7話 テイマーの訓練をしてみました
タロに咥えられた兎には、もうなにもできることはないようだ。
どこか誇らしげなタロをねぎらってやりながら、俺は手早くテイムの準備を整える。
身をちぢませて、つぶらな瞳で俺を見てくる兎のことを、これ以上苦しませるのも忍びない。
『初心者テイマーの心得』を片手に、俺は指先を刀の刃にあてた。
切り裂いたのは薄皮と少し。にじみ出た血で、反対側の手のひらに、法陣を描いていく。
「テイマー、ロッカが其に問う。名は何ぞ。」
その左手を兎のあたまあたりにかざし、俺は問うた。
兎はあいかわらず、つぶらな瞳で俺を見るばかりだ。
「重ねて問う。其の名は!」
―ぴょん太―
言葉に力を込めた俺の頭に、ひとつの名前が浮かび上がった。
同時、兎の額に、俺が手のひらに書いたものと同じ法陣が、光のすじとなってうかびあがる。
その文様がゆっくりと消えていき、同時に兎の力がゆっくりと抜けていった。
何かを理解したように、タロが兎をゆっくりと地に降ろす。
兎、ぴょん太は二度三度、目をまたたかせると、ゆっくりと俺の足元に歩み寄り、体を摺り寄せた。
「よし、テイム完了だ」
先ほどまでの緊張感が嘘のように、まとわりついてくる兎はいかにも可愛らしい。
俺は兎の頭をゆっくりとなでてやった。
しばらくそうしていると、タロが俺と兎の間に割り込むように鼻先で俺をつつく。
「ああ、そうだったそうだった。訓練を続けないとな。ありがとうタロ」
タロは当然である、というように鼻を鳴らした。
名前を聞き出し、テイムに成功した相手は、テイマーである俺の言うことを聞いてくれるようになる。
跳んだりはねたり、それからちょっと踊らせてみたり。
いくつかの命令がきちんと通じることを確かめてから、おれはしまっておいた『口寄せの札』をとりだした。
「ぴょん太、前足を出して」
ぴょんぴょんと歩み寄って、そのようにするぴょん太の前足を軽く持ち上げて、口寄せの札の上にのせる。
すると札は薄く光を放ち、ぴょん太の肉球の形が、札に写し取られた。
「よし、ぴょん太。それじゃあダッシュだ。疲れない程度に遠くへ行って」
言うなり、ぴょん太は駆けだした。
その姿はたちまち、草に隠れて見えなくなる。
俺はしばらく待ってみる。
やがてぴょん太が草をかき分ける音も聞こえなくなった。
どうやらだいぶ遠くへ行ってくれたようだ。
俺はおもむろにぴょん太の肉球がうかぶ口寄せの札を顔の前に掲げた。
「ぴょん太、来い」
ふたたび、光を放ちだした札を空に投げる。
ぽん
と弾ける音がして、遠くにいったはずのぴょん太が、目の前の空中に弾け出た。
テイマーがテイムした動物やモンスターをその後、どうするかは大きく分けて三つの方法がある。
ひとつは、使役し終わった後、契約を解除し、その場に解放してやること。
もうひとつは、契約を維持し、そのまま連れ回す方法だ。ちょうど今の俺とタロのような関係で、いつでもその力を借りることができるから、便利なように思われる。
けれども、これにはデメリットもある。
そのデメリットも、俺とタロが感じていること。つまりは、テイムした動物やモンスターを連れて歩けば、どうしても目立つのだ。
目立つだけでなく、邪魔にされることもあるだろう。
そこで考え出されたのが、第三の方法、口寄せの札を使うやりかたである。
特殊な魔力が込められた口寄せの札に、テイムしたモンスターや動物がしるしをつけておくことで、どんなに遠くにいても、そのモンスターや動物を、一時的に呼び出すことができるのだ。
この効果によって、強力なモンスターや動物とのテイム関係を維持しておけば、いつでもその力を好きなときに好きな場所で借りることができるのである。
十五分という時間制限はあるものの、テイマーの生命線となるのが、この口寄せの札なのである。と、『初心者テイマーの心得』には太字で書かれていた。
『十五分、か』
俺は再度、ぴょん太をあやつりながら、そうひとりごちた。
時間制限さえなければ、タロを自由にしてやれるのになあ。
少しだけそう思って、俺はぶんぶんと首を振った。
俺とタロはテイマーとテイムされた神獣、というような単純な関係ではないはずだ。
今、タロと別れるなんて考える必要もないことだった。
タロの方も、俺と別れたいなんて思ってはいないだろう。こちらの方も、タロに聞くまでもなく、確信があった。
ぽん、と音がして、出てきたときと同じように、ぴょん太が空へと姿を消す。
どうやら、もう十五分が経ってしまったようである。
俺は血の法陣が描かれた掌を、先ほどぴょん太が走っていった方へとかざして、言う。
「其の契約を解除する。おつかれさま、ぴょん太」
ふ、と一瞬だけ法陣が光って、ぴょん太が自由になったことを示した。
「やっぱり、スキルは覚えられなかったな
幸運+1
ぴょん太をテイムしている間、俺のステータスにはそのような補正がなされていた。
そうして言葉のとおり、ぴょん太をテイムしてみても、『フェンリルの毛皮』のようなスキルを得ることはできていない。
もっとも、野兎はテイム相手としては、初歩中の初歩、みたいな相手だから、これで結論が出るようなことはないのだけれど。
さて、もう二、三回、試してみるかな。
俺はえさの小袋を取り出した。
――――――
こつがつかめてきたようで、次の野兎、それからその次のタヌキは、タロの力を借りる事なく、テイムすることができた。
結論から言えば、どちらのテイムも、それによってスキルを得ることはできなかったが、テイマーの特訓、そのはじめとしては充分できたように思う。
「今日はこれくらいにしておくかな」
そういって、俺はタロを捜してあたりを見回した。
「おーい、タロー!」
よほど遠くへ遊びにでてしまったのか。
呼べど捜せど、タロの姿は見えなかった。
フゴッッ
突然、山の方から低い鳴き声が聞こえた。
「なんだ?」
俺は声がした方へと視線をやる。
木々に隠れて、はっきりとはしなかったが、大きな黒い影が見えた。
「タロ?」
とみえるほどに、その影は大きい。
俺はいつものように、タロがいたずらして遊んで欲しいのだと思い、そちらへ二、三歩近寄っていく。
「タロ、ほっといて悪かったな。試験のときは助かったよ。あとはいっぱい遊ぼうか」
ブフォッ
もう一度、タロにすれは野太い声が、それに応える。
「おい、タロ?」
次の瞬間、黒い影は小枝を折り、草木をなぎたおしながら、猛然と俺に向かって突進する。
その威力はとうてい受け止められるものではなく、俺は天高くはね飛ばされた。