幸せのかたち
私の人生は今までずっと冬でした。
自分の想いを綴りたい。わかってくれなくてもいいです。
枯れた花を見ると自分のようだ。寒すぎる毎日に疲れ果て下を向いている。
あまりの寒さに力尽きたのだろう。時間が経って寿命もきたのかな。ポトリと落ちる。
しんしんと降る雪はきれいで本当に美しい。
積もると一面が雪化粧し銀世界。
しかしそれもやがては溶けてなくなってしまう。
綺麗なものはいつまでもは続かないし、どんなに輝いているものでもいつかはなくなってしまう。
どんなに輝いていたって終わりは来る。
どんなに外的に着飾っていても、いつかは内面が出るようになっている。
生け花や花束でも主役の目立つ綺麗な花々よりも、脇にあるかすみ草などの花を応援したくなるし、刺身ではつまを応援したくなる。
酢豚の中の野菜、オリンピックに出られない人達、テレビに出られない芸人や俳優や歌手、部活で試合に出られない人達、人並みに生きていけない堂々と生きていけない人達、未来が見えない人達。
そんな人間も輝かせてほしい。スポットライトを見上げる人間は本当に哀しくて羨ましくて……
でもスポットライトが当たっている人間は、それまで当たっていたのにいずれ当たらなくなると耐えられるのだろうか。
だから苦労した人間のほうがいいのかもしれない。 八方美人や何でもかんでも整っている人間は、外的には周りから好かれ認められる。友達もたくさんいて、楽しそうだ。
でも人によっては妬まれたりもするだろう。
自慢の子供を持つ親は堂々とできるが、出来損ないの人間の家族や親戚も表面だけ、外面が大事な人間ばかり。結局は自分が悪く見られたくないのだろう。
愛がない親戚や家族も自分のことしか考えていない。心配よりも世間体、己が大事。
どんなに輝いていたって終わりは来る。幸せはいつまでもは続かない。じゃないとこの世は不公平だ。今まで苦しんで来た人は幸せにならないと理不尽だ不公平だ。
雪のように溶け、花のように枯れ、人が老いていくように、人の幸せはいつまでもは続かないでほしいと思ってしまう正直な想いは汚いのかもしれない。
でもそう思ってしまう。枯れた花や溶けた雪、不良品、踏み潰された雑草、道端のゴミを見ると自分みたいだ。
綺麗なもの輝いているものになりたい。