むかしむかし、あるところに一年中雪が降る「星霜の森」にとても綺麗な女神様が住んでいました。
白く透き通った肌と太陽のように煌く黄金色の髪をした女神様は目が合う全ての人や動物達を虜にしました。
見目麗しい彼女の涙は、頬から滑り落ちればダイヤモンドよりも光り輝く宝石となり、それはこの世のどんなものよりも価値がありました。
その宝石はまるで澄んだ真冬の夜空を流れる星の様で「流星の雫」と呼ばれていました。
しかし彼女が住んでいるのは命を寄せ付けないような過酷な深い森の薄暗い洞窟の中で「流星の雫」を手に入れるのは簡単ではありませんでした。何人もの人々が森へ行って、そのまま帰ってきませんでした。
そこでとある国の王様が「流星の雫」を手に入れてくるように国一番の優秀な騎士に命令しました。
彼は意識が遠くなりそうな寒さの中、立ちはだかる大きな毒蜘蛛を倒し、足が縮こまってしまいそうな崖をも越え、ついには女神様のいる洞窟までやってきました。
「女神様、女神様。
この世で最も美しい冬の女神様。どうか貴女の涙を一粒いただけませんか?」
膝をつく騎士に女神様は怒った顔で言います。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
すると騎士は懐から少し萎れてしまった白い小さな花を取り出しました。
「スノードロップです。森の入り口で見かけました。元気はないですが、とても綺麗でしょう?」
寒さの厳しすぎる「星霜の森」の奥深くでは花が咲かないので、初めてみる儚げで可憐な花に女神様は思わずため息をつきました。
騎士は女神様が感動して泣いてくれるのではと、期待してじっと待ちますが女神様は凛とした顔に戻り答えます。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
それを聞いた騎士はトボトボと来た道を帰っていきました。
息も凍りそうな夜が来て、日差しが眩しい朝日が昇った次の日。
「女神様、女神様。
この世で最も聡明な冬の女神様。どうか貴女の涙を一粒いただけませんか?」
膝をつく騎士に女神様は呆れた顔で言います。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
すると騎士は背中に隠していた生き物を差し出します。
「雪うさぎです。真っ白で雪の上を跳ねるところから私達の国では『雪の妖精』とも呼ばれ、幸運の印ともいわれています」
雪うさぎはぴょんと女神様の足元に跳ねると、美しい女神様を見上げました。彼女はそっと手を差し出すと雪うさぎは鼻先を近づけました。
途端にあまりにも冷たい指先に雪うさぎは驚いてどこかへと去って行きました。
予想していなかったことに騎士が驚いていると女神様はあの凛とした顔で呟きます。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
それを聞いた騎士は悲しそうな顔をしてトボトボと来た道を帰っていきました。
息も凍りそうな夜が来て、日差しが眩しい朝日が昇った数日後。
「女神様、女神様。
この世で最も慈愛に満ちた冬の女神様。どうか貴女の涙を一粒いただけませんか?」
膝をつく騎士に女神様は両の眉を上げて言います。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
すると騎士は笑みを浮かべて赤くて形が歪で所々にほつれそうな跡がある、やや不格好な手袋を取り出しました。
「これは私が妹に言って急いで作ってもらった手袋です。見た目はこの通りですがどんな辛い寒さも耐えられる素晴らしい手袋です。
もしよろしければお手をお借りしてもよろしいですか?」
女神様はおずおずと手を差し出すと、騎士はその手をとって手袋をはめました。
冬の女神様は寒さなんて今まで一度だって感じたことがありませんでしたが、たしかにこれはとても温かく、心地の良い手袋の感触に思わず口元が緩みました。
騎士は両手に手袋をはめると最後に右手を手に取ってその甲にキスをしました。
女神様はびっくりして、目線を騎士から外してこう言います。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
それを聞いた騎士は微笑みながら来た道を帰っていきました。
その帰り道です。
森の入り口の近くでみすぼらしく、しばらく水浴びもしていなさそうな臭いのする男が彷徨っていました。
「これはこれは! 貴方様はかの有名な誇り高き騎士、ミッチェル・ブラッケン殿でしょう? こんな森で出会うなんてなんたる偶然か!」
「あなたは? ここで何をしているのです? この森は危険な森です、今すぐ引き返した方がいいでしょう」
「失礼しました。私はヒュレンツ。丘の上のヒュレンツというものです。
私の心配をしてくださるなんて、なんて寛大なお方でしょう! しかし、そうはいかないのです。ここには『流星の雫』を流す女神様がいらっしゃるのです。卑しい身分ではございますが、どうにかしてその涙が欲しいのです。
何せ私の家ときたら北風が一吹きするだけで崩れてしまう。子供たちに与えるのは木の皮を煮詰めた豚だって喰わないようなもんです!
でもこの世で最も価値のあるあの涙さえ手に入れば私は、いいえ子供たちは腹を空かすこともなく、それどころか温かい家で安心して眠ることができるのです!」
男はそう言いながらめそめそと泣き始めてしまいました。
騎士は困ってしまい、それでも危ないからと女神様への道の険しさを彼に教えます。
「でも旦那様! 貴方様はそこまで行けるのでしょう?」
泣きはらした目で彼は見上げてきます。
騎士が頷くと、男はしがみついて彼に懇願しました。
「どうにか一緒に連れてってください! 女神様が泣いてくださる、いい案もあるのです!」
そういうと、男はごにょごにょと騎士に耳打ちしました。
星も月も凍りそうな夜が来て、日差しが雲に隠れて薄暗い朝が来た数日後。
「女神様、女神様。
冬の女神様。どうか貴女の涙を一粒いただけませんか?」
膝をつく騎士に女神様は顔を綻ばせて言います。
「いいえ、私は泣きません。
貴方が何をしようと泣きません」
騎士がいつも通り、何かを取り出そうとした時です。ぱたりと彼は倒れてしまいました。
女神様は慌てて彼に駆け寄り、頭を抱えました。
「あぁ! なんてこった! 彼は来る途中の大きな森の主の毒にやられてしまったのだ!」
騎士が倒れるやいなや、あの卑しい男は木の影から飛び出してそう叫びました。
「なんてこった! 私なんかを庇ったばかりに!」
女神様は男の言葉に顔を真っ青にします。
森の主の毒はじわじわとゆっくり命を取るもので、その苦しみは地獄の業火に焼かれているようで、ありとあらゆる解毒剤も効かぬものでした。
こうなってしまっては女神様もどうすることもできません。
男と同じようにただ無力に、ただ絶望するしかありませんでした。
ぽつり。
気が付けば、温かな涙が頬を滑り落ちて騎士の頬に当たりました。
ぽつり、ぽつり。
とめどなく溢れる涙は地面に落ちると小さな石ころのようなものに姿を変えていきます。
「素晴らしい! これが『流星の雫』か!」
男は横たわる騎士を押しのけその石ころに近づきます。
しかしそれはダイヤモンドよりも美しい物には見えず、安いガラス瓶の方が魅力的に思えるくらい汚れていました。
男は怒って女神様に涙を投げ付けます。
「なんだ、これは! 噂は嘘だったのか!」
「そんなことはありません。しかし、今はそれどころではありません。早く彼を助けなければ」
「言わないぞ! 言わないぞ! 騎士が助かる方法を知ってはいるが、これが『流星の雫』とわかるまで言わないぞ!」
女神様は怒鳴り散らす男に泣きながら言います。
「私の涙は森にある『逢瀬の泉』のほとりにある巨大樹『オオゴリノ木』の根本に埋めて一晩待たねば輝きません。だからどうか私のことを信じてください」
そういうと男は笑い出します。
「騎士の苦しんでる毒は森の主のモノではない! 南の山にいる魚熱の毒だ! 薬なんて飲まずともほっとけば1日で治る!
それにしても馬鹿な騎士様だ! 自らそれを飲んで、女神の気を引こうなんて!
こうして寝込んでいる間に俺が独り占めしてしまうとも考えずに!」
そう騎士は自ら毒を口にしたのです。
女神様に「笑い茸」を入れたケーキを食べてもらおうとしたのです。そうすれば笑い転げて涙を流すのではと考えたのです。しかし、男は作ってきたケーキに魚熱の毒を入れてきたのです。
味見をした騎士はゆっくりと毒が周り、女神様の前で倒れてしまいました。
女神様からこぼれた三つの雫を集め終えるとヒュレンツは走り出します。「逢瀬の泉」は来る途中で見かけていたので道はしっかり覚えています。
女神様の涙はいつの間にか止んでいました。騎士にも騙されたのがあまりにもショックで、彼女はまた洞窟の奥へと閉じこもってしまいました。
星も月も凍りそうな夜が来て騎士は辛うじて体が動かせるようになりました。
騎士は洞窟の方へ呼びかけますが、洞窟の中から返事は帰ってくることはなく。騎士は仕方なく泥棒を追いかけます。
男は「逢瀬の泉」で寝ているところでした。騎士は腰についている一振りの剣をつきつけながら男に訊ねます。
「流星の雫はどこへやった? この薄汚い泥棒め!」
驚いて飛び起きた男はまるで幽霊でも見るような目で騎士を見つめます。騎士が動けるようになるのはもっと遅くなると思っていたので、今目の前にいるのに腰を抜かしているようでした。
「申し訳ございません! 騎士様! 仕方のないことなのです!! 命だけは! 命だけは堪忍してください!!」
情けなく泣き叫ぶ薄汚い男に騎士は気の毒になり、剣を収めました。
泣き続ける泥棒は「逢瀬の泉」を指さし言います。
「きっと貴方様は毒の熱にうなされて知らないことでしょう。女神様が私に秘密で教えてくれたのです。
流星の雫の輝きを取り戻すには『逢瀬の泉』で洗わなければならない、と女神様に言われたのです。しかし、今は真夜中で泉が凍っているので洗えないのです。
ですので、ここで朝日によって氷が解けるのを待っているのです。ほら、これが『流星の雫』です」
男はそういうとポッケからただの石ころ三つ取り出しました。
熱に浮かされていた騎士は女神と男のやり取りを聞き取れず、それが嘘だとつゆほども疑わずに納得した騎士は男の手から一つ雫を取ると言いました。
「とにかく我らの王はこの『流星の雫』が一つでもいいからどうしても手に入れたいのだ。共に得たものだ。分け合おうじゃないか。私は朝が来るまでここで夜の番をしよう」
騎士は男の隣に腕を組んで座り込みました。しかし毒がまだ消えていないのでしょう。騎士は辛そうな顔をしています。
「いいえ、私が夜の番をしましょう。騎士様はまだ毒が残っているはずです。貴方様が眠っている間に私がしっかりあなたを守ります」
騎士はそれを聞くと少し安心したのかうとうとと浅い夢を見始めました。
そして、まだ露が降り切らない朝方。
泥棒の男は大樹の根から「流星の雫」を掘り出すと、そそくさと泉を後にしました。
騎士は男がいないことを予想していたのかため息をつきながら氷の解けた泉で雫を洗いました。まだ寒い水の中で騎士は洗い続けましたが石は結局石のままです。
ここでようやく騎士は男に騙されたことに気が付き「逢瀬の泉」で泣きだしました。
すると、泣いている声に引き寄せられたのか「逢瀬の泉」に女神様が現れました――
2022/01/30に追加しました。
内容は以前、童話で出させていただいた「流星の雫」の改訂前とだいたい同じです。