に背中を見せて逃げるとか、敵前逃亡って言うんじゃなかったっけ? 罪には罰を、与えなきゃだよねえ』
日本人ではない、東洋系の青年。コンテナトレーラーの中で待機していた、リーと呼ばれていた若い男である。
バトラー大佐率いるラストバタリオン数名のバイタルサインが消失したことにより、ついに円卓の騎士の鎖が解かれたのであった。
彼らこそが、この戦場における上位戦力と呼べたであろう。