【68】逃走 その2
「動くな」
有無を言わさぬ男の冷たい声が頭上から降って来た。
でも動かないわけにはいかない。私を追いかける男たちがやがて来る。
まして、この貴賓席の人々ともやりあうわけにはいかない。どこの国の要人だか知らないけれど、私はトゥステリア王国の王女なのよ。
私の首元に突き付けられた刃がわずかに離れた。
なぜなのか気になって、私は顔を上げた。
あの三人の男たちが、私と同じようにボックス席の手摺りから貴賓席へと伝ってきていた。隣の男はそれに気を取られたのだ。
だがそれも一瞬で、隣の男は即、私に視線を戻す。
薄暗い貴賓室。
舞台を照らす魔灯器だけの灯かりの中。
隣の男の戻された視線と私の視線が、絡まった。
――――それは、あの青灰色の瞳だった。
「ロデム!?」
「フィー!?」
ロデムの瞳が見開かれた。
ま、またしても、ラ、ランバルドなんて……!?
う、う、嘘でしょ……!?
貴賓席にはランバルドの要人が観劇に来ていたのだ!
ズキズキと痛む右腕を、私は無意識に上からギュッと押さえていた。
だがロデムは剣刃を容赦なく私に向けながら、眉を寄せる。
「……なぜ?」
ロデムの口から発せられる言葉を聞き流し、私は出口であるドアまでのルートを確認した。
私の前方でもランバルドの警護の者達が抜刀する。後ろからは追っ手も迫る。
「ごめんなさい!」
私はロデムに一言詫びて、早口で呪文を唱えた。
ロデムも、後ろから追ってきた男たちも、貴賓席にいる要人や警護の者達も、全員が目を開けていられない程の強風を貴賓室のドアに向けて吹かせた。
この風で、誰も私に近づくことは出来ないだろう。
ロデムが突然巻き起こった風に怯み、貴賓室にいた全員が目を細め立ちすくんだその隙に、私は魔術で起こした急流を背に受けて、ドアから廊下へ勢いよく走り出た。
私を暴漢と信じるランバルドの者と三人の男たち、その男たちを追うランバルドの者達が塊となって後ろから追いかけてきた。
時間稼ぎにと私はドアを閉め、貴賓室の右隣、アクティスのボックス席のドアをすぐさまつかんで開くと、その中に身を隠した。
*
フェリカを探そうと慌ててアクティスのボックス席を出たジオツキーは、帯剣した怪しい破落戸者の男たちが貴賓室の向こう隣の部屋に入っていくのを見た。
ジオツキーはそこにフェリカがいるのだとピンときた。
おそらく、あの侍女があいつらを手引きしていたのだろう。
「フェリカ様はあそこか。それなら、安心ですね」
居場所がわかれば一安心だ。
「ご自分でなんとかされるでしょう、私など必要ありませんから」
他人が聞けば、我が主人に対してこの状況を一安心だなどと咎められるかもしれないが、今のフェリカは満月を過ぎたばかりだ。その気になれば、正直自分などの出る幕はほとんどない、ジオツキーはそう思っている。
「まあそれでも、念のためという言葉がありますから」
だがいつ加勢してもいいように、帯剣した束に手を伸ばしながらジオツキーはドアへと近づき、中の様子を伺おうとした。
すると、貴賓室のドアが勢いよく開けられた。
貴賓室から吹いた一陣の強い風を浴びて、思わずジオツキーは目を細めた。それでも貴賓室のドアから目を離さないでいると、その強風と共にフェリカが中から走り出てきた。
フェリカはすぐ近くに居るジオツキーに気が付くことは無く、弾丸のように貴賓室のドアを閉めると、アメリのいるボックス席へと素早く身を翻した。
「場所がわかったようですね、なによりです」
ジオツキーがさらに胸を撫でおろした途端、もう一度貴賓室のドアが開けられると、今度はフェリカを追いかける他国の騎士と、先程の破落戸者の男どもが転がり出てきた。その後ろから破落戸者を追うようにして、さらに他国の者たちが現れた。そして、お互いに異端者を見つけると抜刀して向かい合った。
ジオツキーは睨み合っている群れを廊下に残し、そっと後方の階段へ移動した。そして、誰にも気づかれることなく静かに階段を降り始めた。
あの争いに、帯剣している自分が巻き込まれるわけにはいかない。
自分はトゥステリア王国の、元はとはいえ王宮近衛騎士団の団長だ。一太刀交えば只者でないことが露見してしまう。
あの破落戸者はたかだか三人だ。他国の騎士たちが簡単に片づけてくれるだろう。
もうじき終演になる。なれば、エルムがどんな動きをするかわかったものではない。
そう考えるジオツキーは、階段を降り切ると舞台袖へと走り出した。
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次回【第69話】魔鏡













