【15】悪しき悪戯
マルコス支配人は、明日の公演が開催できるのかどうか、私にその判断をぐいぐい迫ってきた。
私もここに到着したばかりだし、状況も何もわからないもの。判断しようが無いじゃない?
私が困っていると、ジュリエット役のスピアが、笑顔でマルコスを落ち着かせてくれた。
「支配人、気持ちはわかるけど落ち着いて、ね? フィーさん、困ってるわよ?」
スピアは私より十歳以上は年上に見えたわ。主演を務めるベテラン女優だけあって、この状況でも冷静に対応していた。さすが、大人だわ。
女優スピアの輝く笑顔に、支配人は途端にデレっとなっちゃったわ。
「落ち着いてますよ~、スピア!」
でもその笑顔はすぐに心配顔にとって代わった。
私を見るとマルコスは、
「いつ目が覚めます? 明日の興業大丈夫です!?」
と手をこすり合わせながら尋ねてきた。
「ねえアクティス、彼女たち、何を口にしたの?」
アクティスが机の上の箱を指さした。
「ハーブクッキーだよ」
綺麗にパックされているけれど、手作りの品ということがよくわかる、ファンお手製のクッキーだったわ。
手にとってよく見たところクミンのような形のハーブが練り込まれていた。私は指先でそのハーブを掘り出して匂いを嗅いでみた。見た目はクミンと似ていたが少し癖のある香り……そして、強いミントの様なツンとする刺激臭‥‥‥
私はこのハーブを知っていた。
このハーブは『ネンリム』だ。 だけど、これは……
学生時代に学んだことがあったモノだったから、アクティスにも匂いを嗅いでもらったわ。
「覚えてる? ほら、薬草の授業で先生が、『悪しき悪戯』だって言ってたでしょ」
ハーブ『ネンリム』に、手を加えたモノ。ネンリム本来の香りだけでなく強いミントの様な刺激臭がするということは‥‥‥手が加えられている証拠。こうなるとネンリムは、『悪しき悪戯』と呼ばれるのだ。
アクティスは恐る恐る匂いを嗅いだが、残念そうに首を横に振り、恥ずかしそうにガシガシと金髪を掻きあげる。
「ごめん、全然覚えてないよ。っていうか薬草の授業さ、興味ないからいつも戯曲本を読んでたからさ」
そうだった。授業を聞いてなかったから、試験前になると私のノートを借りに来てたわよね。‥‥‥まったくもう、アクティスってば。
私たちの様子をうかがっていたスピアが、私とアクティスに提案した。
「ねえフィーさん、このハーブのことご存知なのね? よかったら大部屋で他の仲間にも説明してくださらない? 皆、とても心配しているから」
*
大部屋には歌劇場に残っていた者達――役者や踊り手、楽団員や裏方の人々が集まった。入りきらずに廊下にも人が溢れていたわ。
私が話し始めると、大部屋の中はシンとなった。
「クララさんが差し入れで食べたクッキーには、『ネンリム』というハーブに手を加えられたモノが入っていました。それには腹痛と強い睡眠作用があるんです」
「そ、それで、ちゃんと目は覚めるんです? 明日の夜公演には間に合うのでしょうね……?」
ずっと心配し続けて憔悴しつつあるマルコスに、私はゆっくり告げた。
「それが、……目覚めるには解毒薬が必要です」
「げ、解毒薬っ?」
顏色が真っ白になったマルコスに落ち着いた声で話しかけたわ。
「その解毒薬は手に入りやすいものなので、明日の公演には問題ないでしょう。解毒薬は、私が用意してきますわ」
私はその役目を請け負った。
「じゃ、目も覚めるし、公演にも間に合うというわけですねっ? ああ助かりました!」
蒼白だったマルコスは安心から今度は顔が真っ赤になると、目尻に滲んだ涙をハンカチーフで拭いていたわ。
集まった人々にも安堵の表情が浮かぶ。
「このハーブクッキーはファンの方の差し入れだと聞いていますけど……」
「差し入れは、歌劇場経由か、ファンからの手渡しのどちらかなんです。でも今回は歌劇場は関与していなくて」
スピアが説明してくれて、説明すべき立場のマルコスは首を縦に振るばかりだった。
そうなのね。じゃあ今寝てしまっているクララが目覚めれば、その辺りの事実がわかるわね。
「あれ? なんか入ってるよ」
アクティスがハーブクッキーの箱の中から、一枚のカードを見つけて取り出した。
「なにか書いてあるな。えーと、
『クララ様へ 愛をこめて クイーン』 ‥‥‥悪質な」
アクティスは、私達全員にカードの文面がよく見えるように提示した。
カードには、赤い文字で、それだけが書かれていた。
役者にとって、ファンはとっても大事なはずよ。
自分のことを見てくれて応援してくれる……励まされる存在。
それなのに、そのファンを信じてこんなことが起こるとは。
この場にいる誰しもが押し黙って、複雑な想いでそのカードを見つめていた。
次回【第16話】怪しい影