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少女と呪い、魔女と祝福

作者:

ない語彙力を総動員して書き上げた初作品です。

死ぬほど苦労したのでぜひ最後まで読んでいただければと思います。

 ある大陸があった。いくつもの国が点在している大きな大陸が。めったに戦争が起きることもなく、そこに暮らす人々は、穏やかに暮らしていた。一人の魔法使いが己の持つ力を試そうと愚かな行為に走るまでは。


 あるとき、魔法使いは一つの国を滅ぼした。魔法によって炎をまき散らし、洪水を引き起こし、竜巻で家を吹き飛ばした。安穏と生きていたその国の人々は驚く間もなく、魔法に飲まれて死んでいった。


 魔法使いは瓦礫と化した城の上に立ち、大陸中の全ての国に宣戦布告をした。奇跡の如き力を行使できる自分は凡人の貴様らより優れている。それを、お前達を滅ぼすことで証明してみせるのだ、と。


 人に成しえぬ神秘の力を、魔力と術式を用いて可能にする。それは本来、人間が自分達の生活を豊かにするため編み出した便利な道具であった。しかし、その魔法使いは他者を見下し、優位に立ち、蹴落とすための道具として魔法を悪用した。他者と手を取り合うことを拒み、自分は人間より優れた生き物だと優生思想を謳うようになった。


 それから長い間、戦争が続いた。たった一人の魔法使いと人間の戦争が。


 のちに大魔戦争と呼ばれるその争いは激しかった。魔法使いはたった一人だったが莫大な魔力と強力な魔法の数々を持ち、杖を振るい呪文を唱えるだけで、迫りくる数多の兵士を蹴散らした。一方人間達も負けてはいない。一人一人の力は魔法使いに遠く及ばないが、なにしろ数が多い。大陸中の国から集った兵士達の連合軍が不屈の闘志で魔法使いに挑んでいった。


 長い闘いの末、勝利の女神が微笑んだのは人間の連合軍だった。いくら一騎当千の力を持つとは言え、魔法使いも一人の人。魔力が減れば疲れるし、疲れると腹が減る。彼は最初こそ大魔法を連発して優勢だったが、長期戦となると徐々にガス欠を起こし始めていた。


 一方で連合軍の方は休むことなくただ突き進むのみ。昼も夜も関係ない。いくら魔法で重傷を負っても、死ぬまで彼らは攻め続けた。たった一人を殺すために。この平和ボケした大陸の兵士達にこれほどの気合があったことは、魔法使い側にとっても誤算だったに違いない。彼らにそれほどまでの執念を与えたのは、国を滅ぼし、家族を殺し、自分達の安寧を壊した、魔法使いへの恐怖と憎悪に他ならなかった。


 やがて魔力が切れた魔法使いは地面に倒れ、攻撃を耐えきった兵士達が千載一遇のチャンスとばかりに彼のもとに群がった。兵士達は雄叫びを上げながら倒れ伏した魔法使いに襲いかかった。顔を殴り、目玉を抉り取り、四肢を切り落とし、とっくに彼が絶命しても兵士達の憎しみは消えなかった。そうして大魔戦争は終結した。


 しかし、人間側も失ったものは多かった。3つの国を失い、各国の兵力も戦争の影響で大幅に低下した。徴兵によって夫や息子を失った家族は数知れず、勝利を収めたのにも関わらず、人類は一人っきりの魔法使いによって大きな傷跡を刻み付けられた。


 その行き場のない怨嗟の矛先は、大罪人と同類の魔法使い達に向けられた。各国に暮らす善良な彼らは、戦争終結からほどなくして、人々から迫害の憂き目に会うことになる。石を投げられ、家を燃やされ、暴力を受け、存在を否定される。拷問紛いの行為によって殺される魔法使いも数多くいた。


 戦争によって多くのものを失った人々は、無意識の内に魔法使いは迫害してもいいもの、と信じ込むようになっていた。


 人々の憎しみは、戦争から数百年たった今でも変わっていない。


 ──これは、魔法使いへの憎しみに支配された、ある一つの国の中でのお話。






 少女リリィは貧乏な一家の一人娘だった。


 といっても貧乏というのはこの国では珍しいことではない。近年リリィが暮らすこの国では不作により、作物が満足に取れず、不景気も相まって食料難の問題に悩まされていた。

 貧しさから国中が心なしか陰鬱としてるような雰囲気の中、それでもリリィはそれなりに幸せに暮らしていた。それは、彼女がまだ幼く、社会の状況をよく理解していないこともあるが、一番の理由は、貧しくとも彼女のことを育て、愛してくれる両親が傍にいてくれるからであった。

 一日に食べられる食事はわずかで、それも決して贅沢できるようなものではない。それでも、笑顔の両親と一緒に囲む食卓はリリィにとって何にも代え難い、楽しく愉快な空間だった。隙間風が吹き込むボロ屋で眠る肌寒い夜も、母親に銀色の髪を撫でられ優しく抱きしめてもらえば、そこは世界で一番暖かくて、安らかな空間に感じられた。貧しくも懸命に働く父、それを支える母、二人はリリィのことが大好きだった。リリィも二人のことが大好きだった。三人で過ごす今が大好きだった。しかし、そんな時間にもいずれ終わりが訪れる。


 まず父親が死んだ。


 経済が停滞しているこの国では、賃金が年々下がっていた。それは父親も例外ではなかった。数年前、不作によって農家から大工に転職していた父は、下がり続ける給料に苦しみつつも、もうすぐ来る一人娘の誕生日に人形を買ってやろうといつもより多くの仕事を受けていた。そうして張り切って取り組んでいた高所での作業中に、疲労からか意識を失い落下した。地面に衝突した父親は糸の切れた人形のようにピクリとも動かなかった。即死だった。


 次に母親が死んだ。


 父親が亡くなった後、母は自分の少ない稼ぎだけでは娘を食わせていけないと、自宅のあらゆる物を売り払った。数少ないお気に入りの服も、かつて夫が自分にプレゼントしてくれた指輪すらも質屋にかけた。しかし、その金もすぐに尽きた。親戚や知り合いに食料を譲ってくれるよう駆けずり回ったが、皆自分の生活に精一杯で、彼女たちに分け与える余裕などなかった。やがて貯蓄が底をつき始めると、母は自分の食べる分を切り詰め、リリィだけに食事を取らせるようになった。


「お母さんは食べなくていいの?」


 リリィが訊くといつも母はこけた頬で薄く笑い、やせ細った手で優しく娘の手を撫でた。


「リリィがおいしそうに食べているとね、母さんはお腹いっぱいになるんだよ」


 幼いリリィはその言葉を信じてどんな食事でも、なるべく美味しそうに食べるようになった。

 ある朝、リリィが目を覚ますと、なんだかいつもより周りの温度が低かった。なんだろうと思って身じろぎすると、自分を抱きしめたまま母が冷たく、硬くなっていた。


 そうしてリリィは独りぼっちになった。


 少女の引き取り手はいなかった。どこの家も、新たに子供一人を養える経済状況ではなかったのだ。住む場所がなくなった彼女は路頭に迷った。食べ物を買うお金などあるはずもなく、残飯を漁り、泥水を啜り、砂をかじり、木を舐める日々が続いた。身に着けている服はボロボロになり、元の色が分からないほど泥と土で汚れた。

 辛いし、苦しかった。それよりももっと悲しいのは、両親がいないことだった。少女はやがて、生きることに疲れ、両親がいる死後の世界に魅力を感じるようになっていった。


 ──寂しいよ……お母さん……お父さん。


 ある日、リリィはいつものように路地裏の壁を背にうずくまってボーっとしていた。その目に、かつては宿っていたはずの無邪気な光はもうない。

 目の前には少量の水たまりがある、今日はこれを飲んでやり過ごそう。げっそりとした顔でそんなことを考えていると、通りの方から通行人の話声が聞こえてきた。


「また植えた苗がダメになっちまった。もうだめだな、この国の土は」


「昔は毎年豊作だったんだがなあ。あの魔女が森に住み始めてからこのありさまだよ」


「魔女が大地に呪いをかけたって噂か……。本当なのかそれ?夜に現れて通行人に呪いをかけるって噂もあるし」


「当り前だろ、あれだけ緑豊かだった大地がこんな荒れ果てちまう理由なんて、それ以外考えらんねえよ。大方、呪いだの魔法だので、俺達に嫌がらせしてんだろうさ」


「信じられねえ悪魔だな。やっぱり魔法使いにろくな奴はいねぇよ、とっととくたばるか、この国から出て行ってくれ」


 農家の男達だろうか。不作と魔女に対する愚痴を吐きながら歩いて行く彼らの話をぼんやりと訊きながら、リリィは聞き覚えのある『魔女』という単語の記憶を手繰る。


 ──そういえば、お母さんとお父さんがよく話してくれたっけ。町のはずれにある森の奥には、怖い魔女が住んでいて、訪れた人を呪い殺してしまうって。


 栄養が足りていない頭でぼんやりと考えを巡らせる。


 ──もし、魔女さんにお願いしたら、魔法でお父さんとお母さんに合わせてくれるかな。それが無理でも、私を呪い殺してってお願いしたら、二人と同じところに連れて行ってもらえるかな。魔法使いは魔法や薬の実験にいろんな素材を使うって聞いたことがあるから、私の死体も魔女さんの役に立てるかもしれない。


 一人になって数か月。幼い身で天涯孤独となったリリィに、もはや生きようとする希望はなかった。ただただ、この苦しみから、この孤独から解放されて、優しい両親のもとに行きたかった。彼女は孤独に疲れ切っていた。

 そうと決まれば話は早い。リリィは細い足に力をこめてよろよろと立ち上がる。今日の食事となるはずだった汚れた水たまりを踏み散らして向かう先は、森の奥にあると言われる、魔女の住処だ。






 森の中は裸足のリリィにとっては歩きづらい場所だった。整備された道がある街中と違って、道らしい道はなく、石ころや鋭利な枝がそこら中に転がっているし、木の幹はつまずきやすく、雑草が生い茂って視界も悪い。おまけに、上空には木々から伸びる枝葉が何重にも重なって空を覆っているため、真昼間だというのに薄暗くて気味が悪い。幼い女の子が一人で歩くような場所ではなかった。

 よろよろと力ない足取りでリリィは森の中を進む。もう何時間歩いているのだろう。魔女は森の奥に住んでいる、とはいえ、森に入るのは今日が初めてで、森の奥と言われる場所まであと、どれだけ歩けばいいのか分からない。それに、自分が今どの方角に向かって歩いているのかも定かでない。もしかしたら、魔女の噂すらでたらめなのかもしれない。本当は魔女なんて存在しないのかも──。

 歩きっぱなしの足の裏が痛む。見なくても擦り傷だらけになっていることが分かる。しかし、帰ろうにも道などないのだから、元来た方角が分からない。

 軽い思いつきで森に踏み込んだことを後悔し始めていると、不意に長い間続いていた眼前の木立が途切れた。薄暗い森の中とは違い、目の前の木々に囲まれた丸い草原は陽の光で照らされていた。心地よい風が吹くその草原の真ん中に、小さな家がぽつんと建っている。

 直感的に、そこが魔女の家だとわかった。森の奥に一人住む魔女の家、目の前の景色がそんな言葉にぴったりだったからだ。

 家の小さな煙突からはモクモクと煙が出ている。ちゃんと人も住んでいるようだ。


「本当にあったんだ……ここが、魔女の家」


 安堵からか、独り言がポロっと漏れた。


「そうよ」


「……え!?」


 右から不意に返事が飛んできて、リリィはびっくりしながら声の方向を向く。そこにはおとぎ話に登場するような魔女の姿をした女性が立っていた。大きな黒いとんがり帽子にゆったりとした黒いローブ。雪のような白い肌に、キリっとした青い瞳は真っすぐにリリィを見つめている

 昔、絵本で見たイメージ通りの綺麗な人だ、とリリィは思った。想像と少し違ったのは彼女が手に持っていたのは大きな杖ではなく、草で一杯になったバスケットを抱えていることだった。毒の調合にでも使うのだろうか。


「こんにちは」


「あ、あの、その……こ、こんにちはっ!」


「それで、あなたはどちらさま?」


 ビックリして言葉がでないリリィに、魔女は優しく話しかけた。キリっとした目つきは怖いが、わざわざしゃがんで視線を合わせてくれるあたり、見つけた子供は見境なく取って食おうというわけではないのかもしれない。ふわりとした長い黒髪から良い匂いがする。


「あ、あの」


 やっとのことでリリィは喉から言葉を絞り出す。


「あなたが、噂の魔女さん……ですか?」


「ええ、噂の魔女さんよ」


「あのっ、わたしリリィって言います。この森の近くの町で暮らしていて、今日はわたし魔女さんにお願いが──」


「ちょっと待って」


 ここに来た目的を一息に行ってしまおうとしたところで、その言葉は魔女に遮られた。魔女の目がさらに鋭くなった気がする。なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。


「あなた……、ボロボロじゃない、服も髪の毛も。肌だって泥だらけ、ちょっと来なさい」


 そう言って魔女は、がしりとリリィの腕を掴んだ。そのままえ?え?と困惑している少女を、目の前の草原の真ん中にある、小さな家に引っ張っていった。



「まずはさっぱりしちゃいなさい」


 魔女にそう言われて風呂場にぽんっと押し出されたリリィは困惑しながらも何か月か振りに湯を浴び、体を洗った。忘れかけていた温かい感触に、少し懐かしい気持ちになった。

 体を拭き、リビングに行くと、リリィがさっきまで着ていたボロボロの服はどこにもなく、代わりに清潔そうなパジャマがテーブルの上に畳んで置いてあった。


 慣れない服に袖を通す。大きさは丁度よかった。


「サイズはぴったりみたいね」


 振り返ると魔女がカップを2つ持って立っていた。帽子は脱いでいて、サラサラとした黒髪がさっきよりも目立って見える。カップからは湯気と共に良い匂いが漂っている。


「あの、この服って」


「私の服を魔法で縮めただけよ。せっかく綺麗になったのに、あんなボロボロの布切れをまた着せるわけにはいかないでしょう」


 礼を言う前に、リリィはテーブルに座らされる。魔女は向かい側に腰を下ろしてカップに口をつけた。


「さっき採れた葉で淹れたお茶よ、落ち着くから飲みなさい」


「え?あれって毒用の草なんじゃ……」


「んな危ないもん作るわけないでしょ!」


 怒鳴り声に「ひぇっ」と声が出てしまい、魔女がばつが悪そうな顔をする。しかめっ面も美人のままだ。


「考えてみなさい。毒なんて作ったって、誰も買いたがらないでしょ。もっと流行り病の薬とか、傷薬とか、そういうまっとうな物の方が儲かるのよ」


「そうなんですね……てっきり、四六時中コポコポって泡立つ大きな釜をかき回して、人を呪い殺すような毒を作り出しているのかと思い込んでいました」


「……あんた中々言うわね」


 魔女はカップのお茶をグイッと飲み干した。


「パブリックイメージに惑わされすぎよ、あんた。んな古典的な魔法使いとっくに絶滅してるに決まってるじゃない。今時そんな悪事に手を染めている奴なんていないわよ。皆ひっそりと静かに暮らしてんの」


 おかしい、それではリリィや町の人が考える魔女像とズレがある。


「じゃあ、真夜中に出歩いている人に呪いをかけているっていう噂は……」


「うそよ」


「土に呪いをかけて畑を腐らせたっていう噂は……」


「うそうそ」


「長い間魔力を溜め込んでいて、いつかコッカテンプクを狙っているっていう噂は……」


「うそ、大嘘よ!酷い言われようね、私!?」


 どうやら、彼女は噂に聞くほど悪い魔法使いではなさそうだ。リリィはそう思い始めていた。いや、もし魔女が嘘をついていたらそれまでなのだが、リリィにはどうも目の前の女性が自分を偽っているようには見えなかった。


「一度一人歩きした噂はいつのまにか事実として認知されてしまうものなのよ。ほら、お茶冷めちゃうわよ」


 口をとがらせて魔女が言う。会話に夢中で忘れていた。毒ではないという魔女の言葉を信じて、恐る恐る啜ったお茶は甘くて飲みやすかった。どうやら砂糖を入れてくれたらしい。


「……おいしい」


「そ、お口にあってよかったわ」


 リリィの感想に満足したのか魔女は嬉しそうに目を細める。

 温かいお茶を飲んで一息ついたからか、リリィはようやく家の中を見渡す余裕ができた。ぐるりと周囲を見ると、リビングに変わったものは特にない。魔女の家とはいえ、本や杖が魔法でフワフワ浮いているわけではなく、動物や人間の死体がそこら中に転がっているわけでもない。普通の人と同じ普通の家だった。


「普通のつまらない家で悪かったわね」


 リリィの心を見透かしたような魔女の言葉にビクッとする。


「いや、あの……」


「そんなにキョロキョロしてたら何考えてるかくらいわかるわよ」


「ごめんなさい……もっと魔法で一杯のイメージをしてたので」


「そんな普段から魔法ばっかりつかってないわよ。魔力がなくなると死んじゃうもの」


「はぁ」


「魔力ってのはとどのつまり生命力なのよ」


「へぇ、よくわらないけど魔法って大変なんですね」


「絶対理解してないでしょ……」


 魔女は少し不機嫌そうに眉を潜めたが、すぐに表情をもとに戻し、


「まぁいいわ。それで……リリィって言ったかしら?こんな辺鄙なところになんの用?」


 あぁそうだ。そこでようやくリリィは当初の目的を思い出した。この思ったよりも優しそうな魔女なら、自分のお願いを聞いてくれるかもしれない。


「実は──」


 今度こそリリィは話した。大好きだった両親を失って独りぼっちになったこと。路上での生活は辛く苦しかったこと。生きることに疲れたこと。そして、魔女の魔法でもう一度両親に会わせてほしいということを。

 魔女は最後まで静かに話を聞いていた。リリィが話を続けている間も、相槌を打つだけで、口をはさむことはしなかった。なぜだか、その表情は心なしか険しい気がした。


「──ということなんです。だからここに来たのは、魔女さんの魔法で、お父さんとお母さんに会わせてほしくって」


「なるほどねぇ」


 魔女はテーブルの上、ティーカップに添えられたリリィの両手を握った。


「あのねリリィ、言いにくいんだけれど、死者に干渉する魔法は最新の魔術でも未だに実現できていないの。あなたをご両親と合わせてあげることは、残念だけどできない」


「…………そう、ですか」


 申し訳なさそうに魔女が言う。その答えに、リリィはそこまでがっかりしなかった。いくら魔法が奇跡のような力を持つとは言え、万能だとは思わなかったし、両親がこちらの世界に来れないというなら、自分が両親のいる世界へ行けばいいだけなのだから。


「それじゃあ、もう一つのお願いです。私に呪いをかけて殺してください」


 リリィの手を包む魔女の手に、力が入る。


「……どういうこと?」


「さっき説明した通りですよ。もう疲れたんです、生きることに。二人に会えないなら、もうこれ以上頑張りたくない」


 なるべく明るい声を出した。そうじゃないと自分の惨めさに涙がでそうだったし、なにより目の前の魔女にこれ以上悲しい顔をさせたくなかった。


「魔法使いって人間の死体も薬の素材に使うんですよね?だから、魔女さんにわたしの体を上げます。わたしはお父さんとお母さんに会えるし、魔女さんは貴重な素材をもらえる。良い取引ですよね?」


 一時の沈黙が訪れた。そして、少しの間をおいて魔女は答えた。


「いいわ、あなたを呪い殺してあげる」


 リリィの両手を包む手が離れる。スッと魔女は片手をリリィの方に伸ばした。その手が少女の顔に近づいていく。


「……ありがとうございます」


「礼はいらないわ、私はあなたを殺すんですもの」


 リリィの額に魔女の細く冷たい指先が触れる。指先が青く光り、やがてリリィの意識が朦朧としてくる。


「目をつむって」


 言われた通りに瞼を閉じる。これから死ぬというのに、不思議と恐怖はなかった。もうすぐ両親に会えるからかもしれない。


「ゆっくりお眠りなさい」


 やさしい声が体中に響いていく。やっぱり彼女はそんな悪い人ではないかもしれない。呪い殺すと言った割に、痛みも苦しみもない。ゆっくりと思い出したように眠気が全身を包んでいく。そんな柔らかな感覚だった。

 薄れゆく意識の中で、少女は小さくつぶやいた。お母さん、いま会いに行くからね。

 やがて、暖かい光が彼女の意識を埋め尽くした。どこかで見覚えのある人影が、リリィを抱きしめたような温もりだけが最後に残った。













「…………あれ?」


 リリィが目を覚ますとそこは、天使がラッパを吹いている雲の上でも、悪魔が槍をかまえて罪人を黒々しい大釜に突き落としている地の底でもなかった。木でできた家の、小さな部屋の一室。その窓際に設置されたベッドの上に彼女は横たわっていた。

 むくりと上体を起こし、辺りを見渡す。身に着けている自分の服装は意識を失う前と同じく綺麗なパジャマだった。


 ──わたし、死んでない。


 ゆっくり起き上がって、ドアを開けると、そこにはテーブルが置かれた見覚えのあるリビングと、奥で鍋をかき回す女性の姿が見えた。魔女がドアの音でこちらに振り向く。


「あら、お寝坊さんが起きた。あなた、丸2日眠りこけてたのよ、随分疲れが溜まってたみたいね」


 やはりここは天国でも地獄でもなく、魔女の家の中で、目の前にいるのは父親でも母親でもなく、自分の願いを聞き入れて自分を殺したはずの魔女だった。

 ドアの前でリリィがぽかんとしている間に、魔女はかき混ぜていた鍋をテーブルに持ってきていた。匂いにつられて中をのぞくと、中身は怪しい薬草や魔物の素材を煮込んだ禍々しい液体ではなく、鮮やかな野菜が彩るアツアツのシチューだった。

 お腹がぎゅるぎゅると音を立てる。そこでようやく自分が死ぬほど空腹だということをリリィは思い出した。


「さ!できたわ。お姉さん特製の栄養たっぷりシチュー。このご時世にこんな贅沢めったにできないんだからね。よく味わって食べなさい」


 卓に着き、皿によそってもらったシチューをふうふうと冷まして一口頬張る。おいしい。母親が死んで以来食べられなかった温かい食事。誇張抜きで、今まで食べたものの中で一番おいしかった。ガツガツとスプーンを口に運ぶ手が止まらない。


「こーら、胃がビックリしちゃうからゆっくり食べなさい」


 注意の声も今のリリィには聞こえていなかった。久しぶりの食事に体は歓喜し、栄養をもっとよこせと野菜や肉を咀嚼する。満足のいくまでシチューを頬張る姿を、魔女はあきれたように笑い、眺めていた。

 そして食事も落ち着いてきた頃。腹が満たされたリリィはようやく冷静になった。自分の意地汚い姿を思い出して赤面し、顔を伏せる。


「ごめんさい……わたし、久しぶりの食事で……夢中になっちゃって」


「別にいいわよ、子供は食べないと育たないし」


「あの、すっごいおいしかったです!ほっぺたがおちるくらい!」


「ならよかったわ、こっちも腕によりをかけたかいがあるってもんよ」


 魔女はリリィの口元をハンカチで拭った。その行為に母親の姿を思い出し、先ほどの疑問が再びリリィの頭をよぎった。


「それで……あの、どうしてわたしはまだ生きているんですか?」


「うーん?」


 魔女は髪の毛を指でくるくると弄んでいる。なんだかその話をしたくなさそうな雰囲気だ。


「もしかして、魔女さん……失敗、しちゃったんですか……?」


「……はぁ!?」


 髪をいじる指の動きがぴたりと止まる。その低い声にリリィは再び「ひぇっ」と声を漏らしてしまう。


「失礼な子ね!天才・美人・大魔法使い!の私があんたみたいな小娘一人殺し損ねるなんてあるわけないでしょ!?もともと呪いなんてかけるつもりなかったのよ。わざとよ、わ・ざ・と」


「ご、ごめんなさい!」


 自分で言うんだ……。リリィは少し思った。


「じゃあ、わたしにかけた魔法はなんだったんですか?青白い光がぽわーんて光ってなんだか眠くなるようなあれは」


「あれはね、睡眠魔法よ。対象の意識を朦朧とさせて、眠りに誘う魔法。あなた相当疲れてるみたいだったからね、よく眠れたでしょう?」


 ふふんと体を張る魔女はどこか得意気だ。


「いい夢見れたでしょ?」


「え?あー……、はい。よく覚えてないんですけど、なんだか温かくて気持ちのいい夢を見たような気がします。」


 眠りに落ちる寸前、誰かに優しく抱きしめられるような温もりを思い出す。あれも魔法の影響だったのだろうか。


「この魔法は、対象者の記憶の中の幸せだった瞬間を、夢として追体験させる効果があるの。よく眠れるようにね」


「そう……だったんですね」


 ということは、リリィを抱きしめてくれたあの人影は、きっと母親だったのだろう。リリィにとって幸せな瞬間とは両親と共に過ごした時間であり、その中には母親と抱き合って眠る夜もあった。それを魔女は魔法で再現してくれたのだ。


「……あの、魔法については分かったんですけど、なんでそんなことをしてくれたんですか?わたしは魔女さんに殺してほしいってお願いしたし、魔女さんも人の死体が手に入って喜ぶと思ったんですけど」


 魔女は少し考えるような仕草をして、


「そうねぇ、色々理由はあるけれど。まず一つ。確かに人間の体っていうのは魔法や新薬の研究に役立つ良い素材になるわ。だからあなたの提案は、正直言えばすごい魅力的だった。体丸ごと貴重な材料になるもの」


 爪、髪、目玉、心臓。人体を構成するあらゆる部品は、獣のそれらよりもとても希少でめったに手に入らないらしい。丁寧な説明にリリィが感心していると、魔女は「でもね」と続ける。


「あんたみたいなちんちくりんの死体じゃあ、これーーーーーーっぽっちも研究が進まないのよ。体が小さくて採れるものも少ないから、薬の一つもできやしない。殺すだけ無駄ってもんよ」


「知らなかった……わたしの体って価値ないんだ……」


「そうよ、死んで誰かの役に立とうなんて、思い上がりも甚だしいわリリィちゃん」


「ひ、ひどい……」


「次に二つ目。あなた、簡単に殺してくれって頼むけど、私は人を殺したことなんてないの。ましてやあなたみたいな年端もいかない女の子を手にかけるなんてまっぴらよ」


「え?だって魔女さんは人を殺して死体を研究に使ってるんじゃ……」


「人の死体を扱うことはあるけど、それは身元の分からない死体をツテで譲ってもらっているだけよ。私自身がどうこうしているものじゃない」


 だとしたら失礼なことを言ってしまった。リリィは魔女が日常的に人殺しに慣れていると思ってお願いしに来たのに、当の本人はそんな経験はまったくないと言う。性格も噂に聞くような残虐な人物どころか、話す限りただの気のいい美人のお姉さんだ。


「以上の理由で、私にはあんたを殺す理由もないし、あんたもわざわざ死ぬ理由がない。これがあなたを殺さなかった経緯よ。わかった?」


「でも……わたし、これからどうすれば……。死ぬつもりでここに来たのに、これから生きていける自信なんてないです……」


 そう、ここで魔女に殺されなかったとしても、リリィにはこれから先、生きていける力と環境なんてない。そもそも、ここにくるまで路上で死にかけの生活をしていたのだ。またあの生活に帰るだけではないか。そんなのはもううんざりだ。


「それなら簡単よ。あなた、今日からここに住みなさい」


「え!?」


 思いがけない提案だった。


「あなたが今まで一人で辛かったことは分かる。生きることに絶望してしまったことも。でもね、その命を手放すにはあなたはまだ幼すぎる。両親の元に行きたいっていう気持ちはわからないでもないけど、そんなの少しくらい遅れたっていいじゃない。親はいつまでも待ってるわよ、あなたはここでもう少し生きてみなさい」


 親切すぎる。まず最初にそう感じた。家の前で初めて会った時から思っていたが、この魔女は見ず知らずのリリィに対してあまりにも優しすぎる。自分がみすぼらしい少女だから気を使ってくれているのだろうか。


「食って寝て、働いて遊んで。それでもまだ、あなたが死にたい、逃げ出したい、進んで実験材料になりたいってんなら、育ってぶくぶくと成長したあんたを呪い殺してあげるわ。今度こそ大好きなお父さんとお母さんのもとに送ってあげる」


 恐ろしいことを言っているというのに、リリィにはそれが本気のように聞こえなかった。魔女の発する声音は、言葉とは裏腹に温かい慈愛が混ざっている。


「……それ絶対嘘ですよね」


「はあ!?」


「人のよさが隠しきれてないですし」


「なっ!?」


「そもそもわたしを育ててから実験の材料にするつもりなら、そんなことわざわざ今バラさなくってもいいわけだし」


「ぐぬぬ……、ぐちぐちうるっさいわね……いいから今は生きろっつってんの!!」


 滅茶苦茶だ。この人は滅茶苦茶で、暴論を言っていて、だけどきっと優しい。


「一つ教えてください。なんでそこまでしてくれるんですか?」


「え?そりゃまあ、知らない子とはいえ、子供が自分から命を立とうとするなんて胸糞悪いし、わたしも丁度身の回りの世話をする雑用が欲しかったところだし、別に一人の暮らしが寂しくて話し相手が欲しかったわけじゃないけど、まあ気分転換にそんな人が居てもいいかなって……」


 ブツブツと言葉を吐き出す魔女に、ついフフッと笑みが漏れた。「あぁん?」と魔女がにらみをきかせてくる。怖いのでやめてほしい。


「んで、どうすんのよ」


 寂しがっている魔女を見て、リリィは決めた。両親の元に行くのはもう少し後にしよう、この魔女と共に少しだけ歩んでみよう、と。


「……わかりました。わたしでよければ、しばらくここでお世話になります。よろしくお願いします」


「そう!それでいいのよ、リリィ。よろしくね」


 ぱぁっと魔女は太陽みたいに顔を輝かせた。喜怒哀楽が激しい人だ。そういえば、まだ彼女の名前を聞いていなかった。リリィが尋ねると、魔女は困ったように笑った。


「魔法使いはね、人に名前を教えちゃいけないの」ベラリア


 こうして、孤独な少女と、嫌われ者の魔女、二人の共同生活が始まった。











「リリィ。うちに住まわせてあげる以上、あんたにはそれなりの働きをしてもらうわよ」


 魔女は自分が魔法や薬の研究に集中できるようにリリィを雑用に使った。衣服の洗濯や家の中の掃除、洗い物、町への買い出し、庭の草刈り。やることはたくさんあったが、幼いリリィは家事というものをまともにこなしたことがなく、最初はやり方を覚えるだけでも一苦労だった。


「ちょっとリリィ、洗い物に汚れ残ってるじゃない。ちゃんと洗ったの?」


「はい、すいません!」


「ちょっとぉリリィ~、干し方が雑じゃないの、こんなんじゃ服がちゃんと乾かないでしょー!」


「ごめんなさい!」


「ちょ~~っとぉリリィ~?これ、頼んだ薬草と違うんですケドォ。あんた、わたしに毒薬作らせる気ィ?」


「すみません!買い直してきます!」


 あらゆる作業がおぼつかないリリィはまだまだ未熟で、それを魔女は口やかましく指摘してくるけれど、意外にもリリィはこの忙しい日々にやりがいを感じていた。次々とやることに追われるせわしない日常が、彼女の頭から両親の喪失という傷の痛みを忘れさせてくれているのかもしれない。それに、魔女は厳しいけれど、いつも小言を言いながら、作業が終わったリリィの銀色の頭を撫でてくれるのだ。なんだかんだ面倒見のいい人だとリリィは思う。


「リ・リ・ィ~~!!あんたぼったくられ過ぎ!おつりほとんどないじゃない!!」


「ひぇっ……」


「魔女のふところの寒さ舐めてんの!?お?あんた、今すぐ薬の材料になりたいのかしら!?」


 ──多分。いや勘違いかも。


 朝、寝ている魔女を起こすのもリリィの役目だった。魔女よりも早く起きて室内を箒で掃き、雑巾で床を拭く。家中をぴかぴかにして魔女を起こすのがリリィの一日の最初の仕事だ。幸い、魔女は朝には弱いため、リリィが仕事をする時間はたっぷりある。

 リリィが魔女の寝室に行くと、いつも魔女は気持ちよさそうによだれを垂らして眠っている。


「魔女さーん。朝ですよー」


「う“う“ぅ“……起きだくな”い“……」


 ゆさゆさと体をゆすると、綺麗な顔立ちからは想像もできないような呻き声を魔女は漏らす。


「もう……はやく起きないとお昼になっちゃいますよー。わたしが来る前はどうしてたんですか?」


「夜行性だったからいいのよぉ、あとちょっとだけぇ」


「ダメです!生活習慣を直さないと、魔女さんの綺麗なお肌がダメになってしまいます!」


「なによぉ……まだそんなの気にする年じゃなわよぉ」


 毎日魔女を起こすのも一苦労だった。


 食事の準備は数少ない魔女の担当だった。リリィはまだ料理のやり方がよくわからないし、なにより魔女の作る料理はすごくおいしい。一度それを褒めたとき、魔女は微妙な表情になった。


「そりゃあ……ずっと”一人”で暮らしていますからね……料理の一つも上手くなるってもんですよ。“一人”ですから……フフフ……」


 踏んではいけない地雷を踏んでしまったようだ。料理ができないリリィは今、魔女と共にキッチンに立ち。彼女の横でノウハウを学んでいる。いつか、彼女の味に負けないような自分の料理を作って振る舞うのが、最近できたリリィの目標の一つだ。


 そういった充実した日々の中でも、時々眠れない夜があった。一日中雑用に追われて体はヘトヘトに疲れているのに、死んでしまった母や父のことを思うと悲しい気持ちになって中々寝付けなかった。

 父も母も死ぬときは苦しかったのだろうか。二人とも自分がいなければあんな未来を辿ることはなかったんじゃないだろうか。そんな考えが、夜中ずっと頭の中をぐるぐる巡る。


「バカね。思い詰めすぎよ」


 そういうときは決まって魔女が暖かい飲み物を入れてくれた。甘い味で気分が落ち着いた後は、二人で一緒のベッドに入り、魔女はリリィが眠りにつくまでぎゅっと彼女を抱きしめてくれる。


「魔女さん苦しいです」


「寒いから丁度いいじゃない。こーら、暴れないで大人しくなさい」


 リリィが抵抗しようと体をよじらせると、魔女はもっと腕に力を入れる。


「あんたは今を生きてるのよ。両親があなたと一緒に過ごしたかった未来に。なら、精一杯生き延びて、天国の二人に見せつけてやりなさい。わたしは元気です、って」


 銀色の髪を優しく撫でながらそっとささやくような声に、リリィは安心と共に、亡き母の温もりを思い出して、涙を流しながら目をつむる。魔女と一緒に寝る時は、いつも決まって暖かい夢を見ているような気がした。

 そういうことがあった夜の翌日は、絶対に二人で寝坊する。


「私を起こすのはあんた仕事でしょ!!なーに昼過ぎまで呑気に寝てんのよ!このねぼすけ!!」


「魔女さんだって気持ちよさそうに寝てたじゃないですか!人のこと言えないと思います!」


 はたから見ればその光景は、仲の良い姉妹のように見えるのかもしれない。











 町中は数か月前と変わらず、人で溢れかえっていた。


「ねぇリリィ……やっぱり帰らない?」


「今更なに言ってるんですか。ほら、お店回りましょ!」


 珍しく弱気な魔女の手を引っ張って、ぐいぐいとリリィは進んでいく。慣れない町の景色に魔女にはいつもの余裕がなく、心なしか幼そうに見えた。





「魔女さん、今日一緒に町に行ってみませんか?」


 事の発端はある日、リリィは魔女を買い物に誘ったことから始まった。いつも町への買い出し担当はリリィだったため、魔女と一緒に町へ行ったことはなかった。


「やーよ。めんどくさいもの」


 案の定魔女はいい顔はしない。


「でも、一緒に行きたいんです」


 魔女との共同生活に慣れ、共に暮らしたこの数か月で、リリィはすっかり魔女に懐いていた。今ではもう年の離れた姉のような、大切な家族の一人だと認識している。


「人混みは嫌いなのよ」


「じゃあずっと手を繋いでましょう!そしたら迷子になりません!」


 いつになく押しが強いリリィに魔女はぐぬっと気圧される。


「迷子になるのはあんた方じゃない……。なんでそんなに一緒がいいのよ。一人で買い出しなんて、もう何回もやってるでしょ?」


 キラキラと瞳を輝かせていたリリィの表情が少し曇った。


「だって……魔女さんと一緒にお買い物したい……。一緒にお店を見て回りながら、楽しくおしゃべりしたい……」


 ぽつりぽつりと言葉を絞りだすリリィ。少女の脳内には、かつての母と過ごした記憶が蘇っていた。無意識の内に彼女は、魔女に母親の役割を求めていたのだ。それを見た魔女は困ったように微笑む。


「……そりゃ私だってたまには町に行ってみたいわよ。でもね、私は人前には顔を出せないの」


 瞳を大きくぱちくりとさせるリリィの頭を、魔女は優しく撫でる。


「魔法使いはね、あなたが思っている以上に嫌われている生き物なの。町になんか行ったら大騒ぎになっちゃうわ」


 魔女はこれまでになく、やるせなさそうだった。本当は町へ行きたいのに行けない。そんな彼女の役に立ちたいと、リリィは思った。


「魔女さんが最後に町へ行ったのはいつですか?」


「へ?」


「いつですか?」


「えーと、確か5年くらい前かしら」


 突飛な質問に、首をかしげながら魔女が答える。その返答にリリィはニッコリと笑った。


「じゃあ5年間は人前に出ていないわけですよね」


「まあそうなるわね」


「だったら、今もまだ魔女さんが嫌われているかどうか、そんなことわからないじゃないですか!」


「いやそれは……」


「それにわたしが一緒にいたら、魔女さんはそんなに悪い人じゃないかもしれないって皆気がつくかもしれません!そもそも誰も魔女さんの顔なんて覚えていないかも」


「いやぁ、どうかなぁ」


 なんだか魔女の返答が弱い。いけるとリリィは確信した。


「行きましょう!」


 勝機を見つけたようにリリィがずずいと顔を近づける。


「でも、私と一緒にいるところを見られるとあんたが……」


「行きましょう!!」


 押し切れる。そう判断したリリィは渋る魔女の気が変わる前に身支度を整え、森を抜けて町へ魔女を引っ張ってきた。そうして今に至るわけである。


 生活に必要なものを買いそろえた二人は、道にずらっと並んでいる露店を回っていた。


「ほらあれ、いつもここのお店で薬草とか買ってるんですよ」


「へぇ、意外と品ぞろえがいいのね。……あ、これも売ってたの!?丁度新薬の調合に欲しかったやつじゃない!」


 魔女は最初こそ怯えるように周りを気にしていたが、道行く人が自分に反応しないことで、だんだんといつもの様子に戻っていた。


「あれも見てください。このお店、変な角がいつも売ってるんですよ、不気味ですよね?」


「あら、小鬼の角ね。小っちゃくてかわいいじゃないの。欲しいなら買ってあげるわよ?安いし」


「え……いや、いいです……」


 遠慮しなくていいのにと魔女はリリィを小突く。いや遠慮しているわけではないのだが。

 二人は仲の良い姉妹のように店を見て回った。町は依然、作物不足による不景気が続いているはずだったが、それでも商業区は賑わいを見せていて、その賑やかな空気に二人も乗っかった。実験に使うと言って怪しく光る石や紫色の液体が入った小瓶を買い、小鬼の角をつついてはしゃぎ、魔獣の腸の匂いに悶絶し、おしゃれな服を試着して褒め合った。

 楽しい。誰かと一緒に共有する時間は楽しい。リリィは自分が子供だったことを久しぶりに思い出し、思う存分はしゃいだ。同時に、町民が魔女に対してなにか反応するどころか、存在すら認識していないことに安堵していた。


 ──ほらね。魔女さんは自分で思っているほど嫌われてないんだよ。


 声には出さなかったが、そのメッセージを魔女が今日の体験から受け取ってくれていたらいいと思う。

 露店巡りもひと段落し家路につく前、最後寄った店でリリィは銀色の髪飾りを買ってもらった。


「いいんですか?」


「子供が遠慮するもんじゃないの。いつも頑張ってる雑用係にご褒美よ」


 思わぬプレゼントに驚きながら髪飾りを見つめる。キラキラとした宝石が自分の手に乗っている気分だ。


「かわいい。魔女さんにもまともなセンスがあったんですね」


 ぶっ飛ばすわよ、と髪をわしわしされながらリリィは髪飾りを身に着けてみる。鏡で自分を見てみると、リリィの髪色と同じそれはよく馴染んで見えた。


「……嬉しい。これ大切にします」


「安物よ。そんな大層なもんじゃないっての」


 うちも家計が楽じゃないからと笑い合って帰路に就こうとしたときに、”それ”は起きた。

 会話に夢中で気が付かなかったリリィはふと、先ほどまでとは街中の空気が違うことに気が付いた。いつの間にか近くから人が消え、自分達を中心にぐるっと大きな円を作るように周囲に人だかりができている。嫌な予感がした。

 ざわざわ……ざわざわ……と人々がささやく声が幾重にも折り重なって聞こえる。その声と数多の視線の矛先が、自分達に向いていることに気づくのに、そう時間はかからなかった。


「おい、あいつ……魔女だ……間違いない」


 雑踏の中から声が聞こえてくる。魔女の顔を知っている誰かがいたのだ。この人は5年も人前に出ていないのに、とリリィは旋律する。


「なんで町にいるんだよ……森から出ないんじゃなかったのか?」


「薄気味悪い。店の商品になにか呪いをかけているんじゃないの」


「いや、もしかしたら俺達に直接危害を加えるつもりかもしれないぞ」


 最初は虫のさざめきのようだった声が徐々にリリィが聞こえるくらいにまで大きくなる。声のボリュームと共に、人々の怒りが沸々と上がっているように感じた。リリィは恐る恐る隣の魔女を見上げた。


「……」


 魔女は、なにも言わなかった。ただ、さっきまでの店巡りで楽しそうに輝かせていた瞳の色は今、虚無の様な漆黒に染まっている。


 ──わたしのせいだ。


 恐れていた事態が起きてしまった。魔女はあれだけ心配していたのに、自分はそんなこと起きないだろうとどこかで高を括っていた。たくさんの悪意がリリィ達に、否。リリィの横の魔女に向けられているこの歪な状況に、幼い少女は恐怖を覚える。生まれてから今まで、こんなにたくさんの人から注目を向けられたことなどなかった。それも、息が詰まるような純粋な悪意を。


「不作が改善されないのも魔女が大地に呪いをかけたのが原因らしいじゃないか」


「あいつは俺達が飢餓で苦しむ姿を見て楽しんでるんだろ。魔法使いってのはそういう生き物じゃねぇか」


 ──違う。魔女さんはそんなことしてない。


 そう叫びたくても怖くて口が動かせない。自分が震えていることに、そこで初めて気づく。


「それに、隣の子供、“あれ”なに?」


「魔女と一緒にいるみたいだけどなに?」


 魔女に注がれていた視線が隣のリリィに映り、不意に注目の対象が自分に変わった気がした。ただそれだけで、リリィの体は石のように硬くなり、思うように動かせなくなる。それに、今誰かが言った“あれ”という言葉。まるで人ではなく物を指すような言い方。ますますリリィは恐怖から逃れられなくなる。たまらずに魔女のローブの端をぎゅっと掴んだ。


「もしかして、魔女の子供?」


「嘘だろ……一人だけでもいい迷惑だってのに、子供までこさえてんのかよ……」


「一体誰よ、あんな汚らわしい奴と子供作ったやつは」


「あれもその内悪さをしでかすんだろうな。悪党の血が流れてるんだろうし」


 不特定多数から繰り出される言葉の暴力が、鋭利な矢のようにリリィに突き刺さる。心の柔い部分を遠慮なくズブズブと突き刺してくる。


 ──魔女さん、今日一緒に町に行ってみませんか?


 ──でも、私と一緒にいるところを見られるとあんたが……。


 ──行きましょう!!


 朝の自分を呪いたくなる。魔女はきっと憂いていたのだ、自分が町へ出てどういう扱いを受けるかよりも、魔女と一緒にいるリリィがどんな風に見られるかを。だから彼女はリリィと一緒に町へ行きたがらなかった。そんな彼女の心配を、自分のワガママで押しつぶしてしまった。魔女の心に傷を負わせてしまった。その事実に罪悪感がこみ上げてくる。

 目の前の状況に脳が現実逃避を起こし、頭の中で自分を責めていると、べちゃっと何かが飛んできて魔女に当たった。黒いローブに赤い汚れがドロリとこびりついている。鼻をつく匂いから腐ったトマトだと分かった。


「出ていけ、化物!この国から出ていけ!!」


 誰かがそう叫んだのを皮切りに、人々は感情を爆発させた。水や石ころや泥や肉のこびりついた骨やレンガや食器や植木鉢が。彼らの手の届く範囲にある、投げられるものの全てが二人の前に飛び交った。


「返してよ!餓死した夫を返してよ!!」


「おまえのせいで!おまえのせいでっ!!」


「この国の土をもとに戻せ!!そして死ね!!」


 加害者側だというのに。彼らは涙を目に浮かべて、辛そうで、本気で怒っているようだった。珍しい魔女をからかってイジメてやろうなんて、気まぐれのようなイタズラ心ならどれだけよかっただろう。彼らは自分達の生活を脅かし幸せを奪った諸悪の根源として、本気で魔女を憎んでいる。なんて哀れな人達なのだろう。


 ──魔法使いはね、あなたが思っている以上に嫌われている生き物なの。町になんか行ったら大騒ぎになっちゃうわ。


 魔女の言葉がフラッシュバックする。自分はもしかしたら、あの言葉を軽視していたのかもしれない。貧しさは、不幸は、こういうことを同じ人間に平然とできるくらいに人格を歪ませてしまうものなのだろうか。

 怒号の嵐と共に宙を舞っている物体の数々が放物線を描いてリリィ達に襲い来る。魔女はとっさにリリィを自分の陰に隠したが、飛んできたものの内の一つがリリィの頬をかすめた。


「っ!!」


「っ!リリィッ!」


 突然の痛みにリリィが頬を抑えると、それまで沈黙を貫いていた魔女の目の色が変わった。手を横にかざすとどこからともなく杖が現れ、魔女は掴んだそれを軽く横凪に振った。

 瞬間、彼女を中心に強烈な突風が発生し、宙を舞っていた投射物は全て吹き飛ばされた。建物は軋み、露店の看板は吹き飛び、真上を飛んでいた鳥は遠方へ飛ばされていく。人々はたまらず後ずさった。

 風がやむと、先ほどまでの狂騒が嘘のように広場は静寂に包まれた。誰かの息遣いさえ聞こえるような静けさだ。見ると、民衆の誰もが瞳に恐怖の色を浮かべている。先ほどまでの怒りと興奮に満ちた空気は、魔女の起こした風がきれいさっぱりさらっていったようだった。


「失せなさい」


 片手でリリィを庇い、もう片方の手で杖を構えたまま、魔女は静かに一言発した。凛とした声が静かな広場によく響く。まるで意図して悪役を演じているかのように、いつもよりも低く怖い声音だった。。

 一呼吸の間の後に、悲鳴を上げながら民衆は散り散りに逃げていった。さんざん罵倒を飛ばして物を投げつけておきながら、今更ながらに命の危険を感じたのだろう。あっという間に二人を囲っていた群衆は誰一人残すことなく消え去った。ひどく滑稽な光景だった。ただ、今のリリィにそんな光景を笑う余裕はなかった。


 広場に残ったのは魔女の子として勘違いされたリリィと、改めて邪悪さと凶暴さを記憶された魔女二人だけだった。






 行きとは正反対の重い空気で森を抜けて家に帰ると、魔女はまずリリィの手当をしてくれた。


「大丈夫よ、軽いかすり傷。あとは残らないわ」


 椅子に座ったリリィの顔を、魔女は何度も手でなぞる。


「うん……」


「なに暗い顔してんの。あんたの美人顔には影響ないって言ってんのよ。ほら、魔女特製のお薬も塗ってあげるから。……ほら、これで大丈夫」


「うん……」


 帰り道、リリィは一言も話さなかった。いや、話せなかった。目の前で起きた異常事態を頭が受け止め切れず、呆然と魔女に手を引かれながら気がつけば家に戻っていた。


「……ごめんなさい」


 頬に薬を塗った魔女がリリィの顔から手を離す。その瞳には後悔が満ちている。


「あなたに……怖い想いをさせちゃったわね」


 リリィは信じられないものを見るような目で顔を上げた。


「折角楽しい一日だったのにね。台無しにしてごめんね」


「違う!!」


 ガタッとリリィは勢いよく立ち上がる。まだ気持ちの整理はついていなかったけど、これだけは言える。謝るべきなのは魔女ではない。


「謝るのはわたしの方……ごめんなさい」


 魔女は驚いたような目でリリィを見つめた。


「魔女さんにワガママ言って、無理やり町に連れて行ったのは、わたし。魔女さんは町で起こることも、わたしが傷つくことも、全部心配してくれてたのに、わたしが自分勝手だから、その思いやりも全部台無しにしちゃった……」


 瞳を涙で潤ませながらリリィは語る。自分のあまりの愚かさ故に、魔女の古傷を再び開くような悲劇を起こしてしまった。


「それは違うわ、だって──」


「違くないっ!違くないの……わたしのせいなのっ……わたし、がっ……えっ、二人で

 いれば大丈夫なんていい加減なことを言って、魔女さんを…………うっ、きず、傷つけたのっ!」


 きっと昔からこんなことが何回もあって、その度に傷つくのが嫌になって、こんな誰も来ない森の奥で一人暮らして心の平穏を保っている魔女に、自分が心の傷を増やしてしまった。


「──ごめんなさい」


 謝罪の言葉が漏れる。


 ──失せなさい。


 民衆を追い払ったときの魔女の声を思い出す。いつもより低くて怖い声。まるで自分は悪い魔女ですと示すかのような声。あれはもしかして、意図して悪役を演じていたのではないだろうか。誰にも理解されずに拒絶されるくらいなら、最初から悪者として振る舞って遠ざけられた方が楽だという、魔女なりの処世術ではないだろうか。だとしたらあんまりだ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。何回でも謝ります、ごめんなさいごめんなさい──」


 いくら謝っても謝り切れない。リリィは喉がはちきれるまで続けるつもりだった。


「あぁっ、リリィ!」


 魔女は泣きじゃくるリリィを強く抱きしめた。全身を包み込むようにぎゅっと力強く。


「自分を責めないで。そんなこと考えないで。あなたは一生、あんな悪意にさらされる必要なんてない。幸福に満ち足りた光の中で生きていてほしいの」


 あんな悪意。大人数からの暴言暴力、誹謗中傷。たしかに恐ろしいものだった。あの短時間だけでもリリィにはもう、この先一生消えない心の傷を刻まれた気がする。

 でも、だとしたらおかしい。そんな傷を負うことを宿命づけられた魔女は、生まれながらにして呪いを背負っているようなものじゃないか。同じ人として見られない呪い。。対等に扱ってもらえない呪い。忌むべき対象となる呪い。そんなドス黒い呪いに幼いころから感情をかき乱されてきて、なんで彼女はまだ他人の幸福を願ってしまうのだ。


 ──そんなのおかしい。ダメなわたしなんかよりも、もっと自分を大切にしてほしい。


「私なら大丈夫。あんなの慣れたもんよ。痛くも痒くもない」


 嘘だ。あんな痛みに慣れる人なんているはずがない。


「あんたが無事でよかった」


 あなたは無事じゃないのに。


 言葉はいくつも湧き上がってきた。でも、それらを発することはできなかった。それよりも先に、抑えることのできない嗚咽がこみ上げてきたからだ。涙と鼻水をまき散らしながら泣き喚くリリィを、魔女はずっと抱きしめ続けた。


「今日は楽しかったわリリィ。本当に楽しかった。誘ってくれてありがとう」


 香水のような甘い魔女の匂いを間近で感じ取りながら、リリィは自分が何をすべきかをずっと考え続けた。











「よしっ、皿洗い終わりました!」


「ふむ。汚れは……ないみたいね」


 ぴかぴかに磨かれた皿に合格を上げると、リリィは嬉しそうな顔をしてタオルで手を拭う。


「皿洗いもしっかりできるようになったわね。ようやくいっぱしの雑用らしくなってきたじゃない」


「毎日やってるんだから当然です。もう洗濯も掃除もバッチリですよ!」


「料理はまだできないくせに」


 わざと意地悪そうに笑って、腰に手を当てて胸を張るリリィのことを指さす


「こないだのスープは酷かったわねぇ。甘いのかしょっぱいのかよくわからない味に泥沼みたいに濁った色。毒薬でも飲まされてるのかと思ったわ」


「それは言わないでください!」


 むーと頬を膨らせながら睨んでくるリリィの柔らかいほっぺたを魔女はツンツンとつつく。料理は何回かチャレンジさせたがどれもいい出来とは言い難かった。この子のおいしい料理を食べられるようになるのは、まだ先になりそうだ。

 リリィはしばらく言い返したそうな表情で魔女を見ていたが、やがて諦めたようにバタバタと身支度を始めた。魔女はそれを見て目を細める。


「またお出かけ?」


 町での出来事があった日から、リリィは外出することが増えた。今日のように、家事が終わるとすぐに家を出ていく。


「はい、遊んできます!」


「あんた、毎日どこ行ってんのよ」


 魔女が訊いてもリリィは答えない。


「内緒です」


 魔女としても、あの日の出来事を引きずっていつまでも落ち込んでいられるよりも、以前のように明るく笑顔でいてくれている方が嬉しい。リリィも自分に心配はかけまいと、いつも夕飯時には帰宅している。しかし、あまりにも過剰に明る過ぎる。無理して振る舞っているのがバレバレだ。


「まぁ秘密にしたいならいいけど、今はあんまり町に近づいちゃだめよ」


 こないだの一件で、リリィは魔女の子供だと認知されてしまっている。強大な力をもつ自分ならまだしも、非力な少女が一人で町へ行けば、なにが起こるかは想像に難くない。


「大丈夫です。いつも心配してくれてありがとう」


 じゃあ行ってきますと言って、今日もリリィは家から飛び出していった。


「……」


 リリィが出ていき、木製のドアがパタンと閉まると魔女は無言で手を開き、手のひらに魔法陣を作り出す。薄い水色に光る魔法陣の中には、リリィにこっそりとつけたマーキングの位置情報が記されている。

 リリィの位置情報を示す点が、予想した通りの方角へゆっくりと移動を始める。少女が今日も同じ場所に向かっていることが分かり、たまらずため息が漏れる。


 この数週間リリィがどこに行っているのかを、魔女は最初から知っていた。






 ──よかった。今日もばれなかった。


 いつも通りの明るい態度で魔女に違和感を抱かせなかったことに安堵しながら、あの場所へとリリィは向かう。きっと今、自分がやっていることを魔女が知ったとしたら、慌てて辞めさせるだろう。だから絶対にばれる訳にはいかない。


 この数週間見慣れた木々の間をするすると通り、森を抜けると視界が広がった。眼前には茶色一色の土。町の外れに位置する畑だった。昔、母に聞かせてもらった話によると、かつては色とりどりの作物が実って大地を彩る、鮮やかな場所だったらしい。けれど、目の前の景色はとても同じ場所とは思えない荒れ果てた大地だった。民衆が呪われた大地と噂するのも頷ける。リリィも魔女と出会っていなければその噂を信じてしまうくらいには、この畑だったはずの荒地は生命力や活力といったようなものをまるで感じない場所だった。

 昔は大人数の農家で賑わい、活気あふれた場所だったのかもしれない。今は誰もいない。きっとみんな何回も何回も種を植えて水を上げて、それでも一向に葉が芽吹かないから諦めてしまったのだろう。それに、魔女に呪われたという噂が根付いた地に近づく人間なんていないのかもしれない。広大な大地にリリィは一人立っている。

 荒れた大地を踏んで土が少し盛り上がっている場所へと向かう。この数十回の訪問でリリィが耕し、種を植えた場所だった。盛り上がっている部分を確認すると、今日も芽は出ていなかった。水も十分に上げているはずのに。

 よし、と気合をいれてリリィはクワを持つ。手は連日の作業で豆だらけだけど、そんなの関係なかった。両手で大きく振りかぶり、力いっぱい土に打ち付ける。この数週間、何百回、何千回と繰り返している作業。最初の頃に悩まされた筋肉痛も、最近はあんまり辛くない。最初に訪れた時は不気味で長居したくなかったここも、通い続けるうちに誰もいない落ち着ける場所へと変わっていった。慣れるものだな、とリリィは腕を動かしながら思う。


 ここで作物を育てる。畑が呪われていないことを証明する。魔女の無実を示す。彼女への偏見と差別を無くす。それが今、リリィがやろうとしていることだった。あの町での一件から自分にできることをリリィなりに必死に考え、そして思い至った一つの恩返しだった。

 成果は今のところ、ない。でも、途中で投げ出すつもりはもっとない。

 無謀なのはわかっている。でも魔女のために、自分を救って忘れかけていた温もりを思い出させてくれたあの魔女のために、何かしたかった。

 地面にクワを打ち付け、土を掘り返す。ずっとこの作業を続けていると土にすら苛立ちが沸く。


 ──お前がだらしないんだから、魔女さんが勘違いされるんだ。しっかりしろ。


 そんな苛立ちを込めて土を耕していると、どこからか賑やかな話声が聞こえてきた。手を止めて声の方を見ると、荒れた大地のはるか向こう、町がある方角から数人の男の子達が見えた。遠くてよくわからないが、年齢は自分と同じくらいだろうか。彼らははしゃぎながら近づいてくる。リリィの存在には気づいているようで、中にはおーいと手を振ってくれる子もいる。

 手伝ってくれるのだろうか。そんな淡い期待がリリィの胸に宿った。しかし──。


「ほら、やっぱりあれ、魔女の子供だろ!この前見たの間違いじゃなかったって言ったじゃん!」


『魔女の子供』。そのワードを聞いただけで、言葉の裏に含まれる微かな侮蔑と嘲笑のニュアンスを感じ取ってしまう。言葉の棘に気圧されて、たまらず一歩下がる。


「ほんとだ。やばいじゃん!呪われる!」


「いや大丈夫だって。子供はまだ魔法とか使えないって父ちゃんが言ってたんだ」


 この間の、町での出来事を思い出す。もうあれから数週間過ぎているというのに、目の前の子供達の明確な悪意を感じるや否や、呼応するように記憶から掘り起こされた同じ悪意が鮮明に反芻される。


「あ、あの……」


 何をされるのかとビクビクとしているよりも、思い切ってこちらから話しかけた方がいいかもしれない。リリィは怯えながらも恐る恐ると声を掛ける。この人たちは何をしに来たんだろう。


「なにか……ごようですか?」


 同世代に使うには似つかわしくない、丁寧な言葉で訪ねた。男の子達はニヤニヤとした笑いを止めずにこちらをジロジロと見つめる。


「あ、ああ。おまえ、毎日ひとりで畑耕してるんだろ、前に見かけたことがあってさ。大変そうだし手伝ってあげようかと思って」


「ほんとうですか!」


 彼らの内のリーダーのような少年がにっこりと微笑んで元気に言った。突然の申し出にリリィの顔がパッと明るくなる。自分の勘違いだった。彼らは毎日一人で畑を耕している私を見かねて手伝おうとしてくれる優しい人たちだったのだ。


「あぁ、女の子一人じゃ大変だろ?」


「俺らも手伝うよ」


 後ろの男子達も続く。頼もしい。彼らが協力してくれれば、もっと早く作物を育てることができるかもしれない。

 そうだ。人というのはこうあるべきなんだ。助け合い、手を取り合って生きていくんだ。きっと自分は最近の怒涛の出来事で疑心暗鬼になっていたのだ。大人達は固い頭で魔女を見る目を変えられないかもしれない。でも、子供なら、自分と同じまだ純粋な子供なら。魔女へのねじ曲がった見方を変えていけるかもしれない。胸に希望が辿る。道が見えた気がした。


「あ、ありがとう。ほんとに、ほんとうに助かる!でも、今クワが一つしかなくて………どうしよう」


「ああ。いいよいいよ、クワはなくても」


 じゃあどうやって耕すんだろうと間抜けなことを考えている間に一人の男の子がリリィをどんっと思いっきり突き飛ばした。地面に押し倒され尻餅をつく。

 あれ?と見上げるとニヤニヤとした笑顔がリリィを囲っている。先ほどのふざけ合っているような笑顔ではなく、どこか邪悪さを孕んだようなニヤニヤだった。ああそうか、嘘だったたんだとそこで初めてリリィは気づく。自分はからかわれていたのだ。

 上から足が降ってきた。反射的に顔を腕で覆うと、次の瞬間重い衝撃がのしかかってくる。


「魔女が俺達の畑を勝手にいじってんじゃねーよ」


「魔女の子供ってことはお前も魔女になんだろ?最悪じゃん!」


「父ちゃんも母ちゃんもお前らに迷惑してるって言ってたぜ、早く死んでくれねえかってさ!」


「お前生きてて意味あるの?気持ち悪いから死ねよ」


「目ざわりなんだよ。畑から出てけ、次きたらまじぶっ殺すぞ」


 男の子達は口々に思いつく限りの暴言を吐いて、地面に転がっているリリィをガンガン蹴りつける。痛い。両腕で頭を守りながら、リリィは不思議と冷静だった。


 ──あぁ、魔女さんはきっと、こんな扱いをされて生きてきたんだろうな。こんな気持ちで暮らしてきたんだろうな。


 そう思うと不思議と男の子達の暴言対する怒りや憎しみはわかなかった。むしろ、こんな扱いに慣れてしまっている魔女のことを考えてリリィの心は痛んだ。こんなに酷いことを言われ続けて、なんで魔女はあんなに優しいのだろう。あの人に幸せになってほしい。暖かい世界で何不自由なく笑顔に暮らしてほしい。

 そんなことを考えていると、気づけば暴力が止んでいた。目を開けてみると、怯えたような男の子達とその後ろに彼らの内の誰かの父親らしき姿があった。


「なにをやっているんだ!」


 雷のような怒鳴り声を響かせながら、男はずんずんと音を鳴らすような大股では近づいてきて、私から男の子達を遠ざけた。ひとまず助かったのかな、と人ごとのようにリリィは思う。


「お前達“あんなもの”に触れて、呪いにでもかかったらどうするつもりだ!!」


 “あんなもの”。ああ、そうか。改めてリリィは確信する。なんでわたしと同じくらい幼い男の子達がここまで魔女を憎むのか。子供であるわたしに唾を飛ばして罵りながら暴力を振るうのか。それに値する恨みがあるのか。きっと“なにもされていない”。彼らは魔女に、なんの被害も受けてないのだ。ただ父親が魔女のことを悪く言うから。自分達もそう扱っていいものと学んだのだろう。

 男の子達を説教していた父親が彼らを叱っていたときとはまた違う、。憎しみのこもった目でこっちをむいた。


「金輪際うちの子達に近寄らないでくれ。お前達とは一生関わり合いたくない」


 きっと、この人も魔法使いになにかをされたわけではない。もしかしたらずっと昔の祖先はなんらかの被害を受けたことがあるのかもしれない。でも、今時魔法使いが犯罪を起こすなんていう事件は噂以外では聞いたことがない。確たる証拠もないまま親から子へ、子から孫へ。魔法使いは全員悪い奴だという思い込みが長い歴史の中で人々の間にしみついてしまったのだろう。そしてその不幸を一身に背負う魔法使い側には、汚名をそそぐ機会すら与えられない。


「……はい、すいませんでした。二度とあなたたちの前には現れません」


 集団にいじめられている女の子に対して、手を差し伸べるどころか心配すらしない男を前に、リリィはよろよろと立ち上がり謝罪する。頭の中はずっと魔女のことだけを考えていた。


 ──魔女さん、魔女さん。こんなのあんまりだよ、あなたは誰よりも優しい人なのに。誰よりも暖かい心を持っている女性なのに。この国、この大陸では人扱いさえされないなんて。


 父親はしばらく憎々しげにリリィを眺めていたが、やがて子供達を連れて去っていった。一人ぼっちになり、荒らされたぐちゃぐちゃの畑に、雨がぽつぽつと降り始める。リリィが今まで耕して種を植えた土は原形がなくなっていた。もう一度クワを持とうとしたが、雨は強くなってきたし、もう日が暮れてきたから今日はここまでだ。

 とりあえず魔女にばれないようにこの泥だらけの服をどうにしないと。そんなこをとぼんやり考えてたけれど、すぐにその心配は不要になった。


 後ろに誰かいる気配を感じて振り返ると、森の陰から魔女が出てきた。


「……帰るわよ、リリィ」


「……うん」


 雨の勢いがますます強くなってきて、目の前の人影が霞んで見える。魔女が今どんな表情をしているのか、リリィにはよくわからなかった。






 帰り道は無言だった。前に町から二人で帰っていたときは、魔女が明るく話しかけて、リリィが黙るという構図だったが、今度は両者とも沈黙を貫いていた。

 家に戻ると、魔女はリリィのびしょ濡れになった体を拭いてくれた。自分もずぶ濡れの癖に、まず他人を優先するところが魔女の性根をよく表している。無言のリリィに魔女がわしわしとタオルを押し付ける。


「お風呂、沸いてるわ。入ってきなさい」


「魔女さんと一緒に入りたい」


「今日はダメ。ほら、さっさと湯船につかって、リラックスして、吐き出してきなさい」


 文句を言う前に風呂場に放り出されてしまった。渋々体を洗い、湯船につかる。熱いお湯が息苦しくも気持ちいい。


「…っ」


 不意に刺すような痛みを右肘から感じた。見てみると擦り傷ができていた。


 ──そっか。あの男の子たちにやられたときに。


 また別の箇所がじくじくと痛む。ひざ、手の甲、顎。今まで気づかなかったことが嘘みたいに、それらの傷口は一斉に痛みを訴えだした。

 考えてみれば当然だ。子供とは言え、あれだけの人数に押し倒され、蹴られ、嬲られたのだ。どこかが骨折していてもおかしくない。この程度で済んだのは幸運かもしれない。


「…………え?あれ……なんで……?」


 不意にリリィは、自分が涙を流していることに驚いた。

 先ほどまでの出来事を思い出しただけなのに。こらえてもいないのに。涙はどんどん奥から奥から溢れてくる。わけのわからない体の現象に、やがて心が追いついてくる。


 ──そうだ、わたし……怖かったんだ。


 温かい湯船につかり、体と心両方の緊張が解きほぐれた今になって、ようやく彼女は恐怖を認識した。名も知れぬ男子達が、自分が魔女と一緒にいたというだけで悪意をむき出しにして、憎悪を隠さず、暴力を振るった。彼らの親もまた、事情を知りもせず一方的に敵意を露わにし、子供達から自分を遠ざけた。


「うっ……うぁあ……」


 悪意は痛い。怖い。一度だけでも身を切り刻まれるような、決して受け止め切れないような耐え難い苦しみだというのに、それをもう一度、しかも今日は魔女と一緒にではなく直接自分に向けられた。


「うわあああん……」


 怖かった。怖すぎて、あまりの恐怖に防衛本能が働いて、完全に心が閉じ切っていたのだ。だからあのとき、自分は異常なほどに状況を客観視できていたのだ。


「うあああああああん……うわああああああぁ」


 リリィの狼の子のような、か細く高い泣き声ではしばらく止まらなかった。




 お風呂からあがると魔女が紅茶を注いでくれた。なぜか魔女の服装はずぶ濡れのときと変わっていないのに、綺麗に乾いている。


「魔法で服も乾かせるんですか?」


「当り前じゃない。火と風でちゃちゃっと、ね」


「じゃあ毎日洗濯を干す必要もないんじゃ……」


「ばっかね、そんなほいほい使えるもんじゃないのよ魔法は。それに、晴れてる日はお日様の匂いがして気持ちいいじゃない」


 きっとお風呂場での泣き声も聞こえていただろうに、魔女は、いつものような態度で紅茶に口をつけ、他愛のない会話をしてくれている。くれている、というのは、魔女が努めてそう振る舞っていることが、幼いリリィからも見て取れたからだ。

 紅茶の入ったカップを手に取りながら、リリィは考える。きっと魔女は気づいていたんだ。普通あんなことがあったら大抵の子供は泣き喚く。そんな当然の反応がない自分の心が閉ざされていることを察して、押し込めた感情が爆発する前に、落ち着いて吐き出せるように一人にさせてくれたんだ。魔女は、そういう人だ。


「ねぇ、リリィ」


 考え事をしてボーっとしているリリィに魔女が切り出す。その声色は真剣味を孕んでいて、なんだかイヤな予感がした。


「もう畑に行くのは止めなさい」


「……」


 思った通りのことを言われた。


「ずっと知ってたんですか」


「最初から知っていたわ」


「知っていたなら、なんで今まで止めなかったんですか」


「……あんたのやりたいことはなるべく尊重してあげたかったからよ。保険としてあんたの体に防御魔法もかけていたから、いざという時も命を守ってあげられるし」


 知らなかった。もしかしたら、今日の暴行が擦り傷やかすり傷で済んだのは、魔法のおかげだったのかもしれない。だとしたら、リリィは毎日魔女に負担を強いていたことになる。


「でも、今日の光景を見て、止めざるを得ないと判断したわ。命の危険がある以上に、私が耐えられない、もうあんな行為を静観してられない。あんなことを続けたら、あなたの命が無事でも、あなたの心はボロボロになってしまう。あと少し、ほんの少しあの子供達の親が来るのが遅かったら、私が出ていたわ。怒りのままにあの子たちに魔法を放ったかもしれない」


 不謹慎にもリリィは自分のことで魔女が怒ってくれることを嬉しく感じた。散々暴力を働いたあの子たちを魔法でめちゃくちゃにしている光景を見れば、きっとスカッとするだろう。でもそんなものは一時的な快楽で、すぐに魔女は子供にも手を出すという悪評が広まるのが目に見えている。


「あなたが毎日畑に言っていた理由はなんとなくわかるわ。わたしのため、なんでしょう?」


 全部お見通しのようだ。でも間違ったことはしていない。リリィは子供ながらに、この国が不作で貧しくなっていることを、身をもって知っている。その原因が魔女にあると、根拠のない妄言が人々の間で噂されていることも。その間違いを正したかっただけだ。

 勿論簡単にいくなんて思っていない。自分の小さな手で本当に畑が取り戻せるかなんてわからない。何年かけても、何十年かかっても、リリィはやる気でいた。


「だったらもういいの。あなたのその気持ちだけで、私はすごく嬉しいから」


「いやだ」


 いまさら止める気なんてない。固い決意を以ってリリィは魔女を見据える。


「やめたくない。決めたんです、やれるだけやってみるって」


「リリィ」


 静かに魔女が言う。


「あんなことずっと続けてもなんにもならないわ。文字通りこの国の土は死んでいるの」


「やってみないとわかりません」


「頑固ね」


「頑固です」


 一歩も引くつもりなどない。


「じゃあいいわ、百歩譲ってあなたの努力で土が蘇ったとしましょう。畑でまた作物がたくさん採れるようになって、国が豊かになったとして」


「そうしたら皆魔女さんのことを──」


「なにも変わらないわ」


「え?」


「なにも変わらないの。前にも言ったでしょ。魔法使いはね、あなたが思っている以上に嫌われている生き物なのよ。それこそ、なにも悪い事をしていなくても、その場にいるだけで四方八方から石を投げられるくらいにはね」


 正にリリィが町で体験した出来事そのものだ。


「そんなこと知ってます。だからそれを変えるために──」


「無駄よ」


 ぴしゃりと魔女が言い放つ。


「リリィ、あんた魔法使いを見たの、私が初めてでしょ。なんでこの国に、他の魔法使い達がいないと思う?死んだのよ、皆」


 窓の外で、不規則に雨粒のはじける音がする。


「人と手を取り合おうと積極的に融和を謳っていた魔法使いは、民衆の私刑に会って死んだ。一般人にへりくだる必要なんかないって強気でいた魔法使いは、国に反乱分子とみなされて処分された。残ったのは現状を変えようとすることも、戦うこともしなかった、ただ隠れてひっそり生きようとした臆病者たち。その子孫が私なの。」


 悲しそうに、魔女は微笑む。


「幼いあなたにはわからないかもしれないけどね、この大陸の魔法使いへの憎しみは異常なの。時間が癒してくれるようなものじゃない。自分より下の種族、いじめて、貶して、傷つけてもいい生き物だと認識されているのよ」


 その結論を出すほどの辛い経験を、魔女はしてきたのだろうか。


「だから土を蘇らせたぐらいで、人間の深層に眠る私達への侮蔑は消えたりしない」


 結果は分かっているとでも言うような言い方だった。今までも似たような問題があって、それを頑張って解決して、でも誰にも礼すら言われず、むしろ気味悪がられ煙たがられる。そんなことがあったのかもしれない。


「わかったでしょう、危険なのよ。もう畑に行くのは止めなさい」


「止めないよ、国中の皆がお腹いっぱいになればもう誰も、私達のことをいじめたりしないはずだよ」


 なおも変わらないリリィの頑固な態度に、魔女が顔をしかめる。魔女がその力を以てしても解決できなかった問題。ならば、それを解決して、苦しんでいる魔女を救うことこそがリリィのやるべきことだった。


「言ったでしょ!貧しいから心に余裕がないとかじゃないの。腹が満たされれば別の理由をつけて私達を貶すの。彼らが変わることはないわ。これ以上続ければあなたが死んでしまう。それだけは絶対ダメ」


 魔女はリリィの命を第一に考えてくれている。それは素直に嬉しい。だからこそ、そんな優しい魔女に報いなければならない。


「死んだっていい!魔女さん言ってたよね、わたしの死体を実験材料に使うって。なら死んでも無駄にはならない。わたし、魔女さんの役に立つよ。命をかけて証明する、魔女さんは悪い人じゃない、優しい人なんだって。それを皆に知ってもらうためなら、わたし、死んだっていいの」


 悲しい決意だった。少女には荷が重すぎるほどに悲壮な使命を前にして、魔女は返す言葉を失っていた。


「リリィ……」


「わたし、魔女さんが大好きなんです。だから、これから先の人生、ちょっとでも楽しく生きられるように、頑張るよ」


「……あんたを拾うべきじゃなかった」


 ポツリと形が整った綺麗な唇から声が漏れた。


「え?」


「こんなに私のことに入れ込んで、無謀なことして、自分の人生を棒に振ってしまうくらいなら、魔女のわたしがあんたに関わるべきじゃなかった」


「魔女さん……」


 声が震えている。強気だったリリィも、たまらず心配になってしまう。


「町の人は私が人に呪いをかけるって嘯くけど、あなたにとっては真実ね。魔女の娘っていう呪いを、私はあなたにかけてしまった」


 魔女の頬には涙が伝っていた。


 ──なんでそんなこと言うの?まだ自分を責めるの?あなたはこんなにも素晴らしい人なのに!愛に溢れた人なのに!


 声を掛ける前に、魔女の胸に向かって駆けた。いつも自分を優しく抱き留めてくれる胸をぎゅっと抱きしめる。今度はこっちの番だ。いつも慰めてくれた魔女を自分が慰める番。


「そんなこと思ってない。呪いだなんてちっとも思っていないよ」


「そうね、あなたは優しいから」


 魔女は今までで一番大きな力でリリィを抱きしめた。なのに、いつもより頼りなく、腕は細く小さく見えた。魔女も一人のか弱い人間なんだという事実を理解しながら、リリィは涙を流し続ける魔女の悲しみを受け止め続けた。











「いいわ。大地を蘇らせる魔法、作ってあげる。雑用係に死なれちゃ困るもの」


 次の日。昨日の口論はどこへやら、さらっと魔女は言った。


「……え?あの、魔法で解決できるんですか?そんな簡単に?」


「か・ん・た・ん?」


 魔女が朝食のスープをかき混ぜる手を止めた。ドスのきいた低い声に久しぶりにヒエッと喉の奥が鳴る。


「簡単なわけないでしょーが!何年も土を蝕む原因を解析して、分析して、栄養素が戻るように微生物と細菌を活性化させるような魔法術式を構築して、実証実験を成功させて、国中を術式の効果範囲に指定して、それを実現させるだけの大規模な魔力を生成して、緻密なコントロールで展開して、出力を調整しないといけないのよ!?どこか簡単なのよこのアホ!!!」


「……」


「普通だったらそんなめんどくさくて誰からも感謝されないことに手間かけないわよ。でも、どっかの馬鹿な居候が一生死ぬまでクワでえっさほいさしてるとか言い出したら手伝わないわけにいかないじゃない!わかった?どっかのお馬鹿さん!?」


「うぬぬ……」


 全く持ってその通りだ。勢いと気持ちだけでどうにかできる問題ではないことはリリィにも流石にわかっていた。


「そもそもクワで畑を耕して、それでどうこうなるわけないじゃない。いくら子供でもそのくらい分かるでしょ。あんたはほんとにお馬鹿ね」


「……馬鹿はいいすぎです」


「いいえ馬鹿よ。お・お・ば・か!!わかったらさっさと研究を手伝いなさい。言っとくけど今まで以上にこき使ってあげるから、せいぜい途中で逃げ出さないことね」


 朝ごはん食べたらすぐ始めるわよと魔女はプイっと鍋の方に向き直ってしまった。


「ありがとう、魔女さん」


 プリプリと怒りながらも鼻歌を歌って鍋をかき回す、不機嫌なのかご機嫌なのかわからない魔女に、リリィはお礼を言った。


 それから怒涛の日々が始まった。魔女は一日中部屋に閉じこもり、不気味な音や光を漏らしながらうんうん唸っている。リリィは今までの家事は勿論、魔女が研究に没頭できるようにできる限りのサポートをした。畑からサンプルの土を取ってきたし、国の風土に馴染んだ生物のDNAが必要だと言うので、リリィの髪の毛を数本研究素材として提供もした。


「魔女さん本を読みながら食べるのはやめてください!お行儀が悪いです!」


「うるさい!今いいところなのよ!!」


「魔女さん!たまにはお風呂に入ってください!さすがに3日も入らないのは不潔すぎます!」


「るっさい!!実験中なの!目ぇ離せないのよ今!!」


「魔女さん!!少しは寝てください!せっかくの美人が台無しです!!お肌にも悪いですよ!!」


「うるせぇ!!!誰のせいだと思ってんのよコラァ!!」


 その間の食事もリリィが支度した。


「あんたなによこのスープ!くそまずいじゃないの!!」


「栄養を考えてるんです!魔女さんの頭にちょっとでも糖分を提供しようと砂糖を一杯入れておきました」


「はぁ!?砂糖!?入れ過ぎよバカ!!スープが甘ったるくてどうすんのよ!?それに糖分が足りないって、私がキレやすいって言いたいのかしらあんた!?」


「まさに今キレてるじゃないですか!!」


 このような怒涛の一日は、机に突っ伏して寝ている魔女の背中にブランケットをかけることで終わる。呼吸で上下に揺れる彼女の背中が意外に小さいことにリリィは知った。いつも母親のように甘えていたからわからなかったけど。魔女も一人の女性なのだ。


 ギャーギャーと騒がしくしながらも、魔女とリリィは間違いなく以前よりもいきいきとしていた。リリィは部屋のドアをこっそりと空けて、魔女が机にかじりついている姿を見るのが好きだった。本を乱雑にめくり、なにかをメモしていた紙をくしゃくしゃに丸め、畑の土に種を植えた植木鉢の様子を虫眼鏡で観察する魔女は、リリィが出会った当初の透明で何事にも関心が薄そうで、なにかを諦めたように達観していた魔女とは大違いだったけど、今のがむしゃらで、余裕がなくて、口が汚い魔女の方がリリィは好きだった。やるべきことを見つけたかのようなその熱意は、彼女という存在を色濃くこの世に刻み付けているように見える。


 そしてそんな日々がしばらく続き──。


「リリィ……できたわ」


 研究室からでてきた魔女が魔法の完成を告げた。髪はボサボサで、目の下には濃いクマができていて、それでも彼女は達成したぞという誇らしげな笑顔を浮かべている。


「かなり手こずったけどね。ま、天才にかかればこんなもんよ」


 彼女が持っている植木鉢には、弱々しくもはっきりと薄い緑色の双葉が頭を出していた。あの枯れた土から新たな命が芽生えたのだ。リリィは箒を放り出して植木鉢に見入る。


「すごい……さすがです魔女さん!」


「フフン、褒められるのは悪い気分じゃないわ。でもね」


 植木鉢をのぞき込んでいたリリィは突然頭をガシっと掴まれる。


「レディにむかって肌が荒れてるだの風呂入らないから臭いだの、随分好き勝手いってくれたじゃない。ねえ?リリィちゃ~ん」


 ぐりぐりと頭を握られる。リリィからしたら少し怒らせるくらいが元気になっていいかと思って言っていたことだったが、失礼なことには違いない。大人しく罰を受けているとやがて解放された。


「ま、いいわ。お風呂入ったら少し休むから」


 かなり疲れていたのだろう。その日、魔女は部屋から出ることなく、ぐっすり眠って起きなかった。


 しばらくの間、二人はのんびりと過ごした。二人で適当な時間に起き、手分けして掃除をした後は朝食をとり、洗濯物を干してその後は日向ぼっこをした。近くの草原にピクニックに行くこともあった。

 魔女は大規模な魔法を使うための魔力を貯めるために、他の事に魔法を使えないらしい。だから魔法の研究や薬の調合などはしばらくお休みだという。久しぶりに落ち着いた時間を、二人で過ごしたかったリリィにとっては丁度よかった。日が落ちてくると腹が減ってくる。夕食はもうリリィの担当になっていた。今ではそれなりに魔女を満足させられるものを作ることができる。


「中々成長したじゃない。私ほどじゃないけど」


「むー、一言余計です!」


「ふふっ、冗談よ。頑張ったのね、とってもおいしいわ」


 いよいよ魔女の魔力が溜まった日の夜。リリィは魔女にシチューを振る舞った。初めてリリィが食べた魔女の料理と同じものを、魔女は喜んで鍋丸ごと平らげた。それがリリィにはなにより嬉しかった。

 二人で風呂に入り、お茶を飲み、他愛もない会話を続けながら、同じベッドに入って身を寄せ合って寝た。それが、二人で過ごした最後の夜だった。











 大魔法を発動する当日がやってきた。早朝の草原。天気は快晴、気温、湿度は良好。絶好のコンディションである。

 魔女は黒い髪を揺らして家の前の草原に立ち、杖を両手で胸の真ん中に抑えてうつ向いていた。その姿勢のまま小一時間動いていない。気を静めているのか魔力を集中させているのか、リリィには分からなかった。リリィは危ないから離れてなさいと言われ、家の玄関の前で祈るように彼女を見守っている。


 ──頑張って、魔女さん。


 今までの魔女の努力を見てたからこそ、どうしても成功してほしい。町民を飢餓から救うことよりも、魔女に報われて欲しい気持ちの方が勝っていた。リリィは結局魔法に関しては何の手伝いもできなかった。己の無力さに呆れながらも、魔法が上手くいくように祈ることしかできない。


 やがて青空の下、満ち足りたような顔で魔女は閉じていた目を開ける。魔力というものをまったく感知できないリリィにも、魔女の周りに言いようのない密度の濃い空気のようなものが満ち満ちていることがわかる。それほどのエネルギーが今、彼女の中にある。

 魔女は胸の位置にあった杖を天高くに真っすぐ掲げた。杖は薄く光っていて、見たことのない文字列がぐるぐると杖の根元から先の方までうねりながら纏わりついている。文字列が杖の周りを移動する速さが段々と加速していく。同時にヴォンヴォンヴォンと低く唸るような音も大きくなっていき、はじけそうなくらいに音が高まった瞬間、杖から金色に輝く光線が発せられた。それは一直線に空を駆け上っていき、やがて雲を超えるほどの高さに達した瞬間に光線は見えない壁に当たったかのように横にはじけて広がっていく。


「ぐぅぅ……」


 すごい。これが魔法の力。同じ人の身でありながらこれほどの超常的な現象を引き起こせるのか。凄まじいスケールの魔法にリリィが啞然としていると、光の発生源である目の前から魔女の踏ん張る声が聞こえる。後ろ姿で表情は伺えないが、かなり辛そうだ。

 空に飛んでいく光線は横に広がると、形の決まった鋳物に水を流し込んだように複雑な丸い模様を描き始める。よくわらない紋様や読めない文字列が刻まれたそれは、国中を包み込む、巨大な魔法陣だった。


 きっと町中の人達はこれを見て、魔女の呪いだとか魔女が攻撃を仕掛けてきたとか、見当違いのことを思うに違いない。勝手に勘違いしておけばいい、とリリィは思った。そんなこともう聞き飽きた。魔女は誰にも理解されなくても、この国を救ってみせる。全てが終わった後に、真実を知った彼らはどうするのだろう。魔女の言う通りなにも変わらないのか、それとも僅かだか彼らにも変化が訪れるのか。リリィにはまだわからない。


 やがて魔法陣全体に光が行き届くと、魔法陣の輝きが増した。神々しくも荘厳なその光景に、世界の終わりを勘違いしてしまうのも無理はないな、と思う。もしかしたら魔女はその気になれば世界を滅ぼすこともできるのかもしれない。


「いくわよ、リリィ」


 複雑な術式で生み出した強力な魔力放出の出力を制御していた魔女は、そう言って上空に掲げていた杖を真下に振り下ろした。

 次の瞬間、輝きが最高潮に達した魔法陣から、幾千幾万もの光の筋が大地に向かって降り注いだ。その光は畑に、町に、森に、川に、円形の魔法陣が展開された範囲内のあらゆる場所に注がれる。


「わあ……」


 リリィや魔女の元にも、極太の光雨が何本も体を通り抜けていく。人体に害はないらしい。体を通過していく光からは、温かい生命力とでもいうべき力強さをしっかりと感じた。

 数分間、絶え間なく降り注いだ後、光の雨はピタリと止んだ。上空の巨大な魔法陣は役目を終えると徐々に輝きを失っていき、やがて透明に近いほどの灰色に褪せていく。空の青色に同化するように薄れていった魔法陣は綺麗さっぱり見えなくなり、真上には再び青空が戻った。

 リリィは空に向けていた視線を魔女に戻した。魔女は杖にもたれかかり肩で息を切らしていたが、汗だらけの顔をこちらに向けて一言だけ発した。


「……成功よ」


 リリィは気がつけば魔女に駆け寄っていた。


「すごい!魔女さんすごかった!!」


「はぁ、はぁ……当り前でしょう。私を誰だと思ってんのよ」


「魔女さん!!優しくてカッコイイ魔女さん!!」


 呼吸を整えている魔女を尻目にリリィはすごーいと連呼して飛び跳ねながら喜ぶ。


「国中の土の働きを活性化させたわ。時間はかかるけど、これからこの国でも作物が育つようになると思う」


「これから変わるかな?町の人たちも、わたしたちのこれからも」


 さあねと魔女はリリィの頭を撫でた。


「とにかくやることはやったわ。あとは様子を見守りましょう」


「じゃあ休憩しよ。疲れたでしょ?何食べたい?魔女さんの好きなものを作ってあげる」


「そうねぇ……今日は贅沢にパーティーでもしちゃおうかしら。お菓子も食べ物もたくさん用意して」


 パーティー!甘美な響きに心が躍る。しかし、それが実現することはなかった。


「こんな、大仕事したんだもの、国からも……労いの、一つや二つは貰い…た……い…わ……」


 そこでようやくリリィは魔女の異変に気付いた。時間が立っても息が整わず、逆に肩の揺れが大きくなってきている。杖にもたれる手は震えていて、顔には大粒の汗がいくつも浮かんでいる。


「魔女さん……?」


 返事を聞く前に魔女の体はゆらゆらとバランスを失い、どさりと地面に倒れ伏した。態勢が崩れる直前、魔女の生気がない虚ろな瞳がリリィの目に入った。


「魔女さん……!?ねぇ、大丈夫!?魔女さん!?」


 体を揺すっても魔女は反応しない。手を握ると氷のように恐ろしく冷くて、その温度からは生命力というものをかけらも感じられない。


 ──魔力ってのはとどのつまり生命力なのよ。


 いつかの魔女の言葉が脳裏によぎる。魔力は生命力。なら、その生命力を全て使い果たしたとしたら。


 ──魔力を使いすぎて?あんな大規模な魔法を発動したから?でも、今日に備えて一杯魔力を貯めていたはずなのに?それでも足りなかった?計算違い?そんなことがあり得るの?いや、そもそもこんな事態が起きたのは──。


 いくつもの思考がぐちゃぐちゃに絡まり、それでも一つの答えが自動的に導き出される。


 ──私のせいで魔女さんが死ぬ。


 急に死という存在が目の前に現れて、現実を暗く、黒く染めていく。


「いや!!死なないで!!いやだよぉ!!」


 絞り出したような甲高い叫び声にも魔女は反応しなかった。握っている手がどんどん冷たくなっていく。透き通るように綺麗だった白い肌は、白さを通り越して青味がかっている。呼吸は不規則で、薄い紫に変色した唇からは、今にも消え入りそうな弱々しい息遣いが聞こえる。間違いなく、彼女は今わの際にいる。

 父も母も死に、独りぼっちの自分を抱きしめてくれた魔女すらも今、死にゆこうとしている。これ以上喪失の苦しみを味わいたくない。でも、目の前の事態にどう対処すればいいのかわからない。涙がポロポロと魔女の青白い額に零れて玉のように浮かんでいた汗とくっつく。どこまでいっても自分という存在は、どうしようもなく無知で無力で愚かだった。

 他にできることもなく、魔女の体にしがみついて、声が枯れるほどに呼びかけ続けていると、リリィが握っていない方の冷たい手が弱々しい動きでリリィの頭を撫でた。


「……っ!魔女さん!」


 魔女の手からなにか温かなものが、柔らかな光を伴ってリリィの頭に流れ込んでくる。それが魔力だと、なぜだかリリィには理解ができた。


「無理しないで!!大丈夫だから、ね……?わたしがなんとかするから、安心して?すぐに元気になるから……だから…死なないで……」


 やがて、手の光が消えると、力が抜けた腕はリリィの頭を滑りぱたりと落ちた。リリィの呼びかけも虚しく、目の前の命は今燃え尽きようとしている。魔女は最期になにかを言おうと口を弱々しく動かした。


「わ……たしの……な、まえ…………ベラ、リア……」


 かすれたような小さな声で、魔女は最後にそう言った。それを最後に、魔女の目は虚空を見つめたように光を失い。浅い呼吸すら感じられなくなった。


 そうして、国中の人から恨まれていた魔女は国を救って死んだ。


「お願い…死なないで……独りにしないで……」


 草原には先ほど魔法の轟音が嘘のように風がそよぐ音だけが鳴っていた。残酷な世界に残された少女は亡骸を前に一人うずくまり、その言葉を繰り返し続けた。











 ──本当にこの子は泣き虫ね。女の涙は安売りするもんじゃないわよ。


 薄れゆく意識の中で、リリィが私を呼ぶ声が聞こえる。しかし、応える気力はない。魔力とは即ち生命力。それを全て使い果たした私は、必然死ぬ運命にある。


 リリィが出会ってから、毎日が楽しかった。独りで生きることに疲れていたと少女は言ったけど、それは自分も同じだった。誰にも必要とされず、喜びも悲しみも、退屈すらも共有できずに時は流れていく。存在を肯定されたかった。誰かの役に立って生きてていいんだと思いたかった。でも、肯定はされなかった。その”誰か”はいなかった。リリィと出会うまで、私はずっと死んでいた。


 ──これから、あの子一人で大丈夫かしら。


 親は幼いころに死んだ。それからの私はリリィと同じだった。だれにも頼れずに一人で生きてきた。魔法が使える分、彼女よりはましだったかもしれない。だからこそ、同じ境遇のあの子を見つけたとき、とてつもなく愛おしく、切ない気持ちに駆られた。この子を助けてあげたい、抱きしめてあげたい、と。あの子は私のお陰で救われたと言う。でも違う。本当に救われていたのは私の方だった。あの子を愛することで過去のみじめで哀れだった私を肯定しようとした。あの子を傍に置くことで耐え切れなかった孤独を中和しようとした。結局、私はあの子の言う優しい魔女さんなんかじゃなくて、自分の利益の為にしか動くことができない欲深い人間だった。二人で町へ買い物に行った時もそう。断ろうと思えば断れた。でも、あの子に求められているのが嬉しくて、あの子に必要とされているのが嬉しくて、彼女の安全を顧みずに、結果的に彼女を危険にさらし、民衆は彼女も忌むべき対象の中に入れてしまった。自分の利益のために他人を不幸に陥れる、私は正真正銘、おとぎ話の中の邪悪な魔女そのものだ。


 でも、あの子は違う。私なんかよりもはるかに優しすぎる。自分が傷つくことよりも、私が傷つくことに嫌悪を示す。当事者である自分ですら、当たり前のものとして受け入れていた魔法使いへの差別に、リリィは悲しみの涙を流した。自分には関係ない問題なのに、それを解決しようとして命まで投げ出そうとした。なんてバカな子だろう。なんて愛情深い子だろう。だから彼女を見習って、私も一回だけ自分の利益に関係のない行為をやってみた。土を蘇らせる魔法。それで私達を見る目が変わるわけないと知っていながらも、幼い少女に心を動かされ、一世一代の善行に打って出た。その結果がこれだ。


 納得しているかと言われればしていない。でも、たとえリリィの叫びを無視して、あのままあの子を畑に通わせ続けて、悪意の中であのいたいけな少女を失ったとしたら、私は自分の愚かさを死ぬほど後悔しながらまた独りになる。生きることが辛くなる。生に意味を見出せなくなる。そうなるくらいなら、ここであの子の役に立ってあげたかった。でも結局それは、私が感じるはずだった孤独をあなたに押し付けるだけになっちゃったわね。ごめんね。


 ねぇリリィ。あなたはこれからも魔女の子供として扱われるようになるでしょう。不当な扱いを受けることもたくさんあるでしょう。それはまさしく”呪い”のようにこれからのあなたの人生を蝕むことでしょう。でもね、あなたが私と出会ってしまったことが呪いだったとしても、私にとってはあなたと出会えたことは”祝福”だったの。独りぼっちで寂しさに押しつぶされそうだった私を、あなたは天使のような微笑みで癒してくれたの。自分勝手でしょ?でも、それが私という魔女なの。あなたの優しさを利用した悪い魔女。だから、最後くらいはお礼を言っておくわね。私と出会ってくれて、ありがとう。私と生きてくれて、ありがとう。私のために涙を流してくれて、ありがとう。私を抱きしめてくれて、ありがとう。あなたにとっての呪いが、私にとっては祝福だったように、いつか、あなたにも呪いに変わる祝福が訪れることを、ずっと願っているわ。ねぇリリィ。また会えたら、思いっきり抱きしめてあげる。だから、あなたにもぎゅーって抱きしめてほしいわ。ねぇ、リリィ。私、意外と寂しがりやなの。知っていたかしら?──











「君がリリィちゃんかな?」


 魔女が亡くなった翌日。リリィが家の裏に遺体を埋め、墓に花を供えている時に、その男はやって来た。羽振りのよさそうな装いに腰に携えた剣。リリィには男が魔女への報復に来たように見えた。警戒する少女に男はあわてた様子で自己紹介をする。


「怯えないでほしい。私はこの国に仕える騎士だ。怪しい者じゃない」


「騎士様がなんのごようですか」


 騎士だという男はリリィをなだめながら説明した。自分は魔女の数少ない知り合いで、普段から密かに彼女の生活の手助けをしていたこと。近々大魔法を使った実験を行うことと、それが成功すれば間違いなく自分は魔力切れで命を落とすと彼女から聞いていたこと。そして、自分が死んだあとに安全に暮らしていけるように、リリィを外国へと出国させるよう頼まれていたこと。大まかにこんなことを騎士は説明した。


「信じてくれるかな」


 魔法のことや魔女が死んだことはまだ誰にも知られていない。魔女本人が誰かに話していなければ。ということは目の前の騎士を名乗る男が言っていることは真実で、本当に魔女の知り合いなのだろう。

 そして、魔女が自らの死を予期していたということは、昨日のあれは不慮の事故ではなく、起こるべくして起きたことだったのだと確信した。


「……じゃあ、あなたは魔女さんが魔法を使えば死ぬことをあらかじめ聞いていたんですか」


「ああ」


「でも止めなかった」


「そうだ」


 リリィは騎士の脛を思いっきり蹴り飛ばした。騎士の脛あてがクリーンヒットし、痛みで逆に悶える。


「~~~~~っ!!」


 ジーンと痛む足をさする。その様子を見て騎士は呆れたように笑った。


「私が許せないかい」


「……許せません。でも、自分が一番許せないんです。魔法のことをよく知りもしないくせに魔女さんを頼って、こんな不幸を招いて。わたしはわたしが憎くてたまらない」


「それは彼女も望まないことだろう。彼女はこの結末を知っていて。それでもなお実行したんだ。君が気に病むようなことじゃない」


「そんな慰めの言葉じゃ、納得できません」


「いつかできるさ」


「でもわたしには、もう生きる意味も理由もない」


 事実、昨日から今日にかけて、リリィは何度も自らの命を絶とうとした。でもできなかった。怖いからじゃない。両親も魔女もいるあの世に行くことを今更ためらうわけがない。それとは別の違和感。なにかやり残したような心の中のしこり。それが辛うじて少女を現世に繋ぎとめていた。


「それは君が、まだやるべきことがあると考えているからじゃないか」


 その心境を打ち明けると騎士はさらりと答えた。やるべきこと。そんなものあるのだろうか。


「ゆっくりでいい。色々あったんだ。まずは心を落ち着けることが大事さ」


 時間を経てもこの気持ちは変わらない気がするが、騎士なりにリリィのことを励ましているのだろう。なんだか心配されていることがこそばゆくなって、リリィは自分のことから話題を逸らした。


「魔女さんは自分が死ぬ事を知っていたのに、なんで魔法を使ったんでしょう」


「……さあね、私にもよくわからない」


 そっけない返事に、意地悪な質問をしたとリリィは後悔した。本当はその答えを知っていた。魔女ははリリィのために無理をしたのだ。だから責任を負わすまいと彼女は魔法の代償のことをリリィには言わなかったし、眼前の騎士も答えを濁したのだろう。それくらい、リリィにもわかってる。


「さっきはすいません。取り乱しました。」


 騎士は無理もないと笑いながら墓の前にしゃがんで花を一輪添えた。魔女が好きな赤いカーネーションだった。わざわざ町から買ってきたのだろうか。


「あの、聞いてもいいですか」


「なんだい」


「あなたはなんで、魔女さんを助けてくれてたんですか」


 しばらく墓を眺めていた騎士は立ち上がってこちらを振り向いた。少し寂しそうな表情に、自分以外にも魔女の死を悲しんでくれる人間が一人はいたことを知って、少し報われた気持ちになる。


「私の祖父は魔法使いに殺された」


「え?」


「そう教えられて育てられたものだから、私も当然のように魔法使いという種族を憎むようになった」


 空を見上げながら騎士は続ける。


「ある日、私は任務で魔物と戦い、深い傷を負った。部隊は全滅して、生き残りは私だけ。なんとか国に帰ってきたはいいものの、既に歩くこともままならず、この森でついに倒れてしまった」


 騎士の任務が過酷だと言うことはリリィも知っている。国を守る大事な仕事だと。


「そこで命を諦める寸前に、彼女が現れたのさ。まるで散歩中みたいに鼻歌を歌いながら軽快に歩いてきたくせに、血だらけの私を見るなり生娘みたいな悲鳴を上げてな」


 思い出したように騎士がくくっと笑った。


「それで魔女さんに傷を治してもらったんですね。魔法で」


「そう言葉にすれば簡単なんだが、実際には中々複雑でね。私は魔女に取って食われると思って動かない体で必死に抵抗したし、彼女は血を滴らせながら体を引きずる私を無理やり家まで引きずって強引に回復魔法をかけようとした。あまりにも私が抵抗するもんだから途中で『集中できない!』って杖で頭を叩かれて意識を失ったよ」


 血まみれの重傷者を無理やり助けようとする魔女の姿が容易に想像できた。彼女は、昔から変わらないみたいだ。


「まあ簡単に言うと命の恩人ってやつさ。私には彼女個人への恩もあるし、同時に今まで魔法使いという種族を差別し、ないがしろにしてきた罪の意識もある。だから少しでも償いになればと彼女の生活の手伝いをさせてもらってたんだ」


「そっか……」


「もっとも君と違って、彼女は私には心を開いてくれなかったけどね」


 そういう騎士は少し悲しそうだった。目の前の男性が魔女にどのような感情を抱いていたか、少しわかったような気がする。


「魔女さんのこと、好きだったんですね」


「え!?いや、そういうわけじゃ……変なことをいうお嬢さんだな……」


 頭を掻きながら初めて騎士が慌てたような様子を見せた。やはりそういうことらしい。ごほんと騎士はせき込むと


「さてと。リリィ、私には君を国外に連れていく義務がある。それが彼女の最後の望みだ。さぁ荷物をまとめてくれ、いくつかの国にあてがある。そこでの君の暮らしは保障しよう」


 魔女は自分が死んでもまだ、リリィに生きろという。最初に出会った時と同じく滅茶苦茶で、暴論を言っていて、けれどもとても優しい。その優しさを知って、リリィははっきりと言う。


「いやです」


「んな!?」


 きっぱりと断るリリィに再び騎士は慌てる。この人は端正な見た目に反して意外と抜けているようだ。


「なぜだ?言いたくはないが、君は既に国中の人間に魔女の子供だと認知されている。魔女が死んだとはいえ、いや死んだからこそ君への風当たりはきっと今までよりも強くなる。たとえ彼女の魔法が成功していたとしても、土壌が復活したとしてもなにも変わりはしないぞ。君もよくわかっているだろう?」


 その通りだ。騎士の言うことは多分正しい。でも──。


「だからこそですよ。この国が豊かになっても、誰も魔女さんのおかげだなんて信じない。そんなの、腹立たしいじゃないですか。そのことを忘れて別の国で呑気に生きていくなんて、わたしには耐えられない」


「君はまだ幼いからそんなことが言えるんだ。第一──」


「それに」


 リリィは手を目の前に掲げた。そして力を念じると、手の中に小さな風の塊が生まれて、リリィの前髪を優しく揺らした。その現象を見て騎士は固まる。自然に発生したものではない、人工的なその風はまさしく、魔法だった。


「……リリィ。それは」


「それにわたし、どこの国いっても、きっと差別に会うことになります。魔法使いの差別に」


「なんてことだ!」


 騎士は頭を抱えた。今までにない狼狽ぶりだった。


「魔女は、君に魔力を譲渡していたのか……!わずかな魔力が君の中に眠る魔力器官を覚醒させてしまった……」


「難しくてよくわかんないけど、たぶんそんな感じだと思う。死ぬ前に、魔女さんが力をくれたの」


 死に際に魔女の手を介してリリィの体に入り込んできたもの、それは間違いなく魔力そのものだった。魔力に覚醒した少女は今のような極小ではあるが、確かに人知を超えた奇跡の力を、魔法を修得したのだ。


「……だとすれば君は魔法使いになってしまったということだ。これでは国外に逃げてもいずれ君が魔法使いだとばれてしまう。誰も知らない国で再出発したとしても、魔力があることがいずれ露見してしまう。なぜ魔女は最後にこんなことをしたんだ……これではこの少女に呪いをかけたようなものじゃないか……」


「それは違います」


 ブツブツと一人狼狽える騎士に、毅然とリリィは言った。


「これは呪いなんかじゃない。魔女さんが最後にくれた、愛情の証です。わたしが魔女さんの家族だという証拠です」


 騎士は呆けた表情でリリィを見つめている。自分でそのことを言葉にしてようやく、リリィは自分がやるべきことを理解した。


「さっき言っていたやるべきこと、わたしが生きる理由を見つけました。わたしはこの国で、いつか魔女さんの成しえた偉業を知らしめてみせます。差別なんて、そんなの今まで魔女さんが受けてきた苦痛に比べたら痛くもかゆくもない。魔女さんが誰からも尊敬されるようになるその日まで、わたしはこの国で、魔女さんが救ったこの国で生きていきます」


 魔女の名誉を取り戻す。それが自分のやるべきこと。罪はいつか必ず償う。でもそれは今じゃない。全てを成し遂げてその後で、残りの人生全てを贖罪に捧げてもいい。


 ──魔女さん。これでよかったかな。


 騎士はそれからもリリィを説得しようとあれこれと口にしたが、リリィの意志が変わらないことを知って最後にはついに折れた。


「そういえば言われていたよ。なるべく君の意向を尊重するように、と。彼女は知っていたのかな、君がこうすることを」


「多分知りません。知っていたらカンカンに怒ると思います。わたしは問題児だったから」


 もう一度墓を見る騎士につられて、リリィも同じく視線を向ける。供えられた赤いカーネーションが二つ、ゆらゆらと風にそよいでいる。


「そういえば、あなたは魔女さんの名前を知っていますか?」


「いや、魔法使いは自分が愛する者にしか名前を明かさない種族だ。私はそれに値しなかった」


 騎士の乾いた笑いに、やっぱりこの人は魔女が好きだったんだと確信した。






 それから半年。リリィは変わらずに魔女の家で一人暮らしている。朝早くに目を覚まし、掃除や洗濯といった家事をこなし、それらが片付くと夜まで魔女の部屋に籠っている。

 騎士は最初こそ渋っていたが、今ではリリィが一人で暮らしていけるように色々世話焼いてくれている。リリィのワガママに付き合ってくれている彼にも感謝しなければならない。


「君がやるべきことを見つけたというのなら、それを応援するだけさ」


 彼も魔女の最期には思うところがあったのだろう。幸いにも魔女が残した財産はかなりのもので、当分の生活には困らないだけの余裕はある。


 あの国中を巻き込む大規模魔法から国の土は活力を取り戻し、今では作物がぐんぐん育ってきている。一時は衰退していた農業が再び盛んになり、経済は活気を取り戻し始めていた。巷では魔女が死んだおかげで大地を呪う呪文が解けたなんて言われている。おめでたい人たちだとリリィは思う。あなたたちは知らないんだ。その喜びの下に尊い犠牲があったことを。


 そしてリリィは、毎日魔女の使っていた研究室で、魔法の勉強をしている。まずは魔力操作の基礎から。難しい本ばかりで使われている単語はちんぷんかんぷんだけれど、魔女と同じことを学んでいると思うとまったく辛くはなかった。むしろもっと彼女のことを理解できる気がしてやる気が満ち溢れてくる。


 ──罪を憎んで人を憎まず。どんなに酷いことをされても、憎しみに囚われちゃだめよ。


 いつか魔女から言われた言葉を思い出す。自分はあの魔女みたいに優しくなれない。言葉の暴力で心を抉ってきた民衆も、たくさんの物を投げ込んできた町民も、自分を足蹴にした男の子達も許せない。全員一人残らず、泣いて魔女に感謝させてやる。その意気込みで今は勉強に打ち込んでいる。


 少し集中力が切れてきた。席を立ってググッと体を伸ばして部屋を見回す。魔女の部屋は本や資料で雑然としていて、だからこそ彼女がまだ生きているような錯覚を覚える。

 リリィは魔女に想いを馳せる。彼女は最後に名前を教えてくれた。魔法使いは愛する者にのみ真実の名を教えるのだという。死の間際に、彼女はリリィにそれを託してくれた。魔力と共に、ベラリアという名を。

 名前を知ることはすなわち呪いだ。魔法使いと親しいものはそれだけで忌むべき存在として扱われる。魔力も然り。与えられた相手自身を魔法使いそのものにしてしまうのだから。彼女は最後に呪いをかけたのだ。生涯解くことのできない呪いを。でも、リリィはベラリアのくれたそれらを呪いだとはちっとも思っていない。これは、そう、自分とベラリアを繋ぐ絆だ、証だ。大好きな人がくれた誇るべき宝物だ。ベラリアは自分との出会いを呪いと自虐していたが、リリィにとって彼女との出会いは、生きる希望くれた大切な恩人との出会い。まさに祝福だった。


「見ててベラリアさん。わたし、頑張るから」


 魔法について学ぶ中で、魔法使い達の暗く悲しい境遇についても知った。自分の想像以上に劣悪な人生を歩まされていたのだと。それを知ってからリリィの目標は少し変わった。自分を救ってくれたベラリアの名誉を取り戻すだけではない。この国以外でも、大陸中全ての怯え苦しむ魔法使いを救えるように、魔法使いへの偏見と差別をなくしてみせる。


 ──これは僅かな可能性にかけて祈るように願う夢じゃない。いつか、わたしが必ず叶える目標だ。


 リリィはペチンと頬に気合を入れて再び机に向かった。また一つページをめくる。今日中にこの範囲は読み終えたい。目の前には大量に積まれた本の山、彼女に追いつき、追い越すためには、まだまだ学ぶべきことがたくさんある。時間はいくらあっても足りない。


 世界はいまだに歪で醜い。それを少しでもマシな形にしようと命をかけて足掻いた人がいた。いつか自分も彼女のようになりたい。溢れるほどの愛を以って国を救った、一人の英雄のように。


 窓の外から気持ちのいい陽射しが机を照らす。本を読みふける少女の頭に付けられた銀色の髪飾りが眩しく煌めいていた。




 いつかの未来、この大陸から魔法使いの差別は消えることになる。その立役者として、銀色の髪飾りをつけた銀髪の女性と、彼女と共に生きたある魔女の銅像が故郷の国に建てられる。像の二人は柔らかく微笑み、その手は固く握り合っている。


最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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