ロマンチックサプライズ
窓を覗くといつも通りの淡い青空が見えた。
なぜだか空を遊泳している自分の姿が容易に想像できた。
前世は鳥だったのだろうか。
ふと眼下に視線を落とし、歩行者用信号機に目を遣る。
赤の直立人間も青緑の歩行人間も息を引きとっていた。
点灯していなかったのである。
続いて自動車用信号機に目を移す。
赤、黄、青緑の三つ目は盲目だった。
人々はみな、認知を超越した光景に立ちつくしている。
まるで時が止まっているかのように見えた。
世界中の人が混乱していることだろう。
さっきから自分が蚊帳の外でもあるまいのに、他人事のように世界を捉えている。
前世は神だったのだろうか。
世界は滅亡の一途を辿るのだろうか。
失望の追い打ちをかけるように汗がツーと首筋を伝い、滴り落ちた。
飛にはそれが大衆の涙のように映った。
2012年。これからデジタル化も著しくなる筈だったのに、運命は時に残酷だ。
でもまだ一縷の望みはある。
希望は捨てた瞬間、絶望に変わる。
「CME」が外れれば、被害は最小限に食い止められるのだ。
世界の存亡は地球の軌道に懸かっている。
飛は高校三年生にして早くも独り暮らしを営んでいる。
親がどこの誰かが分からないから、実家に帰れないのだ。
生死を繰り返したような過激な衝撃の後、
意識が戻った時には、独り暮らしをしている高校生になっていたのである。
「風呂の時間だな」
飛は晩食前に風呂に入るようにしている。そのほうが清潔な気がするからだ。
風呂という行為は頭と身体を洗ったら湯船に浸かる。それだけである。
だから空想や考察、時には妄想をしてしまうものである。
「裸体が温かい湯を着衣し、冷たい空気のボディタッチから身を守る。
やがて自分の醜態を恥じる。自分の醜態から逃げ出すように風呂を飛び出し、服を着る」
以前書いた風呂に対しての考察の一部だ。
「災害が入浴時に起きたら、いかなることか。無防備の身体は容赦なくボロボロにされてしまう」
といつも心配になりながら、湯船に浸かっている。ろくにリラックス出来やしない。
飛は用心深いのだ。
風呂場の床と天井、壁に渡るまで貼られた紺色のタイルには夥しい数のカビが屯していて
黒ずんでいる。湯船側の壁には地理の勉強のための世界地図がドーンと貼付されている。
そんな中で今日、思考に耽ったのは、告白の妄想である。
彼には一目惚れした女子高生の友達がいる。
そして告白する機会を見出せずにいる。
「明日、教室で告白してしまおう。もう平和は続かない。平和は中断されるのだから。
でもどうやって。これまでに宇宙災害の恐ろしさを毎日のように話し続け、宇宙災害に対する恐怖心を植え続けてきた。幻は熱心に耳を傾けてくれたもんだ。あとは宇宙災害を予知すればいい。そうすれば 僕に守られたい気持ちが働く。そこで告白する。
そうだ。告白前に見せるべき絶好のイベントがある。
巨大太陽フレア発生時に起こる「オーロラ」を予知しよう。
オーロラ発生時刻をLINEで予言すればいいんだ」
風呂から上がると真っ先にそれを実践した。
「取材」してオーロラ発生時刻を念入りに考察した。
パソコンで検索をして大体の発生時刻を予想した。
「このサイトには、オーロラは巨大太陽フレア発生後、数時間後に観られる可能性が高いと記述されている。数時間後で辞書を繰ると、二、三から五、六ほどのかずと載っている。勘だが五、六時間後だろう。だったら平均して今から五時間半後にオーロラが観られると予知しよう」
いつの間にか夜の帳が下りていた。
意中の女子高生、亜空幻のLINEはとっくにゲットしている。
亜空幻から積極的に友達の証として僕とLINE交換したのだ。
「今日の真夜中、二十三時半頃、あなたに逢えた幸せの感動が、夜空に表れるから、
受け取ってください」
敢えて言葉を濁して、それがオーロラであることを伝えずに送った。
ある意味、他力本願だがこのことは恐らく幻も知らないだろう。
だからきっと壮大なサプライズか何かだと勘違いしてくれるはずだ。
既読がすぐにつかないのが歯痒い。それでも三分後に既読がついたのは、僕のことを想っている証拠だろうか。
真夜中だから、寝ちゃって見逃さないかな。もしかしたら冗談とか嘘だとか、そんな風に思っているのではなかろうか。
居ても立っても居られない。衝動に駆られて外に出た。
まだ、オーロラは現れていない。
漆黒の夜空を凝視して、粘ること一時間。
宇宙に目が慣れて、隠れていた遠くの星も瞬き始めたその時。
――確かにオーロラは都会に出現した。
(なぜ、巨大太陽フレア発生後、都会でもオーロラが観測できるのか。疑問に思ったのなら読んでほしい。巨大太陽フレアによって「太陽嵐」が宇宙空間に放出される。太陽嵐により、地球の磁気圏にプラズマが蓄積する。磁気圏に蓄積されたプラズマは、宇宙エネルギーが外部から供給されると揺らぐ。これがオーロラとなって上空でうねる。太陽嵐は地球を包み込むように放射されるから、宇宙エネルギーが供給され、どこでもオーロラが発生し得るのだ)
エメラルドの彩光がカーテン状に降り注ぐ。優雅に不規則に頭上で踊る。
フィナーレに赤が混じり、オーロラの彩光が映写された奇怪な空に心を奪われた。
今頃、幻もオーロラを観ているのだろう。
ほぼ二十三時半だ。
都会でオーロラが観測できるのは極めて稀である。
これをサプライズの一環だと思ってくれ。
そう願いつつ、家に戻り、寝室のベッドで深い眠りに就いた。
晩御飯のことなんて頭から抜けていた。
飛が眠りに就いた時、夜空にある異変が起きていた。
亜空幻はマンションの屋上の公共スペースで、家族には内緒でオーロラの絶景を独り占めしていた。
「まさか、飛君がオーロラを予言したわけないよね。でも夜空に表れる幸せの感動って、これしか考えられないし」
思わず幻の口からも独り言がこぼれた。
真夜中なので、家の明かりは殆どが消えていた。
冷たい夜風が幻の髪とフリルスカートを揺らめかす。
一瞬間に白光が暗黒の夜空を白く染めた。
悲鳴を短く上げた。(翻訳すると「何!」)
放射線だった。幻は強烈な光化学スモッグに汚染された。
酷く眩暈がして、その場にしゃがみこんだ。
天に地が混淆したような視界に目を瞑って堪えた。
ゲームでいう毒状態に苦悶した。
その時、宇宙では宇宙飛行士が被曝していた・・・。
もし、巨大太陽フレアが発生したら、オーロラ発生後すぐに放射線が急襲してくることを覚えておく と役に立つだろう。
巨大太陽フレアとは三つ(実質上オーロラ除く二つ)の波による宇宙災害のことだ。
「第一波、電磁波」は巨大太陽フレアが発生した約八分後にやってくる。
一部の電子機器に障害があるだけではなく、人工衛星(GPS)が使用不可となる。
さらに飛行機の無線も使用不可となる。
「第二波、オーロラ」は巨大太陽フレアが発生した数時間後にどこでも観られる可能性が高い。世界各地でオーロラが鑑賞できるのだが、その直後、直中には魔の第三波がやってくる。
「第三波、放射線」は強い光化学スモッグを伴っており、眩暈や吐き気などの症状が出やすい。
しかも宇宙飛行士は被曝してしまうこともある。
しかし、巨大太陽フレアの真の恐怖は巨大太陽フレアが発生した二、三日後に地球に到着してしまう恐れのある「CME(コロナ質量放出)」である。