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むかしむかし、目が飛び出るほどの価値がある宝石をその目から生み出す女神がとある僻地に住んでいた、以下略。
まぁ、国のあの有名な御伽噺「流星の雫」に出てくるあれのことだ。
ここで説明するのはめんどうなので、知らないやつは自分で調べてくれ。
「ここが例の女神の住処か」
俺は入るには躊躇われる薄暗い洞窟の入り口を見上げて唾を飲み込んだ。
ここまで来るのは大変だった。このアホみたいな寒さはもちろん、人の子供よりもでかい毒蜘蛛と凶暴な森の化け物たち。さらに登山家でさえ真っ青になるような険しい山道に俺は何度も心が折れた。
昔話ではここまでいとも簡単に行き来しているように描写しているがとんでもない。
俺は二度とここに来ることなんてごめんだ。
「よし、さっさと女神とやらを泣かしてお宝を手に入れるとするか」
俺は両手で自分の頬をパンと叩き、用意していた松明に火を点け、気合を入れて洞窟内へと足を踏み入れた。
ぴしゃ、ぴしゃと不気味な水音が跳ねる洞窟を下唇を強く噛みながら進む。そういえばばっちゃんに血が出るからその癖をやめろって言われたっけか。でも緊張するとどうしてもこの癖がでちまうんだよなぁ。
だが、進むにつれて水音ではない、ばしーんという何かが引きのばされてはじけるような妙な音が聞こえてきて、背筋に嫌な汗が垂れた。
今すぐにでも引き返そうかと考えたが、引き返すわけにもいかない。
俺の家は両親が何も考えず子供をこさえたおかげで、超絶貧乏でその辺の干し草がご馳走にも見えるほどだ。俺はともかく、育ち盛りの弟や妹たちをみてそれでは可哀想だとここにやってきた。
真面目に働けだぁ?
そりゃ最初は真面目に働いたさ。だが、汗水たらして働けども働けども苦しさの変わらないその日暮らしの生活に俺は希望を抱くどころか絶望するようになった。
さらに税金も近々上がるそうだ。このままでは生きていくことさえ難しいだろう。
俺はなんとか震える足を奮い立たせ、音の鳴るほうへと歩みを進める。
ばしーん! ばしーん!
洞窟の曲がり角からどうやら音は聞こえてくる。松明の光が届かないその先に何が待っているのか予想もできず、恐る恐る顔を出した。
そこは中々に広いスペースで十人で暮らしている俺の家よりもでかく、床一面に座り心地の良さそうな苔が生い茂っている。天井には大きな穴が開いており、そこから太陽の光が零れ、新鮮な空気が入ってくるために洞窟の中なのに爽やかな印象を持った。
「もっと! もっとだぁああああああ!」
ばしーん!
そんな春の予感さえ感じる広い洞窟の中央で小太りな男が四つん這いで叫ぶと、後ろに立っている少女が顔色一つ変えず、そのケツに黒く滑らかな鞭が振り下ろした
「はいっ! アウトォオオオ! めちゃくちゃアウト!!」
俺は後先考えず、男にとび膝蹴りを食らわせた。
男は地面を転げて「キャン!」と犬の様な声を上げてそのまま動かなくなった。
こんな場面があるから童話で出せなかったんだよ!? ショッキング映像だよ! 子供たちに見せらんないよ!!
「だ、大丈夫か?」
俺は男に目もくれず、少女を振り返った。
目鼻立ちの綺麗な美少女で、白いワンピースが映える黄金色の髪がさらさらと肩から流れ落ちた。
凍え死にそうなほど寒いこの森で袖のない薄いワンピースと素足。泥一つ付いていないように見えるがきっと彼女は奴隷か何かなのだろう。で、俺が蹴り飛ばした相手は奴隷商と言ったところか。
この国では奴隷商は表向きは違法だが、金持ち連中の娯楽とやらで完全に取り締まりきれていないのが現状だ。
とにかくやつが起き上がる前に逃げた方がよさそうだ。
俺は少女に羽織っていたマントを被せ手を握って出口へ向かおうとしたが、なぜか彼女は訝しげな表情をして踏みとどまった。
「誰?」
そういうと力強く俺の手を払いのけた。その力は予想以上に強く俺は驚いてしまう。
少女は俺を値踏みするように上から下までじろじろ見ると、肩にかかったマントを乱暴に払いのけ、ふんと鼻を鳴らして腕を組みながら俺に背を向けた。
「早く帰って。もう人間はこりごりなの」
「は? 何言って……」
「おい! 貴様!!」
先ほど俺がぶっ飛ばした相手が少女との間に割って入ってきた。
あまりのことでこいつの姿をよく見ていなかったが、それなりに身なりがよく恰幅もよい。服の上からでもそのお腹は手が沈むほどふくよかなのがよくわかる「わがままボディー」だった。さすがは奴隷業で稼いでいるだけある。
ぱっと見ははしたない成金の様だが、なぜか頬に痛々しい真っ赤な手形が残っている。
「貴様、一体俺様にこんなことしてタダで済むと思っているのか!? それになんだ! 女神様に向かってその失礼な態度は!」
「あーなるほどあんたが女神とやらか」
「俺様のことをいったい「おい、あんたの涙をよこせ」
俺はハエのようにうるさい男を無視して少女――の姿をしている女神にそう言うと、彼女はやれやれと首を振り深いため息を吐いた。
「まったく、何千年経とうが人間って相変わらずね。私はもう何があったって泣かないわ」
「ふ、俺だって無策でここに来たわけじゃないさ。女神さんよぉ」
「ねぇ、俺様のことは無視なの?」
不敵な笑みを浮かべてゆっくり近づく俺に女神は動揺せずに睨み返すばかりだ。伊達に千年以上も人間に泣かされ続けた女神だ、覚悟が違う。
「さぁ! これ見て悲鳴をあげてもらおうか!」
俺はそう言うと、ポッケの中から黒いアイツを取り出した。
「……何、これ? ゴキブ」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!」
悲鳴を上げたのは男の方でひっくり返って壁際まで走っていき白目をむきながら泣いている。一方の女神は眉をぴくりとも動かさず、例のアイツの名前を言おうとした。
これはもちろん、本物ではなく弟お手製のおもちゃで無理言って借りて来たのだ。
玩具にも関わらず中々にリアルに作られており、特にこのツヤの出し方が不気味でおもちゃとわかっていても背筋がぞわっとする。
弟はこれをクロちゃんと命名しており、我が家では例のアイツが出るたびに「クロちゃん出たよ!」「クロちゃんお友達たくさん連れて来た!」などと口にしていた。
本当の名前なんて一般人、いや、弱者の俺らには恐ろしくて口にできない。
「くっ、なんて奴だ。クロちゃんが怖くないなんて……たいていの人間はこれで阿鼻叫喚するというのに」
歯を食いしばると女神片方の口を吊り上げは徐に俺の後ろを指さす。
「何言ってんのよ、あんたの後ろで仲良しになりたそうにしてるわよ? ほら、見て愛らしいつぶらな瞳を」
俺はブリキの錆びた人形の如く、後ろをゆっくりと振り返った。そこにいたのは例のアイツだった。黒く細長くて、意味も分からないくらい長い触覚を持っていて、太陽の光を反射する外殻。
そんで俺の腰ぐらいまであるアホみたいなでかさのアイツ。
俺は立派な男なのでもちろん悲鳴なんて上げなかった。ただ、白目をむいて意識が遠のいただけだ。
こちら「流星の雫」を読んでいただいてからの方がわかりやすいお話になっているかと思います。
もしよろしければそちらも読んでいただけると嬉しいです