【61】千秋楽
私たちがカプロキドの噴水の前に再び戻って来た時には、西の空が茜色に染まっていくところだった。どうやら爺の古の魔道具屋では、過ごす時間の流れも異なるようだった。
私たちは一刻も早くと歌劇場へと向かった。千秋楽を迎えた歌劇場に急いで辿り着くと、歌劇を楽しもうと美々しく着飾った大勢の人が、正面入口に次々と吸い込まれて行くところだった。
劇場の裏口から楽屋へ入っていくと、そこにはマルコスが待ち構えていた。
「ジオツキーさん! フィーさん、皆さんも! 殿下もずいぶん皆さんを待っていたんですけど、もう舞台袖に入ったところでして」
一番に呼ぶのがジオツキーなのがちょっと気になったけど、そんなこと言ってる場合じゃなかったわね。
「楽屋も舞台も関係者以外の立ち入りは禁止しています。差し入れも贈り物もです。そのせいか、クイーンからはまだ何も来ていないんですよ。このまま何も起こらないといいんですけどねえ」
マルコスは白いハンカチーフで汗を拭き拭き早口で捲し立てた。初めて会ってからまだ数日しか経っていないけど、神経質なマルコスが更にやせ細ってしまったように見えたわ。
「マルコスさん、エルムは……ヤトキン嬢は、彼女は今日楽屋に来ましたか?」
「いいえ、基本的に開演前は皆さんお断りしてますからね。いらっしゃるとしても終演後だと思いますが、彼女が何か?」
「エルムが来ても、決して楽屋には入れないでください」
ただならぬ私の雰囲気にマルコスは戸惑いながら、出資者の娘にそんなことできるわけがないと不満気に私を見返してきた。
私はマルコスに例のエメラルドの指輪を見せて経緯を説明した。マルコスはクイーンがエルムだと知ると、驚きのあまりに汗が滝のように流れ落ちた。信じたくは無いようだったが、マルコスもあのエメラルドは印象に残っていたので、指輪が決定打となり認めざるを得なかった。
ちなみに指輪はね、無理矢理に、奪っ……コホン……のよ。
「フィーさん、エルムのことはとりあえず今は内密にしてくださいますか? 千秋楽なんですよ、もう幕が開くんです、役者たちを動揺させたくはありません」
舞台を成功させたい気持ちはわかったけれど、そのことで何か起こったらどうしようと思うと不安になったわ。
ジオツキーは、例の調子で淡々と意見する。
「賛成はしかねます。ですが、おそらくアクティスの演技を遮ることはしないでしょう。終演までは劇を堪能したいでしょうから、何も起こらないのではと思います」
「じゃあ、なんとかなりますか!? さすがジオツキーさん、話がわかってらっしゃる!」
マルコスはジオツキーのスカウトをまだ諦めていないようで、持ち上げることを忘れない。
「それから、皆さんに殿下から伝言が。もし可能なら、殿下が押さえている年間ボックス席から観覧して欲しいと」
そうだったわ。私たちが最初に観劇した時、アクティスに頼まれていたのだった。『千秋楽は是非ボックス席から見て欲しい』って。
ボックス席というのは二階に位置する四人分の席がある個室で、舞台全体をよく見渡せるし、届く音の質が良いことが特徴なの。アクティスが押さえているのは特別個室だろうから、ホール中央近くの一等席なのだろう。
それから私たちは、マルコスからエルムが客席にいると教えてもらった。
舞台近くのホール横のドアからそっと確認したわ。
座席は満員御礼で、二階の要人用の貴賓席やアクティスのボックス席を残し、全て埋め尽くされていた。開演が近づいてきたので、私たちの隣を急いで席へ向かう人たちがすり抜けていく。
エルムは舞台正面のオーケストラピットを挟んで一番前に座っていた。もちろん今日もウィーノが作ったあのエメラルドのセットを身につけていたわ。そして魔道具屋に来店した時と同じ、緑のストライプのワンピース姿だった。
お人形のようなかわいらしさを備えたエルムの横顔を見ていると、他のアクティス・レジェ―ロファンと同じく歌劇の幕開けを楽しみに待っていて、とても彼女がクイーンだとは思えなかった。
「あんな可愛い子がクイーンだなんて、信じられませんねぇ?」
「アメリ、人は意外に見た目と中身は違うもんだぜ?」
ブロディンが、舞台を観て感涙したことを思い出した私は、その意見に妙に納得したわ。
アメリとジオツキーがエルムの様子を見張ることにした。
アクティスの二階ボックス席は、エルムの様子をうかがうのには最高の場所だった。マルコスが案内係を手配してくれると、あの眼鏡の小柄なお姉さんが私たちの下に来てくれた。お姉さんは私たちを覚えていてくれたのだろう、にっこりと笑ってくれた。
観劇したあの日は、こんな事件に巻き込まれるとは思ってもいなかったわ。つい数日前のことなのに、あの時と今とでは状況があまりに違う。
……お姉さんにボックス席へと案内されていくジオツキーとアメリを見送りながら、公演が終わって幕が下りた時、スピアやクララに何が起こるのだろうと想像すると恐ろしかった。
そして私は、これからエルムが二人に与えようとしている危害をなんとか阻止しなくては、と心に強く誓ったのだった。
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次回【第62話】開演













