キーホルダー
この作品はフィクションであり実際の事象や人物、団体名等とは全て無関係です。
僕は夢中で走った。すでに冷たくなった夜の海辺は海開きが行われた後とは思えないほどに静かで、そのまま真っ暗な闇の中に吸い込まれてしまいそうになる。今も一刻を争う状況なのにどんなに走っても美花の気配が一切感じられない。
こんな時に限って電波が途切れるなんてすごく嫌な予感がする。そんな事はこの島ではよくある事だったが、何かがおかしい。彼女の持つあの生命力は時として地球を破壊するほどの力があった。それに魅せられて暴力的になる人達もいるくらいで、今そのエネルギーが全く感じられない事が心配でいても立ってもいられない。
「お願いだから無事でいてくれるといいんだけど……」
僕はスマホの画面に映っているアンテナが立つのをじっと待っていた。その手から溢れ落ちるようにゆらゆらと星のキーホルダーが揺れている。それは自ら光を放つ恒星のようにその先に見える足元を照らし出していた。今朝方まで淡いエメラルドグリーンだったはずの海が夜の空からターコイズブルーの世界を浚っていくかのように潮が引いていく。
これから宝探しに出かけるとでも言わんばかりに家から出て行った美花には一体何が見えていたのだろうか。どれだけ彼女の目で見て、耳で聞いて、手で触れてもその夢の中にある現実まで理解する事は僕達にもできないのだろう。その神秘的な声に何か変な宗教にでもハマっているんじゃないかと自分すらも騙せなくなりそうだが、あの日のように押し寄せてくる波に彼女が溺れて泡になってしまったのなら永遠に目覚める事の無い悲劇のヒロインとして夢物語を終わらせられたのかもしれない。
いつか碧い海に流されていった生命と一緒に深い眠りについても彼女は白雪姫にはなれない。きっと人魚姫にもなれない。それでも、今も死んだようにおとぎ話の世界で生き続けている。例え役割が違っても僕達と同じ人間なのに――。
「ねえ、もういいかい」
まるで満天の星を引き立てるかのように雲の後ろに隠れてしまった満月に僕は語りかけた。あの喧騒とした都会の人達の声が木霊する事も無い。やっと地獄のような日々から解放された気がした。
「まーだだよ」
いや、そんな気がしただけだった。ただの独り言のはずがどこかの誰かさんにはちゃんと聞こえていたようだ。僕は薄っすらと見える人影の前で一旦呼吸を整える。
「もういいかい」
「……もういいよ」
更に言葉を続けると、いつも聞き慣れた声が返ってきた。微かに見える後ろ姿から美花の心情が今一つ読み取れない。それでも、僕は彼女が本当は魔女なんかじゃないと信じたかったんだ。




