2月の終わりに
一年は365日。
一日は24時間。
一秒って本当は長い。
私は自分の誕生日が嫌いだ。2月29日。それはうるう年とかいう現象で知られている。たいして今まで得することはなかった。これからも不都合なことはあっても良いことなどあるまい。4年に一度しか来ない私の誕生日は前日の28日に祝うことが通例だ。こんなことが続いていれば母親に対してだって文句の一つも言いたくなる。「どうして面倒な日に生んでしまったの?」と。
春、新学期が始まると私は少しユウウツになる。一通り自己紹介が終わった後、「血液型は?」から始まって、「星座は?」「じゃあ誕生日はいつなの?」といった一連の流れが私を待っている。大抵私が2月29日生まれであることを告げた時の周りの反応はどんな時も変わらないし、その反応に飽きているのかもしれなかった。「4年に一回とか、オリンピックみたいだね。」「4年に一度しか歳取らないなんていいなあ。」私はオリンピックに”同じもの”を感じているなんてことはないし、人より歳を取らないなんてこともない。2月29日に生まれたという妙な特別感を私は嫌っているのかもしれない。もしかしたらみんなと違うと自分自身で線を引いてしまっているのかもしれなかった。
私の苦手な季節がやってくる。考えてため息が出た。私も今年の春には高校生になる。受験生の今は授業もほとんどなく午前中のうちに学校が終わることも多かった。二月の下旬。もうすぐ私の誕生日が来るはずだった。けれど今年も誕生日はない。28日の今日、いつものように母がケーキを焼いてくれるのだろう。
一人で帰る道、見慣れた道。あと何回ここを通って学校へ行くのだろう。少しうつむいて歩いていたせいかもしれない。
声が掛かるまでまったく気がつかなかった。
「もしかして小林?」
振り返った。同じクラスの斉藤君だった。
「斉藤君か。帰り?」
「そ。これからジュクでございまーす。」
私も斉藤君も地区でトップといわれる進学校に受験希望を出している。落ちることはまずないから同じ学校に通うことになるのだろう。クラスでは私と斉藤君しか希望者がいなかったが、お互いこれといって親しいという訳ではない。
クラスメートに言わせれば斉藤君は変わっていて、面白いヤツらしい。
ただ私は今までに斉藤君との関わりが少なかったのでよく分からない人というのが本音だ。
「小林はジュク行ってないんだろ?今までちゃんと勉強してきたんだなー。」
「斉藤君は違うの?」
「オレが得意なのはいつでも駆け込みだよ。勉強も電車もね。」
二人で並んで歩く。そういえば斉藤君とこんな風に話すのは初めてかもしれない。
ふとそう思った。
「ね、小林って29日誕生日じゃなかったっけ?もうすぐじゃん。」
どうして斉藤君が私の誕生日を覚えているのかということよりも、私の最も苦手とする誕生日の話であることが私を刺激した。
知らず知らずのうちに私の話す声は冷たくなってしまったかもしれなかった。
「別に。今年も誕生日ないから。」
「ああ、今年うるう年じゃないもんな。そういうときはどうすんの?」
「28日にやる。」
「ふーん。」
私はこれ以上何かを言うのも嫌だったのでだまっていて、二人の会話は途切れた。
しかし、その沈黙を破ったのは斉藤君だった。
「でもさ、オレ思うんだけど、2月29日って毎年あると思うんだよね。」
「は?何言ってんの?4年に一回しか来ないにきまってるじゃん。」
「2月28日と3月1日の間、本当に一瞬かもしれないけど、でも2月29日はあるんじゃねーの?
普通のやつらは気がつかないかもしれないけど、小林は分かるかもしれない。」
斉藤君は続ける。
「きっと小林は選ばれたんだって。29日を忘れないように。みんなが忘れちまうかもしれない、けど小林は絶対に忘れない。2月29日は毎年あるんだ、絶対に。」
「何言ってるか分かんないよ。」
斉藤君の方に顔が向けられなかった。自分でもよく分からない。
歩いているうちに分かれ道にきた。私は右に、斉藤君は左に曲がっていく。
「小林も見つけなよ、29日。オレはもう見つけたけど。」
「わかったよ。じゃあまた明日。」
「おう。」
最後まで冷たいような言い方になってしまったが、私の中で何かが起きていた。
「私にも見つかるかなあ、29日。」
一人帰り道を急ぎながらつぶやく。
夜、日付が変わろうとしている瞬間が近づくにつれて私は緊張していった。自分の部屋で一人待つ。
斉藤君の言葉は嘘か本当か分からない。けれど探したいと思った。
あと5分。あと1分。時計を見つめたままカウントダウンが始まる。もうすぐ28日が終わる。この次に待っているのは何なのか。
あと30秒。あと15秒。5秒。3秒。1秒。時計の針が一つに重なった瞬間私は一人部屋で言った。
『ハッピーバースデー』
斉藤君が同じことをしているとはつゆ知らず、私はそのまま眠りに落ちた。今日はゆっくり寝られるに違いない。
そして思った。今年の春は楽しくなりそうだと。