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1話 追放されてしまいました

 「ロッカ、おまえ今日でクビな」


 ついに来たか。

 覚悟していたことながら、俺は少なからず衝撃をうけた。

 けれどもそれにもまして、その時俺が心配をしていたのはタロのことだ。


―――――――――


 タロ、というのは艶やかな黒い毛並みをした、まだ小さな子犬のことだ。


 タロが俺たちのもとへやってきたのは、俺たちのパーティーが、当時最難関といわれていた超高難易度ダンジョンを攻略した、その翌日のことである。

 いつのまにか現れて、かわいい鳴き声をあげながら体をすり寄せてくる黒い子犬を、勇者アドルフは抱き上げて皆に示した。


「見ろよ、こいつなかなかイケメンだろ」


 飼わないか?という彼の提案に、反対するメンバーはいなかった。


 次の日から、子犬の面倒をみることは、主に俺の役割になった。


 アドルフという男が、拾った子犬をすぐに放置するような、てきとうな奴だったから、なんていうことではもちろんない。


 この頃のアドルフは、超高難易度ダンジョンを攻略した、一躍気鋭の勇者として、あらゆるところでひっぱりだこの有名人になっていた。


 貴族や上流階級からの、舞踏会やお茶会の誘いは引きも切らさず、ひとたび街へでたのならば、庶民達はアドルフにやたらとなにかをおごりたがった。


 その頃の彼はとにかく毎日忙しく、子犬の面倒をみる時間すらとることができなくなってしまっていた、というのがほんとうのところだ。


 以前から動物好きで通っていた俺が、子犬の世話をやくようになっていったのは、まあ自然ななりゆきといえばそうである。


「ほらタロ、食事だぞ。うまいぞー」


 タロは鼻先ですんすんと、俺の掌に乗っている肉の臭いをかぐようにする。

 それからてしてしと二度、前足でそれを触ってみせ、やがてかぷりとそれをくわえた。


「えらいぞ、タロ」


 俺はわしわしと、タロの頭をなでてやる。

 タロは少しだけ迷惑そうにしながらも、黙ってそれをうけいれた。


 『タロ』という名を付けたのも、なにを隠そう俺である。


 ふらりと現れたそのときから、アドルフに対してはずいぶんと懐いているように見えたタロだったが、俺に対してはそのようなことはかけらもなかった。


 子犬だから、とはじめにあたえた柔らかい食事には見向きもせず、ならばと用意した生の肉は、あっというまに皿からさらわれ持ち去られ、どこか俺たちからはみえないところでいただかれたようである。


 へたになでようと手を伸ばせば、嫌がるそぶりでするりとかわされ、繰り返せばうなり声でそれを迎え、しまいには牙をむいて威嚇さえしてみせる。


 そんなふうにして、タロははじめ、俺に心をひらかなかった。


 タロにつれなくされながらも、俺はタロにつきあい続けた。


 このころになるとますます、アドルフが俺たちと行動することは少なくなっていた。


 一日中顔を見ないことすらまれではなくなり、パーティーメンバーの誰も彼の居場所を把握できない日々が続いた。


 アドルフが帰ってくるたび、しっぽをふって彼を出迎えるようにしていたタロが、彼の不在に寂しそうにしているのが切なくて、俺はますますタロの世話をやくようになっていた。


 やがて、タロは俺が体を触るのをゆるしてくれるようになり、そうしてついには、手から食事を直接うけとってくれるまでになったのだ。


「そうしていると、ほんとうに凛々しく見えますね。まるで伝説のフェンリルのようです」


 獲物に向かってそうするように、肉と格闘をはじめたタロをしばらくの間眺めていると、後ろから僧侶のリンネが声をかけた。


 ひとりの勇者が、一匹の神獣フェンリルと供に、荒ぶる神々と戦うお話。

その伝説は、この世界では定番のおとぎ話で、もちろん俺も知っていた。

 子供のころ、何度も読み聞かせてもらったフェンリルの絵本が大好きで、それこそが俺が動物好きになった理由である。


 アドルフやリンネが言うようなイケメンというよりは、まだまだ可愛さがまさるタロではある。

 けれども、黒鉄の毛並みや凛とした瞳など、端々に隠しきれない気品がにじみだしはじめていて、将来はそれこそお話のフェンリルにも劣らない、立派な犬に成長していくのだろう。


 俺は親ばかのようにそう思い、近寄ってもう一度、タロの頭をわしゃわしゃ撫でた。


 食事を中断されたタロが、俺に抗議の目をむける。


「タロちゃん、もしかして、なでなでさせてくれるようになったの?それじゃあわたしも……」


 リンネが俺に近寄って、いっしょにタロの頭をなでようとした。

 彼女がタロに触れる直前、タロはするりとその手をかわす。


「あら、タロちゃん?」


 なおも追いかけるリンネの手を、てし、と前足ではねのけるようにして、タロは悠然と彼女からの距離をとった。


「もう、わたしはまだダメってことなのね。うらやましいわ、ロッカ」


―――――――――


 そう言って笑っていた彼女は、もうこのパーティーにはいない。


 毎日のようにちやほやされて、ふた月がたったころからだろうか。

アドルフの様子が、徐々におかしくなっていった。


 それまでの貧乏生活が嘘だったかのように、着るものや食べ物がどんどん豪奢になっていく。それと同時に、彼のまわりへの態度もまた、どんどんとおおきくなっていった。


 アドルフの付き合いが広がることで、金銭をはじめとして、パーティーにもたらされるものも多かったから、俺たちはそれを黙ってみていた。


 少しお調子者なところはあっても、俺たちにとってアドルフは理想のリーダーで、勇者と言われるに相応しい男だった。


だから、こんなことは一時のことだろう。

 そう、思っていたのだ。


 しばらくして、アドルフの金遣いはますます荒くなっていき、パーティーが定宿にしていた宿屋には、うさんくさい者たちの出入りが目立つようになっていた。


 あんなに楽しそうにしていた庶民からの誘いはすべて断るようになり、自分に利益をもたらす相手とばかりつきあうようになっていくアドルフに、最初に意見したのがリンネだった。


「こんなのよくないわ。わたしたちにはもっとやるべきことがあるはずよ」


 パーティーの最古参で、アドルフが冒険をはじめた頃からの仲間だ、というリンネの言葉を、アドルフは心底ウザそうに聞いていた。


 三日後、アドルフから彼女にクビが言い渡され、リンネはパーティーを追放された。


 その日を境に、パーティーはますます荒れていった。

 リンネの代わりに、といって加入した新しい僧侶は、見た目こそ派手に着飾ってはいたものの、リンネの代わりを務められるような、能力はもっていないように見えた。


 リンネを追うように、古参の何人かがパーティーを抜け、そうして新たに幾人かのメンバーが補充された。

 その頃にはもうすっかり、パーティーは俺が知っていた、希望に燃える冒険者の集まりではなくなってしまっていた。


 俺もリンネの後を追って、パーティーを抜けてしまおうか。それともクビを覚悟して、アドルフに対して意見でもしてみるべきだろうか。

 そう考えたことがないわけではなかったが、俺にはタロがいたのだった。


 タロを置いて、このパーティーを離れるわけにはいかない。

 撫でられて、体を摺り寄せて気持ちよさそうに目を細めるタロを見ながら、俺はそう思った。


 タロは相変わらずアドルフと、それから俺以外には懐こうとせず、特に新しくはいってきたメンバーには辛辣だった。

 近づけば唸り声で威嚇し、時には吠え立てることさえある。


 そんなタロに、もともと性質の良くない新規メンバーが黙っているはずがなかった。

 タロのためにと、用意してあった肉がいつのまにかなくなっていたり、俺がタロと遊ぶのにつかっていたボールが潰されていたりした。


「アドルフ、おまえからみんなに注意するように言ってくれ」


 タロにあたえるはずのミルクに、犬が食べるのは厳禁とされている干しブドウが混ぜられているのを見て、俺はついにアドルフへ直訴した。


 宿の中でも、もっとも豪華な部屋の真ん中で、冒険者には相応しくない装いに身を包んだアドルフは、あのときリンネを見ていた目で俺を見て、


「わかったよ」


 と言ってから


「ロッカ、おまえ今日でクビな」


 と続けたのだった。


―――――――――


「そうか、それは、しょうがないな」


 俺はなかば本心でそういった。


「それで、タロのことなんだが」


 言われて、アドルフは怪訝な顔を俺に向けた。


「ああ、さっきから言ってた犬のことか」


 引き出しから一枚の紙をひっぱりだしながら、アドルフは言う。

 どうやら紙は俺の退職にかかわる書類のようだ。


 そんなものを用意しているあたり、今回のことはただの口実で、遅かれ早かれ、俺をこのパーティーから追放することは決まっていたのだろう。


「タロを、連れて行ってもかまわないよな?」


「うん?ああ、そうだな、あの犬か」


 やっとのことで、タロのことを思い出したのだろう。ルドルフは少し、考えるようにした。


「いや、だめだな。確かきれいな黒い毛並みだったろ?ああいうのには価値があるんだ」


 クソっ、と俺は心のなかで毒づいた。

 しばらく会わないうちに、いらない知恵をつけたようだ。


 そんなふうにタロをみるアドルフのもとに、タロを残していくわけにはいかないじゃないか。

 俺は必死に言葉を探した。


「そんなことよりも、さっさとこの書類にサインを……」


「ふうん、コイツ、辞めるんだ」


 アドルフの後ろに、いつのまにか僧侶のパウラが立っていた。

 リンネと入れ替わるようにパーティーメンバーとして加わった彼女は、見た目通りの派手な性格で、パーティーをひっかきまわしている。

 彼女は俺の退職の書類をつまみ上げると、素早く目をはしらせた。


「げ、なにこれ。退職金ってこんなに払うの?」


 アドルフが、パウラから書類を取り返す。


「そうだよ。決まりだからな。いろいろとうるさいんだよこういうのは」


「でもー、これだけのお金があったら、この前欲しかったイヤリングが、買えちゃうと思うんだけどー」


 アドルフは苦い顔をしてみせながら、パウラと、書類と、それから俺を、代わる代わるに見ていった。


「ロッカ。さっき犬が欲しいとか言ってたよな」


「ああ」


 俺は慎重にそう答える。


「退職金、いらないっておまえがいうなら、考えてやってもいい」


 そうして、アドルフは俺にむかって書類の端を指し示す。

 そこには少なくはない額が書かれている。


 「わかった。そいつはいらない。その代わり、タロはつれていくぞ」


 考えるまでもなく、そう答えた俺に、


「好きにしろ」


 とアドルフが言った。


―――――――――


 タロと俺の生活は、こうしてはじまった。


 勇者アドルフの元を去るとき、少しだけ寂しそうに鳴き声を上げたタロだったが、俺の後をついてくるのはやめなかった。


 犬といっしょに泊まれる宿は限られていて、値段もそれなりにしたけれど、タロのためには必要な出費だ。


 値段の割には粗末な部屋で、俺とタロはより沿うように寝起きする。


 いつのまにかタロの寝床は、俺の胸元になっていた。

 夜になると潜り込むように俺の布団に侵入してくるタロのためなら、俺はなんだってできるような気がしてくる。


 タロは鼻がよかったので、質の落ちた肉のことにはすぐに感づいたようだった。

 不満そうな顔こそみせなかったが、かぷかぷと少しずつ肉を食むタロが、その肉を好んでいないことはまるわかりだ。


 俺はタロの頭をなでながら、いつか好きな肉を毎日おなかいっぱい食べさせてやるぞと心に誓う。


 だから、タロの食がどんどん細っていっていたのに、俺はしばらく気づけなかった。


「疲れているようですな。しっかり食べさせて、しっかり休ませてやること。それがいちばんですぞ」


 駆け込んだ町医者は、そういってタロの頭を撫でた。

 それに嫌がるそぶりも見せないほど、タロは確かに、疲れているように見えた。


 医者に言われた通り、薬草を混ぜたミルクを飲ませても、昔のように質の良い肉を食べさせても、タロの体調はよくならなかった。


 ゆっくりと、しかし確実に、タロは弱っていった。


 途方にくれた俺は、ただ、タロを抱きしめる。


「ごめんな」


 と俺はタロにいった。


「お前を連れてきたのは、間違いだったかもしれない」


 突如、左腕に激痛が走った。

 見れば、タロが俺の腕に、噛みついて牙を立てている。

 威嚇されたことや、甘噛みのようなことをされたことは何度かあっても、タロが本気で噛みついてきたのは、それがはじめてのことだった。

 俺は痛みに耐えながら、反対の手でやさしくタロの頭を撫でた。


「ごめんな、タロ。苦しいんだよな」


 しばらくそうしているうちに、タロの牙が少しずつ緩んでくる。

 やがてタロの口が俺の腕から離れると、タロはうるんだ目で俺のほうを見上げた。


「くぅん」


 タロは謝るように、そう鳴くと、流れ出る俺の血をいたわるようにそっと舐めた。

 びりびりと、しびれるような感覚が俺の腕を走り抜けた。

 ひとなめされるごと、その感覚は強くなって、やがて全身を包んでいく。

 しびれはいつか心地よさにかわっていき、俺はひととき、腕の痛みすら忘れていた。


 タロが最後のひと舐めを終え、俺の腕からはなれる頃には、なぜだか傷はすっかりふさがっていた。

 同時に、タロはもう大丈夫だ、という実感が、俺の中に強くあった。


―――――――――


それから、数か月が経った。


 あのときに感じた通り、タロはそれから、あっというまに元気になった。


元気になっても、タロはかわらず、俺の胸元に潜り込むのが好きなようだ。


 けれどももう、それは不可能になってしまった。

 俺の前で、以前と同じように尻尾をふるタロは、見た目こそ子犬のころと、そうたくさんはかわらない。


ただ、おおきさが、その時の十倍はあるだけだ。


 かつて想像したように、タロは成長するにつれ、気品と威厳を兼ね備えた、優雅な犬へと育っていった。


 その姿は、かつて俺が大好きだった絵本に描かれた、フェンリルのそれにそっくりだった。


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