【25】老婆の正体
「孫のミカは、今朝方、郷里に帰ってしまいました」
驚く私たちに、お婆さんは伏し目がちに話してくれた。
「……実はあの子、恋人と別れまして」
えっ!? 恋人と別れた!?
私、恋人ができたこと無いからよくわからないけど、それはきっと……すごくショックよね?
私はミカにとても同情しちゃったわ。
だって、私も数日前のお見合い相手、ちょっといいなって思ってた人なんだけど、結局うまくはいかなくて……
それでもとてもショックだったのよ。
お見合いの私でさえこんな気持ちなのに、想いの通い合った恋人と別れるなんて、どれだけ辛いことなんだろう?
まだ私も心の傷が癒えていないのよ。だからこんな話を聞いちゃうと、なんか涙ぐんじゃうわよね。
じーん……と自分の気持ちが溢れそうになっていたら、ブロディンが私に耳打ちした。
「お嬢、悪いがここは元気出して、視てください」
え!?
私、落ち込んでるの、伝わっちゃってた?
私は慌てて気を取り直した。
ああ、しっかりしなきゃ、私!
従者たちに心配させてはいけないわよね。
お婆さんは、話を続けていた。
ミカは恋人が何よりの心の支えだったので、芝居への情熱も持ち続けてはいられなくなったこと。恋人のいるアルマンの街をすぐに去りたかったこと。自分はミカの荷物を送ってあげるためにここに手伝いに来たこと……
蟀谷の疼きから黒魔術の気配を感じたブロディンは、それがどこにあるのか探りたがっていた。それは私も同じだわ。
もしミカが『悪しき悪戯』を購入したのなら、この部屋にまだ残っているかもしれない。だから私はそっと意識を集中して、部屋の中にある黒魔術の痕跡を探してみたの。
両手の指先を膝の上で合わせて目を瞑る。
そうして部屋の隅から隅へと意識を張り巡らせてみたけれど……何も感じることはできなかった。
どうやら部屋の中には、黒魔術がかけられた物は何もないようだ。
疼きの手がかりをなんとかして得たかった私は、まずお婆さん自身が魔術を使えるのかどうか、お婆さんの魔力を視ようと思いついた。
もしかしたら、このお婆さんが黒魔術を使っているのかもしれないでしょう?
私は目にきゅっと力を入れて、お婆さんに視線を注いだ。
――次の瞬間、私には視えた。
でも、私の目に視えたのはおばあさんの魔力では無くて……
私が視たものは。
お婆さんの全身が、頭の天辺から足先までが、真っ黒に塗りつぶされていて……
――それはまるで、深闇の影法師のようだった。
「っ……!」
私は、ぶるっと悪寒がした。
私、人がこんなふうに視えたの、初めてよ……
このお婆さんには、黒魔術がかけられている?
――いいえ、違うわ。
黒魔術をかけられていたら、その人の周りに黒霧が纏わりついているように見えるもの。ウフダム侯爵様の時のように。
でもこのお婆さんは、影法師のように真黒で……
これは一体どういうことなのかしら?
このお婆さんには、何が起きてるの!?
お婆さんはミカの話をこう結んだ。
「ですから、もうミカはここへは戻りません。支配人にもそう伝えてください。アクティスさん、今までミカが本当にお世話になりました」
お婆さんは胸に手を当てて、アクティスに深く感謝の意を示した。
心なしか、手が震えているように見えたわ。
ずっと黙って話を聞いていたアクティスは、お婆さんを射抜くように見て口を開いた。
「申し訳ないけど、僕はその話信じられないな。だって、ミカが今回の役をどれだけ嬉しく思っていたか! 本番が終わると、役者全員に自分の演技について意見をもらって、演技を振り返ってさ。彼女誰よりも熱心だったんだ。恋人の支えを無くしたのは辛いけど、それとこれとはミカにとっては別だと思うんだ」
お婆さんの皺だらけの小さい目が、アクティスに釘付けになった。
「だいたい、芝居が命より大事なミカだよ? 急に連絡も無く休むなんてことも考えられないよ」
アクティスは両手を大きく動かしながら、熱弁する。
ああそうか。アクティスもミカと同じように、芝居に人一倍真摯に取り組んできたはずよね。
爵位を継がず、家を飛びだして、大好きな芝居の世界で必死に生きてきた……だからこそアクティスは、自分と似た想いを持つミカの話には、納得できなかったんだろう。
「お婆さん、本当のこと、話してもらえます? ミカの芝居への情熱は、恋人のことで揺らぐようなものではなかったんだ!」
お婆さんは暫く俯いて黙っていた。
肩がわなわなと震えて、目からは涙が流れ始めた。
「殿下……」
お婆さんは、皺枯れた声を喉から絞り出す。
「殿下、私のこと、そんなふうに見ていてくれたんだ……」
えっ? いったいどういうこと……?
お婆さんは、そのまま、わああっと泣き崩れた。
そして激しくしゃくりあげながら、信じられないことを言い出したのだ。
「ううっ、私……ミカなの! ミカなのよお! こんなお婆さんの姿になっちゃったけど、信じてくれないかもしれないけど……、私、ミカなの!! ……お願い、信じてえぇ……!」
ミカの言葉に皆驚愕し、泣きじゃくるミカをただ呆然と見つめていた。
私が視たものは、間違いでは無かったのだ。
ミカ自身に強力な黒魔術が作用して、老婆の姿に変えられていたのだ。
――あの歌劇のジュリエット王女のように。
激しく嗚咽するミカをアメリが優しくフォローする。
「……信じますわ、ミカさん」
私は泣きじゃくるミカの手に、自分の手を重ねた。
「ミカさん、勿論、信じますわ。私にはこれがあなたの本当の姿ではないことが、視えています。ですからミカさんに何があったのか、話してくださいませんか?」
ミカの冷えきった手に、私の温もりが少しずつ伝わっていく。
ミカはなんとか涙をおさめると、ゆっくりと語り出した。
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[♪豆解説] ウフダム侯爵とは黒魔術をかけられていた前作の登場人物です。
次回【第26話】恐ろしい贈り物













