朝の食卓
この作品はフィクションであり実際の事象や人物、団体名等とは全て無関係です。
カーテン越しの光が照らす食卓。真っ白なフリルエプロンをつけた私は台所で朝ご飯を作っていた。
とても都会とは思えないような静かな部屋にトントンとまな板を叩く音が響く。それと同時に食パンの香りがふわりと鼻を掠めた。
「おはよう」
「あ……っ」
いつの間に背後にいたのだろう。そこには、かつての少年が灰色の部屋着を着て立っていた。やっとお目覚めのご主人様は気だるそうにあくびをしている。
「……って、大丈夫かい?」
突然彼に声をかけられ、私は驚いて指を包丁で切ってしまった。その瞬間、傷口から赤い血が滲む。
「あはは、ちょっと朝ご飯を作っていたら切っちゃって……」
「いや、それ、本当に大丈夫なの? とりあえずそこで休んでなよ」
そう言って、彼はとっさに椅子を引いた。私はなんとか笑って誤魔化そうとしたけれど、それもかわいげが無いような気がして溜め息を漏らしながらゆっくりと腰をかける。不意に結婚式のお祝いにもらった白い薔薇の花が視界に入った。
どうしていつもこうなんだろう。私はただ彼に美味しいご飯を食べてほしくて料理を作っているだけなのに、なかなかうまくいかない。
「最近仕事でも少し無理をしているような感じだったもんね。そんなに頑張らなくていいのに……」
彼は慌てて絆創膏を取り出すと、そんな私の傷口に蓋をするように絆創膏を貼った。その優しさに自身の目頭が熱くなる。
やっとの想いで上京してきた私を待ち受けていたのは、それはそれは過酷な世界だった。自分が生まれ育った島がいかに狭い世界だったのかを痛感する。いつだってこの世界は弱肉強食なんだ。
「はい、これで傷跡は残らないはずだから。やっぱり君には僕がいないとだめだね」
その度に私はいつも甘やかされてばかりだ。このまま彼の優しさに溺れてしまいそうになるのが少しだけ怖い。
「……ねえ、キスしてもいい?」
そっと彼に抱き締められ、私はそれに応えようと震える手を背中に回す。その刹那に甘酸っぱいレモンの味がした。
「僕が君を絶対に幸せにしてみせるから」
まだ朝だからお預けとでも言わんばかりに彼の唇が離れていく。ああ、私はもうあなたに溺れてしまっているのかもしれない――。そう思えてしまうほどに彼の優しさに参ってしまっている。
よし、今日の朝ご飯は少しだけ気取って甘酸っぱいレモンで味付けをする事にしよう。