月下美人
この作品はフィクションであり実際の事象や人物、団体名等とは全て無関係です。
潮風の香りが漂う部屋の中で、僕は目を覚ました。何度も何度も寄せては返す波の音が心地よい。
最近、昔の夢をよく見る。そのせいか自分が今夢の中にいるのかすらも曖昧な状態で、それを確かめようと試しに頬をつねってみた。
「……やっぱり痛い」
「あ、やっと目を覚ました」
ふと、誰かがそう言った。まだ寝起きで頭が回らない僕はぼんやりと目の前にある黒い影を見つめる。
「……あれ、君は誰だっけ?」
「もう、また寝ぼけて……」
その声は耳元のすぐ側で聴こえた。僕は目を擦りながらそちらへ身体を向ける。
「……またずいぶんとラフな格好だね」
「うん、その方が楽だから」
よく見ると黒いシャツにデニムの短パンを履いた妻が隣に横たわっている。こちらは正直目のやり場に困ってしまうが、それが月下美花――いや、星野美花と言う人間だった。
「今はちょうど書き入れ時じゃない? もっと体力をつけないとまた光輝に迷惑をかけちゃうから」
そう言って、彼女はポケットからハンカチを取り出した。昔から身体が弱いせいかこの島で育ったとは思えないくらいの色白さんで、その肌に伝う汗を丁寧にふいていく。
特に沖縄の中でも西表島の北部にある月ヶ浜は毎年夏になるとクラゲが出る事もあって、あまり海水浴に向いているとは言えなかった。それでも、なんとか地域の絆を深めようとあの喫茶店を海の家として営むようになったのがきっかけらしい。
「そんなに無理して手伝わなくてもいいんじゃない?」
「そうなんだけど、最近昔の夢をよく見るから逆夢になったら嫌だなって……」
これはシンクロと言う奴なのだろうか。あまりそう言う科学的じゃないものは信じない主義だが、あの妙にリアルな夢が目に焼きついて離れないのは僕も同じだった。
「あまり気にしても仕方が無いんだろうけど、昔の夢を見ると急に現実から目を背けたくなるよね」
「うん、でも、やっぱり後悔したくないの。やっと掴んだ夢だから」
彼女は動かしていた手を一旦とめると、何かを思い出したようにテーブルの上に手を伸ばした。
「はい、光輝の分だよ!」
それは、星の形をしたキーホルダーだった。突然差し出された手作り感溢れるキーホルダーが目の前できらきらと輝いている。
「もしかしてこれも美花が作ったの?」
「えへへ、ちょうど材料が余ったからついでに作っちゃった」
少しだけ照れ臭そうに笑う彼女を見て、僕もベッドの下に隠していた月下美人の花を手にとる。
「やっぱり結婚しても君は変わらない。例え月の下にいてもちゃんと花を咲かせられる人だよ」
そんな今日は僕達の結婚記念日。その花言葉の通りに強い意志を持って生きる彼女の夢がまた一つ叶った事を祝って――。
「ねえママ、どこにいるの」
不意にどこかで聞き覚えのある台詞が聴こえてきた。
「ふふ、ちゃんとママはここにいるよ。砂生」
そこには、僕達の間で気持ちよさそうに眠る息子の姿があった。今も夢の続きを見ているのか絵本を大事そうに抱えている。
「ええ、僕もここにいるのに……」
我が子にとっても父親の影が薄いと言う現実を僕はまだ認めたくない。何もかも美味しいところを美花に持っていかれたような気がするが、その仕返しに二人を強く抱き締めるのだった。




