人生ゲーム
この作品はフィクションであり実際の事象や人物、団体名等とは全て無関係です。
「本気で人生を変えたいなら試しにサイコロを振ってみるといい」
僕にはその言葉の真意がわからなかった。それを確かめようと先程まで弄っていた携帯をそっと閉じる。すでに窓の外は薄暗く、そこにはガラスに反射した自分が映っていた。
でも、その時の僕はどうしても笑う事ができなくて、何度も何度も面接に落ちては使い古されていくスーツ姿の自分がきっとぼろ雑巾のように見えたのかもしれない。今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えながら向い側に座る父に視線を戻すと、その漆黒の制服を自分よりも着こなす彼に僕は目が眩んだ。
「お待たせしましたー! 今日はスペシャルメニューのサイコロステーキです」
そんな僕の気をそらすかのようにテーブルの上に置かれたのはきれいに切り分けられた牛肉だった。その極上の肉からじゅわりと出てくる汁がお皿の上に広がっていく。
「あれ、そんなメニューなんてあったっけ」
「今日は特別に切り分けてもらいました。さあ、どうか冷めないうちに召し上がって下さいな」
そこには、いつもの元気な母の姿があった。僕が言われるがままにフォークを肉に突き刺すと、何やら硬いものに突き当たった音がした。
「……あの、これは一体なんですか」
「さて、なんでしょう」
そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべた。これはどう考えても絶対に食べ物じゃない。僕は恐る恐るフォークで肉を抑えながらナイフで更に細かく切り分けた。
「どうしてこんなところにサイコロが……」
「今日は光輝の二十歳のお誕生日と言う事でサプライズプレゼントでーす」
僕は今起きている状況を全然理解できずにいた。ただ一つわかるのはサイコロステーキの中から本物のサイコロが出てきたと言う事実だけだ。一体何が真実なのか。
でも、きっと二人に聞いたところで絶対に答えは教えてくれないだろう。なんだか永遠に覚めない夢を見ているかのような気分だ。
「……いや、そもそも夢なのかもしれない」
「おやおや、まだ寝ぼけた事を言っているのかい?」
「ああもう、このまま夢だった事にして何も無かった事にしたい。なんで毎年普通にお祝いしてくれないんだよ!」
「まあまあ、これが夢だと思って楽しんでもらうのもいいじゃないですか」
「お願いだから誰か夢だと言って下さい。僕はもう疲れたよ!」
あまりに酷い扱いに僕は思わず叫んだ。どこかで聞いた事のあるような台詞を添えて――。そんな僕を見て二人はお互いに顔を見合わせる。
「よし、合格だ」
「え、これって面接だったの?」
「早速明日からよろしくお願いしますよー!」
「……逆にどの辺りが評価されたのか教えてほしい」
何がなんだかさっぱりわからなかったが、これが本当に夢なら楽しんでしまえばいいのかもしれない。そう思えてしまうほどに二人がとても嬉しそうだったから。
それを何事かと思って訝しげに見ているお客さんにも、そんな空間を彩るように飾られたハイビスカスにも、そもそも人生はゲームのように甘くない事にも、今はまだ気づいていない事にしておこう。
「まあ、なんとかやってみるよ」
そう言って、僕はゆっくりとサイコロへ手を伸ばした。