【63】役者たちの想い
「皆には言わなかったのだけど、実はこのカード、以前にも私に届いていたのよ」
スピアが言い難そうに話し出す。
ジオツキーを除く全員がギョッとする中、私はスピアに尋ねた。
「スピアさん、それ、いつですか?」
「フィーさんが初めて観劇にいらした時、クララがクッキーを口にした日よ。あの日、私の楽屋にはケーキが差し入れで届けられたんですが、すぐには手をつけなかったの。フィーさんが、クララのクッキーにクイーンのカードが入ってたって説明をしてくれたでしょう? ですから私、慌てて楽屋に戻ってケーキの箱を確認したんです。そうしたら同じカードが入っていて……。その時のカードがほら、これです」
スピアはクイーンのカードを見せてくれた。
そうだったのね……! それであの時、急にスピアは部屋を出て行ったのだわ。
「もし私にカードが来ていたなんて支配人に知られたら、舞台を降ろされるかと思って、黙っていたの。……私、どうしても最後までジュリエット王女をやり切りたかったから。 ずっとこの役を愛して演じてきたし、皆と力を合わせて舞台を作ってきたから。……でもカードがこうやって届くと怖くなって。……それでも、私は最後まで演じたいの……! 支配人、私、この千秋楽はこのまま演じさせてもらうつもりだから……!」
最後の方は、スピアはマルコスを見据えて強い語調で言い切った。
震えていたクララもスピアの覚悟を聞いて顔を上げた。
「私も! 私だってミカの後を任せられているんだもの。演じきらなければ、ミカにも会わせる顔が無いわ」
マルコスは、役者たちの顏とクイーンのカードを交互に見ながら、頭を抱えた。
「……支配人」
アクティスも彼女たちの想いに頷いて、マルコスの答えを待った。
「……わかりましたというか、…もうわかってますよ、役者たちの想いは!」
マルコスは、ため息混じりに言い捨てた。
「だからこそ私も支配人やってんですから」
とブツブツ呟く。
再び大量に流れてくる汗を白いハンカチーフで拭いながら、マルコスは私たちに向き直った。
「信頼おける警備の者たちにもクイーンの話を通しておきますから。それから、ジオツキーさん、フィーさん、あとそちらの大きな方も! うちの大事な歌劇場の役者をどうかしっかり警護してくださいよ?」
私はマルコスに視線を返し、そしてスピアとクララとも目を合わせた。
「勿論ですわ、皆さん。私たちが責任をもって警護させていただきます。ですから安心して演技に集中してください」
スピアとクララの緊張した面持ちが、私の言葉で少し緩んだ。
二人が支度のために楽屋に戻るのを見届けると、アクティスが私のすぐ隣に来た。
「ねえ、フィー。絶対にクイーンはスピアであるわけがないさ。一緒に舞台を作り上げてきた僕にはわかる。……クイーンが誰だかはもうわかってるんだよね?」
私は、近くに立っているマルコスをちらりと見ながら、コクりと頷いた。
「僕もさっきのジオツキーの話を聞いて、もう誰だかわかったよ」
アクティスは私をまっすぐに見ながら話し続けた。
「でも今の僕にできることは、スビアやクララと気持ちを一つにして、舞台を期待してくれているお客さんに存分に楽しんでもらうことさ。……ねえ、フィー。彼女はこの舞台が大好きだ。きっと最後まで舞台を見ていると思うよ? だからわずかな時間でいいから、僕の演技をボックス席で観てくれない? あの席で観てもらうことが、僕の夢なんだ」
私はアクティスの真剣な声に応えた。
「わかったわ、アクティス。必ずその席であなたのロミオ王子を観るから」
「フィー、ありがとう」
アクティスは微笑み、自分の楽屋に入って静かにドアを閉めた。
「フィー様、私はアメリのところに戻ります。のちほど、ボックス席でお会いしましょう。フィ―様と交代に、今度は私が舞台袖に参りますから」
ジオツキーはそう言って、楽屋の外に出て行った。
*
舞台ではクララの見せ場が始まった。
ロミオ王子の寝室に入り込む女中頭だったが、誘惑にまたまた失敗してしまう。怒った魔女は女中頭を魔法で猫に変えてしまうのだ。観客は悪女役の女中頭の滑稽な台詞や動作に大笑いだ。
ここでクララは全ての出番を終えて、最後は猫の姿で舞台から走って捌けてきた。
演じきったクララの笑顔はとても眩しかったわ。
そしてクララはカーテンコールまでもう出番がないので、一度楽屋へ戻るのだ。
「お願いね、ブロディン」
クララに付いて楽屋へ向かうブロデインとすれ違ったので、私がそう小声で伝えると、ブロディンは任せとけと腕に力瘤を作ってみせた。
舞台上にはアクティスとスビア。ここからしばらくは二人のシーンが続き、クライマックスへと進んでいく。
私は、今ならアクティスのボックス席から観覧できると考えて、舞台袖に控えていたあの案内係りの眼鏡のお姉さんに頼んだ。
「はい、かしこまりました。こちらへどうぞ」
休憩時間には大勢の人がいただろうホールの廊下は、今はがらんとしていた。静まり返ったその道を行き、ボックス席のある二階へと案内される。
歌劇場の二階はね、ボックス席と呼ばれる小部屋だけが並んでいるの。中央は貴賓室、その左右が特別室 そのまた左右が準特別室といった具合だ。
二階の廊下にも誰もおらず、しーんと静まりかえっていたわ。
「こちらでございます。今お二人とも席を外していらっしゃいまして、すぐに戻られますので、少々お待ちくださいませ」
お姉さんが貴賓室の左隣の特別室のドアを開けてくれた。ここがアクティスのボックス席なのね。開けたドアの中からは、オーケストラの音楽とアクティスとスピアの掛け合いの歌声がわっと零れ、観客の熱量も伝わって来た。
「案内ご苦労様、どうもありがとう」
私はボックス席に足を踏み入れた。ドアの向こうは席が丸見えにならないように、重厚なカーテンで仕切られている。私はそのカーテンをそっと開けた。
そこには椅子が二つずつ前後に四脚並んでいた。舞台を見下ろすと、アクティスとスピアが熱演中だ。オーケストラピットを挟んだ最前列にはエルムの姿も見えた。
私は舞台が良く見える前列に座った。
アクティスの演技、そしてエルムの様子を見ていたのだけど、いつまで経ってもジオツキーもアメリも戻っては来ない。
何か変だわ。
だって、二人はエルムを見張っているはずよ。
お姉さんは、二人とも席を外していると言っていた。
……でもお姉さんは、休憩後はずっと舞台袖にいたわよ?
それなのになんでジオツキーとアメリが、席を外しているのを知っていたの?
私の心の中でお姉さんへの不信感が、インクが滲みるように広がっていった。
次回【第64話】仕掛けられた罠
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