食卓の花
この作品はフィクションであり実際の事象や人物、団体名等とは全て無関係です。
ふわりと香る焼きたてのパンの香りに淹れたての紅茶。僕は甘いのが大の苦手なのでミルクは入れても砂糖は絶対に入れない。今食卓の上に置いてある砂糖は勿論二人の分だ。
僕は日本食の方が好きなので、いつも自分用に白いご飯を炊いている。そもそもみんな味の好みが違うのだからそれでいい。
「あ、砂生は紅茶なんて飲んじゃだめよ! 今ホットミルクを作るから」
「ええ……! 僕もママと同じのが飲みたい」
また始まった。僕はティーカップを一旦ソーサーの上に置くと、その様子にどうしたものかと考えを巡らせた後に口を開く。
「それはカフェインが入っているから砂生にはまだ早いよ」
「そうそう、それに私が作ったホットミルクだって美味しいんだから」
僕の言葉に、彼女も頷きながらそう言った。
「いつもルナだって飲んでいるのに……」
「あ、しまった……!」
つい砂生に気をとられて、僕達はすっかり忘れていた。そこには、もう一匹家族がいる事に。
「ちょっとルナったらまた私の紅茶を飲もうとして……っ」
僕達の平穏な生活を脅かそうとするその犯人は黒く長い毛で覆われた小さな生き物だった。こうして僕達の食卓の上で大戦争が繰り広げられていく。
「まあまあ、今回は無事だったんだからそんなに怒らないでよ」
「今回はね。せっかく光輝がくれたお花まで犠牲になっちゃったら悲しいじゃない」
彼女はルナを抱き寄せると、そっとコップを差し出した。やっと咲かせたと思ったら朝には萎んでしまう月下美人の花に僕は何を想えばいいのだろう。
それなりに恵まれた環境に生まれ、それなりにいい大学を卒業し、それなりに幸せな結婚生活を送っている。それなのに、僕達はどこかでおとぎ話の世界を探し求めているのかもしれない。
そもそもこの世界には天国も無ければ地獄だって存在しないんだ。それは誰かが作り上げた夢物語にすぎないのに――。
「そう言えばご両親はもうご飯を食べちゃったの?」
「うん、お店の準備があるから」
ああ、そうだ。いつだって月下家の朝は早い。ずっとご無沙汰していたのもあっていまだに彼女達の生活リズムに合わせられない自分がいた。
「……そっか。それならいいんだけど、僕にも何か手伝える事は無い? 君の身体が心配だし」
「もう、そんなに心配しなくても大丈夫だよ! たまには光輝も砂生と一緒に遊んであげて」
そう言って、彼女が玄関の前で笑った。いつもと立場が逆転していてなんだか気分が落ち着かない。
「じゃあ、行ってくるね!」
その時の彼女は希望に満ち溢れていた。何も変わらない現実に絶望しかけていた僕はその笑顔に少しだけ安心する。
「うん、行ってらっしゃい」
例えその先にある未来が変わってしまっても、また描き直せばいい――。そんな想いを胸に秘めながら僕は彼女を笑顔で見送った。




