【13】君の名は
「……魔術の研修ですか。研修はどちらで?」
「ああ……有名な地域だから君は知っているかもしれないな」
「有名な地域? 私、知ってるかしら?」
会話が行き交うことに安心した私は、余裕の笑顔で訊いてみた。
「それで、どこですの?」
「とても美しい所でね、トゥステリア王国の湖水地方だ」
は?
今、なんておっしゃいました?
トゥステリア王国の湖水地方っておっしゃいました?
そうだ、あの時、魔術聖殿には北方『ランバルド国』から、『親善使節』が『魔術の研修』に来ていたわ。
「…………」
私は、今、頭の中が真っ白よ……。
よく真っ白になるっていうけれど、あれって本当だったのね……?
どくん、どくん、と自分の鼓動も大きく聞こえてきた。
湖水地方からは馬車でここまで丸三日は優にかかるのに……?
ここは隣国カルドのアルマンなのに……?
どうして五日前に同じ空気を吸ってた人が、ここに、私の目の前に、今いるのよおっ!?
あの時、この人は、きっとあの魔術聖殿のさよならパーティに参加していたのだ。
だとしたら、全て、全てを見られてるってこと……!?
私が湖水地方の魔術聖殿で、黒魔術と対決した結果、パーティ会場に落ちてパーティをめちゃめちゃにして、そのうえパーティの参加者全員の目の前で、フェリカ王女ですって宣言して、ウフダム侯爵様が私を振って別の女性にプロポーズした(※作者注 フェリカ、パニックでかなり盛ってます)という、恥ずかしい私の全てを!!
あんなに痛かった腕の痛みは、もうどうでもいい。
早く、アクティスに来てほしい。
アクティスが来たら、早くこの店から出たい!
ていうか、もうとにかく、早くこの人の前から、消えたい!!!
絶対だめよ、フェリカ。……トゥステリアのフェリカ王女とバレては、絶対にダメ……。
早鐘のように打つ心臓が、口から飛び出そうだ。
で、でもとにかく、へ、平静に、ふふ、振る舞わなければ……。
私は気が付かれないように、何度も何度も深呼吸をしたわ。
緊張が最高潮になったところで、ドアがノックされ、店の主人がカードを持って入ってきた。
「お客様、アクティス様から伝言が参りました」
「あ、ありがとうっ!!」
この人から早く離れたくて、ダッシュで主人の傍に自ら出向き、カードを手に取った。
アクティスがカードを店へ魔手紙にして送ったのだ。
ちなみに魔手紙というのは、送り先の住所に魔術者なら魔術で、魔術力が無い者は魔道具で送ることのできる手紙のことなのだけど、今は説明なんかしてる場合じゃなかったわ。
カードを確認すると、あの緑のペンでこう書かれていた。
『親愛なるフィーへ
ごめん、代役の子が緊急事態。お願いだから君の力を貸してほしい! ――アクティス・レジェ―ロ』
私はすぐさま、歌劇場へ向かうことにした。
事情を察した彼が、自分たちの馬車を出してくれ、歌劇場まで送り届けてくれることになった。
*
「これからお食事を召し上がる所でしたのに、本当にごめんなさい」
「送るのは当然だ」
ランバルド国の馬車箱の中に一緒にいる彼は、表情を変えずに言う。怒っているわけではなさそうだが、馬車箱の中は暗くて表情は読みにくかったわ。
銀髪に灰青色の瞳、色白の肌が冷たい印象を与え、近づき難く見える。
ああそれにしても!
私がランバルドの馬車に乗ってるだなんて、信じられない!
……『ランバルド』はここ数日、私の一番避けたいワードだったのに! できれば人生から追い出したいほどに。
でも歌劇場で何が起きているのかが心配だったから、それ以上ランバルドのことや、斜向かいに座る彼のことを気にすることは無くなっていった。
窓の向こうに流れるアルマンの夜景が目には入るけど、私の頭はアクティスの魔手紙のことでいっぱいだった。
歌劇場に着くと、彼はドアを開けて手を差し伸べてくれた。その手を借りて、右腕を庇いながらそうっと石畳へ降り立った。
「本当にありがとうございました」
背が高い彼のその灰青色の瞳をしっかりと見上げながら、私は最後に礼を述べた。
度重なるご迷惑をおかけしてしまったわ。
もう会うことは無いだろうし、‥‥‥できればもう二度とお会いしたくない。
彼は私をじっと見返して、おもむろに口を開いた。
「俺の名前は、ロデム。君の名前を聞いてもいいだろうか?」
「ロデム……」
彼の名前を口先では返しながら、突如、私の頭の中がパニックに陥った。
え? 何!?
何ですって!?
な、名前!?
だめよ! だめ!
何言ってんの?
そんなの、絶対だめに決まってんじゃないの!!
「も、もうお会いすることも無いでしょうから……」
と私は引き攣った笑顔を浮かべて、やんわりお断りをしようとした。
「‥‥‥もう会うことも無いからこそ、名前を聞くのは大事だと思うんだが」
いつもの私だったら、その考えに心の底から賛同するわ。
王女の私も同じことを考えているの。
相手を敬うからこそ、一期一会の人に対しても、いつも国民には名前を伺うようにしている。
だけど、今回だけは……ホント勘弁してほしい!
お断りは‥‥‥できないわよね?
それはとても失礼だわ。だいたい助けてくれた人なのよ?
私は仕方なく、その場凌ぎの名前を伝えることにした。
勿論、気が引けたわよ? だけど、しょうがないじゃない……
私は、心苦しかったけど‥‥‥
――――嘘の名前を名乗ってしまった。
「……アルマンの、フレデリカと申します」
嘘が申し訳なさ過ぎて、せめてもと別れ際にスカートの裾を摘まんで、深々とカーテシーをした。
そして私はさっと踵を返すと、急いで歌劇場の通用門へと向かった。
*
ロデムは、フェリカの姿が建物の中へ見えなくなるまで、馬車を背に立っていた。
「アルマンの……フレデリカ」
彼女が口にした名前を繰り返す。
しかし、その表情は訝しげだった。
そして、小さく呟く。
「――違うな。彼女が最初に話していた抑揚は、トゥステリアのものだった」
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次回【第14話】事件の幕開け
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