05話.[たまには頑張る]
「犬子」
「あ、まだ残っていたんだ」
「ええ、少し校内を歩いていたの」
やっぱりそうだ、私は彼女の雰囲気が好きだ。
一緒にいてもしつこく話しかけてきたりしないし、急にハイテンションになったりもしないから疲れることもない。
「雪子、この前はごめん」
「この前?」
「ほら、頼んで来てもらったのに来なくていいとか言ったから」
これでも反省しているんだ。
元子はどう考えても彼女といたがっているからそのためにも仲良くしておく価値はある。
というかこの高校で唯一と言っていいほどの相手だ、大切にしておかないと三年間ずっとひとりで~なんてことにもなりかねない。
大きく変える気はないけど、少しぐらいは頑張らなければならないと私でも感じているため、雪子がその相手になってくれるならありがたいかなというぐらいだった。
「あのとき帰りたくてさ、それで雪子を呼ばせてもらったんだ」
「それは説明してくれたじゃない」
「うん。それでさ――」
そのタイミングでいきなり間瀬先生がやって来て微妙そうな表情で見てきた。
ふたりに増えていたからだろうか?
「犬塚、これは嫌がらせか?」
「ち、違いますっ」
「まあ分かっているがな」
……待て、仲良くしてくれと言うの凄く恥ずかしいぞ。
彼女はきっぱりと断ると分かっているから怖いのもあるんだ。
「さあ、私はここにいるがゆっくり話してくれ」
「は、はあ」
そのせいで余計に言えなくなってしまった。
雪子は涼しい顔で灰色に染まる空、つまり外を見ているだけ。
「おいおい、私が来たからって話すのをやめなくてもいいだろ」
「元々彼女は口数少なめですから」
「それは犬塚もな、寧ろ犬塚の方が酷いぐらいだ」
彼女はそれでもコミュニケーションを取っていると、席替えがないのをいいことに窓の向こうにばかり意識を向けている人間とは違うと間瀬先生は言いたいみたいだ。
だってしょうがないじゃん、雪子を自ら遠ざけてしまっているし、雪子自らがそれを無視して来るような人間ではないし。
間違いなくこれから頼もうとしていることは意味なく終わること、だったら黙っておいた方が無駄にダメージを受けなくて済むというものだろう。
黙っていたら間瀬先生が彼女と話し始めた。
こうなれば居残っている必要なんてないから鞄を持って教室を出る。
「やっぱり空き教室かな」
分かりづらい場所なら雪子が来ることも他の誰かが来ることもなくなるんだからいちいち不安定にならなくて済む。
できれば自分の教室がいいけど、家よりはまだマシだからとそう決めた。
「あ、元子からメッセージがきてる」
部活が終わった後に電話をかけるというもの。
直接会わなければ特に微妙な状態にもならないから了承。
さて、今日彼女はなにを言ってくるのか。
今度こそ雪子と仲良くしたいと言うのか。
それとも前みたいに登下校が大変だとか、部活動が楽しいけど疲れるだとかそういう話の類なのか。
そういうことならとぼけっとするのはある程度のところで切り上げてた。
「犬子、ご飯は――」
「あ、ごめん、ちょっと通話をしてからでもいいかな?」
「ええ、それならラップをかけておくわね」
「ありがとう」
制服から着替えてベッドに寝転ぶ。
それから数分ぐらいが経過した頃、元子から言われていた通り電話がかかってきて応答した。
「もしも――」
「大変なんだよ犬子ちゃんっ」
こっちは全く大変ではないから落ち着かせる。
落ち着かせてからどうしたのと聞いてみたら、
「え、先輩に可愛いって言われた?」
「うんっ、その人女の人なんだけどめっちゃ格好いい人でさ!」
可愛いって言われたぐらいでこの反応とか初かよ……。
なにかがあったと思ったのにこれとか、もうご飯を食べてきてもいいだろうか?
「良かったね、それじゃあね」
「わあっ、待ってよっ」
「え、だってこれ以上話す必要ある?」
「もう、犬子ちゃんって意地悪だよね」
ど、どうすれば良かったと言うのか。
良かったねと共感してあげたんだから満足しておくれよ。
内ではどうでもいいわって感じなのに表には全く出さなかったんだからさ。
彼女のことを理解できる日は延々に来ないだろうということは分かって良かったけどさ。
「つまり惚れたってことでしょ?」
「え、違う違うっ、あ、確かにドキッとはしたけどさ」
「この前来てくれた先輩もその人?」
「え? あ、そうそうそう! 仲良くしてもらっててさ!」
いや待て、知ろうと努力をしてみようじゃないか。
なんだかんだで付き合える能力があるんだから大丈夫だ。
「それで? お礼がしたいとかそういうの?」
「いや、なんか自慢したくて……」
「そうなんだっ、教えてくれてありがとねっ」
おえ、明るい自分がなんか気持ち悪いぞ……。
ただきっかけにはなったらしく、私は会ったことのない先輩の話をいっぱい聞くことになってしまった。
元子が名前通り元気で楽しそうだからいいか。
多少の空腹感ぐらい今日中に食べればなんとかなるわけなんだし。
「あ、もうこんな時間か、ごめん……」
「いいよ、楽しそうな元子と話せて良かったよ」
「犬子ちゃん……」
「ほら、ご飯を食べてお風呂に入らないと、その格好いい先輩さんにまた可愛いって言ってもらえるように頑張らないとね」
「うんっ、今日はありがとう!」
女子高生って長え……もう二十二時超えているんですけど。
とにかくひとり寂しく一階で母作の美味しいご飯を食べて、食べ終えたら洗い物を済ませてからお風呂に入って戻ってきた。
「ふぅ、疲れた」
でも、なんか少しだけすっきりとできた気がする。
仕方がないから次があっても聞いてやるかと決めたのだった。
「あなたなんて嫌いよ」
翌日、学校に行った瞬間にそれだった。
彼女はほとんど無表情気味ではあるから真っ直ぐに伝わってくるけど、なんにもダメージがなくて驚いた。
「普通、私だけ残して帰ったりはしないでしょう?」
「え、間瀬先生のこと苦手なの?」
「別にそういうわけではないけれど……」
これはまた意外な反応だ。
彼女は誰が来ようと涼しい顔か柔らかい顔で対応するものだと思っていたから余計に。
それに昨日はふたりで盛り上がっていたんだから必要ないと思って家に帰ったのだ。
別に約束をしていたわけじゃない。
雪子が偶然やって来て、間瀬先生も偶然やって来ただけだったからああしたまでのことだ。
約束をしていたらそりゃちゃんと最後まで残ったさと全て説明しておいた。
「それより昨日元子の相手をするのが大変でさ、二十二時過ぎまで付き合う羽目になってね」
別に嫌ではないけど一時間ぐらいにしてもらいたいものだ。
放課後に長時間やられると困る、食事や入浴などができなくなるからどうしようもないし。
あの子が部活をやっていないのであればそれでも全く問題はないものの、残念ながらやっていないわけではないから仕方ない。
「芽生は元気よね」
「うん、そこだけは普通に好きなんだ……え?」
「あの子の名前よ、というかいい加減聞きなさいよ」
焼き肉屋さんに行ったときに話したことによってなにかが芽生えたと考えれば――って、やかましいわ!
少しだけあの子に対する心構えを変えた自分だけど、あの子の中にあるのはひとりぼっちの人間には話しかけなければならないという義務感だけだから知らないままでよかった。
元子、雪子、どちらもあまり知らないからこそ普通に対応できていると思うのだ。
下手に知ってしまったら不安定になりかねないから、いいことばかりではないから。
「私は――」
「いいっ」
「それって芽生以外はどうでもいいから?」
あ、少しだけ悲しそうな顔をしている気がする。
確かに必死に否定されればそういう気持ちにもなるか。
私だって自己紹介をしようとしたときに「いいっ」と強く言われたら悲しくなるというか……そうですよねーって言うことしかできなくなるだろうから。
「違うよ、一気に知っても追いつかないからさ」
「じゃあ知りたくないということではないのね?」
「うん、それは絶対に」
ああ、なんかずるをしてしまったような気持ちになった。
まあいい、これからも本人からなにかを言われるまでは元子と呼び続ければいいだろう。
あの子は先輩に夢中だからこっちになにかを求めてくることはないだろうけど。
そうだ、どうせなら雪子に言ってしまおうか。
……無表情で見られても怖いから言い逃げという形にして。
「というわけだからっ、考えておいて!」
情けない、ただ仲良くしたいと言っただけでこれかと。
あれだけひとりでいても逃げることをしなかった自分がなにをやっているのかとまで考えて、だからこそ軽く踏み込もうとしている自分が昔の自分からしたら想像外だからなのだと分かった形になる。
変わろうとするのは勇気がいるものだ、それが多少のものであったとしても絶対にそう。
「おっと、走ったら危ないぞ」
「あ、すみません……」
間瀬先生ってやっぱり格好いいな。
何事にも冷静に対応できるような人間になりたい。
「犬塚、なにも逃げなくてもいいだろ?」
「あ、昨日の話ですか? 邪魔だと思ったのでああしたんです」
ひとりでいたい気持ちと、誰かと仲良くしたい気持ちと。
ごちゃ混ぜになって忙しかった。
どっちも本当の自分だと言えるから極端な行動には出られなくてこういう感じになってしまうのが常だった。
「邪魔じゃない、寧ろ邪魔なのは私だったわけだしな」
「そんなことはありませんよ」
「そうか? ならいいんだけどな」
間瀬先生以外だったら間違いなく逃げていたけど昨日のはそうじゃないから安心してほしい。
「そうだ、今日の放課後も残るなら少し手伝ってくれないか? 運びたい物が多くてな」
「分かりました」
「ああ、ありがとう」
たまにはこういうことだってする。
なにもしてもらってばかりの人間じゃないんだ。
どうしてもひとりでばかりいるのが目立つのもあって本当の私というのを間瀬先生は知らないだろうからこの際に知ってほしかった。
というわけで、放課後はとりあえずいつも通り教室で過ごしていたわけだけど、
「間瀬先生が来ないぞ……」
これ、もう十八時を過ぎているのに来ない。
え、これって自分から行った方がいいの? と困惑している間にも時間だけが経過していく。
なにも悪いことをしたわけではないのに約束をすっぽかして破ってしまったような気持ちになってくるのがなんとも言えないところだ。
「悪い、少し急用が入ってな」
「あ、いえ」
「こっちだ、来てくれ」
良かった、私が悪かったというわけではなくて。
お手伝いの内容も辛いわけではなく、比較的楽と言える感じのものだったので、ぼけっと過ごして帰ることよりも満足感がある。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ、これぐらいならなんてことはないですよ」
常にひとりでいることで間瀬先生にかけている負担と比べればね。
別に意地悪がしたくてそうしているわけじゃないんだけど。
「それじゃあ帰りま、きゃっ!?」
ああ、いいところを見せるどころか恥ずかしいところを見せてしまったぞ……。
無言なのが心に刺さる。
「大丈夫か?」
「はい……これで失礼します」
まあいいや、どうせ終わっているようなものだし。
そう考えて片付けたはずなのに帰り道はなんか寂しさや悲しさに包まれたままだった。
あとは多少どころかかなりの恥ずかしさ、これに尽きる。
ふとしたところで終わるきっかけが用意されているんだなと、乾いた笑いが出たのだった。
「あ、こんなところにいたのか」
空き教室で休憩していたら間瀬先生がやって来た。
なにか提出物の出し忘れでもあったのだろうかと不安になりながらもどうしたんですか? と聞いてみたら、
「昨日すっ転んだだろ? 足とかは大丈夫なのか?」
昨日のことを心配してくれているみたいだった。
「はい、全く問題ないですよ」
大丈夫、全く問題はない。
そこまで物理的に弱くはないからだ。
ただし、メンタル面は昨日のでずたぼろになったってところだけど。
「そうだ、これを受け取ってくれ」
「え、ボールペン……ですか?」
なんか高そうなやつだ。
私は質より量タイプだからこういう一本が高そうなやつは買ったりはしない。
だからなんか持つ手に力が入ってしまう。
「ああ、私が気に入っているやつだ、書きやすいから使ってくれると嬉しい」
「ありがとうございます。でも、昨日のあれぐらいで貰ってしまっていいんでしょうか……」
「助かったからな、ひとりだったらあの量でも時間がかかっていただろうからさ」
それならありがたく貰っておこうと思う。
今度またなにかを手伝えば使用する度に引っかかるということもないだろう。
そういう機会はこれからもあるだろうから焦る必要がないのもいいところだ。
「放課後に来てくれればすぐに会えましたけどね」
「はは、そうだな、だけどなんかすぐに渡したかったんだよ」
「ありがとうございます、大切に使わせていただきますね」
唐突だけどいま気になることは元子が気にしている先輩がどういう人なのかということ。
格好いい、優しい、異性及び同性からモテる、学力及び運動能力が高い、コミュニケーション能力が高い人、というのはあの子が何度も吐いていたことによって分かっている。
でも、実際のところは会ってみないとなんとも言えないから頼んでみるべきだろうか?
……前の雪子みたいに会う必要がないとばっさり切られてしまってもそれはそれで嫌だし、と引っかかる自分がいるのは確かだった。
とにかく、一旦元子に話してみようと珍しく自分からメッセージを送ってみる。
当然すぐに反応などはなかったものの、その間ドキドキそわそわしながら待つなんてことにはならなかった。
「えー! 小熊先輩と会いたいのっ!?」
「うん」
なんか積極的になれないみたいだから余計なお節介をしようと考えている。
まあ簡単に言ってしまえば元子《芽生》のことをよろしくお願いしますとぶつけたいというだけだけど。
「やだ!」
「独占したいから?」
「違うっ、前にも言ったようにそういう気持ちはないって!」
「それならどうして?」
会うぐらいならいまこうして通話をしている間にも他の誰かがしているはずだから無駄な抵抗だと思う。
それに私はそれこそそういうつもりで近づくわけではないんだから勘違いしないでほしい。
ただ気になったからなのと少しのいたずら心からだ。
「あ、それより雪子とはどうなの?」
「んー、雪子はいつも通りだよ」
「やっぱり基本的に無表情なの?」
「そうだね。だけど話しかけると全く変わるから、それは元子だって分かっているでしょ?」
「うん、あの子は凄くいい子だよね、一緒にいて楽しいし」
会話がなくても気まずくならない稀有な存在だ。
彼女と違って一定だから相手をするこちらがあまり疲れなくて済むのもいい。
元気なのは結構だけど、元気すぎるのもまたそれは問題にも繋がるわけだからね。
「また今度も集まろうよ、雪子は元子に会いたいだろうからさ」
「犬子ちゃんは?」
「ん? んー」
「えぇ、私もって言ってよ」
実際に会ってからだと状況が変わってくるんだ。
それに彼女は絶対に雪子を優先するから、というのもある。
後半はこちらをいない者として扱ってくるぐらいだし……。
「あ、とにかく小熊先輩には会わせられないからっ」
「分かったよ、それじゃあまた今度――」
「今日っ、部活が終わったら犬子ちゃんの家に行くねっ」
「ん? うん、分かった」
長時間になりませんように。
ご飯とかも一緒に食べればまあ仲良くなれるだろう。
「ひゃっ!?」
「お水よ、あげる」
「あ、ありがとう……」
ボトルの中の水は冷たかった。
喉が乾いていた身としては普通にありがたいことだ。
「いまのは芽生よね?」
「うん、そうだよ」
「あの子も同じ高校なら良かったのに」
「まあ確かに思わなくもないけどさ、これぐらいの距離感の方がいいんだよ。近くてもいいことばかりってわけじゃないし」
ああ、雪子がそうであってほしいと思っているのか。
これはまた余計なことを言ってしまったなと少し反省。
「雪子も今日来る? 元子が部活終わりに来るみたいでさ」
「いいの? 芽生はあなたとふたりきりでいたいんじゃないの?」
「いいよっ、それで一緒にご飯を作ろうよ! 今日はお母さんが少し帰ってくるのも遅いから」
「ふふ、分かったわ、それなら私の方から言っておくわね」
別にいいのに、元子は先輩に夢中なんだからさ。
食材を多く消費してしまうことになるものの、娘が友達と楽しそうにやれていたら母も喜ぶだろうし大丈夫だ。
下手くそというわけではないし、なにより上手な雪子がいてくれる、美味しいものを作れれば文句だって言ってこないさ。
「雪子? なんでそんな顔をしているの?」
「え?」
「なんか悲しそうだったから」
いまの流れからだとどう考えても元子関連としか思えない。
やり取りをしていないのだろうか?
実は仲良さそうに見えてそうではないという可能性もある。
「なにもないわ」
「ほんと?」
「あ……なにもないと言ったら嘘になるわね」
ここはまだ学校で静かな場所だ。
まだ時間的にも余裕がある、全てではなくても少し吐くことですっきりしてほしいという気持ちが自分の中にあった。
「実は飼っていた猫が行方不明になってしまったのよ」
「えっ、それは大丈夫なのっ?」
「必死に探しているけれど帰ってこなくて、そもそも家の中で飼っていたのにどうしてって疑問しかないのだけれどね」
それは確かに悲しいな。
もしかしたらという悪い考えばかりが増えていく。
学校があるからずっと探しているわけにもいかないし、猫は色々なところを歩くから自力で見つけられる可能性は低い。
「よし、元子の部活が終わるまで探そうよ」
「え、ご飯を作るんじゃ……」
「ほとんど意味はないけどさ、可能性はゼロじゃないから」
それに雪子は無表情か柔らかい表情を浮かべてくれていないと困るんだ。
悲しそうな顔なんて似合わないし、悲しそうな顔なんて友達にはされていたくないから。
母の帰宅時間が遅いのも好都合、二十時付近にご飯作りを開始しても遅いということはないからね。
たまには頑張ろう。
意味はないかもしれないけど、誰かのために動きたいという気持ちが強くあったのだった。