テンカ
君は神、というものを信じている?
よくさ、『信じるものは救われる』だとか、『信じるものしか救わない』とかいうのを聴くのだけれども、それは、ただ単純にさ、『良い方に向かった時に、神を信じていなければ、『神のお陰だ』という結論に行き着かないから、というだけなんだと思うんだ。
だってさ、『神』という概念を持っていない人間をだよ、仮に神が居たとして助けてもさ、助けられた人間は『ああ、これは神様のお陰だー』とはならないよね?
だから、厳密に言うと、神が居たとして、須らく助けていたとしても、それを『神のお陰』なんて有難がるのは『神を信じるもの』のみ。
そうすると、正しく言い換えるならば『神を信じているものだけが神の救いに気が付ける』であると思うんだよね。
尤も、君が神を信じていようがいまいがそんなことは預かり知らぬことではあるけどね。
神の思し召し、だっけ?君もその『神』とやらの啓示だかでここに来たみたいだけど、果たして果たしてこの有様を鑑みて、それでも『神は居る』と断言できるのかな?居たとしたらここから驚くような展開で、目の前の怪物を退治せしめるんだろうけど、どうやらその可能性はどうにも感じられないのだけど、どうかな?
でも、だからといって『神』とやらに罪を擦り付けるというのもいかがなものかとは思うよ。
だってさ、勝手に期待してさ、自分の思い通りに行かなければ勝手に失望する、それって君が勝手に抱いた幻想でしかないんだよ。その幻想に振り回される身となったらさ、そりゃあいい気はしないよね?
そういうものさ。
だから、悔やむべきは君が愚かな使命感を持って愚かにも居るか居ないかもしれない『神』に縋ってしまった浅はかさを悔やむべきなのさ。
でも安心しなよ。
君も君でこれで神の世界の肥やしになれるという栄光を手に入れることが出来たんだからね。