【69】魔鏡
息の上がった私がアクティスのボックス席に入っていくと、アメリが振り返った。
「あっ、フィー様! 遅かったじゃないですかぁ、待ってたんですよぉ? ジオツキーも何処に行っちゃったんだろうって……」
アメリは小声で不平を言う。
そのアメリの後ろにはあの眼鏡で小柄な案内係が、床に座り込んでいた。
こんなところに、さっきの案内係が!
しかも、手足をやたらぐるぐると拘束されていた。
見回せば、部屋にはアメリしかいない。
どういうことだかわからなかった私は、アメリの言葉を遮って尋ねた。
「……アメリが拘束したの?」
ツインテールを揺らしながらコクリとアメリ。
よく拘束できる紐を持っていたわね? と思ってよくよく見ると、……あれ、私が使ってた包帯じゃないの。
「フィー様、聞いてくださいよぉ、この人、エルムの侍女だったんですよ!?」
アメリが私に言いつけた。
その言葉で合点がいった私は、案内係の顔をじっと見た。
確かにパーティで館を案内した、あの侍女だった。
捕らえれた侍女は、なぜだかひどく怯えていたわ。
「そういうことだったのね――では、クイーンのカードや贈り物を楽屋部屋においていたのは、あなたなのね?」
女は首を何度も縦に振った。アメリを横目で見てガタガタ震えながら――
アメリの何をそんなに怖がっているのか、よくわからなかったけど。
それよりも私は、さっきから感じ始めた蟀谷の疼きが気になった。
*
舞台では、いよいよこの物語のクライマックス場面を迎えようとしていた。
ロミオ王子の目の前で魔法が溶けて、ジュリエット王女が仕えていた侍女の姿から、本来の姿を取り戻すのだ。
魔女を討伐した二人。だが魔法が溶けるには、王子の真実の愛を得なくてはならないのだ。真実の愛……それは王子が、侍女姿をしていてもジュリエットだと気が付くこと。
『ロミオ王子、実は私、私ね……!』
だが、真実を言い出せるわけがなく、苦しむジュリエット。
『僕も君に伝えたいことがある。君は、本当は、ジュリエット王女ではないのかい……? 君と話すたび、僕はそう思えてならないんだ』
『ロミオ……! ええ、そうなの! 私が、ジュリエットなの!』
舞台には雷鳴がとどろき、魔女の魔法が溶け始め、ジュリエットが元の姿に戻るための〈魔鏡〉が白煙の中から現れた。
スピアはその〈魔鏡〉を見て訝しんだ。
いつもの小道具とは違う、美しいデザインの折畳みの手鏡だったのだ。
(確かフィーさんが言っていた。ミカは、手鏡の魔道具で魔術をかけられたって)
心臓がどくんどくんと脈打った。
恐怖で、手が、足が、震えて止まらない。
しかし、台詞を言わなければならない。感極まって、嬉しそうに。
『ああ、これで私、やっとジュリエットに戻れるのねえ……!』
舞台にいるアクティスは離れた位置に立っていて、この手鏡には気が付いていない。
スピアが嬉しそうに言うセリフを聞いて、最前列に座るエルムの唇が大きく弧を描く。
スピアは葛藤した。
この手鏡を開かなければ、物語は進まない。
でも開いたら、魔術が働いて、自分はどうなってしまうのか……?
「この〈魔鏡〉で、私の魔法は、溶けるのだわ……!」
ジュリエット王女は嬉しさにむせび泣きながら、〈魔鏡〉に手を伸ばす。
手を伸ばして、あの手鏡を持ったら、あとは開かなくてはならないのだ。
スピアの伸ばす手が、小刻みに揺れる。
*
私は、舞台の白煙の中から現れた手鏡を見て凍り付いた。
私には、その手鏡が真っ黒なすすが張り付いているように視えた。
月の加護者の今の私は、黒魔術の痕跡を見ることができる。
――さっきから感じている私の蟀谷の疼き。原因はあれだったのだ。
あの手鏡は、間違いなくミカを老婆に変えた古の魔道具だわ!
劇中では、〈魔鏡〉をジュリエットが開くと、侍女から元の姿に戻れるのだが。
ダメ、あの手鏡を開けては、絶対にダメ!
開けたら、スピアは老婆の姿になってしまう。本当の老婆に……!
スピアの手が手鏡に伸びる。
呪文を唱えなくちゃ……!
私は焦った。
スピアが手鏡をつかみかけている。
でも今からじゃ、もう、間に合わない……!
お読みいただきどうもありがとうございます。
次回【第70話】救世主













