【14】事件の幕明け
「フィー! こっちだよ!」
楽屋口から覗く私を見つけたアクティスは、個室が並ぶ奥の部屋から手を振った。
彼は、衣装を脱ぎ舞台化粧を落として、ロミオ王子から私の同級生だったアクティス・レジェ―ロに戻っていたわ。
「あれっ? どうして一人なのさ!?」
単身で現れた私に驚いたが、私の腕の怪我を見つけると、さらに血相を変えて駆け寄ってきた。
「どうしたんだいっフィー、その腕!?」
「……あとで説明するわ。それよりどうしたの? 何があったの?」
アクティスは私の腕を後回しにはとてもできないという表情で何度も見ていたが、それ以上尋ねず、私を楽屋の一つに連れて行った。
周りに人が居なくなると、アクティスは私の呼び名を変えてくれる。
「見てくれる? フェリカ」
ドアを開けると、女性が一人、簡易ベッドの上に横たわってすうすうと寝ていたわ。
一見平和な光景だけど、寝ている彼女の顏色は暗い土気色だ。それなのに、その表情は穏やかで気持ちよさそうな寝息をたてて眠っているのだ。
……それは、かなり異様な光景だった。
蟀谷が、疼く……
私の蟀谷が疼きだしていた。怪我していないほうの指先で蟀谷を押して、痛みを紛らわしたわ。
アクティスは経緯を説明してくれた。
「女中頭の代役をやったクララがが倒れたんだよ。急にお腹が痛むって言いだしてさ。ひどい苦しみようだったんだ。それで、医者を呼ぼうとしたんだけど……支配人が、OKしなくてさ」
アクティスは声を落とす。
「腹痛の原因が、お客さんからの差し入れだったから、支配人が大袈裟にしたがらなかったんだよ。しばらくすれば治るだろうって」
「だからって……クララさん苦しんでたんでしょう?」
信じられないという私の表情を汲んで、アクティスは残念そうに言った。
「舞台がもうすぐ千秋楽だし、何事もなく完走したいんだよ。それに役者はこの興行の成功如何で、次の仕事にありつけるかが決まるんだ。興行が中止になったら、明日から食べていけない者もいる。僕も駆け出しだったら、支配人に賛同してたかもしれないよ」
知らなかった……。役者って華やかに見えているけどかなりシビアな世界なのね。
「……それでもあまりに苦しそうだから、やっぱり医者を呼ぼうっていうことになってさ。……でも急にクララがこんこんと寝始めたんだよ」
アクティスは、規則的な寝息を立てているクララに目を移した。
「でも、この眠り方は医者の範疇じゃないよね?」
「……これは、医者には治せないわね。これは……アクティスも思っている通り、魔術の仕業だわ。だから私を呼んだのね?」
「うん、フェリカに相談したくてさ」
トゥステリア王国は魔術先進国なので、アクティスも私も、学生時代に魔術のことは一通り学んでいるから、この状況がすぐにわかったのだ。
それにしても、蟀谷が鈍く痛む。これが始まったって言うことは、魔術は魔術でも、私たちが通常使っている聖なる魔術ではなく……ちょっと厄介だわ。
これは、――黒魔術の仕業だ。
廊下を走るバタバタという足音が聞こえて、ドアから入ってきたのは、がりがりに瘦せて黒スーツを体に張り付けた神経質そうな中年男性と、ミルクティー色の巻毛と大きな菫色の瞳が印象的な華やかな女性だった。
「支配人のマルコス氏と、ジュリエット役の女優のスピアだよ」
「はじめまして、アクティスの友人でフィーと申しますわ」
「支配人のマルコスです」
マルコスは上ずった声で早口に自己紹介をした。
「女優のスピアよ。……あら、あなた、さっきも来ていたわよね? 殿下とハグしてた子よね?」
「ハグ!?」
マルコスが飛び上がって驚くと、アクティスに詰め寄って、拝むように手をこすり合わせた。
「ハグって!? 殿下、彼女とはそういう関係なんですか!? お、お願いですから下手なスキャンダルは止めてくださいよ?」
「いえ、あの、そうではなくてですね、私は単なる学生時代の同級生なんです」
「単なるじゃないだろ? フィー!」
それを聞いたマルコスの眉が吊り上がる。
「マルコスさん、違うんですよ! アクティス、ややこしい話はいいから」
と混ぜ返そうとするアクティスを黙らせて私が必死で弁解すると、マルコスはとりあえずスキャンダルの心配は無いと判断したようで、溜息をついた。
「と、とにかく、千秋楽まであとわずかなのに、こんな事態になってしまいまして……」
マルコスの額から汗が噴き出ていた。白いハンカチーフでその汗をぬぐい、涙目で私に訴える。
「フィーさんは魔術に詳しいって聞きましたよ? ……いったいこの状況はどういうことでしょう? 明日の興業はモチロン大丈夫ですよね? 大丈夫ですよね!? ね、大丈夫と言ってくださいっ!!」
マルコスは、今度は私の目の前で両手をこすり合わせているけれど‥‥‥
そう言われても。
マルコスさん、私、今来たばかりですのよ?
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次回【第15話】悪しき悪戯