【11】宵の明星亭 その1
『宵の明星亭』
それは、アクティスがメモに書いたレストランの名前だった。
私も同じレストランに行くところだったと伝えると、彼は不思議そうに私に訊ねた。
「どうしてあんなやつらに? 店の前で絡まれたのか? 店の前には門番がいるはずだが」
一流レストランがある立地でも、門番を置かなければならないぐらいの治安なのだ。そんなに悪い治安であれば、店の前まで馬車で行くものだ。歩くなんてとんでもない。
だから、彼の問いは当然だった。
私は迂闊に歩いてしまった自分を反省した。ジオツキーが聞いたら一生私と口を利いてくれないわ。
彼は私の顔を見て、返事を待っている。
うぅ‥‥‥言いづらい。
「あの……馬車ではなく…その…歩いて…レストランに…」
最後の方は、理由が恥ずかしくって、小声になってしまったわ。
彼は私をまじまじと見た。表情には出さないようにしていたけれど、その目は呆れているように見えた。
私はアルマンの娘風を装っていたから、きっと、
『この国の女性が治安事情も顧みず、こんな時間に一人で歩いてレストランに来ただと? そんなの襲ってくださいと言っているようなもんだ』
と思われているに違いないと思ったわ。
「馬車に乗るべきだろう」
怒っているような硬い声だった。
「はい……本当にそう思います‥‥‥申し訳ありません」
私は迷惑をかけてしまったから詫びたのだけど、彼はさらりと言った。
「俺にじゃない。謝るなら自分自身に謝ったほうがいい」
「え?」
「……もっと自分を大切にするべきだ」
それだけ言うと、彼は『宵の明星亭』へと歩き出した。
私はその言葉を聞いたら、なんだか自分が情けなくなってきた。
危険を顧みずに行動してしまった自分に。
自分を責め始めた私は、身を小さくしてジンジンと痛む右腕を抱えながら、彼の後ろをとぼとぼと歩いて行った。
*
宵の明星亭はどっしりとした石造りの建物で、一見レストランとはわからない外観だった。要人が多く利用する店は、大抵それとわかりにくい造りになっているものなの。
門番の隣には彼の知人の年配男性が待っていたわ。彼を見つけると慌てたように近づき、彼はその男性に事の顛末を説明していたみたいだった。
私はその間に門番にアクティスのカードを見せたが、アクティスはまだ到着していないということだったわ。
店内は既に客で賑わい始めており、数名の男女がゆったりした雰囲気の中で食事を楽しんでいた。二階席以上は個室専用階になっており、彼は他にも仲間がいるらしく、年配男性は二階奥の個室へと消えて行った。出迎えた店の主人が私たちの事情を理解すると、とりあえずアクティスが来るまでと別の個室に案内してくれたわ。
その個室で彼と対面に向かい合って座った私は、店の明るい魔灯の下で、助けてくれた相手の姿を改めて目にすることになった。
あれだけの剣技の持ち主ゆえ、引き締まった筋肉質の体躯、さらりとした銀髪は首の辺りで短く切りそろえられ、瞳は凛々しい灰青色、意志の強そうな眉に鼻梁の通った顔立ち。印象的なのは、月明りではわからなかった色白の肌……それは北部民族特有の肌の色だった。
こんな人と部屋に二人きりというのは、そわそわして落ち着かない。
だって私、一応、お年頃だし……。
それに、これ以上この人に迷惑をかけるのが本当に申し訳なくなってきちゃって。
だから、店の主人が用意してくれた氷と包帯を前に、手当をしてくれるという彼の親切をお断りしたの。
「あの‥‥‥、やはり自分で出来ますので‥‥‥」
「そういうわけにはいかない」
でも申し出た途端、却下されちゃって。
彼が冷やしてくれようと氷に手を伸ばしたところで、私は声をかけた。
「魔術が便利ですわ」
私は呪文を唱えると、氷を一瞬にして粒状に粉砕した。
私は、氷を湿布のように腕に巻き付けようと考えたの。だから、氷を巻く前に肌を覆っておこうと包帯を手に取ったら、
「手伝わせてくれ」
と彼が申し出た。
腕に丁寧に包帯を巻いてくれる間、彼のキリっとした顔立ちを目の当たりにすることになっちゃって‥‥‥。
私、目のやり場に困ってしまったのよ。
(ど、どうしよう‥‥‥!?)
緊張してきた私は、意味なく天井の魔灯をひたすら凝視することで、なんとかやり過ごしたのだった。
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次回【第12話】宵の明星亭 その2