落ちたら異世界?
「見てられないから、君はこっちの世界においで。こっちで幸せにおなり」
落ちる寸前聞こえたのは、年を取ってるのか若いのか分からないような声だった。
「え」
学校の行事で、山の中のキャンプ場に来ていた。
バスに乗ってキャンプ場までやってきた私達は、お昼ごはんにバーベキューをするため川原に向かう途中だった。
キャンプ場にもバーベキューが出来る場所があるのにわざわざ川原に向かうのか、面倒だなあと思いながら私は重い荷物を運んでいた。乗ってきたバスは帰ってしまったし、そもそもこの細い道じゃバスは走れないけど、お腹すいた状態で重い荷物を持って歩くのは辛いすぎる。
「滑りやすいからあまり端を歩かないでね。滑ったら谷に落ちるよ」
キャンプ場から川原に行くまでの間に、どうしてそんな危険な場所があるのか。しかもキャンプ場にバーベキューで使う物以外の荷物を置いておけないから全部持ってとか鬼かと思うけど、どうなのよ。
そんな疑問はともかく、先を歩く先生の注意はすでに意味がなかった。
山道で使うには滅茶苦茶使いにくいキャリーカート(食材をぎっしり詰めたクーラーボックスが二個ゴムバンドで固定されている)を一人で運ばされていた私は、突然崩れた足元に驚きながら斜面を転がり始めたのだ。
「え、ええっ! きゃぁぁーっ!」
「真波っ?」
土砂にまみれながら落ちていく体。それでもキャリーカートは離さなかった。
食材を失ったら皆に何を言われるかわからないから、必死だった。食材を捨てて何かにしがみつくとか、そんな事考えられなかった。
「君はこちらの世界では元から居なかったことにするから、安心して新天地の生活を楽しんで。便利なおまけも付けとくよ」
安心? 安心なんかこの状況じゃ無理っ!
誰か分からない声を思い切り否定して、クラスメイトのキャーキャーという声を聞きながら、私はパニックに陥っていた。
ゴロンゴロン。バシャン。
音にしたらこんな感じ。
バシャッバシャッと体に水が掛かる。
川?
落ちたのは水辺?
体が痛い、水が冷たすぎる。
新天地とかふざけたこと言ってたあの声はなんなの?
「なんでこんなところに? おい、生きてるか」
声が聞こえるけど、目を開けることが出来ない。
体が動かないのは水が冷たすぎて、体温を奪われたせい?
私死んじゃうの?
「たす、けて」
生きていると分からなければ、見捨てていかれるかもしれない。
気力を振り絞って声を出した。
声というには掠れすぎて、息が漏れただけの様に聞こえたかもしれないけど。これが今の精一杯だった。
「大丈夫。助けるから」
優しそうな声が聞こえる。
頬に触れる温かい手。
体を抱き上げゆっくりと歩いていく。
「あり……が、とう」
これから何がおこるのか、なんにも知らず私は意識を手放した。
「う、ん」
ふわふわした温かいものに包まれていた。
あれ、私どうしたんだっけ? 変な声を聞いて、崖から落ちて、水に濡れて、それから。
「あったかい。私生きてる?」
恐る恐る目を開けてみると目の前に広がるのは黄色。
黄色? あれ、これなんだろう。
腕を動かし黄色に触れると、弾力のあるでもフワフワした何かだと分かった。
「私なんで裸なの。それにこれ、え。か、顔っ」
自分が裸だということに気が付いて、ついでに目の前に見えるフワフワの黄色に顔がある事にも気がついた。
「どういう事なのこれ。毛皮なのかなこれ」
フワフワしたものに包まれているせいで、身動きがしにくい。
とってもあったかいから助かるけど、ちょっと苦しい。
「毛皮、あれ? 呼吸してる。嘘、生きてるの?」
胸の辺りと思われる場所がゆっくりと上下している。
温かいと感じたのは、もしかしたら体温? え、毛皮を着こんだ人間じゃなくて。これって。
「目が覚めたのか。辛いところはないか」
「え。あの、はい」
「お前の服は岩の上に広げてある。濡れているものを着ていたら体温を奪われるからな」
動物が話しているのだと気が付いて、叫び声を上げなかった自分を誉めたい。
私ひょっとしてピンチなのだろうか、食べられる? そう考えてすぐに否定した。
食べるつもりならとっくにそうなってるだろう。
服を脱がせて、腕の中で体を温めてくれたのだから、少なくとも食べるつもりではないのだと思う。というか、思いたい。
「ありがとうございます。温かくなりました。あの、私荷物を持っていませんでしたか」
背負っていたリュックの中にはビニール製のポーチに入れた着替えがある。
動物だから気にしないのかもしれないけど、いつまでも裸のままなのは私が嫌だ。
「荷物はそこに置いてある。服はまだ乾いていないが着替えはあるか?」
「濡れていなければ、大丈夫だと思います」
「空間収納は鞄が濡れても中身は濡れない。ただ、持ち主しか使えない様に制限が掛かっているようで俺では出せなかった。すまない」
空間収納という聞きなれない言葉に首を傾げた。
持ち主しか使えないってどういう事だろう、リュックにもキャリーカートに積んだクーラーボックスにも鍵なんかついていない。
「あの、鞄の空間収納って」
何? そう聞こうとした瞬間あの声がした。
「ストーップ!」
「え」
聞こえてきた声は落ちる瞬間に聞いたあの声だった。
「君がこの世界の住人じゃないことは今はまだ誰にも言っちゃだめ」
「この世界? あれ、動物さんどこ、って、あ、あなた誰っ」
「取り敢えずこれを羽織って。話はそれから」
手渡されたマントみたいなもので体を覆いしゃがみこむ。
さっきまで動物さんに抱っこされながら寝ていた筈なのに、いつの間にか動物さんが消えて、私は裸で何もない空間に立っていた。
真っ白な空間。気が遠くなるくらいどこまでも白い。
ここは、どこ?
「ここはただの場所、どこでもない。何の意味もない空間」
「あの、貴方は?」
「僕はイシュル。この世界で神と呼ばれてる」
「この世界。地球じゃないの?」
「察しが良くて助かるよ。その通りここは君が居た地球とは違う。君が知っている言葉で言うなら異世界という奴だね」
「異世界」
これが夢じゃないのなら、私は異世界に来ちゃったらしい。