第2話
幼いころから、夕方になり、父の帰宅時間が迫ってくるのが恐怖でしかなかった。
ガラガラ、という音とともに父が家の中へ入ってくる気配がすると、それまで楽しく話したり遊んだりしていた私たち兄妹は、急に押し黙り、まるで葬式でも始まったかのように静まり返った。
「誰だ、ものを出しっぱなしにしたのは!」
「靴に泥がついたままなのはどうしてだ!」
まるで刑務所の看守のように、家の中の点検が始まる。
そして、怒鳴られ、殴られるのである。
時として、「正直に言えば、許してやる。」と言うこともあったが、正直に言ったとしても結果は同じであった。
何でもいいから、子どもたちを責める材料が欲しかったのかもしれない。
「ばかやろー!」
叫び声とともに平手打ちされ、泣き出す私たち。
そして、ただ謝るしかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「謝ってすむ問題か!」
毎日それが繰り返されることで、いつしか父の前では極力無言となり、自分を守るために嘘をつくようになった。
そして、その嘘がばれると、さらなる地獄が待っているだけであった。
嘘をつき続けることに抵抗がなくなり、正直な子どもとはほど遠い人間に成り下がってしまった。
自分の至らないことや、学校の成績のことなら叱られても我慢できようが、ついには心の自由まで奪われ、私たちは諦めた家畜のようになっていく。
父はある宗教に熱心であり、小学生くらいの頃であったろうか、私たちをその宗教に入信させた。
もちろん、誰も宗教に興味があるわけではなかった。
「お前たちの魂を救うためだ。」
などと言っているのだが、実のところ、子どもを無理やりにでも入信させることで、子どもたちの魂を救ってやったと、自己満足していただけなのだろう。
何を信じるか、何を心のよりどころにするか、それを選択する自由まで奪われてしまった。
自分たちはいったい何のために生まれてきたのだろうか。
そして、なによりも、家を出るまでの20年近くにわたって聞かされた言葉がある。
「ここは俺の家だ、俺が養ってやってるんだ。」
「気に入らないなら出ていけ。」
父よ、この言葉の意味をよく考えてほしい。
いやいやながら養っているとも受け取れる言葉であり、父にとって子どもとは単なるお荷物ではないのかとさえ思えてしまう。
絶対的に有利な状況下で責め続ける。
目の不自由な人に絵を描けと言っているようなものだ。
そして自分でお金を稼ぐことができることとなった時、それまで蓄積された不満、軽蔑、憎悪が、一気に跳ね返ってくることとなる。
そのようなことを、父は理解していたのだろうか。
いや、理解などしていなかったのだろう。
理解していなかったとしても、いつか必ず返ってくるとも知らずに。
「お前がそんな試験に受かるわけないだろ。」
「無駄無駄。時間と金を捨てるだけだ。」
子どもたちが、将来のことを考え必死に勉強を始めると、毎日のようにこのような言葉が飛んできた。
父には、必死に努力する人を茶化したり、馬鹿にしたりする癖があった。
そして、私たちが反論すると手が飛んできた。
私にはどうしても理解できなかった。
高い目標を掲げ努力することが、なぜ無駄なのか、絶対に成功しないと断言できる理由は何なのかと。
それ以上に悔しかったのは、このような父に頼らなければ生きていけない境遇であった。
生活できるお金を稼ぐ力さえあれば、この刑務所のような生活からすぐにでも解放されるのに。
しかし、中学生や高校生の身分ではそれもかなわない。
このときほど、早く大人になりたいと思ったことはなかった。
大人になるということ、それは、私たちにとっては解放を意味していた。
兄、私、妹の3人が社会に出たとき、やっと人間としての心を手に入れたのだと実感した。
自分の好きなことに挑戦できる、誰に怯えることもなく日々の生活を送ることができる。
家を出て初めて、私たちは家畜から人間へと変わることができたのだ。
そして、人間は家畜と違い、自分の考えを述べることができる、自分の考えを行動に移すことができるのだ。